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Music Mania

No Music No Life

罪の轍

2020年05月24日 | 読書


奥田英朗の新刊「罪の轍」を読んだ。
さすがの奥田ミステリーで間違いなく傑作だった。
舞台となるのは昭和38年、東京オリンピックの前年である。
ちょうど同じ奥田ミステリーである「オリンピックの身代金」と同じ時代背景だ。
僕は知らなかったのだけど、この頃吉展ちゃん誘拐事件というのがあって、それがモデルになってるという。
調べてみると、いろいろ似ている部分があって、この事件をよく知ってる人ならとっつきやすいと思う。

奥田作品は基本的には現代物の作家で、エリート層を題材にした作品も多いけど、この人が本領を発揮するのは底辺層の描き方だと思う。
ここでも物語の中心となるのは、社会の最下層に位置する人たちで、リアリティをもって生き生きと活躍している。
こういう人たちを書かせると本当に上手いと思う。
また、昭和38年という50数年前の話でありながら、オリンピックの前年ということのほか、幼児虐待、匿名の嫌がらせ電話、社会格差など現代にも通じる背景もあって、読みやすさに繋がってると思う。
後半のスピード感のある展開は、以前ドラマ化もされた「ナオミとカナコ」を彷彿させ、一気にラストまで突っ走る。
こういうところも奥田ミステリーらしい。
ミステリー好きの人、昭和の犯罪に興味ある人、おすすめです。

ネジ巻き鳥クロニクル

2020年05月09日 | 読書


長い時間をかけてようやく村上春樹「ネジ巻き鳥クロニクル」を読み終えた。
これで村上春樹の長編小説を全て読んだわけだけど、その中でもこの小説は難解な部類に入ると思う。
たぶん初めて村上春樹を読んでみようとする人にはおすすめ出来ない。
とにかく、現実と非現実、現在と過去、現世とあっちの世界との行き来が激しく、村上作品というのはこんなもんだという割り切りがないと読みづらい。

いつものように、ここに登場する人物は、どれも普通ではなく、変な人ばかりである。
そして主人公はこれまた判で押したように、いつもの「僕」である。
「僕」はパスタやちょっとした料理をササっと自分で作り、ビールなどアルコールが大好きで、読書好きで、ひたすらプールで泳ぎ、奥さんは家を出ていってしまうのもいつも通りだ。
そして、誰にも心を開かない人物が、「僕」にのみ通じ合うのも、いつも通りである。
つまりいつもの村上ワールドのなかの物語なのだ。

この物語では「悪」の人が出てくる。
「悪」は人を空っぽにしたり、時には地縛霊のように土地にまとわりつく。
そして「僕」の妻をも奪っていく。
こういう「悪」との戦いというのは村上作品の一つのパターンで、最近の「騎士団長殺し」もそうだ。
この物語では「僕」の義兄が「悪」のアイコンになっており、同じく戦前のノモンハン事件における一人のソビエト軍将校にも「悪」がある。
「僕」の近所にある廃墟には、その土地そのものに「悪」があり、何故かそれらが繋がってるみたいになっている。
すごくわかりにくい設定で、いつものように「僕」があっちの世界(それは夢の中なのかパラレルワールドなのか死後の世界なのかよくわからない)への入り口は、枯れた井戸の底になっていて、頻繁に井戸へ入って瞑想してたりする。
普通、そんな人いないと思うけど。

文章のタッチはいつもの村上イズムに溢れていて、ときにユーモアもあり洗練されている。
村上春樹ファンに女性が多いのはこういうセンスに惹かれる人が多いからだろう。
僕は基本的に、相手が村上ファンであることがわかってる人以外に、自分か読者であることは公表しないけど。
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ジョン・レノンの真実 FBI監視記録

2020年05月05日 | 読書


70年代、ジョン・レノンはアメリカのFBIから危険人物とされ、調査の対象になっていたことは有名な話である。
なかには、ジョン・レノン射殺事件の黒幕はアメリカ政府というような論まで飛び出し、この「大きな圧力」の存在は度々クローズアップされた。 
アメリカ当局はジョンの何を恐れ、何を調査していたのだろうか。

1971年、ベトナム戦争激化の裏で再選を図った当時のニクソン政権はFBIに対し、ジョン・レノンを反政府活動に従事している要注意人物として監視するよう命じたという。
この「ジョン・レノンの真実 FBI監視記録DE-4〜HQ-33」という本は、ジョンの死後市民団体がFBIが所有する監視資料ファイルの公表を求め、長い裁判の末1997年に大部分が公表されるに至った。
それをまとめたものである。

大部分が公表されたものの、まだまだ黒塗りの部分が多く、公表されない理由は「これを公表すると他国から合衆国への外交、経済的、軍事的報復を誘発しかねない」かららしい。

調査ファイルの中のジョンは「新左翼」で「過激派」で「国家の安全を脅かす勢力と密接なつながりがある人物」となっている。
ビートルズが解散したばかりのジョンは、若者たちのカリスマであり、ただでさえ世の中の空気が反体制指示の時代、大きな声で戦争反対!ラブ・アンド・ピースを訴えるものだから、政府からしたら相当鬱陶しい人間だったに違いない。

当然ジョンのそんな姿勢を政治利用しようとする人間も出てくる。
とくに反体制や過激派や共産主義者あたりは、是が非でも「こっち側」に引き込もうとする。
こっち側のリーダーと密会する、集会に参加してもらう、デモの呼びかけに入ってもらうなど、そういった動きは益々当局から目をつけられ、危険人物とみなされるのだった。
とくに、反ニクソン・ツアーとして、主要都市10か所でコンサートを行い、ロックンロールと共に過激な政治的メッセージを呼びかける予定だったライブは、政治的に阻止された。
また、ピザが無効にされ国外退去処分が言い渡され、裁判となっている。
その他、あらゆる政治的問題人物ということで都度調査報告書が作成されているのだが、1972年末に『革命的行動をとらなくなったこと、ニューヨークの過激派との接触がないこと」そして何よりニクソン再選が実現したことにより、ジョンは調査対象から外れたようだ。

ネジ巻き鳥

2020年01月24日 | 読書
村上春樹作品を読もうと思い、どうせなら長編小説は全部読もうと考えた。
それで一昨年くらいから、1作目の「風の歌を聴け」から順に、すでに読了してあるものは除いて読み進めていった。
今読んでるのは「ネジ巻き鳥クロニクル」の1巻で、これを読み終われば氏の長編小説は全て読んだことになる。

この「ネジ巻き鳥クロニクル」だけど、数年前に読み始めて1巻の半分くらいで挫折したことがある。
物語に入り込むことが出来ず、また、他の本も同時に読んでいたため、そのうちどうでもよくなってきて、読むのをやめたのだった。

僕は時々、読み始めた本を途中で放棄することがある。
あまり面白いと思わなかったり、あるいは文章が自分に合わなかったりすると、無理してそれを読むのは時間の無駄だと思うのだ。
面白いと思う本を読むのは有意義な時間だけど、面白くないものは読まなくていい。
たとえそれが、ベストセラーであれ、ものすごくいい事が書かれてると評判の本であれ、自分に合わないものは合わない。

ただし、時間をおいてもう一度読み直すと、不思議と面白いと感じて読み進めることもある。
今読んでる「ネジ巻き鳥クロニクル」もそうだ。
以前は面白いと思わなかったけど、今読むとなかなか面白い。
おそらく音楽もそうだけど、いくらいいものでも、自分自信に受け入れる体制が整っていないと良さがわからないもので、そのときのシチュエーションによって変わることもあると思う。

僕は基本的に読者は暇つぶしとか、テレビや映画と同じ娯楽の一種でしかなく、教養のためとか知識を得るためとか、語彙力を高めるためなどてはない。
もっと純粋に、なんの目的もなく、ただ読みたいから読む。
それが正しい読書だと思ってる。
一番嫌いなのは、読者をやたらと高等なものに持ち上げて、読書しない人はダメ人間みたいに蔑む人である。
貧乏人は本を読まないとか、読書する人としない人の埋められない差とか、読書しない人とは付き合わないとか、
そんな人間はこちらから願い下げだ。
僕の知ってる、この人って本当に読書家だなあと感じる人って、そこにはまるで損得感情はなく、あくまでも好きで読んでる人ばかりだ。
間違ってもブログやSNSに、読書の効能みたいなものを書いたりしない人だ。
効能があるかないかなんて、どうでもいいことだから。

さて、村上春樹の作品って、すごく好き嫌いが分かれるもので、僕は数年前まで嫌いだった。
僕にとって日本を代表する作家は司馬遼太郎であり、村上春樹はどうにも好かなかったのだけど、今では長編物を全て読んでしまう勢いだ。
人前では、そんなこと恥ずかしくて言わないけれどね。
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トニー・アイオミ「アイアン・マン」

2018年03月31日 | 読書
トニー・アイオミの自伝「アイアン・マン」、ようやく読了した。
彼の少年時代から、有名な指切断事故、ブラック・サバス結成からデビュー、そして相次ぐメンバーチェンジの末のリユニオンから、現在に至るまでがまるで昨日のことのように細かく書かれている。
サバスのメンバーはもちろん、当時のロックミュージシャンも多数登場し、なかなか興味深い内容だった。
何より、ユーモアたっぷりで、かなり分厚い本だけど、とても楽しく読めた。



70年代はとにかくドラッグとアルコールに振り回され、とくにオジー・オズボーンとビル・ワードが酷かったこと。
80年代に入ってからはマネージメントと安定しないメンバーに翻弄される。
ロックバンドだからといって、単にギターを弾いてステージに立つだけでことは済まない。
ブラック・サバスという世界的に有名なバンドのリーダーとして、並大抵ではない苦労を経験してきたのだ。

意外にも、サバスはトントン拍子といっていいくらい順調に成功した。
70年代半ば頃には、全米でもトップバンドとして認められる地位を得て、金銭的にも物欲的にも欲しいものは全て手に入る。
毎晩パーティー三昧、ドラッグもアルコールも好き放題、金は腐るほどあり、いくらでも女も抱ける。
そうなると崩壊するのも早い。
そんな中、新しいリフを考案し続け、新しいアイデアをアルバムに投入し、人間失格寸前のオジーやビルをスタジオに連れてきてプレイさせる。
いよいよダメになったら、ロニー・J・ディオやイアン・ギランなど、実力派メンバーを加入させて、サバス ブランドを守り続けてきたのだった。

後半、ロックの殿堂入りを果たしたり、イギリス王室の前でプレイし、チャールズ皇太子やブレア首相と会話したことなどが書かれている。
波乱万丈な人生のなか、ついに来るところまで来た、という感じで感慨深いものがあった。

この自伝が書かれたのは少し前のことで、その後ニューアルバムを発表し、昨年解散した。
お疲れ様としかいいようがない。
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