風・感じるままに

身の回りの出来事と生いたちを綴っています。

生い立ちの景色(38)ストライキ

2013-05-08 | 生い立ちの景色
1961年3月。15歳の春。
入社後の「導入訓練」も3日目。今日も、あと30分で終わろうとしていた時に人事課長がやってきた。「明日は、京都の妙心寺へ泊りで研修ということになった。よって、明日は宿泊の用意をして出勤してください」といった。まったく訓練日程になかった急なことなので、みんなは「何で、何で」という感じやった。

次の日出勤した訓練生約100人は、会社の通勤バス2台に分乗して妙心寺へ向かった。寺に着くと、会社の担当者から研修スケジュール表を渡された。そこには、「朝=座禅→掃除→食事→講和」などが書かれていた。この研修、ほんまに退屈やった。坊んさんの話もおもしろくなかったし、飯の内容も坊んさんの食べるものと同じ?で質素で、何より、量が少なく腹が減って腹が減って…。

晩は、寝る前に1時間ほど自由時間があったが、外出禁止だったので暇だった。俺はやらなかったが、中には、こっそり抜け出して、それがバレて怒られたやつがおった。後で聞いたら、「腹が減ったので、ラーメンを食いに行ってた」という。それも、わかる気がした。

次の日の昼過ぎ、急に、「これから会社に帰ります」と担当者がいった。予定では、夕方に帰ることになっていたのに、みんなは「何でや?」といっていたがわからない。一時間ほどして会社のバスが迎えに来た。バスが会社の門を入ろうとした時、なんかいつもと違う雰囲気だった。みんなは集会室に集められた。
人事課長がやってきて、「実は、労働組合との賃金交渉がまとまらず、今日、ストライキが実施されていたが、先ほど交渉が妥結に向かい、間もなく就業することになりました。みなさんの訓練も、スケジュール通り再開します」と。

その時やった。外で「ワッショイ、ワッショイ、チンアゲ、ワッショイ」という、えらい大きな声が聞こえてきた。みんながざわついた。「何があったんか?」と。俺も窓際に行って、閉められていた分厚いカーテンを少し開けて外を見た。何と、多くの従業員が、「団結」と染め抜いた赤いハチマキを作業帽子の上に締めて、5~6人縦隊になりデモをやっているではないか。先頭の人らは腰の辺りに竹竿を持って、小走りしながら蛇のようにジグザグ行進をしている。
「すげぇーな」と誰かが言った瞬間、課長が、「そこのカーテンを閉めなさい!」と大きな声で言った。みんなは席に戻ったが、しばらくざわつきは収まらなかった。

俺が初めて出会った「労働者」の「団結」「ストライキ」「デモ行進」だった。