ベンベエの詩的つぶやき

世の中をちょっと斜めに見て・・・

猫と爺

2006-06-14 18:25:46 | 日記・エッセイ・コラム

約束どおりM爺さんに会いに行った。三方を山に囲まれた静かな。猫を膝に抱いて玄関口で待っていてくれた。一年ぶりだが猫の方はこちらを全く覚えてはいない。スマートで美しい猫に成長していた。授乳中の母猫が交通事故死し、仔猫を拾い上げたときは風邪にやられ衰弱しきっていた。ミルクに薬を溶かしスポイトで飲ませようとしたが、吐いたり、ぐったり動かなくなったりして一週間ほどは眼が離せなかった。それが今では、モグラやネズミを捕ってきて、爺さんの膝元に運んでくるという。誉めてやるので次の日も捕まえてくるという。  この爺さんにはこの猫・・・・ホント! 出会いと相性の妙を強く感じた。


おねしょ

2006-06-14 13:35:55 | 日記・エッセイ・コラム

今日、6月14日は僕の誕生日。ミッドウェイ開戦時、母が二十歳のときに生まれた。  「人間は、おしっことうんちの間の穴から飛び出してきた」 聖アウグスチヌスの言葉。まことにまことに含蓄のある内容である。それを証明するかのごとく、僕は12歳まで夜尿症がつづいた。毎晩のことであり、一晩に二回やってしまうこともある。初めての修学旅行は心配で眠らないようにしていた。(ねしょべん小僧はどなたでござる 恥ずかしながら私でござる) 住み込みの姉やが、僕の寝巻きを洗濯しながら聞こえよがしに唄っていた。一緒に寝せられて、夜中にねしょべん掛けられて、未だ16・7歳の姉やも気の毒なことであった。そのときの少年が突然還暦を越え、こうして知ったかぶりの顔になって生きている。今でもときどき夢を見ては、おそるおそる股間に手をやったりすることもある。


弱いものいじめ

2006-06-13 01:09:56 | 日記・エッセイ・コラム

行きつけの中華料理店で昼食をとった。中国からやって来た料理人の腕が評判になり、店はいつも繁盛していた。ところがこの度ヘッドハンテイング〈引き抜き〉に遭い、以前と比べて少々味が変わってしまった。ヘッドハンテイング・・・・聞こえはいいが、弱いものいじめである。中国から見つけてきて、女将が懸命に育て上げたところを突然、引き抜かれるのである。出稼ぎに来ている彼らにとって、条件の良い方に動いてしまうのは仕方ないことである。聴く所によるとU市の大きなホテルだと言う。この業界で引き抜きは日常茶飯事であるとしても、頑張っている小さな店を狙うとは些か人の道に外れるのではないだろうか。


サッカーW杯

2006-06-11 16:58:09 | 日記・エッセイ・コラム

サッカーにこれほどヒートアップするとは知らなかった。日本人が熱中するのはプロ野球だけかと思っていた。ジーコ・ジャパンの第一戦を明日に控え、どこもかしこもその話題で持ちきり。商店街では大型テレビを設置して応援の準備。ビールを呷りながら、大声で叫び合うのはストレス解消としても大いに結構な事だ。ところで僕は試合を観ていて、彼らのやる三つの習慣を不思議に思っている。一つは選手入場の際、子供に手を引かれて現れる事。その後、子供たちは何処に行ってしまうのだろうか。二つはゴールするたび、身体をくねらせ変なダンスをする事。三つはグランドの中へやたら唾を吐く事。殊にこの三つ目は気持ち悪い。誰かの唾の上に転がることもあるだろうに・・。少年たちの試合中にはやらないことが、プロになると平気で唾を吐くのは何故だろうか。プロ野球でも同じ光景をよく見る。マナーとしても衛生上にも、あれは止めて欲しいと思う。   明日はソーセージとジャガイモでも茹でておこうか・・・・・。


出会い

2006-06-11 00:25:03 | 日記・エッセイ・コラム

今日はうれしい電話をもらった。ノラの里親のひとりであるM爺さんから。我が家から分けてもらった仔猫が、この16日で満一年になる、彼女の暮らしぶりを是非見に来てくれと言うのだ。昼も夜もいつも一緒、可愛くてたまらないという様子。捨て猫たちの運命は紙一重。思い切って人間の足元に擦り寄ってくれば、温かい手に抱き上げられ大切な家族の一員として迎えられる。しかし多くはそうはいかない。一度、棄てれているので人間を信じようとしない。警戒しながらある一定の距離までは近よってきても、それ以上は許さないのだ。         猫を飼った事のない人には、非現実的だと一笑されるだろうが、猫と人間の出会いには不思議な必然性がある。出会うべくして出会うという・・・・。なにかしら強い因縁を感じる。「次に拾うときは白と黒を同時に拾いたいね」 そう話し合った一ヵ月後、藪の中からテニスボールほどの仔猫が車の前に飛び出してきた。真っ白と真っ黒の二匹・・・・。彼女たちが今、我が家の中を駈け回っている。