入口より築山を望む
築山の石組み
遊歩道中頃
半島付近
<重森美玲(作庭家)と以楽園>
おはよう地球。紅葉の偵察を兼ねて家から徒歩30分強の以楽公園へ。
紅葉はもう少し先といったところ。春と秋に一般公開される 無料
重森美玲の石組みは圧倒される力強さと迫力がある。
以楽公園
現地案内板・枚方市HP・より (一般公開時期については枚方市HPにて確認下さい。)
―都市計画公園 以楽園のいわれー
以楽公園は、日本庭園として日本住宅公団が計画し、香里ケ丘環境美化協会の資金協力を得て、
1961年4月に完成したものです。池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)で中央に自然の湧水による
苑池を囲み、曲水、滝石組の築山、四方に春夏秋冬を表現した平安式の日本庭園です。
作庭は名匠重森三玲(スギモリミレイ)1896年-1975年)が行い、みんなが一緒に十分楽しむ庭園という
願いを込めて「以楽園(イラクエン)」と命名されました。
豊富な湧泉による池を中心として、四方にそれぞれ春夏秋冬を表現した平安式の庭を配し、園路
・地割りの変化には従来の大庭園にもない造型性を追及しています。 枚方市
※作庭家名 スギモリミレイになっていますが、Wikipediaではシゲモリミレイになっています。
【参考情報】
Wikipedia:重森三玲 1896-1975
日本庭園を独学で学ぶ。昭和11年(1936年)より全国の庭園を実測調査し、
全国500箇所にさまざまな時代の名庭実測、古庭園の調査などにより研究家
として日本庭園史の先駆けとなる。
昭和14年(1939年)日本庭園史図鑑26巻を上梓して庭園史研究の基礎を
築き また昭和51年(1976年)に息子の重森完途と日本庭園史大系全33巻
(別巻2巻)を完成させるなど庭園史研究家としても多大な功績を残した。
昭和24年(1949年)に前衛いけばなの創作研究グループ「白東社」を主宰、
後に前衛いけばな誌「いけばな藝術」を創刊した。
三玲が作庭した庭は力強い石組みとモダンな苔の地割りで構成される
枯山水庭園が特徴的であるとされ、代表作に、東福寺方丈庭園、光明院庭園、