Music Mania

No Music No Life

ライク・ア・ローリングストーン

2014年06月28日 | 音楽
(YOMIURI ON LINEより)
米国の人気ミュージシャン、ボブ・ディラン(73)が代表曲「ライク・ア・ローリング・ストーン」(1965年)を作った際の歌詞の直筆草稿が24日、ニューヨークの競売会社サザビーズのオークションで、204万5000ドル(約2億円)の高値で落札された。
ロイター通信によると、オークションで落札された直筆草稿としては2010年にジョン・レノンによるビートルズの曲「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」がつけた120万ドル(約1億2200万円)を超える最高値となった。


このニュースはネットやテレビでも報道されたので知ってる人も多いと思う。
ロックファン、洋楽ファン以外の人の反応が気になるが、おそらく「ふーん、何か知らないけど、2億ってスゴイね」くらいなもので、次のニュースの時にはすでに忘れていることだろう。

ただ100人に一人くらいは、「2億の曲って、いったいどんなものだ?」とユーチューブで聴いてみる人もいるだろう。
ここでわざわざ検索して聴いてみたいと思う人は音楽好きだと思われるので、10人に一人くらいはこの曲を気にいるかもしれない。
そしてボブ・ディランのCDを買ったりDLし、深い歌詞の内容を調べる、というように新たなファンが増える可能性がある。

こう考えるとメディアの影響力というのは凄い。
テレビやネットでこのニュースを知った人が2000万人としたら、実際に曲を聴いてみる人はそこから20万人くらい、曲を気にいる人は2万人くらいか。
2億という数字ばかりが一人歩きしているように見えても、分母が大きいとこれくらいの効果はあると思う。

ここまで書いてこんなことを言うのは気が引けるが、実は僕はあまりこの曲は好きではない。
好みの問題なので仕方ないよね。

ボブ・ディラン「ライク・ア・ローリングストーン」


(歌詞)

昔、良かった頃は派手に着飾って
浮浪者に10セント硬貨をやってた、そうだったよな
皆は言った、”気をつけろよ、堕ちちまうぜ”って
でもからかっているとしか思わなかっただろ
あんたはよく笑ってた
ふらふらしているような奴らを
今では声高に話すこともなく
プライドもなくなっちまったみたいだ
食事をあちこちであさるような生活をしなきゃならないんだから

どんな気分だ?
何を感じる?
帰る家もなくして
誰にも知られることなく
ただ転がる石の様になってさ

最高の学校に行っていたよな、ミス・ロンリー
でもわかったんだ、あんたはそれに酔ってただけなんだって
誰も道端で生きていく方法なんて教えてくれなかった
これから慣れていかなくちゃならないな
あんたはやり取りする気はないって
変な浮浪者と絡まないと言うけど、気付いちまった
奴らは言い訳を売ってるわけじゃない
奴らの空虚な目を見るほど感じるだろう
そして言うんだ、”取引したいの?”って

どんな気分だ?
何を感じる?
たった一人になって
帰る家もなくして
誰にも知られることなく
ただ転がる石の様になってさ

ジャグラーや道化師の
しかめっ面を見て回ることもなかったな
その時皆企んでいたんだよ
気付きもしなかったよな、あんまり良くない状況で
あんたは反感を買うようなことをすべきじゃなかったってこと
話がうまい奴とよくクロムのきれいな車に乗ってた
奴は肩にシャムネコを乗せていたよな
さすがにすべてが分かったときは辛かったろう
奴は本当は良い奴じゃないって
あんたが盗れるだけ何もかも奪われた後で

どんな気分だ?
何を感じる?
たった一人になって
帰る方向なんてなくした
誰にも知られることなく
ただ転がる石の様になってさ

塔の上の王女や、きれいな服を着た人々は
酒を飲み、自分たちはやりきったって思って
貴重な贈り物を交換し合ってるのさ
でもあんたはダイヤのリングを外すんだ、質に入れちまえよ
よく面白がっていたよな
堕ちたナポレオンと、ナポレオンの言葉をさ
彼のとこに行くんだ、呼んでるぜ、断れないよ
何も持ってないということは、何も失わないということだ
あんたは今透明になった、隠す秘密も何もないんだよ

どんな気分だ?
何を感じる?
たった一人になって
帰る家もなくして
誰にも知られることなく
ただ転がる石の様になってさ
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テレビ見なくていいんですか?

2014年06月22日 | 日常
サッカーW杯が盛り上がっている。
今週の話題はどこもかしこもW杯で染まったようだ。
サッカーに限らず、今までも国際試合に日本チームが出場すれば多いに盛り上がったものだが、とくに今回は加熱したように思う。
普段サッカーどころか、オリンピックにも興味がないという人まで「サッカーどうだったのかな?」とソワソワしてる始末だ。

ところで、昨日の朝、テレビを見ていたのだが、そこでの街頭インタビューに違和感があった。
サッカー中継をしている時間帯、サッカーを見ていない人に対して、「どうしてサッカー見ないのですか?」とか「なぜテレビ見ないでそれしてるんですか?」と尋ね回っていたのだ。
別に人が何をしようが勝手なのだが、案の定ネットで大きな話題になっていた。
ツイッターを全て見たわけではないが、ザッと見たところ、全てが否定的な意見だ。

・日本人全員がサッカー興味あるわけじゃないしどうでもいいだろ。こういう「みんなやってるのにお前なんでやってないのww」っての、悪い意味で村八分するのが好きな日本人的な考えだよなぁって思いました

・ 見ていない人はおかしい、というような作り方で気分が悪かったです

・サッカー見ないとダメみたいな風潮ねw

・『世の流れに逆らうかのように日本戦を見ない人たち…』と『とくダネ』で言ってるんだが、見ないとそこまで言われるのか

・ムカつく通り越して呆れる。今サッカー見ないと非国民扱いだね本当

・日本戦を見る・見ないは個人の自由なんだから、ほっといてやれよ。 サッカーを絶対見ないとダメなのか?見ないことがダメなことなのか?

当然の結果といえる。

しかし、「日本人ならW杯見なきゃいかんでしょう」とか「日本人が世界で頑張ってるのに応援しないなんて非国民」とか「まさか、サッカー興味ない人いるの?ウソでしょ?」とか、そういう意見も見たかった。
実際、そう思ってる人も多いと思う、口に出さないだけで。
なぜ、口に出さないか?
今そんなことツイートすると、炎上しかねないからだろう。

じゃ、一緒になって盛り上がったらいいのか?というとそうでもない。
盛り上がったら盛り上がったで、「普段サッカー興味ないくせにW杯のときだけ騒いでるニワカ」と言われるらしい。

見なければ非国民、見ればニワカ、渋谷スクランブル交差点でハイタッチすればバカ扱い。
いつからこんな面倒なことになったのだろう(笑)

ちなみに僕は今回のW杯、見てません。





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ポカリとアクエリアス、そしてエアサプライ

2014年06月21日 | 音楽
先週のことだ。
mixiの友人である喜楽院さんが、「ポカリとアクエリアス、どちらが好きですか?」という質問をしていた。
それに対して、けっこうな人が回答しており、いろいろな意見を見ることが出来た。
なかでも「医者はポカリを勧める」という意見は、僕もどこかで聞いたことがあり、なかなか味わい深い回答だと思う。
何を根拠にポカリを勧めるのか?
もしかして、スポーツ飲料を全てひっくるめてポカリと言ってるだけじゃないのか?

ここで以下のサイトを見てみよう。

ポカリスエットとアクエリアスどっちがいい?違いを比較まとめ

ここからの抜粋

医者がアクエリよりもポカリを勧めるのは
ナトリウムの他に炭水化物が多いからである。
食欲のでないスポーツの最中でも
しっかりエネルギーを摂取できるというわけだ。
さらに具体的な話をすると、ポカリは生理食塩水に近く、
人の体液に近い組成と浸透圧の生理食塩水(リンゲル液)が
発汗によって失われた水分を補給するのに効率が良いと
医学的に証明されているそうだ。


それに対してアクエリアスは疲労回復に役立つという。

アクエリにはアミノ酸やクエン酸などが含まれている。
これらは有機酸ともよばれ、疲労回復に効果がある。
汗を多くかいたあとの疲れきった身体を癒す目的として
アクエリを飲むのが良い。


つまり、

夏バテ防止や運動時の水分補給、風邪にはポカリスエット。
運動後の癒しを求めて一息つく時はアクエリアス。


ということだ。

このようなスポーツドリンクが登場した80年代、音楽の世界にも清涼感を売りにしたアーティストが登場する。
オーストラリア出身のエアサプライだ。
青い海、突き抜ける青空、浮かぶ気球、サーフィンをイメージしたポップバンドで、「ロスト・イン・ラブ」、「ヤング・ラブ」、「シーサイド・ラブ」など、「なんちゃらラブ」という曲名が多かった。
彼らの音楽は「ペパーミントサウンド」と呼ばれ一世を風靡する。

僕はこのハイトーン、というより女性のような声質があまり好きではなかったのだが、1枚だけお気に入りのアルバムがあった。
しかし、今それがなんという題名だったのか覚えていない。
なぜなら、彼らのアルバムジャケットはどれもよく似ていたからだ。
どれも青空に気球やパラシュートが浮かんでるようなものばかりだったのだが、これは日本盤だけらしい。
清涼感、海辺のリゾート、爽やかさを強調するため、わざわざ作り直したと言われる。
それも南の島まで気球をもって撮影に行ったのではなく、スタジオにあった海の写真と気球の写真を適当に合成したらしい。
いかにも80年代的エピソードだ。

夏の飲み物が麦茶、カルピス、ラムネから、スポーツ飲料に変わっていき、南国リゾートをイメージした爽やかミュージックが人気になる。
これも80年代を象徴する出来事なのかもしれない。

さよならロンリー・ラブ/エアサプライ

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サバスvsオジー対決

2014年06月15日 | 音楽
1982年、全曲ブラック・サバスの曲が演奏された2種類のライブアルバムが発売された。
1つは、ブラック・サバス「ライヴ・イーヴル」。
もう1つはオジー・オズボーン「悪魔の囁き」。

「ライヴ・イーヴル」はサバスの作品なのだから、全曲サバスナンバーなのは当たり前だ。
メンバーは、トニー・アイオミ、ギーザー・バトラーの他、ヴォーカルにロニー・J・ディオ、ドラムにヴィニー・アピス。
問題はオジーの「悪魔の囁き」で、なぜ全曲サバスナンバーなのだろう?
一説によると、契約の関係上どうしても早急にアルバムを作らねばならず、しかしランディー・ローズは不慮の事故で他界したため、ライヴ盤を出すことにしたらしい。
しかし、キーボード奏者が脱退したため、鍵盤なしで出来る楽曲となると、サバスナンバーしかなかったらしい。
この時のメンバーは、オジー他、ギターにブラッド・ギルス、ベースにルディ・サーゾ、ドラムにトミー・アルトリッジ。

同じ時期に同じバンドの曲を演奏すれば、当然同じ曲を演っている。
2つのアルバムからのダブり曲は以下の通り。

N.I.B
ブラック・サバス
ウォー・ピッグス
アイアンマン
チルドレン・オブ・ザ・グレイブ
パラノイド

では、これらの楽曲を聴き比べてみよう。

まずは重量級対決で「ウォー・ピッグス」

ブラック・サバス「ウォー・ピッグス」


オジー・オズボーン「ウォー・ピッグス」


演奏時間は、サバス=9分17秒、オジー=5分35秒
この時間の差はなんだろう?
まずサバス版はヴィニーのドラムソロに繋がっているので、それを除くと7分20秒になる。
それとオジー版は、ギターソロ後のブレイク部分が4小節省かれて、いきなりボーカルが入っている。
それらを差し引いても、オジー版が短いのは、テンポが早いからだ。
若手ミュージシャンによるフレッシュな演奏は、実にタイトで軽快ですらある。
それに対し、サバス版はさすがのヘヴィな演奏で、貫禄を感じる。
ロニーのボーカルはやや力み過ぎか。

次はおどろおどろ系対決で「ブラック・サバス」

ブラック・サバス「ブラック・サバス」


オジー・オズボーン「ブラック・サバス


演奏時間は、サバス=8分34秒、オジー=6分4秒
サバス版は曲の前にギターソロがあるので、それを除くと7分15秒ほどだ。
それでもやはりサバス版の方がスローだ。
歌詞のなかに「Satan sitting near he's smiling」という部分があり、そのあと笑い声が入る。
「サタンが近くに座り笑っている」の笑い声が、オジーは不気味に「ハハハハ…」と微笑むのに対し、ロニーは「ファッハッハッハー!!」と勝ち誇ったように笑う。
同じ歌詞でも解釈の違いで、表現が変わってくるのが面白い。

次はファストナンバー対決で「パラノイド」

ブラック・サバス「パラノイド」


オジー・オズボーン「パラノイド」


こちらはどちらもほぼ同じテンポで演奏される。
サバス版はエンディングが「ヘヴン・アンド・ヘル」に繋がっているので、演奏時間は長い。
こういうアップテンポの曲でも、サバス版は重い印象だ。
ボーカルはやはりオジーの方がしっくりくる。
ギターソロは、アイオミもギルスも弾きまくりだが、ギルスの方が派手で、速弾きあり、アームあり、クリケット奏法ありの自我が強いソロだ。

一説によると、ロニーとオジーは不仲だったらしい。
人一倍プライドの高いロニーからすると、オジーは歌唱力がないくせに大物ぶってるように見えたのかもしれない。
しかし、逆に言えばロニーは歌唱力だけの人で、それ以外ではオジーの方が音楽家として優っているのではないだろうか。
ギタリストを見る目、若い才能を引き出す力、歌メロの作曲力などはオジーの方が優れているように思う。
ボーカリストとしての力量は、ロニーはもう圧倒的で、オジーは逆立ちしても叶わないけど。
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ブラック・サバス「コンプリート・アルバム・ボックス1970ー1978

2014年06月14日 | 音楽
ブラック・サバスのCDボックスセット「Complete Albums Box 1970-1978 」を買った。
これは70年代のスタジオアルバム8枚をコンプリートしたもので、これでオジー時代のサバスが全て揃うことになる(リユニオン以降を除く)。

音源は全てライノによるリマスター済みのもので、それまで持っていた古いCDよりかなり良くなっている。
音圧が上がっているのはもちろん、低域に迫力が増し、高域がクリアになった。
以前のものと比べて、霧が晴れたような印象だ。
僕はサバスのLPレコードも持っていたが、それよりも良くなっている気がする。

さて、今回1stアルバムから8枚目まで順に聴いて感じたことがある。

サバスらしさとは何なのか?

それまでサバスらしさといえば、ダークでヘヴィなハードロック、ヘヴィメタルだと思っていた。
おそらくそう思ってるのは僕だけではないはずだ。
だから7枚目「テクニカル・エクスタシー」や8枚目「ネバー・セイ・ダイ」あたりはサバスらしくない、と。

もしかすると、そうじゃないのかもしれない。

じっくり順を追って聴いていくと、常にサバスサウンドは進化し続けており、違和感なく次のアルバム、次のアルバムへと繋がっているのだ。
4枚目「VOL.4」あたりからサウンドバリエーションがひろがり、5枚目ではプログレのエッセンスも含まれてくる。
このように正常進化を続けた結果が、7枚目、8枚目のサウンドであり、むしろ9枚目「ヘヴン・アンド・ヘル」の方が突然変異であり、サバスらしくない、とも言える。

僕は、それまであまり好きではなかった6枚目「サボタージュ」や7枚目「テクニカルエクスタシー」が、とても良い作品であることに気がついた。
このモダン路線はトニー・アイオミの主導によるもので、オジー・オズボーンはそれを嫌ったという。
しかし、皮肉なことに、80年代以降は、オジー・バンドの方がモダン路線に進んでおり、本家サバスの方はハード、ヘヴィ路線に戻っているのは面白い現象だ。

サバスの40年以上の歴史の中で、モダンでプログレッシブなハードロックをやっていた時期は、結果として70年代の一時期だけとなった。
そのせいで、この時期はサバスらしくないというレッテルが貼られるわけだが、当時、リアルタイムで彼らを聴いてきた人なら、印象も違うのだろう。
もしオジーが脱退せず、あのまま進化を続けたらどうなっていたか、気にはなるが。

テクニカルエクスタシーより「ユー・ウォント・チェンジ・ミー

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