郵便局の近くに、花がたくさん咲いているかわいい畑のある家がある。
家の周りにつくっている家庭用の野菜畑を沖縄では「あたい」というそうである。
これは結城登美雄さんに教えてもらった。
沖縄の人たちがとても大切にしているものらしい。
沖縄だけでなく、山里の人はみんな大事にしている。
私は、家の周りのよく手入れされた畑を見ると、そこのうちの人の幸せさが見えてくるような気がしている。
きれいな畑を見ると、こちらまでうれしくなる。
こういう「あたい」では、ジャガイモばかり全部植えてあったり、ってことではなくて、何もかもがちょこっとずつ植えてある。当然だけど。
「農業」をやっている畑とは全く違う。
すべてのものが畳2、3畳分ずつぐらい。
ちまちまと、いろいろな種類のものが植えてある様子というのは、同じものが一面にあるのとは違う、かわいらしい美しさがある。
で、あちこちの空き地に、色とりどりの花が、これまた、あまり計画性なく植えてある。あっちに矢車草、こっちにひなげし、そこらへんに石竹。
それがなぜか、カンペキに設計されたイングリッシュガーデンとか、ボーダー花壇とか(いっしょか?)、そういったものとは全く違う美しさをかもしだしているのである。
こぼれ種で生えてきたらしき百日草なんかが、小さな芽を出して夏を待ち構えていたりする。
野菜のうねが決してそんなに高くはなくて、そのちまちまさから、きっとおばあちゃんが手入れしているんだろう、と思う。
で、ほぼ間違いなくそうである。
おばあちゃんのあたいをのぞくのが楽しい。
特にこの写真の家が気に入っていて、郵便局に行くたびに、用もなくのぞきこんで、写真をとってしまう。
わたしもこの庭のおばあちゃんになりたいけど。
家の周りにつくっている家庭用の野菜畑を沖縄では「あたい」というそうである。
これは結城登美雄さんに教えてもらった。
沖縄の人たちがとても大切にしているものらしい。
沖縄だけでなく、山里の人はみんな大事にしている。
私は、家の周りのよく手入れされた畑を見ると、そこのうちの人の幸せさが見えてくるような気がしている。
きれいな畑を見ると、こちらまでうれしくなる。
こういう「あたい」では、ジャガイモばかり全部植えてあったり、ってことではなくて、何もかもがちょこっとずつ植えてある。当然だけど。
「農業」をやっている畑とは全く違う。
すべてのものが畳2、3畳分ずつぐらい。
ちまちまと、いろいろな種類のものが植えてある様子というのは、同じものが一面にあるのとは違う、かわいらしい美しさがある。
で、あちこちの空き地に、色とりどりの花が、これまた、あまり計画性なく植えてある。あっちに矢車草、こっちにひなげし、そこらへんに石竹。
それがなぜか、カンペキに設計されたイングリッシュガーデンとか、ボーダー花壇とか(いっしょか?)、そういったものとは全く違う美しさをかもしだしているのである。
こぼれ種で生えてきたらしき百日草なんかが、小さな芽を出して夏を待ち構えていたりする。
野菜のうねが決してそんなに高くはなくて、そのちまちまさから、きっとおばあちゃんが手入れしているんだろう、と思う。
で、ほぼ間違いなくそうである。
おばあちゃんのあたいをのぞくのが楽しい。
特にこの写真の家が気に入っていて、郵便局に行くたびに、用もなくのぞきこんで、写真をとってしまう。
わたしもこの庭のおばあちゃんになりたいけど。