市川三郷町・平塩の丘に「無窓国師の母の墓」があります。
数年前に訪れた時に、彼岸花が咲いていたのを思い出し、雨が上がるのを待って出かけました。
広域農道の一本下、地元の人しか通らないだろう細い道の途中にその墓はあります。
その道から眺めるとこんな感じ。
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無窓国師(法諱は疎石)は鎌倉時代末から南北朝時代、室町時代初期にかけての臨済宗の禅僧です。
小さいころ、この近くの寺(今はありません)で修業したそうで、お母さんがやはりこの平塩の村の出だったと言われています。
一般的には、世界遺産である京都の西芳寺や天龍寺の庭を設計したお坊さんというイメージですが、時の政権にも深くかかわった方のようですね。
それはともかく、
墓所は雑草に覆われていて、注意深く歩いていないと見過ごしてしまいそうな感じです。
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墓所の中には、正面に大きな石碑があって、これがお墓かと一瞬思ってしまいます。
が、これは大正13年に建てられた記念碑のようで、額字を書いたのは、日本海海戦の東郷平八郎元帥だそうです。
どういう関係か知りませんが...。
お墓はこちらのようです。
といっても、こちらも疎石の死後五百年近く経ってから建てられた自然石の石塔です。
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墓所の内外にはたくさんの彼岸花が咲いていました。
満開までにはもう少し日時が必要でしょうか。
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墓の後ろ側には、これから咲きそうな彼岸花の茎がたくさん生えていました。
ちょっと見、アスパラガスのようでもあります。
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せっかくデジイチ持参なので、近寄って彼岸花の写真を撮りました。
曇天の方が赤い色がきれいに出るのかも。
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やはり墓所には彼岸花が似合っているな、とも思ってしまいます。
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墓所をぐるっと回って家に戻ったら、5,200歩くらい歩いた計算になりました。
約一時間の散歩です。
数年前に訪れた時に、彼岸花が咲いていたのを思い出し、雨が上がるのを待って出かけました。
広域農道の一本下、地元の人しか通らないだろう細い道の途中にその墓はあります。
その道から眺めるとこんな感じ。
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無窓国師(法諱は疎石)は鎌倉時代末から南北朝時代、室町時代初期にかけての臨済宗の禅僧です。
小さいころ、この近くの寺(今はありません)で修業したそうで、お母さんがやはりこの平塩の村の出だったと言われています。
一般的には、世界遺産である京都の西芳寺や天龍寺の庭を設計したお坊さんというイメージですが、時の政権にも深くかかわった方のようですね。
それはともかく、
墓所は雑草に覆われていて、注意深く歩いていないと見過ごしてしまいそうな感じです。
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墓所の中には、正面に大きな石碑があって、これがお墓かと一瞬思ってしまいます。
が、これは大正13年に建てられた記念碑のようで、額字を書いたのは、日本海海戦の東郷平八郎元帥だそうです。
どういう関係か知りませんが...。
お墓はこちらのようです。
といっても、こちらも疎石の死後五百年近く経ってから建てられた自然石の石塔です。
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墓所の内外にはたくさんの彼岸花が咲いていました。
満開までにはもう少し日時が必要でしょうか。
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墓の後ろ側には、これから咲きそうな彼岸花の茎がたくさん生えていました。
ちょっと見、アスパラガスのようでもあります。
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せっかくデジイチ持参なので、近寄って彼岸花の写真を撮りました。
曇天の方が赤い色がきれいに出るのかも。
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やはり墓所には彼岸花が似合っているな、とも思ってしまいます。
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墓所をぐるっと回って家に戻ったら、5,200歩くらい歩いた計算になりました。
約一時間の散歩です。