夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

通信簿の想いで・・♪    《初出2006.7.20.》

2008-05-02 23:36:10 | 幼年・少年時代の想いで
私の幼年期の頃の夏休みは、確か7月21日から8月の月末までであった。

20日の日は一学期の終業式があり、
通信簿が担任の先生から手渡された。

長兄、次兄、妹の2人は、優等生であり、『5』と『4』が多く、『3』はわずかだった。

私は『3』と『2』が多く、『4』は2つばかりだった。

終業式を終えた帰り道、廻り道をしながら帰った。
祖父、父は、小学3年の夏は既に他界していたので、
母と未婚の叔母に通信簿を見せたが、次兄の通信簿を盗み見していた。

いじけた劣等生で心も屈折していたので、期待されない独りであった。

小学、中学生を過ぎて、私が本格的な勉強の面白さを感じたは、
高校になってからである。

後年、私がレコード会社に勤め、コンピューターの専任担当者となった時、
兄と妹が驚いていた。
母は笑っていた・・。


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雨の中の外出・・♪    《初出2006.7.19.》

2008-05-02 23:33:37 | 読書、小説・随筆
家内と10時半過ぎに、本降りの雨の降る中、駅前に出かけた。

川沿いの遊歩道を歩いたが、川の水は増水していて、所々濁流のような急流となっているが、
護岸が整備されている処であるので、この河川は十二分に耐えられるようになっている。

家内は歯科医院で治療を受ける為、駅前で別れ、
私は本屋に寄り、色々と見たりしたが、
藤原正彦・氏の『古風堂々数学者』、『祖国とは国語』(新潮文庫)の2冊を買い求めた。

レジの傍に『新潮文庫の100冊』の宣伝用の小雑誌を頂き、
家内と待ち合わせ場所の『ドトール』に行った。

アイス・コーヒーを呑みながら、サンドイッチで軽食した後、
先程の『新潮文庫の100冊』を開いた。

著名な文庫本を紹介している内容であるが、
太宰 治の『人間失格』の紹介に於いて、

   この主人公は自分だ、と思う人と
  そうでない人に、日本人は二分される。

と箇条書きの宣伝文には、思わず上手いと感心させられた。

それ以外の文庫本の宣伝文は、全般として若い人に向けに書かれているためか、
読むほうが恥ずかしい程、幼稚な箇条書きで紹介されている。

家内と合流した後、買い物をし、小降りになった遊歩道を歩き、帰宅した。

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晩酌のあれこれ・・♪   《初出2006.7.18.》

2008-05-02 23:31:01 | 食べ物、お酒
私は呑兵衛であるので、夕食の直前、風邪を退かない限り、毎晩呑んでいる。

今の時節は、日本酒の時もあれば、ビールにする時もある。

熱帯夜が予測される時は、純米酒の辛口を冷やして頂いている。
小瓶の300mlの日本酒の瓶を利用して、私の好きな純米酒を入れて、冷蔵庫で冷やしておく。

ぐい呑みをその日の気持ちに応じて、
選定し、このぐい呑みを注(そそ)ぐ・・。
辛口の酒が口に含み、舌触りを味あう。

脂っこい料理の時は、やもえずビールを呑んだりしている。

冷酒は口あたり、舌触り、喉越しに良く、自制心のない私は呑み過ぎるのが悩みの種である。

私は家内と結婚当初、ビールの日は大瓶2本、
日本酒の日は弐合までと約束したが、守れない日もある。
特に休日前は、つい規定量を超えてしまう。

最近はビールの日は、中瓶1本程度が適量となったが、
純米酒の辛口の日は、相変わらずボーダー・ラインを超えることもある。


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昨夜、NHKのパリ放映・・!?    《初出2006.7.18.》

2008-05-02 23:28:54 | 映画・テレビ
昨夜、NHKで11時半より、【世界遺産フランス縦断の旅】に於いて、
パリ・セーヌ川からノートルダム寺院へクルーズ等を放映していた。

昨今の女性キャスターの質も落ちたなぁ、と感じた。

民間の遊びのようなキャスターならば期待の対象外であるが、
少なくともNHKの女性キャスターの質の良さには、
色々と長年にわたり教示させられたひとりとして無念な思いでいる。

民間放送会社の観光案内程度の番組ならいざ知らず、
公共放送の上、放送料金を徴収している自覚が足りない、と思っている。

私はパリには行っていないが、
木村尚三郎・氏の『パリ~世界の都市の物語』、文藝作品から教示を頂いている。

映画の分野に於いても『パリ祭り』、『かくも長き不在』等、
音楽の分野に於き、シャンソンが好きだったこともあるが、
パリの街は私なりに心の片隅に存在している。

このような私なりの思いがあるので、
フランスの中のパリについては、歴史、伝統、文化を多少勉強した上で、
NHKの番組のキャスターを担当するのが責務と思っている。

少なくとも、NHKの先代のキャスターの多くの女史達は、
それぞれのお方なりに切磋琢磨し、知識として吸収し、
お心で整理された上で、何気ない言葉で発露してきている。

私はNHKに対しては、個人的には好きな放送会社であるが、
私が好感している女性と会話をしていた時、
女性の心の薄さ、程度の低さにがっかりした時と同様、と感じたりしている。



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豪雨の想いで・・♪    《初出2006.7.18.》

2008-05-02 23:14:26 | 現役サラリーマン時代の想いで
東京の郊外は、先程まで本降りの雨であったが、
昼過ぎの今は止んでいる。

日中の最高気温が25度以下であって、
この時節に25日ぶりに低温、とニュースで報じていた。

これから再び降りはじめ、強い雨が明日にかけて降る。

梅雨の季節、10年前頃の時、豪雨の中に出勤した時が想い出される・・。


朝、目覚めると風が強く吹いて、雨は強く降っていた。

こうした時はバス、電車は通常通りの運行期待する方が無理なので、
何時もより30分早めに家をでる。

勤務先の最寄駅までは順調であったが、
会社までの川沿いの幅広い遊歩道を歩いていた時、
風は相変わらず強く、雨は横殴りとなっていた。

会社に着いた頃は、10分足らずの道のりであったが、
夏のスーツのズボンは膝頭から足元、靴はびっしょりと濡れた。

私は自分の席に着いて、ハンドタオルで拭いて、
フロアーの通路にある自動販売機でお茶缶を買い求め、
窓辺に寄り、川沿いの遊歩道を見下ろした。

前方の対岸はなだらから丘陵となっている斜面に、
数多くの小さなビル、商店街、そして住宅街から雨水が道路際の排水溝、路上から流れていたので、
川の側面にある1メートル前後の排水口は瀧のような川になだれ込んでいた。

遊歩道の樹木の枝葉は、強く風を受けて、しなっている。

私は、台風の直撃のようだ、と感じながら、煙草に火を点(つ)けた・・。

そして席に座り、業界紙を読み始めた。

始業時の25分前だった。

10年前頃の職場の状景としては、私のように振舞う人が、各部署で数人はいた。

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白いユリの想いで・・♪   《初出2006.7.17.》

2008-05-02 23:12:13 | 幼年・少年時代の想いで
先程、夏の草花の本を於いて、
テッポウユリの白い花が掲載されているのを見ていて、幼年期の頃が想い出された。

小学二年生の初夏の頃、昭和27年だった。
祖父と父が亡くなる1年前だった。
農家であったので、宅地の外れの畑との境界に草花を十坪ほど植えてあった。

この頃のある程度の農家は、仏壇、お墓に飾る花は、殆どその家の草花でまかなわれていた。
この夏の季節になると、ダリヤ、グラジオラス、カンナ、ホウセンカ、ケイトウ、ヒマワリ等があり、
そして橙色のスカシユリと白のテッポウユリがあった。

東京の郊外でどの家でも咲く花であった。

私は花の好きな叔母に教えられて、球根を並べてたりした。

ユリに関しては、橙色の花は何となく野暮ったい感じがして、
白い花は上品な感じがしていた。

小学四年を過ぎた頃、祖父、父が亡くなった後、
男手を失った農家は衰退となり、子供でも貧乏になったと実感し、何かと屈折したりしていた。

母方の実家の叔母が来宅した時、
都会の裕福なお方の人であったので、子供の私さえ、気後れしていた。
このお方は、未婚の女子大の四年生だった。

レースのついた日傘、水色のツーピース、ハイヒール・・私には眩(まぶ)しかった。

私は母の許しを貰らった後、
このお方のお土産として白いユリを五本切って、
母に包んでもらった。

この花だったら、都会の上品に通用する、と私は思っていた・・。

私は二十歳を迎えるまで、都会に対しては羨望と気後れが何かとあった。

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静寂な昼下がりのひととき・・♪    《初出2006.7.17.》

2008-05-02 23:10:01 | 定年後の思い
東京の郊外は、霧雨の一日となっている。

梅雨前線の影響で、気温も27度前後に下がり、
湿度が多少あるが過ごしやすい昼下がりとなっている。

山陰、北陸の地方をはじめとする各地に豪雨による災害が報じられているが、
お気の毒で雨もほどほどに、と思うほかできない無力な私である。

玄関庭の軒下で煙草を喫いながら、紫式部(ムラサキシキブ)のたわわな淡いピンクの花、
紫露草(ムラサキツユクサ)の群青色になった花色を見たりしている。

自然は美しくもあるが、ときには思いがけずに残酷なほど牙をもらたす、
と改めて考えさせられる時であった。

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霧雨の降る日・・♪    《初出2006.7.17.》

2008-05-02 22:53:50 | 定年後の思い
東京の郊外は、早朝から霧雨が降りしきっている・・。

この中で、アメリカ芙蓉(フヨウ)は淡いピンク、白い花が8輪ほど咲いている。

昨日、家内が実家に12日の早朝より行っていたが、
夕方に戻り、夕暮れの6時過ぎから私なりの酒宴となった。
鰹(カツオ)とイカの刺身を誉めて、冷酒の辛口を呑んだりしていた。
家内の母は私より14歳上であり、独り住まいであるが、
心身とも健在である、ことなどを家内と話し合っているうちに眠くなった。

8時前であったが、布団にもぐり寝付いた。

深夜、目覚め、藤原正彦・氏の『父の威厳 数学者の意地』の続きを読み始めて、
早朝の4時過ぎに読了し、
あわてて消灯し、朝寝となった。

9時過ぎ目覚め、冷やした煎茶を呑んだ後、
霧雨の中で咲いているアメリン芙蓉の花を見詰めた・・。

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『想い出がいっぱい』・・♪    《初出2006.7.16.》

2008-05-02 22:51:38 | 音 楽
東京の郊外は、午前10時過ぎから小雨が2時間ばかり降った・・。

私はここ一週間、真夏日の続いたせいか、早くも夏の疲れを覚えている。

このような時、一枚のCDをセットした。
『想い出でいっぱい』と題されたクラシックの名曲のオムニバスである。

平成8年(1996年)の夏に発売された企画商品のひとつである。

『庭の千草』、『ユーモレスク』、『ドナウ河のさざなみ』、『埴生の宿』、『ダニー・ボーイ』、
『時の踊り』、『スケーターズ・ワルツ』、『ドリゴのセレナード』、『愛の喜び』、
『トロイメライ』等で全15曲である。

このような曲を聴いていると、その一曲に於いて初めて聴いた時、
中学生、高校生、大学中退、その後の時代が鮮やかな想い出される。

『トロイメライ』を初めて聴いたのは、19歳の奥手であったが、
世の中にこのような美しい音楽があったのか、感動したりした。

『埴生の宿』は、市川 昆・監督の『ビルマの竪琴』を小学五年の時、
映画館で観ていて、涙をたたえて、この曲の合唱を聴いていた。

それぞれのお方に、ひとつの名曲はその時代過ごされた想い出と共に、心の奥に秘めている、
と思ったりしている。


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過疎地と都心・・♪ ~雪解けの匂い~

2008-05-02 22:49:30 | 時事【社会】
過疎地と都心・・♪ ~雪解けの匂い~
今朝の読売新聞で、【本のソムリエ】という定期特集記事があるが、
今回のひとつのテーマとして《過疎地に住む娘》があり、私はひどく興味があった。


記事を転記、引用させて頂きますが、一部要約致します。

【問い】
過疎化が進む瀬戸内の島に暮らしています。
娘の通う中学は二年後に統合され、銀行も県の出先機関も撤退しました。
何故こんな地域に生まれたかと投げやりになる娘へ送る一冊はありませんか。

         (山口県 主婦よみちゃん 46歳)


【回答した人】作家・井上荒野・女史

・・私もそういう島に生まれたかった。

・・娘さんは「友達も少ししかいない。
デパートもないし映画館もない、
こんな不便でつまらない島に?」
と怒るでしょうね。

でも、今彼女が「ない」と思っているものは、
もう少し大きくなって、どこか別の場所へ行けば手に入ります。
一方で、故郷というものは、どうしたって新しく手に入れる(取り替える)ことは出来ません。

私の夫は東北生まれなのですが、
「雪解けの匂い」のことをよく言います。
雪が解けて、土が顔を出すと、その匂いがして、
「ああやっと春が来ると思ってわくわくした」と。

今、私達は東京に暮らしですが、
たまに雪が降ると「この匂いこの匂い」
と懐かしそうにしています。

・・東京で生まれ育った私にも「故郷」の記憶があります。
12歳まで住んでいた団地の、妙に人気のない真昼の途方に暮れた感じとか、
両親と一緒に外食で初めて食べたロシア料理とか。

・・夫がしばしばうっとりと回想している彼の思い出と比べると、
私のは、何か弱々しくて儚(はかな)い感じがします。

私の思い出が、一枚の写真か絵みたいなものだとすると、
夫のは、一匹の生きものみたい。
力強く、躍動していて、今でも夫の中で「生きている」みたい。
この印象は、やっぱり、自然というもののの奥深さ、物凄さと関係しているのではないかと思います。

・・大江健三郎・氏の『芽むしり 仔撃ち』を採りあげ、
・・
「僕は自分の少年期の記憶を、
辛いものから甘美なものまで、
素直な形でこの小説のイメージ群の中へ解放することが出来た」
という著作の言葉があります。

・・まずお母さんが読み、
その島てしか手に入らないものがあることを、
教えて下さい。


長らく引用、要約をさせて頂きましたが、
故郷しかないものがある、
と回答者の井上荒野・女史は発露している。
私はこの言葉をここ1時間ばかりしこうしている。

私はこの欄でたびたび綴ってきたが、
東京の郊外の農家で生を受け、
小学生の幼年期まで田畑、雑木林で育ち、
本といえば農協の薦める『家の光』しかなかった。

都心のサラリーマンの方達が実家の周囲に家を建て始めた昭和30年頃、
この中の一組の家庭で転校生がいて、
この家に遊びに行った時は、子供心にも価値観がひどく揺すぶられていた。

都会の子供、親達は文化住宅に生活し、
過ごされる日常生活を見るたびに、私は劣等感に苛(さいな)まれた。

このような思いがあるので、
農家の良い面、辛さを感じたりしたが、
今から振り返ると、貴重な時が過ごせ、
深い思いが私の心の片隅にいつも存在している。

私がたびたび幼年期を綴っているのは、このような体験があり、
心の底からあふれ出る自身への心の便りでもある。

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曇り空の朝を迎えて・・♪   《初出2006.7.16.》

2008-05-02 22:47:22 | 定年後の思い
東京の郊外は、曇り空であるが蒸し暑い28度の気温で朝を迎えている。

日中は30度を少し超える程度のあるので、ここ数日よりは過ごしやすい、
と天気予報を観ながら思ったりしている。

外気を入れ替える為に戸を開け、冷やした煎茶を飲んだ後、
庭先に下り立ち、アメリカ芙蓉(フヨウ)の白い花、淡いピンクの花が
6輪ばかり咲いているのをしばらく見詰めた。

特に白い花は宗旦木槿(ソウタン・ムクゲ)より大きめの花を思わせるが、
品種自体が親戚だからだろうと思っている。

昨今、社会の不快な出来事に憂いているが、
この白い花から慰めを頂いている。

こうして私は心の浄化を図っている。

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豪雨の後、陽光となり・・♪    《初出2006.7.15.》

2008-05-02 22:45:09 | 定年後の思い
東京の郊外は、午前中は快晴で猛暑となった・・。
36度前後の真夏日となり、平年より9度前後超えている。

家内が実家に行っているので、台所で皿洗いをしている時、
にわかに空は暗くなった。

そして私は、家内の作ってくれた鶏肉を温めた後、
居間のテーブルでビールを呑みながら頂いている時、
雷鳴が響き渡った・・。

稲光が空から地上にかけて切り開き、五、六回見せた後、
風が吹いてきて、そして大粒の雨が強く降って来た。
主庭の樹木の枝葉は、風でしなり、30メートル先は豪雨で遮(さえぎ)られた。

地上は水溜りとなり、台風以上だね、と私はつぶやいた。

その後、風は微風となり、小降りとなった。
気温も急激に5度近くさがった感じを受けた。
この間、30分程度であったが、劇的な情景であったので、
見惚れていた・・。

その後、簡易ベットに横たわり、本を読みながら寝付いた。

1時間ぐらいで目覚めた後、主庭の樹木の枝葉は濡れてはいたが、
陽射しを受け、気温は上がってきた。


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短期大学生は、短気な人・・?!    《初出2006.7.15.》

2008-05-02 21:58:57 | 幼年・少年時代の想いで
私が小学二年で、昭和27年の晩秋の時だった。

通学の途中、遠い親戚のお姉さんに逢い、駅前まで一緒に行くことになった。

お姉さんは、スカーフを首に巻きつけて、
ワンピース、そしてハイヒールを履いて、
子供心に《かっこいいお姉さん・・》と感じた。

『お姉さん・・XX短期大学の二年生になったのょ・・』
と言った。

『ほんとぉ・・』
と私は答えた。

駅前でお姉さんと別れ、小学校の校門に向かった時、
《お姉さん・・短気な人に見えねぇ・・
けど・・女の人って・・分からないょ・・》
と私はつぶやいた。



☆このサイトに昨年の一月に投稿した原文を加筆した☆

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猛暑の日が続いて・・♪    《初出2006.7.15.》

2008-05-02 21:54:59 | 定年後の思い
東京の郊外は、快晴の朝を迎えている。

ここ数日、真夏日が続いて、昨日は35度の猛暑となった。

このくらいの暑さになると、居間のクーラーを27度に設定し、
冷気の中で読書をしたり、音楽のビデオ・テープ、DVDのライブ盤を観たりしていた。

テレビでニュース、天気予報を観たりしている時、
日本の各地で猛暑の状景を報じている。

オフィス・ビルなどで冷房完備でお勤めの方達でも、通勤の往復等でも疲労するが、
外が職場にされる方達と大変な職場環境と思ってしまう。

昨日、私なりに疲れていたので、夜10時過ぎには熟睡した。

今朝、5時に目覚め、戸を開けると、朝の陽がまぶしかった。
日中、猛暑を予感させる陽の強さであったが、
芙蓉(フヨウ)の白い花、淡いピンクの花が慰めてくれる・・。

今日も外出さけて、冷気の中で音楽を聴いたり、
読書をしたりして過ごす予定である。

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湧き水の想いで・・♪    《初出2006.7.14.》

2008-05-02 21:52:51 | 幼年・少年時代の想いで
東京の郊外の私の住む周辺には、昭和30年の頃までは湧き水が見られた。

昭和28年に父,祖父が亡くなるまでは、農家をしており、程ほど広い田畑を耕していた。
田圃(たんぼ)の一帯の脇に蓮専用の田圃があり、
その付近に湧き水があった。

湧き水の周囲は、いつも小奇麗に手入れがされており、ミソハギが植えられていた。

夏のお盆になると、仏間の仏壇は閉じられ、
位牌等が座敷の一角に、四方を竹で囲み、真新しい茣蓙(ござ)の上に移行されて、
蓮の花、淡いピンクの咲いたミソハギが飾られていた。

私は湧き水を観るのが好きだった。
春の季節であっても、冬の時節に於いても
淡々と湧き出る水を不思議そうに眺め、飽きることがなかった。


小学五年生の頃、下校の途中で廻り道をしている時、
雑木林の斜面を下り立った処に池があり、その端に湧き水があった。
この家の主人と思われる老人が池を眺めていた。
私がときたま通る時、よく見かけていた・・。

『池のある処の・・お爺さん・・いつも難しそうな顔しているなぁ・・』
と私は友達に話したりしていた。

後年、私が高校に入学し、小説を読みはじめた頃、
本の中に、このお爺さんの写真があり、
武者小路実篤、と付記されていたのには、
私は驚いていたりした。


私が結婚した後、家内と湧き水を観に旅行をしたりした。
富士山の伏流水が湧き出る三島郊外の柿田川、
或いは忍野八海の湧き水を観に行ったりした。

三島市の近くにある国道一号の脇の湧き水は、
壮大な眺めであったが、馴染めなかった。

伊豆地方の湯島に宿泊した時、湯ヶ島にある山葵(わさび)が植えられている処があり、
杉木立の斜面の外れに湧き水があった。
小さな湧き水が四箇所あり、淡々と湧き出て、小川となっていた。

私は小さな湧き水が好きであり、
私の小学低学年に観た実家の湧き水を思い出し、
心のふるさとを求めているのかしらと思ったりしている。




☆このサイトに昨年の5月に投稿した原文を大幅に加筆した☆

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