山里ひぐらしの小径

木曽路の入り口、岐阜県中津川市から
人と自然とのかかわりをテーマに、山里、植物、離島など。

ネジキ 6月の白い花

2010-06-08 | 植物
うちから郵便局へ向かう坂道の横には低木がずらっと垣根状に自然に生えていて、そこがまるで白い花の展示場ののようになっている。
5月のエゴノキ、ツクバネウツギ、オトコヨウゾメ、コバノガマズミから、サワフタギ、この時期のガマズミ、ウツギ、スイカズラ、ネジキ、ノイバラ。

写真はネジキ。
中津川に来たばかりの頃、山で初めてこの木を教えてもらって、「こんな珍しい木の名前を知っているなんて、この人はすごい」と感心したのを今も覚えている。「幹がねじれているからネジキなんだ」と。

なんのことはない、二次林の代表的な木で、どこにでもある。
うちの庭にも生えていた。
花がずらりと並んで、とてもかわいい。

冬になると落葉して、赤い枝が目立つ。
恵那ではこの枝で餅花を作る。カツオギと呼ばれている。

ホトトギス、ウグイス、スイカズラ、コジュケイ

2010-06-08 | めぐる季節と自然
このタイトルのうち、スイカズラだけが植物です。
写真はスイカズラの花。金銀花ともいわれ、薬用にされます。
甘くていい香りです。
卯の花の歌の作者は、卯の花の隣に咲いていたスイカズラの香りを勘違いしたんじゃないだろうか。と前の記事で書いたのとは違う仮説をたててみる。そうすると、垣根に来ていたウグイスかジョウビタキかなんかをホトトギスと勘違いして……そう考えた方がこの歌はずっと分かりやすくなるのですが、あまり趣のある解釈とはいえません。

スイカズラはほんとにいい香りで、あちこちでにおっています。
幸せな気持ちになる香りです。

啼いているのはホトトギスだけではありません。
昨日ウグイスが群れて庭の低木にやってきていた。
で、林の方に飛んでいって
ファ・ソ・ラ・ファ・ソ・ラ・ファ・ソ・ラ・ファ・ソ・ラ・ファ・ソ・ラ・ファ・ソ・ラ・ファ・ソ・ラ・……
と延々啼くのです。
これは何がいいたいのでしょう。
警戒音とも違うようです。

コジュケイは、カスタネットのような声で
ケッ・ケッ・ケッ・ケッ・ケッ・ケッ・ケッ・ケッ・ケッ・ケッ・ケッ・ケッ・ケッ・
と、一体いつまで続けるのかという地啼きを続けて
うるさいったらありません。
いい加減にやめて!と文句をつけにいきたいぐらいですが
今日、ワラビ採り場の草むらを、母子で歩いていた。
コジュケイはいつも家族行動です。父は今日はいなかった。出張のようです。
その子どもがひよこより小さくて、なのにちゃんとコジュケイの姿をしているのです。
すごくかわいくて、許してしまいました。

ニワトリのひよこはニワトリとは違う姿をしているけれど
コジュケイは、小さいのにそっくりそのまま見事なコジュケイの姿をしていて、びっくり。
コジュケイはウズラに近いので割と大きな鳥です。
あの延々続く鳴き声は子どもに何か知らせているのかもしれないと思いました。



ホトトギス、ウグイス、カラス、カケス。
最後につくスは何か意味があるのか?


6月の白い花 卯の花のにおう垣根にホトトギス早も来

2010-06-07 | 植物
5日前のウツギの花。ガマズミと一緒に咲いていました。

今日はガマズミは半分ぐらい茶色くなっていて、ウツギにも気づかなかった。
この後、白い花はノイバラ、ネジキと続いていきます。

昨日は未明から早朝にかけて、ホトトギスが空を渡りながらしきりに鳴いていた。
「卯の花のにおう垣根にホトトギス早も来啼きて」の歌詞のとおり
ウツギとホトトギスはセットですね。

でもホトトギスは垣根のような低いところには(私の知る限り)来ません。
垣根のはるか上空を飛んでいきます。

ウツギには香りはほとんどありませんので、「におう」とは「香りがする」という意味ではなくて、源氏物語での用例のとおり、なんというか、「はなやかさが表に出る」というような意味であると思います。はなやかさというのも微妙に不適切で、「におう」だけで、なにかいいものがかもし出される、という意味であると思われます。

そういう難しい言葉が使ってある歌詞なので
垣根にホトトギスが来て啼く、というのも、ウツギの花咲く垣根があって、ホトトギスが早くも南国からやってきてその上を啼いていく、ということであるかもしれません。

ついでながら、ウツギの垣根というのも、見たことがありません。
ツクバネウツギの垣根ならあります。
ツクバネウツギも白い花ですがウツギとはあまり似ていません。
ウツギのような樹形の木は垣根にはならない感じです。
なので、これもまた、垣根の中にウツギの木が混じっている、
とでも思ったほうがよさそうです。

そうなってくると、あるいは、この歌に歌われた情景をリアリティーをもって思い浮かべようとすると、かなりの想像力が要求されます。


ところで、「ホトトギス早も来啼きてしのびねもらす」
の「しのびね」って何?
忍び音だと思いますが、
ホトトギスはいつも叫んでいます。
啼いて血を吐くホトトギスのほうがピンときます。
あの叫びとは違う啼き方なのでしょうか?
誰か教えてください。

謎だらけですが、いずれにしても、私の好きな歌です。

食べてもいい、スベリヒユ、クズ、スギナ

2010-06-03 | 山里
畑に行くと、スギナが盛大に生えていた。
スギナはお茶にしたり、お風呂に入れるといいということ。
でも、みんな抜いて(実際には地際でプツっと切れてしまうけど)捨てる。
刈られて倒れているのもたくさんありました。

もったいないなぁ……

ハコベやナズナも抜き捨てる。

食べられる草、体にいい草をみんな抜いて、野菜を植える。

これは正しいことなのだろうかと、悩んでしまう。
野菜植えなくても雑草だけでも結構おかずができる。
なのに、野菜畑にして、「雑草」が生えてくると目の敵にして抜く。
なんか、かなり、違うのかも。

スベリヒユがもう生えていた。

スベリヒユは炎天下でよく見かけるけど。
やわらかいところを切り取ってきて、ゆがいて、和え物にして食べた。
ぬめりがあって、とてもおいしいです!
雑草らしいアクとか癖がありません。

また生えるようにと、抜かずに切り取ってきた。
これもまた、抜こうとしても切れてしまう草なのだけど。

あとは、クズの芽。食べごろのがたくさんあった。
ドクダミもうちに生えているし。


今日はほかに、小さいじゃがいもと小さい大根を収穫しました。

きれいな庭をのぞきながら歩く

2010-06-02 | 植物
もう15年以上ここに住んでいるのに、うちの近所にはまだ、歩いたことのなかった小道があることに最近気づく。
そんなところを行くと、古いけど瀟洒な木造の民家があったりします。
田舎の家だけど、どの家にもよく手入れされたお庭があって、長い年月を経た庭は、どんなにお金をかけた新しい庭よりも趣があって美しいことを知ります。

今はムシトリナデシコ、ヤグルマソウ、ポピーなんかが花盛り。
ムシトリナデシコも、庭や畑の隅に群生しているとなかなかいいものです。
ツツドリがしきりに鳴いています。
今日は高原でときどき聞く、名前を知らない鳥が鳴いていました。
渡っていく途中なのでしょう。

昔は百日草や千日草はそれほど好きではなかったけど、
このごろそういう昔風の花が好きになってきた。
子どもの頃を思い出して懐かしいから。
矢車草なんかは特に、子どもの頃から大好きだった。

最近流行の草花は、背丈の低いものが多くて、組み合わせるとなんだかけばけばしい感じがする。

近所にはかわいらしいお庭が多くて、どっちの道を行こうかと、迷ってしまいます。
今はそれほど暑くもなく、花もきれいで、楽しい散歩です。

写真は、ムシトリナデシコ。

白い花咲く6月がまた

2010-06-02 | 植物
郵便局まで歩いて行くのが楽しい。うちから10分とかからないけれど、雑木林あり、田んぼあり、畑ありで、その道々に野の花、木の花、いろいろ咲いている。
また、6月がめぐってきた。
白い花が次々と咲いてきているのを見て、そのことを実感した。

オトコヨウゾメもサワフタギもとっくに終わったけど、ウツギやガマズミが花盛り。
甘い香りがあちこちにすると思ったら、スイカズラがたくさん咲いていました。

ちなみに、ガマズミは栗の花と似た匂いがします。

植物の力

2010-06-01 | 植物利用
薬草の第一人者の先生の講座を受講してきました。
薬草茶etc. 植物が薬になることは知ってはいるのだけど
本当に効くということが信じられる講座でした(洗脳されたか?)
あとは自分で試してみるだけ。

ウドの力をたっぷり聞かされました。
帰りに森林組合勤務の友人に久しぶりに会いにいったら、
なんと、「今、山で採ってきた」と
ウドをいっぱいくれました。

その森林組合(飛騨高山)では、クロモジオイルの原料を出荷していると昨日聞きました。
2年ぐらい前に、デパートでクロモジオイルを見つけて驚いた話をこのブログに書いたのですが、その原料を作っていたのが知人だったとは。


庭の草が抜けなくなりました。
この春以来、うちの花壇には「雑草」と言われるものを選択的に残したり、植えたりしているのだけど、花がきれいだから気に入って生やしているものが結構薬です。
キランソウとか、カキドオシとか、ハコベとか。
カキドオシはほんとに大事ですねえ。
でも、効くほど生やそうと思ったら、もっと広い場所が要ります。

柿の葉茶もドクダミ茶も作りどきです。どちらもうちに生えています。
ほんとのお茶はぎりぎりまだいけるか。


講座で聞いた植物は、私の住むところでは、ほとんど身の回りで入手することができます。
ないのはビワぐらい。
今晩のおかずは山からふんだんに調達できる。
そういう自然を生かしきれていないのはほんともったいない。

ただ、野菜づくりと同じで、どれだけ自分の食に時間をかけられるかということです。
本当は、ほぼ全部の時間をそれにかけているのが人間の営みのはずなんですが。
この乖離はいつになったら埋めることができるのか、と自問してしまいます。
自分次第です。


先生に聞いたもの全部作って試してみたいけれど
それをしていると、多分1日4、5時間はそういうことにかけないといけなくなります。
それはシアワセな毎日でしょう。