Music Mania

No Music No Life

八重の桜の評判は微妙らしい

2013年03月31日 | 日常
今年のNHK大河ドラマ「八重の桜」はいろいろと微妙らしい。
僕はほぼ毎年NHK大河ドラマを見ているので、今年も当然見てるわけだが、まあそう思われるのも仕方ないかな、とは思う。



普通ドラマというのは、主人公がいてその主人公を中心に物語が進んでいく。
しかし八重の桜は、主人公とは別のところで物語が進んでいく。

舞台は幕末の京都と会津(福島)で、場面が交互に同時進行していくのだが、歴史が動いているのは京都だ。
幕末の京都といえば、西郷吉之助(隆盛)や桂小五郎(木戸孝允)、新撰組の近藤勇や土方歳三などの有名人が活躍し、「池田屋事件」や「蛤御門の変」など歴史的な事件が勃発する。
歴史好きならこの辺の展開は見所だろう。
ただし、ここでは主人公、綾瀬はるか演じる山本八重は一切出てこない。
その頃八重は会津で日常生活をおくっているだけなのだから。

八重が主人公だから、と八重中心の話にしてしまうと、おそろしくつまらないドラマになってしまう。
ストーリーやエピソードを捏造して、日常の中での恋愛とかそういうのをやってしまうと、それはもはや歴史ドラマではなく、ただの時代劇だ。
また、本当は京都にはいないのに京都にいたことにして、歴史的人物や歴史的事件に無理やり絡ませるのもよくない。
そういうのは民放の、たとえば「JIN」あたりがやればいい。

八重さんがドラマの主人公らしくなるのは、戊辰戦争の会津戦からだ。
おそらく5月以降だと思う。
会津城下で官軍相手に女戦士として戦う姿がクローズアップされ、評価もかわるに違いない。
また明治以降の活躍にも期待したい。

そういえば、このドラマは「福島の復興」がテーマになっている。
ドラマでは、蛤御門の戦いで焼け野原になった街をみて「何百年もかけて築きあげたものがたった一日で焼く尽くしてしまった」というセリフがある。
やはりあの災害を連想させる復興への思いが感じられた一コマだった。

スキャットマンの花

2013年03月30日 | 音楽
最近一発屋について調べていたのだが、少し懐かしい曲に出会った。
スキャットマン・ジョンだ。

90年代に世界的な大ヒットを放った男である。
シングル「スキャットマン」がヒットしていた1994年、スキャットマン・ジョンは52歳。
遅咲きのメジャーデビューで、5年後の1999年に癌で亡くなった。

彼は子供の頃から酷い吃音症で、人とコミュニケーションをとるのが困難だったという。
当初はジャズ・ピアニストとしてカリフォルニア周辺のジャズ・クラブで活動するものの、人と会話をすることが出来ず酒やドラッグに溺れるようになる。
「僕が喋ると、人から変に思われるに違いない、すごく恥ずかしくて内気だった」という。

しかし彼は諦めなかった。
自分の吃音症を逆手にとり、「意味のない言葉ならどもっても問題がないのではなかろうか?」
そうやって出来たのが、あの独特の歌唱法、言葉なのだろう。
それをテクノやヒップホップと組み合わせることにより、全く新しい音楽が誕生したのだった。

彼はパッと咲いてパッと散った。
しかし咲いたのは「パッ」どころではない。
「ドカーン!」と隕石衝突級のスケールで世界に咲いたのだ。
「吃音に悩む子供たちが逆境を乗り越えるための元気を与えよう」という意味を持つ曲が、600万枚の売り上げを記録する。
この曲が発売されたほとんどの国のチャートのトップに上がったといわれるのだ。

その売上金は現在も「スキャットマン基金」として、吃音者支援のために使われている。
死しても尚、世の中の役に立つスキャットマン・ジョンの花は、散ったのはではなく永遠に咲き続けているのかもしれない。


Scatman John - Scatman (Ski-Ba-Bop-Ba-Dop-Bop)

ブログに関する調査

2013年03月24日 | 日常
ライフメディア リサーチバンク調べで、ブログに関する調査が行われた。

対象は全国の10代から60代までの男女6566人だ。
それによると、自分のブログを持っていて今も更新しているという人は13パーセント弱とのこと。
僕の感覚では10パーセントを切っていると思ったが、年代別もあるので一概にはいえないようだ。



僕はブログを書き始めて今年で7年になる。
最初の半年は毎日更新した。
一行日記ではなく、いちおうきちんとした記事を毎日だ。
あれはけっこうきつかった。
しかし、調査によるとブログを毎日更新している人は15.6パーセントもいるらしい。



ブログを書く理由だが、一般的には自分の日記、備忘録として書く人が圧倒的に多い。
僕も毎日更新していたときは、日記的なことも書いていた。
しかし、ここ数年は純然たる日記を書くことは少なくなり、ほとんど音楽紹介やエッセイ的なものが多い。
分類としては「自分の考えや感じたことを発信したいため」にあたると思う。



ここまでこれたのは皆さんの支えあってのもの。
とりあえずは10年目指します。
今後もよろしくお願いします。

ノーランズとアラベスク

2013年03月23日 | 音楽
昨日、会社の先輩が唐突にこんなことを尋ねてきた。
「カモン・ミスター・モンキーってノーランズだったよな?」

朝のラジオでこの曲が流れていて、ふとそんな疑問を抱いたらしい。

「カモン・ミスター・モンキーはアラベスクだった気がするけど?」
と答えたが、先輩は「いや、ノーランズのような気がする」という。
そこへ通りがかりの同年代の別の人にも尋ねたが、その人もノーランズだという。
2人がそういうと僕もなんだかノーランズのような気がしてきた。

結局、この曲はアラベスクで僕が正しかったわけだが、なかなかこの手の女性ボーカルグループは洋楽好きの間でも話題にあがることは少ない。
それでも1980年前後の頃は日本でもかなり売れていたと思う。
なんといっても僕の従兄弟で「ザ・ド田舎村」に住んでたヤツでもノーランズやアラベスクを聴いていたのだ。

ノーランズとアラベスクは似ていた。
僕はどっちがどっちか区別がつかなかった。
まだ洋楽に目覚める前の時期なので、とくに興味のなかった僕はどうでもいいと思っていたのだ。
今になってわかったことだが、ノーランズはアイルランド出身の4姉妹のグループで、アラベスクはドイツ(西ドイツ)のグループで3人組だった。
アラベスクは日本以外では全く売れなかったそうでブームが終わると解散、ノーランズはその後もずっと活動していて今も現役だという。

というわけで問題の「ハロー・ミスター・モンキー」を聴いていただこう。




それに対してノーランズの代表曲といえばこれだろう。
少し前、ソフトバンクの犬のお父さんのCMで流れていたので知ってる人も多いだろう。
「ダンシング・シスター」




CMといえば、トヨタ・アクアのCMで珍しい曲が流れているのを思い出した。
ブロンディだ。
パンク/ニューウェイブ系統のバンドだが、ポップな楽曲とボーカルのデボラ・ハリーのキャラでアイドル視されていたようだ。
曲は「ハート・オブ・グラス」



ちなみにブロンディは1982年に解散するが97年に再結成し今も活動中である。
肝心のデボラさんは、体重が2倍になってしまったようで若いときの面影がないのが残念だが。








4月になれば彼女は

2013年03月17日 | 音楽
サイモン・アンド・ガーファンクルの曲で「4月になれば彼女は」というのがある。
不治の病で余命5ヶ月くらいの彼女を歌った曲だといわれる。

4月になれば彼女はここへ来るだろう、小川の水面があふれるなかで
5月になれば彼女は僕に抱かれて落ち着くだろう
6月になれば心変わりをし、夜を彷徨うだろう
7月になれば彼女は何もいわずに去っていく
8月になれば彼女は死んでしまうだろう、秋風が冷たく吹くなかで
9月、僕は彼女を思い出すだろう、熟成された恋として




April come she will
When streams are ripe and swelled with rain;
May, she will stay,
Resting in my arms again

June, she’ll change her tune,
In restless walks she’ll prowl the night;
July, she will fly
And give no warning to her flight.

August, die she must,
The autumn winds blow chilly and cold;
September I’ll remember.
A love once new has now grown old.


というわけでこの曲を弾き語ってみました。

April come she will / Simon and garfunkel cover