私は歌を聴くのも歌うのも好きで、今でも時々カラオケに行きます。歌といっても世間でいう「歌謡曲」ですが。
いつごろから好きになったのかと言われれば、たぶん、小学生の半ばころからではないだろうか。当時、ラジオから流れてくる歌謡曲をよく聴いていて、その歌手の真似をして、覚えた曲を日常的に口ずさんでいた。テレビが普及してくると、歌番組をよく観た。放送でよくかかる曲は、ほとんど覚えて歌えていたように思う。
ただ、大人になってからは歌う機会も少なくなり、その後、歌とは少し疎遠になっていたが、世間にカラオケが流行りだすと、また興味がわいてきて歌うようになったのです。
今は亡き、作詞家の阿久悠さんが「歌謡曲」について次のように語っています。
「歌とは、『時代の中で、変装している心を探す作業』だと思う」「少し化粧をおとしたり、少し重い心を脱いだりしたら、少し楽しく、少しのびのびと心が開けるのではないだろうか。歌はその役割ができる」「本来、歌謡曲とは、いかに聞く気のない人々の耳に飛び込み、一瞬で心を惹きつけ、その音を周りの人と共有させるかでその真価を発揮するものだ」と。
歌好きのお前はどうかと言われれば、阿久悠さんが言うような「人の心を惹きつける」ような歌い方はできませんが、せめて、みなさんの耳障りにならない程度には歌いたいと精進しています。
ただ、趣味を聞かれ「カラオケです」というと、何かちょっと上品でない趣味?のように受け取られるのが残念です。やはり、上手く歌うにはそこそこの練習というか努力がいるのです。
まあ、理屈はどうでもいいのです。楽しく歌ってさえいたら…。でも、ちょっと気になることがあります。
果たして、人間はいつ頃から歌うようになったのでしょうか。ひょっとしたら、人類が言葉を発見した時?から歌っていたかもしれません。
私は、世の中に、人の心に、喜怒哀楽があるかぎり歌謡曲は永遠と思うのですが、どうでしょうか。
少しばかりの「酒」があれば、「歌」を口ずさみ、「語らい」は尽きない。
炉ばたトーク&歌 弦哲也 水上勉 筑紫哲也 石川さゆり 1992年
※この映像のつづきはこちらから
いつごろから好きになったのかと言われれば、たぶん、小学生の半ばころからではないだろうか。当時、ラジオから流れてくる歌謡曲をよく聴いていて、その歌手の真似をして、覚えた曲を日常的に口ずさんでいた。テレビが普及してくると、歌番組をよく観た。放送でよくかかる曲は、ほとんど覚えて歌えていたように思う。
ただ、大人になってからは歌う機会も少なくなり、その後、歌とは少し疎遠になっていたが、世間にカラオケが流行りだすと、また興味がわいてきて歌うようになったのです。
今は亡き、作詞家の阿久悠さんが「歌謡曲」について次のように語っています。
「歌とは、『時代の中で、変装している心を探す作業』だと思う」「少し化粧をおとしたり、少し重い心を脱いだりしたら、少し楽しく、少しのびのびと心が開けるのではないだろうか。歌はその役割ができる」「本来、歌謡曲とは、いかに聞く気のない人々の耳に飛び込み、一瞬で心を惹きつけ、その音を周りの人と共有させるかでその真価を発揮するものだ」と。
歌好きのお前はどうかと言われれば、阿久悠さんが言うような「人の心を惹きつける」ような歌い方はできませんが、せめて、みなさんの耳障りにならない程度には歌いたいと精進しています。
ただ、趣味を聞かれ「カラオケです」というと、何かちょっと上品でない趣味?のように受け取られるのが残念です。やはり、上手く歌うにはそこそこの練習というか努力がいるのです。
まあ、理屈はどうでもいいのです。楽しく歌ってさえいたら…。でも、ちょっと気になることがあります。
果たして、人間はいつ頃から歌うようになったのでしょうか。ひょっとしたら、人類が言葉を発見した時?から歌っていたかもしれません。
私は、世の中に、人の心に、喜怒哀楽があるかぎり歌謡曲は永遠と思うのですが、どうでしょうか。
少しばかりの「酒」があれば、「歌」を口ずさみ、「語らい」は尽きない。
炉ばたトーク&歌 弦哲也 水上勉 筑紫哲也 石川さゆり 1992年
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