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どうだった家康

2023年12月23日 | 日常
2023年大河ドラマ「どうする家康」が終了した。
これは傑作と言っていい名ドラマだった。
最新の研究に基づく史実を元に作られただけあり、通説とはだいぶ違う感じになったのも良いし、各俳優の演技も素晴らしかった。

なかでも徳川家康の前に立ちはだかる壁のような存在、織田信長、豊臣秀吉、茶々の存在感が際立っていて、狂気を感じさせる演技は圧巻だった。
信長はどのドラマや映画でも魔王のような存在として描かれるけど、わりといい人扱いの秀吉が、今回「顔は笑ってるけど腹は黒い」キャラとなっていた。
ムロツヨシの人懐っこさの裏に恐ろしさを感じさせる演技はとにかく不気味で異様で、化け物といっていい凄みがあった。
さらに秀吉の死と入れ替わるように現れたのは、狂気のおんな城主茶々で、戦国の世が産んだ魔女を北川景子のド迫力の演技で表現された。それはまさにラスボスにふさわしいものだった。

で、肝心の松本潤だが、賛否あるものの僕はこれでよかったと思う。
ここでの家康のキャラ設定は、天才でも英雄でもましてや神でもない、普通の凡人ということ。
そんな凡人を有能な家臣団が支えることにより、戦国の強敵に立ち向かうというもの。
なので、敵キャラはアクの強い癖のある演技に対し、凡人家康は薄い演技でよかったのだ。
とはいえ、幾多の困難を乗り越え、数えきれないほどの戦を経験した家康は見事に成長し、関ヶ原の合戦の頃には立派な殿になる。
そして、数々の戦に勝利するごとにより得られるものがある一方、心はどんどん病んでいく。
最後の大戦、大阪の陣に勝利した家康は、とても大きな悲しみを背負う老人になってしまうのだった。

昭和の時代から続く徳川家康像が染み込んでる人からすると、あまりにもイメージが違ったドラマだっただろう。
たしかに主役に松本潤が選ばれたのはジャニーズ忖度があっただろうし、僕だって松潤が家康という発表があったとき違和感しかなかった。
しかし、一年を通して見ると松潤が家康にしか見えなくなるというくらいはまっていた。
実際Xや大河ドラマ系ユーチューバーでもそういう意見が多い。

ドラマの終盤、家康は幸せだった頃の思い出の中、皆から感謝されて笑顔で最後を迎える。
このドラマを見てた僕らも感謝を伝えたい。

晩秋の京を味わう

2023年12月03日 | 日常
今年はゴールデンウィークに京都へ行ってきたが、やはり秋の京都もいいよね、ということで行ってきた。
天気予報では曇りになってたけど、見事に外れて秋晴れの一日となった。

今回は久しぶり、たぶん15年ぶりくらいに秋の嵐山へ行ってみた。
気温は低いけど青空が広がり、絶好の行楽日和だ。
阪急嵐山駅の近くにクルマを停めて、渡月橋を渡る。
人が少ないうちに竹林の小径へ行く。
だけど、ここは秋より春とか新緑の季節の方がいいかも。
そこから奥へ入っていくと蓮の池があってその周囲の紅葉が素晴らしい。
京都というと寺と紅葉の組み合わせが絶品で、香嵐渓のような山の中の紅葉とはまた違った趣がある。
落柿舎はすでに柿が少ない状態だった。

「古都芋本舗」というところで大きなみたらし団子を食べる。
旅行系ユーチューバーが京都へ来るとよく紹介してるスイーツで、たっぷりのみたらし餡と柔らかいモチが美味しい。
昼食には「嵐山うどんおづる」というみせにはいる。
開店前からすでに行列が出来ていて、日本人だけでなく外国人も多い。
ここでは生麩と湯葉のうどんを食べた。
出汁が効いていてとても美味しい。
隣にいた韓国人と思わしき人たちも楽しそうに美味しそうに食べていた。

近くの天龍寺に行く。
ちょうど昼過ぎということで、太陽の位置がよく、真っ赤な紅葉と青空のコントラストが素晴らしい。
この日ここを訪れた外国人の方は、日本の美しさ、古都京都の素晴らしさに、きっと満足出来たであろう。

次は東山地区へ移動する。
八坂神社からねねの道、ニ寧坂と歩を進める。
少し例年より人出が少ないかなと思ったけど、三年坂までくるとすごい人だった。
生八橋を買うため、老舗の西尾へ行く。
ここはたくさん試食出来るのがいい。
さらにお茶も飲める。

清水寺まで来るものの、中には入らず団子屋へ行って茶団子を食べる。
寺周辺の紅葉も相変わらず見事である。

夕食は祇園おかるへ行く。
中に入ると所狭しと芸能人のサインがあり、よくメディアに登場する店であることがわかる。
ここはカレーうどんの名店ということなので、迷わずそれを注文する。
出汁が効いた和風カレーうどんで、人気があるのもうなづける味だった。

よく行楽シーズンの京都は人が多すぎてオススメしないという人がいるけど、決してそんなことはない。
たしかに人は多いけど、しっかり秋を楽しむことが出来るので、迷ってる人は絶対に行った方がいい。

京都紅葉前編


京都紅葉後編

天気晴朗、葉は赤し

2023年11月26日 | 日常
秋になると紅葉を見に行きたい。
というわけで愛知県の香嵐渓へ行ってきた。

天気予報通り、完璧な晴天で気温は低いものの日差しが強く寒さはない。
そして、満開の紅葉をゆっくり鑑賞することが出来た。

僕が香嵐渓に来るのは多分10回目くらいだと思うけど、絶好のシチュエーションのわりにほとんど渋滞もなくたどり着いて、少し人手も少ないように感じた。
少ないとは言っても十分多いわけだけど、もっともっと多いときは多い。

いつも思うけど、紅葉というのは太陽とセットで、光が当たってこそだ。
なので、なるべく晴天の日に行くべきで、どうしても行ける日が限られていて、それが曇りとか、時々雨とかならいっそのこと夜のライトアップを見たほうがいい。
逆にいうと、この日みたいに完璧な晴天ならライトアップではなく太陽光の方がいい。

以前より屋台も増えていて、美味しそうな食べ物が目白押しだ。
ここへ来るとよく食べるのが、コンニャクの田楽で、味噌ダレが美味しい。
これとウインナーを食べた。
以前は明宝ハムだった気がするけど、今は違うようだ。

天気がいいと川の水も綺麗でとても気持ちがいい。
紅葉はちょうど見頃で、赤、橙、黄と木々の緑、青空が相まって絶景た。

昼食は鴨ネギそばをいただく。
器が竹の切り株で、外で食べるというシチュエーションによくあっている。
気候がいいとより美味しく感じる。

ここには香積寺という寺があり、元々は飯盛山城があったところで、今土塁が残る。
ここの門の内側からの眺めが、観光案内などに載っている眺めとなる。

帰り道もとくに渋滞はなく、スムーズに帰ることが出来た。
逆に反対車線はライトアップ目当ての車で渋滞していた。


香嵐渓 2023-11-26

伊勢神宮2023

2023年11月05日 | 日常
先日、約1年ぶりに伊勢神宮に行ってきた。
僕は神社に対して宗教的な思い入れはゼロで、パワースポットだとかご利益があるとか全く思わないけど、日本古来の文化ということで時々行きたくなるのだ。

どちらかというと、神宮そのものより参道やおかげ横丁のほうが主目的かもしれない。
昼前に着いたので、まずは昼食に行こう。
今回は約10年ぶりとなる手こね寿司の名店「すし久」へ行った。
桶に入った寿司メシに肉厚のカツオがたっぷり乗っている。
今回は手こね寿司と天ぷらと茶碗蒸しがついたセットを食べた。

参道であるおはらい町は、コロナ前の活気を完全に取り戻していて多くの観光客で賑わっている。
内宮は正月の激混みと比べるととても空いていて参拝しやすい。
とはいっても、普通の神社よりは人は多いけど。

参拝のあとはおかげ横丁へ行く。
なんとも来ているので、とくに何を見るとか食べるとかはないのだけど、少し疲れたのでカフェでひと休みした。

帰りは外宮と内宮の間に古市というところがあって、そこには昔の遊郭跡の旅館があるので行ってみた。
風情のある建物で、映画の撮影なんかでも使えそうなところだった。

やはり伊勢はいい。
今度は混雑覚悟で正月にまた行くかもしれない。

伊勢神宮 2023-11-11

生活保護バッシングは弱いものいじめ

2023年10月22日 | 日常
最近京都で生活保護受給者による生存権を求めるデモが行われた。
そのメッセージのなかで「たまには旅行にもいきたい、オシャレもしたい、ウナギも食べたい」ということだけが切り取られて強調されてしまったため、いろいろ物議を醸し出している。
とくに「朝から晩まで働いても、旅行にも行けない、ウナギも食べられない人なんていっぱいいるのに、働いてない人がそんなこと言うのは間違っている」という主張が多い。
今日はこれについて僕の意見を書いてみようと思う。

まず、物価高が家計を圧迫するなか、それに応じて生活保護費も上げてほしい、というのと、真面目に働いているのに少しの贅沢も出来ないことは、全く別のことである。
生活保護受給者が自分の権利として、たまには少しくらいの贅沢もさせてくれ、と主張するのは何も間違っていない。
なので、労働者も、こんなに頑張って仕事しているのに給料安すぎるのは間違っている、たまには旅行も行きたいし、ウナギも食べたいぞ、とデモをすればいいのである。
労働者が怒りの目を向けるのは生活保護受給者ではなく、企業や国や社会そのものでなければならないのだ。

僕はこういう、強いものには何も言えないくせに、弱い立場の人ばかりバッシングするのは弱いものいじめ以外の何者でもないと思う。
そんなんだから、日本の経済は成長せず、賃金も上がらないのである。
週5日か6日、朝から晩まで働いても全く余裕がないワーキングプア状態を受け入れて、それが当たり前だと思っていてはいけないのだ。
労働者がそれを認めるというのは、出来るだけ安い労働力が欲しい企業側の奴隷になることを意味する。

何年か前、「アラフォーの会社員です。
主は手取り14万円です…
都内のメーカー勤続12年で役職も付いていますが、
この給料です…
何も贅沢出来ない生活
日本終わってますよね?」
という投稿が話題になっていた。
日本が終わってるというより、こんな発展途上国みたいな賃金で働らかせている企業と、それを許している社会が悪いのである。
それなのに、堀江貴文を筆頭に「努力をしていないおまえが終わってる」とかいい出す輩が溢れて出てきて、これこそ日本が終わってる象徴みたいな状態になったのだった。
本来、メーカー勤務の役職付きが12年も働いたら、手取りは25万〜40万くらいになるものなのだ。
この訴えた人はまったく終わってないし、間違ってもいない。
そして当たり前だけど、この件について生活保護受給者は関係ない。

もう一度いう。
生活保護受給者が自分の権利として、たまの小さな贅沢を希望することと、労働者の賃金が安すぎることは、まったく別の問題である。