Music Mania

No Music No Life

どんぐりの背比べ

2014年11月30日 | 音楽
来年春、キッスが来日する。
それについてファンの間で、賛否両論渦巻く懸案がある。
キッスとアイドルグループのももいろクローバーZとのコラボだ。
コラボCDの販売と、ライブへの特別ゲスト参加があるらしい。
これはキッス側からのアプローチだという。
おそらくオズフェストやレディー・ガガのライブで、ももクロのパフォーマンスを見て、これは面白そうだし、金になりそうだ、と判断したのだろう。

ここを読まれている方は想像つくと思うが、僕の考えは「キッスとももクロのコラボはあり」だ。

キッスは元々そんなバンドだ。
けったいなヒーロー風映画を作ってみたり、ライバルはディズニーだといってみたり、最近ではサークルKとコラボしてキッス肉まんを売ったりしている。
そしてファンは、「あ~あ、またやっちゃったか・・・」と呆れながらも暖かい目で見守るのがキッスだ。

だいたいロックファンの中には、ロックを何か立派で崇高な音楽だと勘違いしている人がいる。
ポップスやフォークより上、ましてや歌謡曲やアイドルなんかより、はるかにレベルの高い音楽だと思っている。

本当にそうか?

そんなことないだろう?

歌がヘタクソでも許される音楽はロックとアイドル。
演奏がヘタクソでも許される音楽はロックだけ。
アイドルの人たちって、けっこうプロ意識高い人多いと思う。
ロッカーのようにドラッグ付けになったり、二日酔いでボロボロの演奏しか出来なかったり、胸糞悪いからとステージを途中でボイコットする人もいない。

ファンの質はどうか?

ロックファンは真に良い音楽を求めていて、アイドルファンは彼女、または彼のことが好きなだけ?
いやいや、ロックファンだってそんなに音楽通でもないでしょ?

今のトミー・セイヤーとエース・フレイリーなら、間違いなくトミーがギターを弾いたほうがキッス・ミュージックの完成度は高い。
それでも「やっぱ、エースじゃなきゃな」という人が後を絶たない。
それは、完成度の高いキッス・ミュージックを聴くことより、エースという個人への興味のほうが高いんじゃないのか?
これはキッスに限らず、どのバンドやアーティストにもこういうファンはいる。

それに、ロックコンサートだって、アーティストグッズの売り場は長蛇の列になるじゃないか。
そこに並ぶ人は、アイドルのコンサートグッズ売り場に並ぶ人や、ジャニーズショップに行く人とどう違うのだろう?
さらに、キッスのライブには、ミート・アンド・グリートという、メンバーに直接会えるサービスがある。
それって、アイドルの握手会と一緒だと思うのだが。

それがいけない、と言ってるのではない。
それでいい。
何も問題ありません。

ロックファンもアイドルファンも大して変わらないでしょ、ということ。


さて、キッスとももクロのコラボについて、もう一つ気になること。
ももクロがアイドルだから許せん、といいながら本当は、日本人だから気に入らん、ということじゃないのだろうか?

日本の洋楽ロックファンは、日本のロッカーが嫌い。

以前、エアロスミスのライブに、特別ゲストとしてB’zが参加したとき、それはそれは酷いバッシングがあったそうだ。
またローリング・ストーンズのライブに布袋寅泰が特別参加したときも、酷いバッシングがあったという。

日本のミュージシャンが、世界の一流ミュージシャンと共演するって素晴らしいことじゃないか。
ここは日本人として誇らしく思っていいところだと思うが。
しかも、ゲスト参加したのって、せいぜい1曲か2曲でしょ?
そりゃ、最初から最後まで共演してたら、「オマエのギターを聴きにきたんじゃない」とも言えるが、1曲か2曲くらい許容してやれよ、と思う。
B’zも布袋氏も、元は僕たちと同じロックファンじゃないか。
彼らがプロになって、夢にまで見たエアロやストーンズと共演するのって、アカンの?

まあね、B’zも布袋氏も、ちょっと売れすぎて、ロックというよりJ-POPのフィールドに行っちゃった感があるからね。
日本のロックファンはJ-POP見下す人多いし。

とにかく、ロックとJ-POP、ロックとアイドル、どっちが上とか下とかシャラ臭いことだ。


参考記事

ファン心理
どうしても好きになれないミュージシャン
コメント (12)

不器用な男の時代

2014年11月29日 | 日常
昔話で「金の斧、銀の斧」というのがある。
お爺さんが自分の斧を池に落としてしまって困っていると、池の神様が出てきてこういう。
「おまえの落とした斧はこれか?」と金の斧を見せる。
お爺さんは違うと応える。
「ではこっちか?」と今度は銀の斧を見せる。
それも違うと応える。
「なら、こっちか?」と古びた鉄の斧を見せる。
お爺さんは、それが自分の斧です、と応えるのだった。

昔はこういう正直さが美徳とされたが、最近はそうでもないらしい。

金の斧を手に入れるチャンスを逃しているじゃないか、ウソでもいいからチャンスを掴み、そこから成功への道を切り開かなくてはならない、と。

たとえば、長谷川豊という人。
この人は自身のブログで、よくこんなことを書いている。
「ホント日本人って、バカ正直で、お人よしで、マヌケな人ばかりだよな、海外では勝つためならなんでもやるのが常識なのに。
日本人くらいだよ、バカみたいに”ボクの落としたのは鉄の斧です”なんていってるのは」、と。

つまり、正直に「鉄の斧」と答えてしまう人は世渡りがヘタで不器用な人、そんなんじゃグローバルな競争には勝てないんだ、ということだ。
その意見はたぶん、正しい。
釈然としないけど。
もう不器用な生き方じゃダメなのだろうか。

そんな不器用な男を象徴する人物が亡くなった。
高倉健さんだ。

映画の役ではなく、本当の高倉健さんがどういう人物なのかは知らない。
芸能界という魑魅魍魎の世界を生きてきて、晩年まで主役を張るスターだったということは、けっこう器用に世を渡ってきたのだろう。
以前、僕は高倉健さんについて、こんなことを書いた。
その後、僕はいろいろ健さんの映画をレンタルで借りてみてきた。
唐獅子牡丹シリーズなど任侠ものから、八甲田山、鉄道員、それからここ最近の追悼番組で「南極物語」「あなたへ」「幸福の黄色いハンカチ」も見た。

「男の中の男」という健さんが見たいなら、定番は任侠ものだろう。
健さんが演じるのは「俺はロクデナシだからこんな生き方しかできねえ、だからマジメに頑張ってる堅気さんに迷惑をかけちゃいけねえ」という善玉ヤクザ。
で、悪いほうのヤクザにいじめられてる庶民が、健さんのところへ助けを求める。
いろいろすったもんだのあげく、健さんはたった一人で日本刀片手に適地に乗り込む。
全体的に健さんのセリフは少ない。
セリフではなく、しぐさや表情で語るのだ。

その点「幸せの黄色いハンカチ」ではちょっと違う健さんがいる。
いちおう主役は健さんということになっているが、どちらかというと武田鉄矢が主役で、北海道を舞台にした青春映画の雰囲気がある。
失恋の痛みから立ち直るため、新車で赤いファミリアを買い、一人で北海道までナンパ旅行にいく武田鉄也。
ここでひっかけたのが桃井かおりで、彼女もやはり失恋の痛みから立ち直っていない。
そこへムショから出てきたばかりの健さんと出会う。
その後、3人で旅を続けるのだが皆が皆、ちょっとカッコ悪いのだ。
健さんは珍しく饒舌で、過去の話を延々と語る。
妻は今も自分を待っていてくれてるのだろうか?
いざとなると怖気づく健さん。
それまでカッコつけてた健さんは、ここにきて突然小さくなり、武田鉄也と桃井かおりに励まされる。
僕は20年くらい前に一度この映画を見たことがあったのだが、そのときは対して何も思わなかった。
だが、昨晩これを見て、味わい深いいい作品だと思った。

このたび、高倉健さんが亡くなったことで、不器用な男の時代が終わった気がする。
これからは長谷川のいう賢い人間でなければならないのだろうか?
健さんは亡くなっても彼が残した映画はこれからも存在し続けるわけで、それは不器用で正直な人間の居場所も残されていることだと思いたい。

コメント (6)

7割の人がCD購入せず

2014年11月23日 | 音楽
調査サイト「しらべえ」によると、今年1枚もCDを購入していない人は7割になるという。

2014年に音楽CDを1枚も購入してない人の割合を調査 この数字、あなたはどう見る?

CDが売れない時代と言われているが、1枚も買ってない人が7割というのはちょっと驚いた。
CDを買った人は全体の3割しかいないのだ。

では有料DLを利用しているのかというと、そうでもないらしい。

「音楽離れ」では無く「有料音楽離れ」か…世代別の「音楽との付き合い方」をグラフ化してみる(2014年)(最新)


CD購入、有料DLなど、「お金を払って音楽を聴く」人自体が減っているというのだ。
そもそも音楽に興味がない、あるいは興味がなくなった、という人も増えているし、既存の曲を聴いてるだけでいい、という人も増えている。
もう音楽業界は完全に頭打ちとなり、斜陽のときをむかえているといえる。

たしかに僕も1年に買うCD枚数はかなり減った。
それ以上に減ったのは、購入金額だ。
格安ボックスセットや、中古CD、新譜でも安い輸入盤しか買っていないから当然なのだが。
僕が有料DLをあまり利用しないのは、単純に輸入盤や中古のほうが安いから。
現在廃盤で、中古価格にプレミアがついてる場合のみ、有料DLを利用することがある(古い邦楽でこういうパターンがある)。

ライブについては昨年に引き続き、非常に好調な状態が続いているという。
ライブ会場では、当該アーティストのCDが売られているが、どれくらいの売上があるのだろう?
来る人は、すでに持ってる人が多いのではないだろうか?
もちろん、全てのCDをコンプリートしている人はそんなにはいないと思うが。

ちょっと面白い例だと、一部のアーティストでは、その日のライブ音源をCD化したり、有料DL出来るようにしているらしい。
日によってセットリストが違ったり、演奏重視のバンドだと、自分が見たライブだけでなく、他の日のライブも聴いてみたいマニアも出てくるだろう。
来日アーティストのブートCDがこれに相当するが、それをオフィシャルとして、きちんとレコーディングすれば需要があると思う。

このまま有料音楽を聴く人が減っていくと、音楽で食っていけない人が増えることになる。
そうなると懸念されるのが質の低下だが、今後どうなるのか心配になるのだった。

コメント (6)

少年Hの原作を読む

2014年11月16日 | 読書
今年の夏、テレビで映画版の「少年H」を見たと書いたが、原作本も面白かったときいたので、その日のうちに注文した。
それから2,3日して家に届いたのだが、他にも読んでる本があるなどして、ずっと手つかずだった。
最近になってようやくページを開くことになったのだが、読み始めると止まらなくなるくらい夢中になった。

上下2巻のうち、最初の1巻は戦前の元気いっぱいな暮らしぶりが、実に生き生きと描かれている。
好奇心旺盛で、ワンパクで、毎日遊びに忙しくて、ときには親にいえないことや、危険なこともやってのける。
僕が幼い頃は、まだ古き良き昭和の名残があったので、少年Hの行動には「あるある」と膝を叩きたくなる部分も多い。
少年Hの友人たちも、「こんなヤツいたなぁ」と思わせる子ばかりだ。

後半の2巻目になると、戦中から戦後の話になる。
そのため、1巻目にあった明るさが少しづつ失われていき、シリアスな雰囲気になってくる。
世の中の流れに疑問をもつ少年Hは、表面的には皆に合わせるものの、常に納得の出来ない状態に耐えることになる。
やがて戦争が終わり、世の中がコロッと手の平を返したような世論になると、Hは正気でいられなくなってしまうのだった。

この物語を読み進める中で、忘れてはならない極めて重要な事柄がある。
少年Hは当時の平均的な男の子とはちょっと違う環境に育ったということだ。

・生まれ育ったのは、外国人の多い神戸という街だったこと
・父親は様々な国の人を相手に仕事をし、ときには家族ぐるみの付き合いがあったこと
・家族はキリスト教徒で、とくに母親は熱心なクリスチャンであったこと

さらに付け加えると、毎日が楽しい、今でいう「リア充」であったこと。
そのため戦争によって日常が変わっていくことに疑問を感じ、鬼畜米英を叫ぶ世論に共感できず、終戦のときにはホッとする。
そりゃあ、少年Hのような環境で育てば、そのように感じるのは当然だろう。

作者の妹尾河童という人は、自分の少年時代の話としてこれを書いている。
もちろん、そんな昔のことを、まるで昨日のことのように覚えてるわけがないから、いろいろ脚色したり、あとから資料と見比べて記載したり、あるいは思い違いもあるのだろう。
それでも戦前から戦後までの数年間を、一人の少年の目線という形でうまく表現出来ており、戦争資料ではなく、読み物として完成されている。
今現代の中学生くらいの子が読むと、どういう感想をもつのだろうか?

コメント (2)

夢助

2014年11月15日 | 音楽
僕のネット仲間、音楽仲間であるKOSSさんのブログで、忌野清志郎の遺作である「夢助」が紹介されていた。
動画もあったので聴いてみたのだが、これが僕の琴線にビビビっと触れたので、早速他の曲も聴きたくなりユーチューブで探した。
そこで、このアルバムのレコーディング状況のドキュメント動画を発見し、数十分後にはアマゾンのカートに「夢助」が入ることになる。



ここに登場するスティーブ・クロッパーというギタリスト、僕はぜんぜん知らない人だった。
動画では「世界10大ギタリストの一人」として紹介されている。

スティーブ・クロッパー
BB・キング
ジェフ・ベック
キース・リチャーズ
エッジ
ロビー・ロバートソン
ジミー・ペイジ
カルロス・サンタナ
ジョン・フォガティ

10大なのに9人しかいないのも謎だが、選ばれたギタリストも謎だ。
「世界」とはいうものの、その世界とはアメリカ、イギリスのほか、せいぜいカナダ、オーストラリアくらいのものだろう。
彼らの地図にアジア圏やイスラム圏はないのだ。
「世界10大」などとはいわず、「ナッシュビル周辺に影響を与えた偉大なるギタリスト」くらいにしとけばいいのに、と思う。

と、まあ、自分の無知をさらけ出していても仕方がないので、「夢助」の感想に入ろう。

こいつはいい。
僕は忌野清志郎のソロアルバムを買ったのはこれが初めてなのだが、これは大当たりだ。
まずサウンドがよろしい。
僕くらいの世代だと、ビリー・ジョエルの「イノセントマン」は皆聴いていると思うが、ちょうどあれを彷彿させる、古きよきソウルサウンドが展開されている。
デジタル全盛の時代に、非常にアナログなサウンドで、とくにホーンセクションがいい味を出していると思う。
プロデューサーは例のスティーブ・クロッパーで、歌手の良さを引き出すことが良い仕事だというなら、彼は完璧だ。
キヨシローの声質、歌唱力を最大限に発揮させている。
もちろんギターも、非常にナチュラルな音色で、決して出しゃばることなく、痒いところに手が届くようなプレイが心地いい。
それと、このアルバムにはキヨシローの幸福感が詰まってるような気がする。
それは歌詞から垣間見えるのだが、心から音楽を楽しんでいるように思う。

結果的にキヨシローの遺作となった本アルバムだが、これだけのアルバムをあのメンバーで作ることが出来て、感無量だったに違いない。
知ってる人も多いと思うが、キヨシローはオーティス・レディングから多大なる影響を受けている。
そのオーティスと深くかかわっていたクロッパーとアルバム作りが出来たのは、まさに「夢がかなった」といえるのではないだろうか。

僕はRCサクセションはけっこう聴いてきたが、このアルバムはRCのどのアルバムよりいいかもしれない。

忌野清志郎 激しい雨激しい雨




コメント (4)