子供の頃、夏になると友達と怪談などの怖い話をして盛り上がったものだが、その中の一つにこういう話がある。
「7月のある日だけは絶対に海へ行ってはいけない、なぜなら、その日に海へ行くと海底から幽霊の手が出てきて引きずりこまれるから。」
最近、会社でもこのことを言ってる人がいたので、何か根拠や元となった話があるのだろうか?と調べてみた。
すると、7月28日に津の海で泳ぐとモンペや防空頭巾をかぶった幽霊が出てきて海に引っ張られるという。
そして、昭和30年7月28日には、死者36人とい日本の海難事故としては類をみない大惨事があったらしい。
このときもモンペや防空頭巾の幽霊が多数出てきて人々を襲ったといわれる、
昭和30年7月28日、その日は津市の橋北中学の生徒が水泳の授業のため海へ来ていた。
この日参加した生徒は200人ほどで、遠浅で波の穏やかな津の海岸は、水泳の練習をするのに最適だったと思われる。
子供でも足が充分に届く範囲で水泳の練習が始められたのだが、まもなく事態は急変する。
なんとそんな穏やかな海で半数の人が溺れたのだ。
そこから自力で助かった人が半分、残り半分はなんとか救助されたものの36人が帰らぬ人となる。
このとき九死に一生を得た生徒の証言によると、「海の底からたくさんの女の人がひっぱりに来た」という。
別の生徒は「モンペをはいて防空頭巾をかぶった女性が何十人と現れた」と証言している。
さらに、そのとき浜辺にいた人の中にも、モンペ、防空頭巾の人物を見た人がいるらしい。
モンペ、防空頭巾といえば戦時中だ。
なんと昭和20年の7月28日、津で大規模な空襲があり多くの人が亡くなったのだった。
このとき津の街は焼け野原となり、多くの死体の処分に困ったらしい。
真夏ということもあって、すぐになんとかしなきゃいけないということで、中河原海岸に大きな穴を掘って埋めたという。
中河原海岸とは、後の昭和30年に大水難事故のあった海岸なのだった。
三重県津市中河原海岸奇譚
現在、昭和30年の事故については、ある程度化学的な解明がされているようだ。
この辺りには異常流という、突然水の流れが速くなったり、水位が上昇することが、たまにあるらしい。
そのため、今は遊泳禁止区域になっている。
では、幽霊は?
ここからは僕の考えなのだが、昭和30年当時中学生だった、ということは空襲があったときは2~5歳くらいだということだ。
そんな幼い時期に、空襲にあい、街が炎につつまれ、逃げ惑う、多数の死傷者が出る、という壮絶な体験をすれば、心に大きな傷痕をつけるのではないだろうか?
おそらく親、兄弟、友達、知り合いを亡くした子も多かっただろう。
このときの心の傷が、水泳中の異常流によって溺れたとき、フラッシュバックとして蘇ったとしてもおかしくはない。
命の危険にさらされる空襲時の心理状態と、溺れて命の危険にさらされた時の心理状態、似ているといえば似ている。
そこへ「10年前のこの日は、空襲で多くの人が亡くなった日」という予備知識もあったはずだ。
金曜日の夕方、僕は事件のあった中河原海岸へ行ってみた。
通勤路を少しそれると、すぐに堤防へ出る。
海水浴シーズンなのに誰もいない海は、今日も穏やかに波が打ち寄せていた。