風・感じるままに

身の回りの出来事と生いたちを綴っています。

想い出の地に米軍基地が

2014-06-17 | 社会
         ※手前の集落が袖志で少し突き出た辺りが基地建設の予定地

近畿で初めて米軍の(レーダー)基地が建設されるということで、京都府の京丹後市丹後町袖志が、関西地方のニュースでもよく取り上げられています。

ここ京丹後の袖志は、私にとって青春時代の想い出の多いところなのです。
二十歳ごろに、職場の仲間たちとバスを借り切って、数年間、ここの民宿に2泊3日で海水浴に来ていたのです。
昼は、砂浜で相撲、ビーチバレー、泳げば、経ヶ岬までの遠泳、潜ってサザエ獲り、夜は砂浜でフォークダンス、サザエ・アワビのバーベキュー等々、3日間、朝から晩までクタクタになるほど青春を楽しんだものです。

袖志の集落は海岸沿いの道路際と少し山手に向かって三日月型に数十戸の家屋が並んでいます。海辺の村ですが漁港はなく、もっぱら、集落の裏手から山の上に向かって開墾されてきた棚田で細々と米作りで生計を立ててきたたところです。
今では、ここの棚田が「日本棚田100選」の一つに選ばれて、多くのカメラマンが訪れるようになっています。

私らが海水浴に行っていた昭和40年頃は、村には店らしい店もなく、看板も出ていない何でも屋のような店が一軒あるだけでした。若い人たちはみんな都会に出て行き、老人が多く、文字通り寂しい海辺の村でした。
集落の裏手の高台にお寺があり、当時、朝早く起きてここまでよく散歩しました。ここからの眺めは、眼下の砂浜の向こうに日本海が広がり、左手の海岸が少し出っ張ったところに文殊さまの祠、右手に経ヶ岬灯台という美しい風景をよく見たものです。
あれから50年近く経ちますが、今でも、あの頃の美しい袖志の風景とともに、楽しかった青春時代の想い出が昨日のように蘇ってきます。

今度、ここに米軍のレーダー基地ができると聞いて、こんな美しい村に何で戦争のための基地を造るのかと、心の底から怒りが沸いてきました。
いろいろな報道を見ていますと、村の人らは決して基地建設を喜んで受け入れていないようです。ただ、過疎の村ですから、基地建設によるさまざまな補助金を充てにしないと村の存続そのものがたちいかないと、仕方なく受け入れたという人も多いようです。

自民党政権は、〝札束で頬をたたく〟常套手段で、基地反対の声を封じ込めたのでしょう。このような卑劣なやり方にはほんとうに腹が立ちます。
安倍政権の日本を戦争のできる国しようとする集団的自衛権行使容認は、美しい日本列島を戦争の基地に変えようとするもので、何としても食い止めなければなりません。

※「京丹後(京都府)米軍レーダー基地問題を考える」のHPはここから。