ベンベエの詩的つぶやき

世の中をちょっと斜めに見て・・・

100円

2006-06-10 14:55:52 | 日記・エッセイ・コラム

15日の県民の日に因んで、今日と明日の当美術館の入館料は100円。以前は無料にしていたのだか、幼児の遊び場にされたり酔客までやってくるので、昨年から100円にした。100円でも徴収するとなれば、心無いひやかし半分の客は来なくなる。子を連れた若い親たちのマナーの悪さにはあきれてしまう。館内を子供がはしゃぎ駆け回っても、制止しようとしない。まったく知らん顔。作品に手でも突いたりしたらどうするのだろう。こちらから注意を向けるとギロッと睨み返してくる。この親の親たちが悪いのだ。きちんと躾ができていない。躾も教育も総ては学校にお任せという無責任さの結果である。教育の原点は総て家庭にある。非行の原因もいじめの原因も原点は総て家庭にあることを認識してもらうために、保護者に対して具体的な指導と教育が急務である。躾をされていない親から生まれた子供こそ不幸なのである。


交流

2006-06-10 00:16:02 | 日記・エッセイ・コラム

国際交流がこれほど盛んな今日、犯人引渡し条約が二国〈米国・韓国〉としか締結されていないとはどういうことだろうか。沢山の国籍の人たちが出入りしているこの日本で。犯行後直ちに海外へ逃亡してしまえばそれっきり。江戸で「急ぎばたらき」をして上方へトンズラしてしまうような、まるで江戸時代と同じである。外国人による犯罪が集団性を帯び凶悪化している。彼らは知っているのだ、母国へ逃げてしまえば捕らえられないことを・・・。このままでは益々犯罪がエスカレートし、枕を高くして眠れない。先進国日本が野蛮国に成り下がってしまう。この国に於いて犯罪は割に合わないことを、彼らに知らしめる時が来ている。仲良く付き合っていくのは良い、しかし罪を犯したらきちっと償ってもらう・・・。そうでなければ成熟した法治国とは言えない。


ノラの命

2006-06-09 00:08:49 | 日記・エッセイ・コラム

庭にやってくるノラ猫の一匹を避妊手術してもらった。避妊手術が済んでいれば里親も見つけやすい。しかし戻ってきたチーちゃんは、かごの中で眠ったままあの世へ翔けて行った。獣医からの詫びの言葉は聞かれないが、あきらかに麻酔ミスだと思う。あのひどい風邪からようやく生き抜いたというのに・・・。人間の勝手で棄てられ、人間の勝手で腹を割かれ、挙句には殺されて・・・。犬や猫を棄てた飼い主には、目の玉が飛び出るような罰金を科すことにしたらいい。良心のない族に良心を求めたところで理解するはずもない。そもそも飼う資格のない者が一時の興味で飼い主になり、飽きたら空き缶をポイ捨てするような気分で、生き物の命を棄てる。厳罰をもって対すること以外に防止策はない。英国のように犬や猫の身体にマイクロチップを埋め込むことを、飼い主の義務にしてはどうか。マイクロチップには飼い主の住所・氏名がインプットされているので、どこに棄ててもすぐに飼い主が見つかる。簡単に犬猫を棄てる日本人の現状、何か思い切った対策が必要である。そうでないと棄てられ殺されていった小さな命たちが、いつまでも浮かばれない。


常習性

2006-06-07 15:22:17 | 日記・エッセイ・コラム

たまらなく好きだというほどでもないのに、ワーグナーには不思議なところがあり、聴きはじめると癖になって何度でも聴きたくなる。止められなくなるのだ。アヘンのように陶酔してしまうなにかがある。ワーグナーの本性が露わに表現されていて、その本性が僕の本性と共振するのかもしれない。偽善や怒りや悔恨など、僕の奥で渦巻いているなにもかもがそのまま解放されていくような、とても自由な気分になってくる。今日もショルテイになりきって定規など振り回している。また始まったかと、猫たちはさっさと二階へ逃げ込んで御昼寝。


天使のように

2006-06-07 12:18:40 | 日記・エッセイ・コラム

「ハサミ持ってませんか?」 スーパーの駐車場で見知らぬ女の子に呼び止められる。 小学校の一年生位だろうか、アイスキャンデーのゴムの吸い口が開けられないというのだ。乳頭のような突起に穴を開けてそこからちゅうちゅう吸うのだが、たしかにゴムが厚くて容易には開けられない。「これはね、歯で噛んで穴を開ければいいんんだよ」 と、僕の犬歯を見せながら教えてやる。すると 「これ、歯がないの」 と口をあけて見せてくれた。ホント、上の歯が全然ないのだ。乳歯が生え替わる時期なのだろう。「おじちゃんの歯であけて」 「おじちゃんのでいいの?」 「うん」 その場で噛み切ってやると、にこにこ吸いながら 「この子のも開けて」という。恥ずかしそうに少し離れて、同じ年頃の女の子がもう一人立っている。その子のも噛み切ってやる。「ありがとう!」 二人そろってちゅうちゅう吸いながらどこかへ帰っていった。 知らない人に声掛けられても返事してはいけない、着いて行ってはいけないと、子供達の安全に神経を尖らせている今日、こんな子供がいたなんて・・・・・。僕はとても幸福な気分であった。本来、子供とはこの子のように純真無垢なのである。僕に子供がいたらこの子のようであって欲しいと思うほど、心に温かいものを覚えた。