1960年代後半に日本のカーレースをけん引したニッサンR380。
今回はその流れをくむ「名前」を継承したGTカーであるR390について記します。
まずは、1997年のル・マン24時間レースにおけるR390。
決勝レースに先立つこと二か月前に行われた「Prequalifying(予備予選とでも訳すのでしょうか)」で1位になったR390の21号車です。
このクルマ、実はジャガーXJR-15というレースカーをベースに、ニッサンのグループCで活躍したエンジンを積んでいます。
製作したのはトム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)という会社、前年にポルシェWSCというクルマでル・マンを制しています。
またデザイナーはシャドウやアロウズのF1マシンなどを設計したトニー・サウスゲートでした。
このマシン、予備予選では1位となったのですが、レース後にレギュレーション違反を指摘されてしまいます。
何でもリアトランクに冷却ダクトを置き、ギアボックスの熱をそこから外に出していたというのです。
市販のGTカーではありえない構造。
まあ、GTカー・クラスといっても、その実態はプロトタイプカーそのものだったのですが。
それはさておき、今回のモデルは本戦ではなく予備予選を走ったR390のもの。
決勝レースでは、トランクを密閉式にしてレースに臨んだのですが、やはり冷却系のトラブルが起こり、結果は芳しいものではありませんでした。
3台出走したR390は2台がリタイヤし、残る1台がかろうじて12位完走(とはいっても、トップから67周遅れ)を果たしたのでした。
翌年、ニッサンは新たなR390で再びル・マンに挑むことになりますが、それはまた次回で。
→ ニッサンR390の戦い[その2]
今回はその流れをくむ「名前」を継承したGTカーであるR390について記します。
まずは、1997年のル・マン24時間レースにおけるR390。
決勝レースに先立つこと二か月前に行われた「Prequalifying(予備予選とでも訳すのでしょうか)」で1位になったR390の21号車です。
このクルマ、実はジャガーXJR-15というレースカーをベースに、ニッサンのグループCで活躍したエンジンを積んでいます。
製作したのはトム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)という会社、前年にポルシェWSCというクルマでル・マンを制しています。
またデザイナーはシャドウやアロウズのF1マシンなどを設計したトニー・サウスゲートでした。
このマシン、予備予選では1位となったのですが、レース後にレギュレーション違反を指摘されてしまいます。
何でもリアトランクに冷却ダクトを置き、ギアボックスの熱をそこから外に出していたというのです。
市販のGTカーではありえない構造。
まあ、GTカー・クラスといっても、その実態はプロトタイプカーそのものだったのですが。
それはさておき、今回のモデルは本戦ではなく予備予選を走ったR390のもの。
決勝レースでは、トランクを密閉式にしてレースに臨んだのですが、やはり冷却系のトラブルが起こり、結果は芳しいものではありませんでした。
3台出走したR390は2台がリタイヤし、残る1台がかろうじて12位完走(とはいっても、トップから67周遅れ)を果たしたのでした。
翌年、ニッサンは新たなR390で再びル・マンに挑むことになりますが、それはまた次回で。
→ ニッサンR390の戦い[その2]