Music Mania

No Music No Life

こんまりの片付け術とその戦略

2014年02月23日 | 日常
先週テレビを見ていたら、絵に描いたように清楚なお嬢さんが、片付け術について講義をしていた。
このお嬢さん、近藤麻理恵といい、ベストセラー本「人生がときめく片づけの魔法」の著者でもある。

番組には、自称「片づけられない女」が多数出演しており、彼女たちに対しての講義をするのだが、その手際はなかなかのものだった。
まず自ら「近藤麻理恵、略して『こんまり』と読んでください」と、ユーモアと親しみをみせたあと、「片付けは一生に一回でいい」という強烈にインパクトのある発言で驚きの一打を放つ。
完璧なツカミといっていい。
その後、「こんまり流」の片付け術が実践されるのだが、汚部屋に悩む女性の心をつかむ術を心得ていて、グイグイ引っ張っていく。

この人を見ていると「かわいいフリしてあの娘、わりとやるもんだね」と待つわ(あみん)の一節が流れてくる。
今時珍しいくらい清楚な雰囲気も、戦略の一つなのだろう。

こんまりのHPには「リバウンド率ゼロをキープ中」となっている。
これが本当ならスゴイことである。

僕がこの番組を見たのは先週の日曜日の夜だった。
これを見た人は「ああ、なるほど、そうすればいいのか」と思ったことだろう。
しかし、だ。
次の日、それを実践した人はおそらく1割にもみたないだろう。
専業主婦は別として、勤めに出てる人、とくに今現在汚部屋に悩んでる人なら、今度の土曜日、あるいは日曜日にやろうと考えるに違いない。
だが実際には、休日が来たときにはすでに、こんまりのことなど忘れてしまって、汚部屋のまんまだと思う。
こうして、こんまりの仕事は今後も枯れることがないのだった。

近藤麻理恵★『人生がときめく片づけの魔法』が3分でわかる

コメント (6)

徳大寺有恒という人

2014年02月22日 | 読書
「NAVI CARS」というクルマ雑誌を買った。
僕がこの手の本を買うのは、かなり久しぶりなのだが、このNAVI CARS、元々はNAVIという雑誌だった。
僕は1989年頃から1992年くらいまで、ほぼ毎月このNAVI誌を買っていた。



当時のNAVI誌は、他のクルマ雑誌と比べてセンスの良さが抜きんでており、知的で大人の雰囲気があった。
社会とクルマ、クルマと人、ファッション、文学・・・他のクルマ雑誌は新型車の情報が中心であるのに対し、NAVI誌はクルマの楽しみ方への提案があったと思う。

さて、およそ20年ぶりくらいにNAVI誌を買ってみようと思ったのは、特集記事が「徳大寺有恒、という生き方」だったからだ。
徳大寺有恒とは、いわゆる自動車評論家であり、「間違いだらけのクルマ選び」というベストセラー本で有名な人である。
僕はこの人の著書は、件の「間違いだらけ~」のほか5~6冊読んだが、どれも読み物としてとても面白いものだった。

代表作である「間違いだらけのクルマ選び」が最初に本屋に並んだのは1976年だった。
基本的に「まだまだ国産車はダメだ」ということが書かれてある。
そして「それに比べて、欧州車はこんなにも進んでいる」とも書かれてあった。
おそらくこの本を買ったのは、ようやくカローラやサニーを買ったお父さんや、セリカやサバンナをローンで買った若者だろう。
「おまえのクルマは、フォルクワーゲン・ゴルフと比べたらダメダメなんだよ」と書かれた本書を読んで、「何を偉そうに!勝手なことほざきやがって!」と思ったに違いない。
しかし、この本は売れた。
売れたどころか、その後40年以上にもわたって毎年新版が発売されるに至る。

僕は徳大寺さんの車種別評価というのは、それほど意味がないと思っている。
この人の真髄はそこにはない。
もっと大きな、クルマ文化そのものを語らせたら天下一品なのだ。
ファッションから歴史、自動車メーカーが生まれた背景、社会、そういった切り口からクルマを観察し、わかりやすく魅力的な文章で読ませる。
昨年亡くなったカーグラフィックの小林彰太郎氏も素敵な文章を書く人だったが、徳大寺さんはそれ以上だと思う。

今月号のNAVI、今はNAVI CARSという名前に変わったが、徳大寺有恒特集ということで、大きく紙面が割かれている。
その中でとくに印象的なのは、トヨタ・クラウンについての記事だ。
かつて、この日本を代表する高級サルーンについて、徳大寺さんは常に厳しい評価をしてきたと思う。
それは国際的に見て、ジャガーやメルセデスと並べて評価できるクルマではない、ということだ。
しかし「日本の高級車で日本の道を走るには、これ以上はないというところまで到達しているのがクラウンなのである」と評価している。
よく「徳大寺はなんでも欧州贔屓、舶来かぶれ」といわれるが、厳しい内容の「間違いだらけ~」が毎年刊行され支持される一端を見た気がしたのだった。

コメント (8)

ゲイリー・ムーア「パリの散歩道」

2014年02月16日 | 音楽
ギター名曲シリーズ第6弾
今話題のソチオリンピック、フィギュアスケートの金メダリスト羽生結弦選手のSP楽曲「パリの散歩道」。

アーティスト:ゲイリー・ムーア(フィル・ライノット)
ギタリスト:ゲイリー・ムーア
アルバム:バック・オン・ザ・ストリーツ
発表年:1978年



ここ最近、テレビでこの曲が流れない日はない。
1978年に発表されたこの曲がにわかに注目を集め、話題の曲になり、多くのブログやサイトで取り上げられている。
スケートで使われたのは、マーキークラブでのライブヴァージョンを編集したもので、元のスタジオ版はフィル・ライノットのボーカル入りだ。
歌メロの作詞作曲はフィル・ライノットで、歌詞は一度も会うことのなかった父親への想いが綴られたものである。
その辺りは多くの人が取り上げてるので、ここでは、この曲の持つ都会的な雰囲気、フランスっぽさ、みたいな秘密についてコード進行から考察してみよう。

まずこの曲の基本となるイントロのコード進行だ。

Am  Dm7  G7  CM7  FM7  Bm7-5  E7  Am

こうして並べてみると、セブンスコードが多いことに気がつくが、ここでとくに重要なのは、M7(メジャーセブンス)だ。
メジャーセブンスは大人のコードとも言われ、都会的な雰囲気を持つ。
例えばCのメジャーセブンスの場合、通常のド・ミ・ソにプラスされるのが、ドの半音下であるシなのだ。
ルート音に対し、半音階をぶつけるというのは非常に危険な不協和音の臭いがしそうなのに、不思議と違和感なく収まる。
このメジャーセブンスを最初に効果的に使ったのは、フランスの作曲家エリック・サティだと言われるが、フランス生まれのコードだからフランスっぽいのだ。
そしてもう一つ洒落たコードが登場する。
Bm7-5(Bマイナーセブンフラットファイブ)という聞きなれないコードだ。
本来はDmでよい部分をあえて代理コードであるBm7-5を使うことにより、ボサノバにも通じるセンスを醸し出している。

これを文章で書いてもピンとこないと思うので、動画で説明しよう。

パリの散歩道、コード進行の説明


独りでしゃべるというのは、実に難しい(汗)
ギターもミスってるし(汗)

ゲイリーのギターソロについても少し書いておこう。
使われている音階は、基本的にはCメジャースケール(普通のドレミファソラシド)だ。
ただ、一箇所だけ音が外れる部分がある。
同じようなフレーズが一音づつ下降していくのだが、それが最後の部分に差し掛かったとき(バックのコードがE7のとき)、ソのシャープが使われるのだ。
全く違和感なく、すんなりと収まっているのは、コードE7の構成音にソシャープが含まれるからだ。
逆にいうと、ソだと収まらない。

一般的なハードロックギタリストだと、ここまでコードに拘ったりはしないのだが、ゲイリーはコロシアム2というジャズロックバンドにいたことがあるので、そこで学んだのだろう。
パリの散歩道は、1978年時点でのゲイリーの一つの到達点だったのかもしれない。

Gary Moore with Phil Lynott - Parisienne Walkways (live)

コメント (10)

佐村河内守と交響曲第1番

2014年02月15日 | 音楽
最近、音楽家の佐村河内守氏の楽曲はゴーストライターが手がけていたことが発覚し話題になっている。
僕は彼の音楽を聴いたことがなかったので、ユーチューブで探して聴いてみた。

「交響曲第1番」より第3楽章1
「交響曲第1番」より第3楽章2
「交響曲第1番」より第3楽章3

イメージ映像として原爆ドームが使われていることから、広島の原爆についての曲なのだろう。
高まる緊張感と雷鳴のような激しさ、その後の静寂、なかなか素敵だと思う。
ちょっと気になったこと。
交響曲は基本的に長いのでユーチューブ動画が3分割されているのだが、1の再生回数が30万回を超えているのに対し、2は9万回、3にいたっては1万4千回しか再生されていない。
おそらく「話題の佐村河内守ってどんな音楽をやってるのだろう?」と興味をもった人がとりあえず①を再生し、たぶんそれすら最後まで聴くことなく「ああ、こんな感じか」と納得したのだろう。
たしかに全部聴くのはかなり長いので仕方ないが、ここをお読みの方はとりあえず2だけでも聴いてもらいたい。
もっとも激しくドラマチックで、イエスやELPあたりが好きなら気に入ると思う。



今回のゴーストライター騒動で、マスコミはここぞとばかり叩きまくっている。
作品よりも、そこ至る過程や付加価値を重視するせいで、名曲が一夜にして駄曲、捨て曲になった。
曲そのものではなく、「耳が聴こえないのに絶対音感だけで作曲するなんてスゴイ」という点ばかりを持ち上げてきたからだ。

もしこれがトニー・アイオミだったらどうだろう?
彼はギターの弦を押さえるほうの指の先端が2本失われている。
それが突如、「実は指がないっていうのはウソでした、ゴメンナサイ」といった場合、ブラック・サバスの栄光はなくなってしまうのだろうか?
そんなことはない。
彼が生み出した数々の名リフ、名演は「指の障害を克服した」という付加価値に頼らないものだからだ。

佐村河内守氏のゴーストライターだと言われる新垣隆氏は、この件の責任をとるため、勤めていた大学を退職する意向を示した。
しかし学生たちの強い反対により、退職は白紙なったらしい。
また、連日マスコミが佐村河内守バッシングを繰り返したため、かえってCDの売り上げが伸びているという。
世間はマスコミの思惑通りに進まないこともあるのだった。
コメント (8)

ワンコード名曲集

2014年02月09日 | 音楽
昨日のエントリーでツェッペリンの「アキレス最後の戦い」を紹介して、ワンコード楽曲なのにこんなに凄いと書いた。
今日は、その他のワンコード楽曲について紹介してみようと思う。

最もシンプルでありながら、メロディを作る側からすれば最も難しいのがワンコードだ。
一つしかコードがないのだから、起承転結をつけるのが非常に困難で、どうしても退屈になってしまったり、つまらない曲になってしまいがちになる。
いかにしてそれを克服し、魅力的な楽曲に仕上げるかがポイントになるのだ。

まずブルースから。
古いブルースにはいくつかワンコード楽曲がある。
ジョン・リー・フッカーなどはワンコード曲が多いらしいが、僕には渋すぎてちょっとついていけない。
マディ・ウォーターズの「ローリン・アンド・タンブリン」はワンコードブルースの名曲とされ、多くのロックバンドもカバーしているが、僕には2コードに聴こえる。
というわけで、「スプーンフル」だ。
ここの読者ならクリームのハードなバージョンがお馴染みだと思うが、ここは渋くハウリン・ウルフのバージョンで。
とても豊かなメロディラインがあり、最後まで退屈せずに聴くことが出来る。

Howlin' Wolf - Spoonful



ビートルズにもワンコード楽曲がある。
サイケデリックの元祖といわれる「トゥモロウ・ネヴァー・ノウズ」だ。
わざと無機質で未来的な雰囲気を出すためのワンコードだと思うが、単調さを補うためのサウンドメイキングが凄い。
現在ならこれくらいどうってことないが、まだシンセのない時代、全てアナログでこの音を出している。

The Beatles- Tomorrow Never Knows



世の中にはチャレンジャーな人がいるものだ。
トーキング・ヘッズが1980年に出した「リメイン・イン・ライト」というアルバムは、なんと全曲ワンコードだ。
かなり実験的な試みだが、それはかなり成功している。
彼らはこのアルバムの成功により、当時のニューウェイブの流れの中で、存在感を示すことが出来た。
ここからの代表曲「クロッシード・アンド・ペインレス」。
方法論としてはビートルズの「トゥモロウ・ネヴァー・ノウズ」と同一といえる。

Talking Heads - Crosseyed And Painless



ここまでワンコードの単調さをいかにして補うかをみてきたが、逆にワンコードの単調さ、シンプルさを生かした楽曲もある。
ワンコードファンクだ。
ジェームス・ブラウンがその元祖とされるが、しつこいくらいに同じフレーズを繰り返すことにより、だんだんそのノリが気持ちよくなってくる中毒性がある。
中心となるのは「踊れるリズム」であり、究極のリズムを提供するためなら、もはやコード進行などいらない、といった感じか。
代表的なのはやはりこれだろう。
「ゲロッパ」こと「セックス・マシーン」

James Brown - Sexmachine



ワンコードファンクの流れにあるのが、ラップやヒップホップだと思うが、1990年に一世を風靡したMCハマー「ユー・キャント・タッチ・ディス」もワンコードだ。
印象的なベースラインとブレイクの多い導入部、これが延々と繰り返され、途中何度か違う展開になるものの、基本的にはワンパターンである。
ボーカルのリズム感が非常によい。

MC Hammer - U Can't Touch This



ワンコードはシンプルでありながら、とても奥が深い。
ただ、邦楽でワンコード曲というのは少ない気がする。
なくはないだろうが、有名曲ではちょっと見当たらないのだった。
コメント (2)