風・感じるままに

身の回りの出来事と生いたちを綴っています。

中国人実習生の悲痛な叫び “日本の人たちといっしょに楽しく仕事がしたい” 

2008-08-03 | 社会
 【訴える谷美娟(グビケン)さん(右)と馮桂芹(ヒョウケイキン)さん】

先日行われた全労連(全国労働組合総連合)全国大会での、中国人実習生の訴えを紹介します。(全労連非正規センターCWAC-netより)

【谷美娟さんの発言】
 谷美娟(グビケン)と馮桂芹(ヒョウケイキン)といいます。
外国人研修・技能実習制度の問題で、いま裁判闘争をたたかっている「中国人技能実習生訴訟」の原告として、わたしたち自身の問題を報告します。

 わたしは、日本で働きたいと思い、中国の派遣会社に4万元を払い、日本に来ました。4万元は、日本円で70万円くらいです。中国では、3年分以上のお金です。このお金は、親戚と親の友人に借りました。また、中国の派遣会社との契約に違反をしたら、保証人になってくれた従兄から15万元、つまり、250万円以上も払わされることになります。 
 
 2006年の4月、私は、フェリーで下関に着きました。到着すると、すぐに会社の社長からパスポートと印鑑を取りあげられ、車で天草の工場まで連れて行かれ、その日のタ方6時から夜の9時まで仕事をさせられました。私は、長時間の移動でフラフラでしたが、断ることはできませんでした。
 わたしたちの仕事は、ワコールの女性用下着の縫製です。中国で社長から面接を受けたときには、働くのは午前8時半から午後5時半までと聞いていたのですが、実際には夜10時頃まで、遅いときには夜中の3時まで働かされました。厳しいノルマが終わらないと、社長が怖い顔で、テーブルを叩きながら、「ノルマは多くない」「バカ」などと怒鳴るので、仕事をやめることはできませんでした。休みは、月に1回くらいで、自由に外出することもできませんでした。

 こんなに働いても、給料は月に6万円で、残業代は時給300円しか出ません。給料は、来日してすぐ、社長に銀行に連れて行かれて作らされた銀行の通帳に貯金させられ、印鑑と一緒に社長がずっと管理していました。社長は、この通帳と印鑑を使って、私の給料を使い込んでいました。
 寮は、1部屋に12人でした。お風呂は1人用で、12人が交代で入っていました。ゆっくり眠ることもできず、仕事の疲れがたまって、とても辛かったです。
 協同組合の人や理事長からは、「あなたたちの要求が、日本人と同じなら、中国人を使う必要なかったじゃない」などと言われ、とてもショックを受けました。会社や協同組合は、私たちの尊厳を踏みにじっています。絶対に許せません。
 
 わたしたちは裁判に訴えました。わたしたちは、希望をもって日本に来たのに、こんなに辛い目にあわせられるとは思ってもいませんでした。わたしは、わたしたちを3年間、奴隷のように働かせるこの制度は、すぐにやめてほしいと思います。
 わたしたちは、いま、やさしい日本の人たちに支えられて生活しています。そんな日本の人たちといっしょに楽しく仕事ができる日が、一日も早く来ることを、心から望んでいます。
 今日は発言の機会を与えていただき、ありがとうございました。