1962年1月。15歳の冬。
年が改まった。今日は、年休を取って一年ぶりに去年卒業したばかりの母校(中学校)を訪れた。たった一年だが、少し懐かしい感じがする。
裏門を入ると左手に大きなクスノキがあり、その奥には、戦争中に連隊の隊舎になっていた木造の二階建ての校舎があった。
この建物の2階が音楽教室になっていて、この日も、音楽の授業中らしく、そこからクラシックの曲が聞こえてきた。
そこを右に折れて、まっすぐ進んだ突き当りに職員室があった。
今日、学校に来た目的は、定時制高校を受験するためには中学の時の「成績表」が必要だということなので、それをもらうためだった。
職員室には3年の時の担任だった先生は不在だったが、そこにおられた女の先生にその旨を伝えると「一年遅れたけど、その気になったんやね」といって喜んでくれた。そして、「休みを取って、また成績表を取りに来てもらうのは大変やから家の方に送わね」ということになった。帰り際に「ぜひ頑張ってね」と励まされた。
定時制に行っている職場の先輩に聞いてみると、「定時制は定員に満たないことが多いので、よっぽど点数が悪くない限り落ちるとことはない」という。
一応、受験用の問題集などを買って、ここ3か月くらいは、それなりの受験勉強をしてきたのでそれほど心配はしていないが、やはり少しの不安はある。
実は、この受験のことは家の誰にもいってなかった。どうしてかといえば、落ちた時にかっこ悪いということもあったが、行くことになっても親にお金を出してもらうわけでもないし、そんなに負担をかけることはないと思っているからだ。もちろん、合格したらちゃんと言うつもりだ。
試験まであと2か月。受験勉強といっても勉強用の机もないし、起きていると寒いし、ということで、受験勉強は、毎晩布団に入って腹ばいになって問題集とにらめっこということになった。
仕事に疲れているのか、毎晩、勉強もそこそこで、すぐにバタンキューの夜がつづいた。