序章 元気なうちに北海道
家内の母が、家内に
『元気なうちに・・北海道に行って見たいわ・・』
の一言で今回の旅行となった。
私を含めて3人で温泉滞在旅行は、たびたび出かけているが、
家内の母は76歳の高齢者の身であり、初めて飛行機に乗るので果たして・・
と思ったりしている。
詳細のコースは、過日『高齢者、初めての北海道観光・・♪』に掲載している。
旅の途中、知床のウトロに連泊、阿寒湖で三連泊で休息を設定しているが、
この間に私は周辺を散策する予定である。
私が独りで散策するが、熊と出会った時は、お互いにびっくりして、
互いに尻尾をまいて、退散すると思っている。
熊だって、見知らぬ東京の田舎者に逢いたくないと確信しているから・・。
第1章 旅の始まりは、北海道限定ビール
私共夫婦は、北海道はたびたび旅行しているが、
旭川市に関しては、昨年『旭山動物園』に3時間ばかり観た以外は、
昼食に立ち寄る程度であった。
今回の旅行で、家内の母が動物好きなので、
この動物園をゆっくり観たい、という要望の為、
市内のホテルに宿泊することとなった。
旭川空港に昼に着き、バスで市内に入ると、
町の街路樹に紅い実をつけ、朱色に染め始めたナナカマドが観られた・・。
ナナカマドの樹木は、本州では里山、高山に見られるので、
『おかあさん・・やはり、北海道だね・・』
と私は、家内の母に言った。
ホテルにチエック・インをした後、遅い昼食を取るために、
旭川の街並みを歩いた。
これといった当ての無い食事処であったので、結果として寿司屋に入った。
座敷に上がり、家内の母は、
通常はアサヒビールのスーパードライを飲んでいるので、
北海道限定の『北の職人』を注文した。
私は北海道に来た時は、サッポロビールの北海道限定『クラシック』を飲み、
地酒は『男山』、『国士無双』の純米酒が殆どである。
私達3人は、『北の職人』をグラスに注ぎ、
『おかあさんの・・初めての・・北海道・・乾杯ね・・』
と私は明るく言った。
こうして家内の母は、
初めての飛行機の搭乗を羽田空港から旭川空港の旅路を終えて、
初めての北海道観光のはじまりとなった。
尚、この寿司屋の味は、私は美味しい感じ、『大番寿司』という名の店であった。
第2章 雨、そして風の中の層雲峡
旭川の明け方は、霧雨だった。
家内と家内の母は、旭山動物園に行き、
私は独りで今晩の宿泊先の層雲峡に向かった。
駅前で路線バスを待っている時、中国人の観光客のグループと同乗となった。
60代の温厚そうな男性がリーダーらしく、
15名の20代から40代の人達を先導していた。
上川市経由層雲峡に向かったが、雨は強さを増し、ときたま風が吹いた。
終点の観光ビルでホテルからの送迎車を待っている間、
私は『層雲峡・渓谷案内図』を温厚そうな中国人のリーダーらしき人に手渡し、
つたない英語の単語を並べ、解説した。
先方の方は、にっこりと笑い、頷(うなづ)いた。
後で私は反省したが、メモ用紙で漢字を並べた方が好かった、思ったりした。
昨年の5月に層雲峡は宿泊したが、夕方に到着し、朝にこの地を離れたので、
今回は黒岳方面のロープウェイに乗り、周辺の景観をほめる予定であったが、
風のために運行は中止となっていた。
やむ得ずホテルに直行したが、昼前であり、チエックインの時間前であったが、
部屋に通してくれた。
私は昼のひととき、大浴場、露天風呂に浸(つ)かったが、
たまたま独りであった。
露天風呂の前面は、渓谷に面していたので、
風がうなりの音をたてて通り過ぎて寒かったが、
これ以外はすこぶる快適であった。
家内達が部屋に着いたのは、3時過ぎであった。
やはり旭山動物園も雨が強さを増したので、早めに引き上げてきた、
と家内は呟(つぶや)いていた。
夕食の時、オリジナル創作料理と称して、
タマネギの中身をくり抜き、ビーフシチューを詰め込んで焼き上げた料理は好感した。
ありふれた料理でも、少し工夫すれば、
このような夢のある形、味わいが増すということである。
第3章 遙かなるオホーツク海
快晴の朝の中、層雲峡の銀河、流星の滝をほめた後、
大雪湖から石北峠に向かう道は私は好きな景観のひとつである。
エゾマツ、トドマツ、そしてダケカンバの多い樹林の中、
左側の道路沿いに数多くのせせらぎがある。
こうした中、ときたま鹿を見かける時もある。
『クマ(熊)なく・・シカ(鹿)と・・コンキよく・・観てください・・』
とバスガイドさんが言った。
確かに、この辺は熊、鹿、そしてキツネを見かけることもある。
北見市に抜ける途中は、広大な畑が広がり、
その奥まった処が小高い里山となり、紅葉、黄葉に染められた錦繍の世界が展開し、
私は道内の風物詩のひとつと思っている。
網走を通り過ぎると、オホーツク海が望め、
斜里を過ぎると、海岸沿いの道になると、
北海道らしい景観となる。
私は冬の季節、流氷を追い求め、初めて流氷を眺めな時、
厳粛な心持になったことを想いだしていた。
知床五胡の2湖を散策した途中、羅臼岳を望みながら、
湖面沿いの小道を歩くのも私の好きな光景のひとつである。
宿泊するホテルは、ウトロ港をまじかに景観できる処だった・・。
第4章 『知床~それは命の営み』
夜明け前の3時過ぎに目覚め、
ウトロ魚港とその前方に拡がるオホーツク海を観た・・。
標題を掲げたのは、斜里町商工観光課が命題した『知床~世界遺産~』の豪華な小誌の中から、
拝借した言葉である。
宿泊しているホテルの館内で頂いたものである。
私は知床に関しては、像(ゾウ)の尻尾以下しか無知である。
斜里町から海岸沿いの国道をウトロに向かうと、
玄関代わりのオシンコシンの滝が迎えてくれる。
ウトロには秋、冬、春に来ているが、私の心の想いは流氷の時節が深く残っている。
厳粛・・と云うしか言葉が見つからず、
海岸沿いと見られる周辺を3時間ばかり家内と歩いた体験がある。
防寒服と登山靴で零下10度、風が吹くと零下15度前後であったが、
遥か彼方まで流氷を見つめていると、私はこの景観には謙虚になる。
厳粛と謙虚・・これが私の知床の思いであるが、
適切な言葉で集約したのは標題に拝借した言葉につきると直感した次第である。
家内達は魚港周辺を散策するので、
私は『知床自然センター』の周辺を散策することにした。
この館内の映像展示館で『知床の四季』を観た。
解説に寄れば、映像を超えたダイナビジョンが誘う、大自然の世界、と綴られていたが、
まさに遂力のある映像から知床の大半が集約されている名画、
と感動を受けたりした。
その後、『乙女の涙』と称される海岸の滝までの遊歩道を散策した。
樹林の中のゆるやかな坂道を下ると、あたり一面平地となり遥か彼方に知床の連山が観られる一帯であった。
のどかな晴れ間の中、こうした光景の中で散策ができるのは、贅沢のひとつと感じたりした。
帰路、ウトロの街中で、ホッケを遅い昼食代わりにした。
このホッケは、私の好きな魚のひとつであるが、
都心で頂くのは小ぶりが多い。
私の友人の一人に小樽出身がいるが、
都心の居酒屋で、この小ぶりのホッケを私が食べていたら、
こんなのホッケじゃない、
と言われたりしたこともある。
私は本物のホッケをクラシック・ビールでほめ、
友人の顔を思い浮かべたりした。
ホテルの敷地の一角に足湯があったので、部屋に戻ると、浴衣に着替え、
足湯にのんびり浸かっていると、
こんな贅沢な昼下がりのひとときを過ごしてもよいかしら、
と思ったりした。
まもなく家内達が散策から戻る姿を見かけた。
第5章 されど、知床観光航路
20日(金)は知床の硫黄山航路コースの観光船に乗船後、知床峠を通り、ウラス、標津、摩周湖、硫黄山、
そして阿寒湖までのJALライナーのバス観光周遊の移動の旅である。
前日の朝、港から沖まで晴れ渡って折、
家内達に明日のお天気は悪いから今日の日中に観光船に乗った方が良い、と私は言い、
私は『知床自然センター』に出かけた。
『乙女の涙』までの散策の途中で、道連れになった人達と話している時、
観光船が風と波で欠航になった、と教えて貰った。
この人達は、九州の方達で、団体観光のグループで、道東観光めぐりをしている一部の人であった。
『こんなに・・良いお天気なのに・・欠航とは・・
何のために・・この道東めぐりに参加したか・・意味がないわ・・』
と50代のご婦人が言ったりしていた。
『そうですよね・・観光船の方達に・・こんな良いお天気・・
何時・・周航するの・・言ってみたいですね・・』
と私は軽口を言った。
この観光船は、これだけ魅了させる景観を秘めている。
私達夫婦は、昨年の5月、知床岬まで早朝クルーズがある団体観光周遊に参加したことがある。
ウトロのホテルのロビーに真夜中の2時半に集合して、
知床岬で日の出を観るために乗船したことがあった。
観光船から知床連峰が望め、4時過ぎの月をほめ、知床岬まで周航したことがあった。
詳細は昨年の5月に綴っているので、省略するが深く心に残っている。
20日の朝は、どりよりとした曇り空であった。
昨日のお天気を配慮すると、欠航かしら、と思いながら、朝の7時過ぎにフロントに問い合わせた。
『おかあさん・・こんな天気でも・・観光船に乗れるって・・』
と私は家内の母に言った。
そして家内は
『良かったわ・・おかあさん・・雨女・・返上よ』
と言った。
家内達は動物好きなのであるが、
ここ数年に動物園などに行ったりすると、雨まじりのお天気が多かったのである。
私からしてみれば、家内の母は初めて北海道の思い出に観光船は欠かせないひとつであるので、
何とかと思いが叶えたらという気持ちであった。
硫黄山航路コースの乗船後、どんよりとした曇り空で、ときおり小雨が降ったりした。
オホーツクの波の打ち寄せる海岸の景観は飽きることのない光景であった。
家内の母の微笑んだ顔立ちを見ると、この旅行は良い思い出になると私は感じ、
安堵したりした。
第6章 道東の魅了のひとつは
硫黄山コース周遊船を下船後、バスは知床峠に向かったが、
霧につつまれて、前回訪れた時と同様に、
峠で下車しても薄ら寒く霧の中で、知床の連山も幻となった。
峠を越えてラウスに向かうと、霧が消え去り、ラウスの街並みが一望できた。
私は前回も感じたことであるが、
オホーツク海のウトロと根室海峡に面した太平洋のラウスとは陽と陰のように思っている。
標津のサモンハウスで昼食後、摩周湖を観たが、おだやかな晩秋の光景であった。
家内達に記念写真を撮った後、冬の情景が深く心に残っているので、
道のはずれで煙草を喫ったりしていた。
摩周湖から硫黄山に向かうゆるい下り道の直線があるが、
左右の広葉樹が朱色と黄色の錦繍の世界となっていた。
道路以外、すべての彼方まで染まって折、
この中をバスが走破したが、夢幻のひとときを感じた。
硫黄山は20年ぶりに来たが、休憩所、お土産屋、広い駐車場に少し驚き、
この間の歳月を感じたが、硫黄の吹き出る小高い山の丘陵は変わらない情景であった。
阿寒湖は華やかな温泉街であるが、それなりに3連泊の間に散策し、
私の阿寒湖の魅力を探そうと思っている。
《つづく》
![にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ](http://travel.blogmura.com/kokunai/img/kokunai88_31.gif)
家内の母が、家内に
『元気なうちに・・北海道に行って見たいわ・・』
の一言で今回の旅行となった。
私を含めて3人で温泉滞在旅行は、たびたび出かけているが、
家内の母は76歳の高齢者の身であり、初めて飛行機に乗るので果たして・・
と思ったりしている。
詳細のコースは、過日『高齢者、初めての北海道観光・・♪』に掲載している。
旅の途中、知床のウトロに連泊、阿寒湖で三連泊で休息を設定しているが、
この間に私は周辺を散策する予定である。
私が独りで散策するが、熊と出会った時は、お互いにびっくりして、
互いに尻尾をまいて、退散すると思っている。
熊だって、見知らぬ東京の田舎者に逢いたくないと確信しているから・・。
第1章 旅の始まりは、北海道限定ビール
私共夫婦は、北海道はたびたび旅行しているが、
旭川市に関しては、昨年『旭山動物園』に3時間ばかり観た以外は、
昼食に立ち寄る程度であった。
今回の旅行で、家内の母が動物好きなので、
この動物園をゆっくり観たい、という要望の為、
市内のホテルに宿泊することとなった。
旭川空港に昼に着き、バスで市内に入ると、
町の街路樹に紅い実をつけ、朱色に染め始めたナナカマドが観られた・・。
ナナカマドの樹木は、本州では里山、高山に見られるので、
『おかあさん・・やはり、北海道だね・・』
と私は、家内の母に言った。
ホテルにチエック・インをした後、遅い昼食を取るために、
旭川の街並みを歩いた。
これといった当ての無い食事処であったので、結果として寿司屋に入った。
座敷に上がり、家内の母は、
通常はアサヒビールのスーパードライを飲んでいるので、
北海道限定の『北の職人』を注文した。
私は北海道に来た時は、サッポロビールの北海道限定『クラシック』を飲み、
地酒は『男山』、『国士無双』の純米酒が殆どである。
私達3人は、『北の職人』をグラスに注ぎ、
『おかあさんの・・初めての・・北海道・・乾杯ね・・』
と私は明るく言った。
こうして家内の母は、
初めての飛行機の搭乗を羽田空港から旭川空港の旅路を終えて、
初めての北海道観光のはじまりとなった。
尚、この寿司屋の味は、私は美味しい感じ、『大番寿司』という名の店であった。
第2章 雨、そして風の中の層雲峡
旭川の明け方は、霧雨だった。
家内と家内の母は、旭山動物園に行き、
私は独りで今晩の宿泊先の層雲峡に向かった。
駅前で路線バスを待っている時、中国人の観光客のグループと同乗となった。
60代の温厚そうな男性がリーダーらしく、
15名の20代から40代の人達を先導していた。
上川市経由層雲峡に向かったが、雨は強さを増し、ときたま風が吹いた。
終点の観光ビルでホテルからの送迎車を待っている間、
私は『層雲峡・渓谷案内図』を温厚そうな中国人のリーダーらしき人に手渡し、
つたない英語の単語を並べ、解説した。
先方の方は、にっこりと笑い、頷(うなづ)いた。
後で私は反省したが、メモ用紙で漢字を並べた方が好かった、思ったりした。
昨年の5月に層雲峡は宿泊したが、夕方に到着し、朝にこの地を離れたので、
今回は黒岳方面のロープウェイに乗り、周辺の景観をほめる予定であったが、
風のために運行は中止となっていた。
やむ得ずホテルに直行したが、昼前であり、チエックインの時間前であったが、
部屋に通してくれた。
私は昼のひととき、大浴場、露天風呂に浸(つ)かったが、
たまたま独りであった。
露天風呂の前面は、渓谷に面していたので、
風がうなりの音をたてて通り過ぎて寒かったが、
これ以外はすこぶる快適であった。
家内達が部屋に着いたのは、3時過ぎであった。
やはり旭山動物園も雨が強さを増したので、早めに引き上げてきた、
と家内は呟(つぶや)いていた。
夕食の時、オリジナル創作料理と称して、
タマネギの中身をくり抜き、ビーフシチューを詰め込んで焼き上げた料理は好感した。
ありふれた料理でも、少し工夫すれば、
このような夢のある形、味わいが増すということである。
第3章 遙かなるオホーツク海
快晴の朝の中、層雲峡の銀河、流星の滝をほめた後、
大雪湖から石北峠に向かう道は私は好きな景観のひとつである。
エゾマツ、トドマツ、そしてダケカンバの多い樹林の中、
左側の道路沿いに数多くのせせらぎがある。
こうした中、ときたま鹿を見かける時もある。
『クマ(熊)なく・・シカ(鹿)と・・コンキよく・・観てください・・』
とバスガイドさんが言った。
確かに、この辺は熊、鹿、そしてキツネを見かけることもある。
北見市に抜ける途中は、広大な畑が広がり、
その奥まった処が小高い里山となり、紅葉、黄葉に染められた錦繍の世界が展開し、
私は道内の風物詩のひとつと思っている。
網走を通り過ぎると、オホーツク海が望め、
斜里を過ぎると、海岸沿いの道になると、
北海道らしい景観となる。
私は冬の季節、流氷を追い求め、初めて流氷を眺めな時、
厳粛な心持になったことを想いだしていた。
知床五胡の2湖を散策した途中、羅臼岳を望みながら、
湖面沿いの小道を歩くのも私の好きな光景のひとつである。
宿泊するホテルは、ウトロ港をまじかに景観できる処だった・・。
第4章 『知床~それは命の営み』
夜明け前の3時過ぎに目覚め、
ウトロ魚港とその前方に拡がるオホーツク海を観た・・。
標題を掲げたのは、斜里町商工観光課が命題した『知床~世界遺産~』の豪華な小誌の中から、
拝借した言葉である。
宿泊しているホテルの館内で頂いたものである。
私は知床に関しては、像(ゾウ)の尻尾以下しか無知である。
斜里町から海岸沿いの国道をウトロに向かうと、
玄関代わりのオシンコシンの滝が迎えてくれる。
ウトロには秋、冬、春に来ているが、私の心の想いは流氷の時節が深く残っている。
厳粛・・と云うしか言葉が見つからず、
海岸沿いと見られる周辺を3時間ばかり家内と歩いた体験がある。
防寒服と登山靴で零下10度、風が吹くと零下15度前後であったが、
遥か彼方まで流氷を見つめていると、私はこの景観には謙虚になる。
厳粛と謙虚・・これが私の知床の思いであるが、
適切な言葉で集約したのは標題に拝借した言葉につきると直感した次第である。
家内達は魚港周辺を散策するので、
私は『知床自然センター』の周辺を散策することにした。
この館内の映像展示館で『知床の四季』を観た。
解説に寄れば、映像を超えたダイナビジョンが誘う、大自然の世界、と綴られていたが、
まさに遂力のある映像から知床の大半が集約されている名画、
と感動を受けたりした。
その後、『乙女の涙』と称される海岸の滝までの遊歩道を散策した。
樹林の中のゆるやかな坂道を下ると、あたり一面平地となり遥か彼方に知床の連山が観られる一帯であった。
のどかな晴れ間の中、こうした光景の中で散策ができるのは、贅沢のひとつと感じたりした。
帰路、ウトロの街中で、ホッケを遅い昼食代わりにした。
このホッケは、私の好きな魚のひとつであるが、
都心で頂くのは小ぶりが多い。
私の友人の一人に小樽出身がいるが、
都心の居酒屋で、この小ぶりのホッケを私が食べていたら、
こんなのホッケじゃない、
と言われたりしたこともある。
私は本物のホッケをクラシック・ビールでほめ、
友人の顔を思い浮かべたりした。
ホテルの敷地の一角に足湯があったので、部屋に戻ると、浴衣に着替え、
足湯にのんびり浸かっていると、
こんな贅沢な昼下がりのひとときを過ごしてもよいかしら、
と思ったりした。
まもなく家内達が散策から戻る姿を見かけた。
第5章 されど、知床観光航路
20日(金)は知床の硫黄山航路コースの観光船に乗船後、知床峠を通り、ウラス、標津、摩周湖、硫黄山、
そして阿寒湖までのJALライナーのバス観光周遊の移動の旅である。
前日の朝、港から沖まで晴れ渡って折、
家内達に明日のお天気は悪いから今日の日中に観光船に乗った方が良い、と私は言い、
私は『知床自然センター』に出かけた。
『乙女の涙』までの散策の途中で、道連れになった人達と話している時、
観光船が風と波で欠航になった、と教えて貰った。
この人達は、九州の方達で、団体観光のグループで、道東観光めぐりをしている一部の人であった。
『こんなに・・良いお天気なのに・・欠航とは・・
何のために・・この道東めぐりに参加したか・・意味がないわ・・』
と50代のご婦人が言ったりしていた。
『そうですよね・・観光船の方達に・・こんな良いお天気・・
何時・・周航するの・・言ってみたいですね・・』
と私は軽口を言った。
この観光船は、これだけ魅了させる景観を秘めている。
私達夫婦は、昨年の5月、知床岬まで早朝クルーズがある団体観光周遊に参加したことがある。
ウトロのホテルのロビーに真夜中の2時半に集合して、
知床岬で日の出を観るために乗船したことがあった。
観光船から知床連峰が望め、4時過ぎの月をほめ、知床岬まで周航したことがあった。
詳細は昨年の5月に綴っているので、省略するが深く心に残っている。
20日の朝は、どりよりとした曇り空であった。
昨日のお天気を配慮すると、欠航かしら、と思いながら、朝の7時過ぎにフロントに問い合わせた。
『おかあさん・・こんな天気でも・・観光船に乗れるって・・』
と私は家内の母に言った。
そして家内は
『良かったわ・・おかあさん・・雨女・・返上よ』
と言った。
家内達は動物好きなのであるが、
ここ数年に動物園などに行ったりすると、雨まじりのお天気が多かったのである。
私からしてみれば、家内の母は初めて北海道の思い出に観光船は欠かせないひとつであるので、
何とかと思いが叶えたらという気持ちであった。
硫黄山航路コースの乗船後、どんよりとした曇り空で、ときおり小雨が降ったりした。
オホーツクの波の打ち寄せる海岸の景観は飽きることのない光景であった。
家内の母の微笑んだ顔立ちを見ると、この旅行は良い思い出になると私は感じ、
安堵したりした。
第6章 道東の魅了のひとつは
硫黄山コース周遊船を下船後、バスは知床峠に向かったが、
霧につつまれて、前回訪れた時と同様に、
峠で下車しても薄ら寒く霧の中で、知床の連山も幻となった。
峠を越えてラウスに向かうと、霧が消え去り、ラウスの街並みが一望できた。
私は前回も感じたことであるが、
オホーツク海のウトロと根室海峡に面した太平洋のラウスとは陽と陰のように思っている。
標津のサモンハウスで昼食後、摩周湖を観たが、おだやかな晩秋の光景であった。
家内達に記念写真を撮った後、冬の情景が深く心に残っているので、
道のはずれで煙草を喫ったりしていた。
摩周湖から硫黄山に向かうゆるい下り道の直線があるが、
左右の広葉樹が朱色と黄色の錦繍の世界となっていた。
道路以外、すべての彼方まで染まって折、
この中をバスが走破したが、夢幻のひとときを感じた。
硫黄山は20年ぶりに来たが、休憩所、お土産屋、広い駐車場に少し驚き、
この間の歳月を感じたが、硫黄の吹き出る小高い山の丘陵は変わらない情景であった。
阿寒湖は華やかな温泉街であるが、それなりに3連泊の間に散策し、
私の阿寒湖の魅力を探そうと思っている。
《つづく》
![にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ](http://travel.blogmura.com/kokunai/img/kokunai88_31.gif)