Music Mania

No Music No Life

のんびり派とアクティブ派

2013年05月26日 | 日常
5月の連休前のことだが、古い友人が夫婦で海外旅行に行ったときの話をしていた。
イタリアやフランスに行ったらしいが、そこで夫婦間での価値観の違いでぶつかったことがあったという。

友人(夫)は「旅行はのんびり過ごしたい」派で、奥さんは「アクティブに行動したい」派だったらしい。

せっかく海外に来たのだから、あらゆる名所旧跡を訪ねたり、美味しいものを食べたい、と朝から行動したがる妻に対し、旅行のときくらいゆっくりさせてくれよ、という夫。
どちらも一理あるが、僕ならアクティブに行動したい派だ。

最近は泊まりで旅行に行くことはほとんどないが、以前は2泊や3泊、それ以上の計画で鹿児島から北海道まで、北陸は石川、近畿は和歌山、四国は高知まで行き、どの旅行も朝から晩まで行動していた。
それでも、後から「あそこも行きたかった」とか「こんなところもあったのか」と行きたりないところだらけだ。

軽井沢のような避暑地に行ったときは、さすがにのんびり過ごそうとした。
2回行ってるのだが、1回目はセカセカと行動したので、2回目に行ったときは新緑の中を散歩したり、カフェでコーヒーを飲んだり、あるいはベンチに座って読書したりした。
「ああ、こういうゆっくり時を過ごす旅行も悪くないな」と思ったものの、他の旅行ではいつもどおり行動派でスケジュールを詰め込んでしまう。

のんびりしたいのなら家ですればいい、と思っている。
ここ数年、休日は基本的に家にいて、のんびり過ごすことを楽しんでいる。
少し滑稽なことかもしれないが、のんびり過ごすために休日でも朝はいつも通りの時間(6時前)におきている。
掃除をしたり庭の草むしりをしたり、あるいは料理を作ったりなど、生活臭のあることをするほうが、より家にいる時間が楽しめる気がするのは不思議だ。

旅行は非日常として楽しむか、あるいは日常の延長として楽しむか、で大きく異なってくる。
普段の生活環境が、都会か田舎かでも感覚は替わるだろう。
田舎暮らしの僕は、やはり旅行では非日常を味わいたいと思うのだった。
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蕎麦と食通

2013年05月25日 | 食べ物
僕はそばは好きだが、そば通ではない。
うどんとそば、どちらが好きかと尋ねられたら、どちらも好きと答えるだろう。
強いて言えば、うどんなら冷たいざるうどんより、かけうどんのほうが好みで、そばなら逆というくらいだ。

そば通の人なら、迷わず蕎麦と答え、こだわりの食べ方や薀蓄を披露するかもしれない。
ただし、そのこだわりの食べ方とやらを人に強要したり、自分と違う食べ方の人を見下すようなのは困る。

例えばこういう例だ。

・ざる蕎麦はダメ、もり蕎麦を食べなければいけない

これはざる蕎麦は海苔がかかっているため、蕎麦の風味を消してしまうダメな食べ物だということらしい。
たしかに秋頃に新蕎麦を食べるならそうかもしれない。
それを売りにしているような店なら、最初からメニューはもり蕎麦だけにしてくれるといいのだが。

・蕎麦をツユにつけるのは少しだけにしなければいけない

これも海苔と同じで、ツユにドボンとつけてしまうと蕎麦の風味が消えるからだろう。
ちなみに僕は3分の1から半分くらいしかつけないが、それはあまり濃い味が苦手なだけで通ぶっているわけではない。

・薬味を入れてはいけない

やはり、海苔やツユと同じで、ネギやワサビを入れると風味が損なわれるからだそうだ。
そうなのかもしれない、いやそうなのだろうけど、僕はネギもワサビも入れて食べている。

・ツユではなく辛味大根のしぼり汁につけて食べてこそ通

僕は箱根の強羅公園近くの某有名蕎麦店でこの食べ方をしたことがあるが、一口でギブアップした。
あまりにも辛すぎるのと、味が何もなかったからだ。
そこの店主によると、この食べ方こそ最も蕎麦を美味しく食べる方法だという。
ついでに店主いわく、「うちより旨い蕎麦は日本中探したってどこにもない」らしい。

・真の通は、蕎麦を冷水につけて食べる

先の辛味大根汁は辛すぎて食べられなかったので、まだこちらのほうがマシかもしれない。
でも、いくらそれが通だといわれても、普通にツユにネギとワサビを入れて食べたいが。

そういえば、食通で知られる山本ナントカ(ちょび髭のおじさん)は、刺身は何もつけずに食べるのが正しい食べ方で、魚の甘味、脂身、鮮度などが堪能できるという。
通の世界は、素材の良さが全てで、素材がよければ余計なものは一切いらないということか。
それはある意味、料理というものを否定しているような気がするのだが、いかがなものだろうか。

(こういうスーパーに売ってるもので満足している自分に、食を語る資格はない)




ロッククイズ(中級編)

2013年05月19日 | 音楽
昨年10月にロッククイズ初級編をやったが、今回は大幅にレベルアップした中級編だ。
だが、作ったはいいが、けっこう微妙といえば微妙である。
なぜなら、そのアーティストのファンからすれば常識であっても、あるいはそのジャンルに詳しい人なら知ってて当然であっても、興味のない人からすれば全く知らない、ということが多いのである。
なので、大ヒント画像をつけてみた。
もう大ヒントすぎて答えが出ているのもあるが、気楽に楽しんでください。



Q1. 「ロール・オーバー・ベートーベン」や「ジョニー・B・グッド」のヒットで知られるロックンローラーは?
A. チャック・ベリー
B. カール・パーキンス
C. ベン・E・キング


Q2. ビートルズのメンバーの出身地は?
A. ロンドン
B. リバプール
C. バーミンガム


Q3. ヴァン・ヘイレンのヒットで知られる「ユー・リアリ・ガット・ミー」のオリジナルを作ったのは?
A. キンクス
B. ザ・フー
C. アニマルズ


Q4. 1966年、エリック・クラプトン、ジャック・ブルース、ジンジャー・ベイカーの3人による、即興演奏を主体としたブルースロックをやったバンドは?
A. ヤード・バーズ
B. クリーム
C. デレク・アンド・ドミノス


Q5. ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズの死後、後釜としてストーンズに加入したギタリストは?
A. ビル・ワイマン
B. ロン・ウッド
C. ミック・テイラー


Q6. 1967年、映画「卒業」のテーマ曲となった、サイモン・アンド・ガーファンクルの曲は?
A. スカボロー・フェア
B. サウンド・オブ・サイレンス
C. ミセス・ロビンソン


Q7. ジェフ・ベック・グループ、フェイセズに在籍し、ソロでは「セイリング」「アイム・セクシー」などのヒット曲を持つシンガーは?
A. ロッド・スチュワート
B. スティーブ・マリオット
C. ポール・ロジャース


Q8. エマーソン・レイク・アンド・パーマーが1971年に発表した、クラシック組曲のカバーは?
A. ホルスト「火星」
B. ヴィヴァルディ「夏」
C. ムソルグスキー「展覧会の絵」


Q9. ピンクフロイドが73年に発表し、以降30年以上にわたってカタログチャートにランキングし続けている大ヒットアルバムは?
A. 原子心母
B. 雲の陰
C. 狂気


Q10. 「僕の歌は君の歌」「クロコダイル・ロック」などのヒット曲で知られるシンガーソングライターは?
A. エルトン・ジョン
B. ビリー・ジョエル
C. ギルバート・オサリバン


Q11. 1977年自動車事故で他界したマーク・ボランが在籍していたグラム・ロック・バンドは?
A. ロキシー・ミュージック
B. T・レックス
C. ニューヨーク・ドールズ


Q12. ダニエル・ブーンのヒット曲で、日本では田中星児のカバーで知られる曲は?
A. フライデー・エキスプレス
B. サタディ・ナイト・フィーバー
C. ビューティフル・サンデー


Q13. 1982年にマイケル・ジャクソンが発表し「ビリー・ジーン」「ビート・イット」などを含む、世界で1億枚以上の売り上げを誇るアルバムは?
A. オフ・ザ・ウォール
B. スリラー
C. バッド


Q14. 次の全米トップ10ヒット曲のうち、英語の曲は?
A. 坂本九「上を向いて歩こう」
B. ネーナ「ロックバルーンは99」
C. スコーピオンズ「ウィンド・オブ・チェインジ」


Q15. 「USAフォー・アフリカ」として作られたチャリティー・ソング「ウィー・アー・ザ・ワールド」、この曲の作曲者はマイケル・ジャクソンともう一人は?
A. クインシー・ジョーンズ
B. スティービー・ワンダー
C. ライオネル・リッチー


Q16. 1億人の飢餓を救うというスローガンの下、1985年に開催された20世紀最大のチャリティーコンサートは?
A. ライブ・エイド
B. バンド・エイド
C. ロック・エイド


Q17. ニルヴァーナのセカンド・アルバムで、「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」を含む大ヒットアルバムは?
A. ブリーチ
B. ネバー・マインド
C. イン・ユーテロ


Q18. 「世界で最も稼いでいるミュージシャン」の異名をもつアイルランド出身のバンドは?
A. シン・リジィ
B. ケルティック・ウーマン
C. U2


Q19. 2010年「21世紀のブレイクダウン」でパンクバンドとしては史上初のグラミー賞を受賞したバンドは?
A. グリーン・デイ
B. オフスプリング
C. ブリンク182


Q20. 2011年に発表されたアルバムが全米で39週連続トップ5以内という新記録を打ち出す快挙を果たした歌手は?
A. アデル
B. レディー・ガガ
C. アブリル・ラヴィーン



答え

Q1=A
Q2=B
Q3=A
Q4=B
Q5=C
Q6=B
Q7=A
Q8=C
Q9=C
Q10=A
Q11=B
Q12=C
Q13=B
Q14=C
Q15=C
Q16=A
Q17=B
Q18=C
Q19=A
Q20=A


オジー・バンドのランディ・ローズ

2013年05月18日 | 音楽


ブラック・サバスを脱退したオジー・オズボーンは新たなソロプロジェクトを立ち上げるため、アメリカでギタリストを募集していた。
おそらく相当な数のギタリストがオーディションを受けたと思われるが、一人もオジーを満足させる人物はいなかったらしい。
もう諦めてイギリスへ帰ろうかとしていたとき、一人のギタリストがオーディションを受けに来た。
それがランディ・ローズだった。
そのときのランディは後光が輝いているかのようなオーラを発し、なんと1曲も弾くことなくオジーに「おまえに決まりだ」といわれたらしい。

これは伝説の話なので実際はどうかわからないが、オジーの選択は正しかった。
ランディのプレイは1980年という時期において、ロックギターの最先端をいっていたように思える。
ジミー・ペイジやトニー・アイオミらが築いた基本的ロックギターをベースに、エディ・ヴァン・ヘイレンのスタイルを吸収消化して、自分のものにしていたのだった。

例えば、「クレイジー・トレイン」という曲がある。
明るくノリのいいリフワーク、このセンスは単なるHR/HMのギタリストでは出てこない気がする。
ハーモニクスやピックスクラッチの多用、ソロでのライトハンド奏法は、エディ・ヴァン・ヘイレン以降のギタリストらしいところだ。



次は人気のスローナンバー「MR.クロウリー」だ。
この曲のギターソロは、ある意味ランディの代名詞のようなもので、多くのギター小僧が指に豆を作って練習した名ソロが聴ける。
かなり弾きまくりのソロで、彼の特徴がよく出ていると思う。
また、70年代のロックギタリストの音階は、基本的にペンタトニックスケールだが、ランディのプレイを聴くとそれに囚われることなくメジャースケールを積極的に使っているようだ。
とくにエンディングのソロは、それまでのHR/HMギタリストにはないスタイルだろう。
マイナーキーによるカノンに近いコード進行だが、こういった曲だとランディは力を発揮する。



次は今もライブのオープニングに使われることが多い「アイ・ドント・ノー」を聴いてみよう。
16分で低音弦を刻むバッキングが斬新で名リフの一つだと思うが、ギターソロについてはそれほどでもないように思う。
これは「MR.クロウリー」と違い、ソロのバックがほぼワンコードだからだろう。
自分の得意なフレーズを繋ぎ合わせてあるだけのようにみえる。
もしかすると、ワンコードで延々とセッションするようなのは苦手なのかもしれない。



最期にランディ在籍時の貴重なライブ映像から「パラノイド」
上記のスタジオライブの動画は他にもいくつかあるのだが、本物のライブ映像は非常に少ない。
あっても劣悪な画質だったりするが、このパラノイドはかなりマシだと思う。
ギターソロでは、一音でもたくさん弾こうと、限られたスペースの中で目いっぱい弾いているのが若々しく感じる。



1982年のインタビューでは、ワールドツアーで日本に行くのをとても楽しみにしていると語っている。
「僕にとって日本は特別なところなんだ。なんといっても僕のデビューアルバムを世界で唯一発売してくれた国だしね。」
それからまもなく、3月19日飛行機事故で他界。
享年25歳だった。

(おまけ)

ランディは小児麻痺で足が不自由だった、という噂があった。
そのため身長が伸びなかったとか、ステージではほとんど動かなかったとか、ライブ中はオジーが彼を抱き上げて移動させていたなどと実しやかに広まっていった。
マネージャーのシャロン・オズボーンは日本でそういう噂があることを知って大変驚いたそうだ。
現在、youtubeで見ることが出来るように普通に動いている。
どうしてそういう噂になったのか謎だが、悲劇のヒーローの肩書きとして誰かが捏造したのだろう。

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クワイエット・ライオットのランディー・ローズ

2013年05月12日 | 音楽
今日もオジー・オズボーンに関連することを書いてみよう。
今日のテーマは若くして亡くなった悲劇のギタリスト、ランディ・ローズだ。



ランディ・ローズは、オジー・バンドに加入する前は、クワイエット・ライオットというバンドにいた。
このバンドは日本でのみレコード契約がとれたものの、他の国ではアマチュア同然で、無名バンドだったと言われる。
要するに、オジー・バンドが初めてのメジャー・デビューだったといってもあながち間違いではないのだ。

今日僕は初めてランディがいた頃のクワイエット・ライオットを聴いた。
内容はハードロックというよりポップな産業ロックで、REOスピードワゴンのような感じだ。
よく聴くと、ギターの音色はまさしくランディのそれであり、ところどころ後のオジー時代に通じるものが垣間見れる。

例えばこの曲「Picking Up The Pieces」、1分35秒くらいから始まるギターソロの展開方法や、速弾き部分はいかにもランディらしい。



この曲「Breaking Up Is A Heartache」は、バッキングのアルペジオがオジーのバラード曲に通じるし、1分40秒から始まるギターソロは、名曲「グッバイ・トゥ・ロマンス」の原型のようだ。



さらにこのライブ音源を聴いてほしい。
「Laughing Gas」という曲で、 2分過ぎくらいからランディのソロタイムに入るのだが、なかなか凄いギターを弾きまくっていて、やはりランディの指癖がところどころ出てくるのがわかる。
そして7分くらいからクラシック風のフレーズになるのだが、なんとオジーの1枚目収録のアコギ曲「Dee」の原型が現れる。



この後ランディは、知人の薦めでブラック・サバスを脱退したオジー・オズボーンのソロプロジェクトのオーディションを受けることになる。
クワイエット・ライオットは自然消滅するわけだが、後に別のギタリストを加えてメジャー・デビューし、「カモン・フィール・ザ・ノイズ」などのヒット曲を出している。

次回はオジー時代のランディです。