風・感じるままに

身の回りの出来事と生いたちを綴っています。

生い立ちの景色(45) 1年遅れの新一年生

2014-06-06 | 生い立ちの景色
1962年4月。16歳の春。
去年の秋に夜間高校への進学を決意してから半年が過ぎた。
二月の入試にも何とかパスして、この春から一年遅れの新一年生になった。

仕事と両方やっていけるかちょっと不安はあるが、職場の中にもがんばっている先輩がいるので、まあ、何とかなるだろう。
入学式の前に教科書の購入など、これからの学生生活についての説明会があり、試験後初めて登校した。
クラス分けも決まっていて、オレらの学年は普通科3クラス、それと商業科が1クラスあった。それぞれ1クラス40人くらいいだったが、商業科は少し少なかった。オレは普通科だった。

説明会はクラス別にというこで、それぞれの教室に入った。一年ぶりに学校の机の前に座ってちょっと緊張した。担任の先生が短いあいさつの後に一人一人名前を呼んで出欠を確認した。
呼ばれた者が順番に立って返事をした。男女の比率はだいたい半々だったが、ちょっと驚いたのは、中に相当老けた?おっさんみたいなやつもおったこと。
3、4人が欠席してたのは、後でわかったことだが、いろんな事情でその時にすでに入学を辞退していたというのだ。

学校は、会社から歩いて15分くらいの国鉄の駅の近くにあり、仕事が4時半に終わるので、5時15分始業、終業8時50分にはわりあい都合がよかった。
授業は4時間割で一時間目と二時間目の間が給食の時間だった。公立といっても給食は有料で、ひと月毎に申し込むことになっていた。仕事で腹ペコのオレは当然、給食を申し込んだ。
帰りは、国鉄を二駅乗り、駅前に預けてある自転車で30分、家に着くのはだいたい10時前になる。

そのころのオレは、家の裏の畑に建っていた6畳と4畳半二間の離れ屋(便所しかない小屋みたいなところ)で、親父とおっ母ァの三人で寝起きしていた。
農家の夜は早い。オレは、夜遅く帰って風呂や飯のことで母屋で暮らしていた兄夫婦らに負担をかけたくなかった。おっ母ァも口には出さなかったが、そのよう思っていることはオレにも十分わかっていた。
そんなことで、家に帰ってからは母屋に行かないように、風呂は仕事が終わった後に会社で入るようにして、晩飯については、おっ母ァがご飯は弁当箱に詰め、おかずも皿に盛って離れ屋に持ってきてくれていたを食うことにした。
そんなことで、オレの夜間高校一年生の生活が始まった。

会社の方は、入社して一年のオレに職場移動の話が。やっと仕事にも慣れてきたというのに・・・。