五十の手習い足払い

五十歳を過ぎて始めたブログももう何年目?
山梨に住む新しモノ好きのオヤジが自分の趣味や日々の暮らしをつづります。

Pole to Win 後編

2013年06月15日 | ミニカー
前回に引き続いて、ル・マン24時間レースの歴史の中で、「Pole to Win」(ポール・ポジション-予選1位-を獲得したクルマが決勝でも優勝を飾ること)を成し遂げたクルマを紹介します。

まず、1997年のル・マンで優勝したTWRポルシェWSC95#7。
TWRというのはトム・ウォーキンショー・レーシングというプライベート・チームの略称です。
ドライバーはヨースと\チームからエントリーしたミハエル・アルボレート、ステファン・ヨハンソン、トム・クリステンセンの3人。
レースは残り2時間までトップを走っていたワークス・ポルシェのポルシェ911GT1が炎上してしまい、ポルシェWSC95が「タナボタ」ともいえる勝利を挙げました。追いすがるマクラーレンF1GT-Rとはわずか1ラップの差だったと言います。

このクルマ、実は前年優勝したクルマと同じシャシーなのです。
技術的には決して最新ではないクルマが勝ってしまうこともあるところがル・マンの面白いところともいえるでしょうか。
レース中最速タイムを一度も出さずに24時間を走り切って優勝したのも珍しいといえるかもしれません。
モデルはAltaya製。


2台めはそれから6年後の2003年に優勝したベントレー スピード8#7。
時代はアウディの時代になっていました。
前年まで三連覇を飾っていたアウディ・ワークスが今年は不参加。
代わりにチーム・ヨーストが運営したベントレー・チームが予選1位と2位を独占、決勝でも危なげなく走ってワン・ツー・フィニッシュを飾りました。
ドライバーは、リナルド・カペッロ、トム・クリステンセン、ガイ・スミスの3人。
この時点でトム・クリステンセンはル・マン四連覇(先に言っちゃうとこのあと六連覇を達成しています)。

このベントレー、1998年にフォルクス・ワーゲンに買収され、同じグループのアウディのエンジンを発展させた4リッター・ターボエンジンで優勝したのです。1986年からの3か年計画で73年ぶり6度目の優勝を飾りました。
モデルはイクソ製。


さらにアウディの時代は続きます。
ベントレーの優勝から7年間で優勝6回。
常勝アウディの名前をほしいままにしたアウディは迎えた2011年、アウディR18TDI#2がプジョーを抑え10回目の優勝を飾りました。
実は前年までの4年間、ポール・ポジションはプジョーが獲得し続けていたのです。
この年の予選1位のタイムは3分25秒738(2位もアウディ)、3位のプジョーとはわずか0秒272の差でした。

ドライバーはブノワ・トレルイエ、アンドレ・ロッテラー、マルセル・ファスラーの3人。
3台エントリーしたアウディは2台が事故で前半のうちにリタイヤしてしまいますが、残る2号車がプジョーの追い上げをかわして優勝しました。2位のプジョーとはわずか14秒弱の差でした。
R18はR8、R10、R15と進化してきたアウディの最新型。
このモデルからは運転席がクローズドタイプに代わり、エンジンが3.7リッターディーゼル・エンジンになり、ヘッドライトがLEDタイプになりました。
ミニカーはスパーク製。


そして、最後は昨年2012年のアウディR18e-tronクワトロ#1。
ドライバーは前年と同じくブノワ・トレルイエ、アンドレ・ロッテラー、マルセル・ファスラーの3人。
決勝レースは久々に参戦したトヨタのTS030との一騎討ちになりましたが、終始安定した走りを見せたアウディe-tronクワトロが1位と2位を占め、3位にもアウディR18ウルトラが入って5回目の表彰台独占を果たしました。

R18e-tronクワトロはアウディの四輪駆動技術とハイブリッド技術を組み合わせたものです。
こうした最新技術もさることながら、ヨースト・チームのピット作業をテレビで見ていると、他のチームより何歩も先を進んでいるなあと思いました。
以前ならリタイヤしてしまうであろう事故を起こしたクルマをわずか10分間くらいで再び走れるように直してしまうのですから。
ヨースト・チームはレース・カーの設計段階で修理しやすいような設計にするように働きかけているんだそうです。
さすがアウディでありヨーストですね。
モデルはスパーク製。

今年2013年のル・マン、果たして「Pole to Win」はあるのでしょうか?
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