夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

良質な企業広告は、文化を教示・・♪   《初出2007.2.20.》

2008-05-09 22:12:31 | 時事【社会】
私は新聞、月刊誌などの広告を良く見る。
テレビに関しては、殆どNHKであるが、
ときおり民間放送を視聴すると、程度の低い劣悪な広告が多いと思っている。

企業広告としては、以前からはサントリーが好感しているが、
最近はFUJI XEROXの広告に感心して折、
まぎれもなく日本の文化を教えてくれる。

無断であるが、私が感心したこの企業広告を転記させて頂きます。


題して【多才な紙、多彩な数え方。】


ハガキは【一葉(いちよう)】

葉のように、手のひらにのる大きさで、
薄くてヒラリと落ちていくことから生まれた数え方。
投函したら『一通』に変わります。


このような解説が明示されており、
掛け軸は【一幅(いっぷく)】

紙吹雪は【一片(ひとひら)】

手帳は【一帖(いちじょう)】

新聞は【一部(いちぶ)】

祝儀袋は【一封(いっぷう)】

地図は【一舗(いちほ)】

巻物は【一巻(いっかん)】

本は【一冊(いっさつ)】


と表示されていて、解説が程よく明示されている。


私は改めて教示を受けたりして、企業広告といえども感銘している。


尚、余談であるが、私はサントリー、FUJI XEROXの会社には、
全く関係のない日本古来からの文化を愛してやまない国民のひとりである。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひな祭りのひし餅の想いで・・♪    《初出2007.2.19.》

2008-05-09 22:07:50 | 幼年・少年時代の想いで
東京の郊外は曇り空から9時過ぎになると、
快晴となり庭に陽射しが差し込んできた。

満開の白梅、日本水仙に早春の柔らかな光を受けて、
私はぼんやりと主庭の彩(いろど)りを見詰めたりした。

このように静寂の中、ゆったりと過ごしてよいものか、と思ったりした。
私は現役時代は激務で、退職後は陽射しの移ろいを眺めながら一日を過ごすのが夢だったので、
こうして夢が叶(かな)い幸せのひととき甘受している。

3月の雛祭りの雛人形は、本日に飾りつけする日だったと想いだされた・・。


祖父、父が健在だった昭和27年の頃、
私の妹の2人用に母の里から頂いた五段飾りを蔵から父が出してきて、
母が丁重に並べていた。

私は小学2年生であったが、
菱餅(ひしもち)の形と三色を珍しく眺めたりしていた。

私の家は、祖父と父が健在の時は農家をしていたので、
もち米を精米に出して、餅を付いて、やがて菱形にしていた。


先程、知識人・藤野邦夫の本で調べたりしていた。



菱形になった理由がわからないが・・・
初期の菱餅は草色だったが、江戸末期になって、
真ん中の1枚が白くなり、更に明治時代になってから、
上の1枚に小豆(アズキ)で色をつけて、
今のような桃色に仕上げるようになった。

これには、
『1枚目の紅は桃の花、2枚目の白は雪を、3枚目の緑は若草を表わす』
という、うがった解釈もなされている。



以上、無断であるが引用させて頂きました。


私はこの年になって初めて知ったが、どうして菱形になったのかしら、
と考えたりしている。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

早春の香りにつつまれて・・♪    《初出2007.2.19.》

2008-05-09 22:02:13 | 小庭の情景を眺めながら
一昨日の夕刻、温泉滞在旅行から帰宅すると、白梅、紅梅は満開となっていた。

まもなく小雨が降りだして、夜の間も降り続いていた・・。
昨日の早朝は、本降りとなり、白梅、紅梅の満開の花が雨を受けているが、
こうした中でも小鳥は飛来して、白梅、紅梅の蜜を吸ったりしていた。

我が家の白梅、白玉椿、紫木蓮は、莟(つぼみ)の時節に、
小鳥達の飛来して三割方ついばまれている。
白梅は満開であるが、こうしたついばまれた莟は無くなっているので、
枝だけが残っている変形となったりしている。

昼下りから急速に回復して、陽射しが差し込んできた。

早春の柔らかな陽射しの中、白梅、紅梅、藪椿が咲き誇って、
地上には日本水仙がたんたんと咲いている。

今朝、曇り空の朝を迎えたが、昼過ぎから快晴となり、12度前後の早春に相応しい一日となる。

こうして早春の花につつまれていると、旅行の疲れか、
少しぼんやりとしている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奥飛騨温泉滞在記 【下】 【2007.2.12. ~ 2.17.】

2008-05-09 18:43:21 | 
   第6章  雪の舞い降る『飛騨高山』往還・・♪

15日(木曜日)の新平湯は、小雪が舞い散る朝だった。

私達3人は飛騨の高山の中心街を散策するので、バスに乗り込んだ。
平湯峠を通り過ぎると路面は5センチ前後雪化粧をしており、
高山市の中心部に差しかかると、小雪から雪となった。

朝市を観た後、家内の母は初めての高山観光なので、
屋台会館、日下部民芸館を案内したいと昨夜に家内から聴いていたので、
私達は別れた。

私は全国に唯一現存する郡代・代官役所と称せられた高山陣屋を見学した。
平屋建ての三百坪の周囲に簡素な庭があり、
素朴な趣(おもむ)きの中、雪が舞い降りている。
こうした格調さがない庭なりに、心が和(なご)んだりしたが、
ある反面羨望もあったりした。

その後、雪の降りしきる中、古い街並みの周辺を散策した。
とある木工店に入り、楢(ナラ)の各種の一枚板を見た。

およそ90cm弱の幅、長さは180cm、そして厚さは9cmほどの一枚板であり、
価格は30~50万円前後であり、テーブルなどに用いると思われた。

私は机の板として、2枚の板を並列に置き、
そのときに応じた板を使い分けることを夢想したりした。

今の私は定年前に購入した机、脇机、そして椅子は広島産の書斎用を30万円弱であり、
パソコンなどを置いて日常使っているが、
この1枚板が2種類置いてみたいと思ったりした。
理想の書斎としたならば、間口2間以上の窓辺となるが、
私には今から増改築する力はなく、夢と現(うつつ)の世界となるので、
無念ながらの現実である。


その後、街の本屋に行き、陳列してある本が少なく、本棚が見えたりしている。
たまたまご主人と書店の本屋の仕入れなどを話し込んだりした。
私は現役時代レコード会社を長年勤務した関係で、
書店と卸の関係を何かと参考にしてきたので、
あれこれ話し合ったりした。

その後、街通りでジャージ姿の女子中学生の30数名を見かけた。
多分、修学旅行と思われ、みたらし団子を食べながら、ときおり歓声をあげながら、
雪の降りしきる中を歩いていた・・。
私はあの頃の時代、他愛も無く明るく過ごした時もあったかしら、
と思い返し、苦笑したりした。

駅前で簡素な飛騨蕎麦を食べた後、
バスを待つ間、付近の和菓子屋に入り、抹茶と和菓子を頂いた。
『語り部(かたりべ)』という和菓子であったが、
呑兵衛の私でも奥行きのある和菓子だと感じられた。


帰路のバスの車窓からは、強風が伴なう風雪となり、
雪は路上に20センチ前後のなって折、路肩、道路付近は吹き溜まりとなり、
小さな峠道を通り過ぎた時、前方の大型トラックがスリップし、
道路をふさいだりした。
30分過ぎると徐行しながら何とか通過できた後、
風雪は激しく視界が5メートル程となった。

こうした中を1時間ほど乗車していると、
運転していない私さえ、少しはらはらとしたりした。


観光ホテルに戻ると、風呂に入った後、
家内達が無事で戻ればよいが、と思ったりした時、
家内達の声がした。

家内達は帰りのバス・・雪と風で恐かったくらい、
と話しかけてきた。


   第7章  雪のあとには

早朝の5時前に目覚め、
ロビーで温かいベツトボトルの煎茶を飲みながら煙草を喫ったりした。
窓辺からは、昨日の雪の名残りで銀世界となっていた・・。

昨日、飛騨高山を訪れたが、心のふるさと、と街中で観られたので、
私なりに想いだされた。


確か昭和43年の頃だったか、
小説家・立原正秋が随筆した『心のふるさとにいく』を甦(よみがえ)ってきた・・。
この随筆は、JTBの発刊する月刊雑誌の『旅』の中で連続に掲載され、
飛騨高山を取り挙げており、私の若いころ影響を受けたりした。
編集長が岡田喜秋という後に紀行作家であり、
この随筆の『心のふるさとにいく』のタイトルを命名し、
小説家・立原正秋の独自性の名文で私なりに心に残っている。


軒下に数多くの氷柱(つらら)が朝の陽射しを受けると、
わずかに雫(しずく)を落としている。

つららあと ためらいながら 落ちてゆく

このような拙(つたな)い俳句の真似事を詠(よ)んだが、
歌を詠む素養がなく、自分ながら赤面したりした。

日中、家内の母は館内でのんびりするので、
家内と快晴の中、飛騨高山に出かけた。

行きの道路周辺は、昨日の雪の名残りが観られたが、
市内は雪が消え去り、帰路は峠道周辺あたりだけ雪が残っていた。

飛騨高山は私の好きな地酒を買い求め、
家内と和菓子屋、お土産屋と6軒ばかり廻ったが、
私は素朴な『とちの実 せんべい』に魅了されて買い求めた。
この包装紙には、昔なつかしい手焼の味・・飛騨銘菓・・金龍堂と明示されていた。

夕食の時、旅の最後となるので、骨酒を頼んだ。
小ぶりの岩魚(イワナ)を焼いて、人肌より少し温めた参合前後の地酒に、
どんぶりに岩魚が浮いて折、香ばしい香りがする。
このような戯(たわむ)れのお酒を呑みながら、夕食を頂いたりした。



   第8章  山里の春を思えば

帰路のバスを待っている間、
私達はコーヒー・ラウンジで窓辺の席に座った。

私は煙草を喫うので、少し離れた席に座り、前方の里山に目を転じた・・。

山里の春は遅く、やがては梅が咲き、そして桜も咲くだろうが、
その前に蕗(フキ)、蕨(ワラビ)、薇(ゼンマイ)等が
土から芽生え彩(いろど)るだろう・・。

こんな思いに馳(はせ)ると、

花をのみ まつらんひとに
     山ざとの 雪まの草の はるをみせばや

歌人・藤原家隆が新古今集で詠まれた歌を思い出された・・。

旅の終わりに、山里に心を託(たく)せば、
こうした時代を超越した名歌のひとつに心を寄せたりした。


今回、奥飛騨温泉郷の新平湯温泉に5泊6日で滞在し、
8回に急遽綴ったが、のちに旅の想いが甦ってきた時に、
ときたま綴ると思う。
旅の魅力は、こうした余情、余韻があるのも齢を重ねた今でも、
私の心をなごませてくれる。



   最終章  旅の終りは、梅の花は満開となり

12日(月曜日)より5泊6日で奥飛騨温泉郷の新平湯温泉に滞在した。

家内の母と私共夫婦の3人は、団体の現地直接のツアーにむ参加して、
先ほど帰宅した。

門扉を開けると、白梅、紅梅が満開となっていた。
煙草を玄関庭で煙草を喫っていると雨がぽっりと降ってきた・・。

ほんの5泊の旅であったが、我が家の庭に於いても、
樹木の移ろいは春の気配が漂(ただよ)っていた。




にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奥飛騨温泉滞在記 【上】 【2007.2.12. ~ 2.17.】

2008-05-09 18:33:42 | 
   序 章  本日より、奥飛騨温泉に滞在

私達夫婦は家内の母と3人で、温泉滞在旅行に5泊6日で行く。


20数年前、団体観光ツアーを利用して、
私達夫婦は6月の時節に、新宿からL特急で松本に行ったのを思いだしている。

松本からは周遊観光となり、木曽地域を観て、下呂温泉に宿泊した。
翌日は高山市を観て、里村の平湯温泉に泊まり、
上高地を散策した後、松本に戻った2泊3日の旅行だった。


今回は、温泉滞在地に直行するバスの団体観光である。
家内の母を迎えに行くので、早めに起きだしている。

雪降る里村の温泉地に滞在し、周囲を散策したり、高山市に出かけたり、
穂高ロープ・ウェイで北アルプスの情景に期待している。
しかし暖冬の折、現地の天気予報を見たり、
宿泊先の観光ホテルに電話で確認したが、
雪の状況が予測が付かないでいる・・。



   第1章  旅のはじまりは、めかぶ風のきんぴら

家内の母と私達夫婦は、ときたま温泉滞在旅行に行く。

この温泉滞在の場合は、私は自動車を保有していないので、
多くは旅行会社の団体ツアーを利用している。
交通の便、観光ホテル等の滞在費には、個人で予約するより遥かに格安であり、
気楽に現地まで連れてってくれるプランでもある。

今回は岐阜県の奥飛騨温泉郷の新平湯温泉に於いて、
観光ホテルで5泊6日滞在プランであった。

上野、新宿の集合場所となって、
バスで休憩、食事処に数箇所寄って、現地に赴(おもむ)く。

家内の母が千葉県の八千代市に住んでいる関係で、
私達夫婦は上野に出向き、家内の母と待ち合わせる。
パーラー風の喫茶店で集合時間に調整し、集合場所でバスに乗り込む。
今回、このツアーに参加される方達は、月曜日から土曜日の温泉滞在で、
特にご高齢者のご夫婦の方が多かった・・。

上野から新宿までの道程は、一般道を走破しても都内見物の観がある。

新宿を10時過ぎに出た後は、
中央自動車道を走り、談合坂SAで休憩後、
諏訪市の郊外で食事処で昼食となる。

私は生貯蔵酒を呑みながら、めかぶ風のきんぴらを頂く・・。

食事処の前の広場のベンチで、早春の陽射しを受けながら、
食事処のお土産売り場で地酒とつまみを探した結果、
めかぶときんぴらの珍味の試食が気に入ったので、
このように昼食代わりとしている。

私は旅の折は、
日常生活で余り接することがない地方の食べ物、呑み物を出来る限り頂くことにしている。

その地の風土を学ぶ上、一番大切なことのひとつと思っている。

地酒は諏訪菱友醸造の『至福のひととき』と表示されていた。


   第2章  暖冬、まだら模様の雪景色・・♪

中央自動車道から長野自動車道の松本ICで高速道路を下り、
一般道の野麦街道からの周辺も雪が見られなかった。

安房峠のトンネルを過ぎると、期待通りの銀世界であったが、
まだら模様の雪景色であった。

平湯で休憩後、奥まった山間部の道沿いに新平湯があるが、
20数年前に訪れた限りであったので、どの宿に宿泊したのかは忘れている。

新平湯温泉の観光ホテル『奥飛騨薬師のゆ本陣』に4時に到着した。

入浴後、夕食はいろり風で堀炬燵形式で足が伸ばせるのは良い。
私達のツアーは40数名であったが、閑散期の平日でもあり、
このような和風の大座敷の中、それぞれゆったりと座れ、
私達3人も6人用のテーブルに指定された。

私は食事の際は、テーブルが狭いのは料理の味より優先する性格であり、
ゆったりとした席で地酒、ビールを呑みながら食事をするのが信条としているので、
居心地が良く、私達3人は楽しく頂け、私は地酒の追加をしたりした。

部屋のベランダ風の窓辺から、数百メートル先に里山が観られるが、
冬木立の中、まだら模様の雪景色であった。


   第3章  北アルプスの冬景色・・♪

13日(火曜日)の早朝、里山の頂(いただ)を見詰めると、
柔らかな冬の陽射しが見られた。

私達3人は、高地から展望できる北アルプス連峰を見る為、
新穂高ロープウェイを利用した。

新平湯温泉前より新穂高バスターミナルまでバスで20分前後で行き、
第1ロープウェイの乗車口の『新穂高温泉駅(標高1117m)』から『鍋平高原駅(1305m)』まで乗った後、
第2ロープウェイの『しらかば平駅(1308m)』から終点の『西穂高口駅(2156m)』まで
ロープウェイの車窓から北アルプスの情景が見られる。

1番手軽に高地から山並みが展望出来るので、家内の母に私は勧めた。

20数年前に来た時には、午後3時過ぎの影響下であったので、
山霧につつまれて視界は10メートル前後の悲惨な状況であった。


西穂高口に着くと、マウントビュー千石という4階建ての施設があった。
この屋上が展望台のようになって折、
北アルプスの連山が澄み切った快晴の中で観られた・・。

槍ヶ岳(3180m)が遠方に聳(そび)え、
3000m前後の連山が厳冬の雪を擁(いだ)き、厳粛さを感じる。
そして前方には西穂高岳(2909m)が
圧倒的な威力のように聳(そび)え立っている・・。

この後、私達はコーヒータイムとし、
家内達は下界の熊牧場に行くので別れた。

この西穂高口の周辺は、千石園地となり、
この時節には雪の回廊が係員のお手数で作られている。

暖冬のせいか、積雪は1m前後で20分程度の雪道であるが、
数多くの針葉樹が雪を枝葉に湛(たた)えて、
少女的な視線からはクリスマス・ツリーのように観える。
こうした景観には私は酔いしれる・・。

このような光景に私はデジカメで30数枚撮り、記憶の片隅としたりした。


余談であるが、私達3人が最初に第2ロープウェイに乗り換えた時、
何故かしらか若い女性の係り員がチョコレートを手渡していた。

『あたし・・もらえなかったわ・・』
と家内の母は残念そうに言った。

私は男性ばかりに手渡して折、
バレンタイン・デーでささやかなプレゼントとして解かったので、
家内の母に手渡した。

純米酒を愛する者にとっては、チョコレートは婦女子の食べ物である。



   第4章  されど、『たるまの滝』・・♪

私達が旅行に行く前から、今回の旅行先を家内なりに調べていた・・。

新平湯温泉の付近に、平湯川が流れて折、
夜間のひととき凍りついた川沿いの滝がライトアップされるので観よう、
としていた。

私達3人は夕食後、防寒支度をして、たるまの滝を目指して、
零下の中をとぼとぼと歩いた。

たるまの滝は暖冬の為、凍らず音を激しく立てて流れ落ちている・・。

この後、この平湯川の川底にトンネルがあるので行って見たが、
川幅を横断して造られて折、
途中で観覧しやすいように大きな出窓のように開かれていた。
前方に水量豊かに激しく音を立ててに流れていた・・。

雪解けの時節の折、川幅も川面に大きく変わり、
川沿いの樹木の枝葉の若葉を見せることを想像したりした。

帰路、青年団の方達が、誘導案内のようなことをなさっていたので、
周辺のまだらな雪を観ながら、私は話しかけた。

『このような情景は・・平年ですと・・いつぐらいの季節ですか・・』
と私は訊(たず)ねた。

『3月の中旬前後の状態です。
いつもは雪がこの辺でも・・60センチ前後あるのですか・・』
と快活そうな青年は答えた。

私達は宿泊先に戻り、冷え切った身体を温める為、
お風呂に急いだ・・。

深夜、雨が降りだしてきた。


   第5章  旅先の読書・・♪

私は温泉滞在旅行の折は、数冊の本を携えていく。

寝る前とか、お天気が悪化して、外出しないで館内にうろうろしている時、
最適な友となったりしているのである。

今回は月刊雑誌の『文藝春秋』、
そして長谷川 櫂・著の『四季のうた』(中公新書)の2冊である。

14日(水曜日)は予定通り、雨が降りしきる1日だったので、
観光ホテルの館内でゆっくりしよう、
と私達は話し合ったりしていた。

朝食の前後、大浴場と露天風呂に入れば、
ロビーの隅で煎茶のペットボトムかコーヒー缶を飲みながら、
新聞を読んだりする。

インターネットの設備がないので、『日経』と『地方紙』を読む。
地方紙の場合は、その地の状況が解かる手掛かりなるので、
私は一読している。

この後は、部屋に戻り、布団にもぐり、持参の本などを読んだりしている。

目が疲れると、窓辺から前方の里山を眺めたりしている・・。

雨が一時止んだ後、
山霧が地上付近から湧き立ち、里山の頂(いただ)きに向かって、
上昇しているが、
風を受けて左側にゆるく昇っている。

そのあとは、頂きから空に上昇しているが、雨雲の中に吸い込まれていった。

夕刻になると、夕霧の中、冬木立の情景が心に残ったりした。

こんな堕落した1日であったが、
敗戦後から今日までの小説で百年後でも読まれる小説とは、
などとつまらないことを思考したりしていた。

深夜、目覚めると雪が降りだしてきた。

           
                            《つづく》
にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私がこのサイトに綴る時は・・♪

2008-05-09 17:15:00 | 定年後の思い
私は定年退職後まもなくして、ブロクの世界を知り、
各サイトに綴って、3年半が過ぎようとしている。

私はパソコンの前の椅子に座り、
左横にお盆に載せた煎茶とコーヒーを置いて、
主庭を眺めながら殆ど綴っている。

朝夕で2通ぐらい投稿してきたが、ときとして夜も綴ることもある。

私は夕食の時、原則として晩酌をするので、
少し上気した心情になるので、
夜に投稿した文章も高揚したりして、抑制をなくし失敗作となる事が多い。

昨夜、【今宵は、『熱き心に』を唄いながら・・♪】と題して投稿した後、
1時間過ぎた頃、『削除』しょうか、と迷ったりしたのである。

ブログ系のこのサイトも投稿した後は、
『削除』するまでの間、
地球の周りに飛び散るので、少し怖い時も感じたりしている。

心の中を余りにも素直に綴ると、
ときおり後悔することもあるが、幾つになっても拙(つたな)私であるので、
やむえないと感じたりしている・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅は満開となり・・♪    《初出2007.2.11.》

2008-05-09 16:29:06 | 小庭の情景を眺めながら
東京の郊外は、相変わらず春のような陽気が続いている。

日中は駅前まで買物がてら散策をした。
落葉樹の多い雑木の遊歩道を歩いたが、春の陽気が続いたといえ、
コナラ、クヌギ、ハンノキ等の芽吹きには少し早かった・・。

こうした冬木立の中、白梅、紅梅が満開となり、
遊歩道に彩(いろど)りの光景が観られた。

白梅は冬寒むの凛(りん)としたなかで、純白の花色が魅力だし、
紅梅は暖かさを感じさせ、この季節に時節を教えてくれる花である。

ときたま風が吹くと、白梅の花びらが枝から離れ、
空中に少し舞いながら地上に落下し、散乱している。

帰宅すると、玄関庭の白梅は満開となり、周囲まで花色に染められているようだった。

主庭の白梅は5分咲きとなり庭が明るくなったように思え、
紅梅も3分咲きとなり華やかさ色合いを見せてくれる・・。

先程、夜の玄関庭に下り立つと、煙草を喫いながら、
古人の一首が甦(よみがえ)ってきた・・。

春の夜 闇はあやなし 梅の花
     色こそ見えぬ 香やはかくるる

確か古今和歌集にあったひとつと思ったが、
つたない私は歌人の名が浮んでこなかった。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

温泉滞在の旅行前には・・♪    《初出200702.11.》

2008-05-09 16:26:05 | 旅のあれこれ
明日より家内の母と3人で、奥飛騨温泉に5泊6日で行くが、
家内は旅行バック、衣料、防寒着、靴などを1週間前から少しずつ準備している。

1番困ったのは、防寒に耐える登山靴を用意したが、
暖冬の影響で現地の積雪が平年より少ないと思われたので、
結果として平素の皮製のウォーキング・シューズとした。

先程、私は何時ものように旅行日の前日には、
家内用のインスタント・カメラを買いに行く。
富士フィルムの『写ルンです』であるが、
最近の800プレイアムの5mフラッシュ付きは、
想像以上に綺麗に撮れるので、私は驚いている。

私は定年退職の記念に購入したデジカメを持っていくが、
家内達はスナップ用とし、私のデジカメは風景用としている。

それと忘れてならないのは、家内用の胃腸薬である。
家電の量販店でインスタント・カメラを購入後、
平素に利用している薬局屋さんに寄ったが、
あいにくと品切れであったので、散策がてら駅前まで行き、買い求めた。

胃腸薬といっても何時も愛用している薬に限るので、
こればかりは代替品といかない。
私は、『ガスター10(テン)』という胃腸薬を求めて、
往復2キロの道のりを歩いたりした。

このように他愛のない旅行準備をしている。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京は、雪のない冬となり・・!?  《初出2007.2.11.》

2008-05-09 16:21:30 | 時事【社会】
東京の郊外は、快晴の朝を迎えて折、
日中は14度前後の陽気と予測されている。

私は暖冬となった今年の冬、ため息まじりにこのサイトに数多く綴ってきた。

今朝の読売新聞に於いて、

【 雪の無い冬 *東京・47年ぶり新記録 】

と見出しが掲載されていた。


無断であるが、新聞記事を引用させて頂きます。



東京都心では今冬、10日までに雪が観測されず、
気象庁が1876年(明治9年)に観測を始めて以降、
最も初雪が遅かった1960年(2月10日初雪)の記録を更新した。

気象庁は今後も暖冬傾向が続くと見ており、
初めて雪がまったく降らない冬となる可能性も出てきた。
・・

社会面に於いては、

【 この冬 雪や来ん来ん 】
      【 都心 春夏秋春 】

と見出しが躍って、都心の情景の記事が綴られていた。



以上、読売新聞の記事より、無断であるが引用させて頂きました。


私は落葉樹、草花、食べ物はその時節に応じて、
それぞれの季節を受容するのを意識して過ごしてきている。

野菜などは出来うる限り露地物を愛用している。

このように出来うる限り季節に応じて生活しているつもりであるが、
特に昨年の秋より平年以上に暖かく、
落葉樹のうつろいに戸惑い、或いは空を眺めたりして、
いったい・・どうしたの・・
と呟(つぶや)いたりしている。

私は心身の波長が乱れ、
初物、季節物などという古来からの言葉は死語かしら、
と思ったりしている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『千の風になって』・・。   《初出2007.2.10.》.

2008-05-09 16:15:32 | 映画・テレビ
『千の風になって』・・♪
先程、NHKで午後4時より1時間半のドキュメンタリー番組『千の風になって』を視聴した。

以前、NHKとしてはハイビジョン放送で放映され、
好評だったので、NHK1chで《もう一度みたいアンコール》と称して放映された。

女優・木村多江さんが、以前父親を亡くし、心の傷があり続け、
副題として、愛する人を失って、寄せる思い訪ねて、となって折、
海外を中心にそれぞれの肉親を亡くされ、残された人の思い訪ね歩き、
ご自分も心の救済を頂く・・。

このような番組であった。

私はつい先日に『千の風になって』は初めて知って、
佐保美恵子・著作、新井 満・監修の『千の風にいやされて』の本を読んで、
大いに感銘を頂いたりした。

この本は佐保美恵子さんが、
国内に住まわれる11人の亡くなった人の残された肉親の思いと、
そして肉親の方達が救済されるまでの真摯なルポである。

副題として、あとに残された人々は、悲しみをどうのりこえたか、
明示されているとおり、涙ぐみながら心の癒しを教示を受けたりした。

映像と活字、とらえられた主点が多少相違があるが、
私は幾つになっても、
真摯に人生の岐路にたたされた時の人々からの語らいには、
謙虚に私は学んでいる・・。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

されど、携帯電話『最後の空白地帯』・・♪  《初出2007.2.10.》

2008-05-09 16:11:34 | 時事【社会】
先程、インターネットのニュースを見て、私は苦笑している。

【 携帯・PHP各社、新戦略を模索 最後の空白地帯で攻勢 】

と見出し記事があり、読んでいるうちに笑ってしまった。


私は以前、このサイトで過日『私の10年後のお友達・・!?』と題して、
携帯電話などについて綴ったりした・・。

今回は、産経新聞の配信による記事であり、無断であるが引用させて頂きます。



携帯電話・PHPの合計契約数が1億台を突破し、市場の飽和感が強まり中、
各社は《最後の空白地帯》である子供、シニア、法人の3分野の陣取り合戦に躍起だ。

【シニア】
シニア向けにも目を向けている。
こちらは『シンプル』がキーワードだ。

KDDIの『au』は液晶画面を省き、捜作も『通話』、『切』など漢字で分かりやすく表記。
身近にある固定電話の子機に近づけた。

NTTドコモも、通話の声をゆっくりと聞き取れる機能や文字の拡大機能を搭載し、
より高齢者へと裾野拡大を進めている。

子供・シニアとも、電話をかける回数や時間が限られる傾向があるため、
基本料金を通常よりも低く設定した料金プランも用意するなど、
敷居を低くすることにも知恵を絞る。



以上、配信記事を引用させて頂きました。


私はこのサイトで過日の『私の10年後のお友達・・!?』では、
携帯電話を持たない、使えない身であるが、
10年後の私は多少のボケ対策として、
お子様向けの緊急時には子供の足取りを自動追跡して移動経路を通知する機能が、
私達の夫婦間で必要かしら、と綴ったりした。

これまでの間は、
これといって携帯電話がなくとも不便とも余り感じたことがなく、
電子メールは家でパソコンに向かって、JISのキーボートで綴り、
発信すれば良いと思ったりしている。

私は頑固な性格か、
携帯電話でどうでもいいようなおしゃべりする暇があったら、
言葉、心の勉強として本の1冊でも読みなさいと思っている。

このような理由で、《最後の空白》の特にシニアを加入させるには、
携帯電話の企画されるお方達も大変と思ったりしている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5億円強奪の男に対して、私は・・♪    《初出2007.2.10.》

2008-05-09 16:05:22 | 時事【社会】
昨夜、インターネットでニュースを検索していたら、

【 《5億円強奪事件》時効の容疑者が信金の車襲い逮捕 名古屋 】

と見出しがあったので記事を読んだ。

毎日新聞の配信記事で、松岡洋介、加藤隆博の両記者による記事の内容であり、
無断であるが転記をさせて頂きます。



9日午前9時40分頃、名古屋市中区大須2の愛知信用金庫・西大須支店・駐車場で、
信金の男性職員2人が車からジュラルミン・ケースを降ろそうとした処、
男が拳銃のようなものを付き付け『ケースを置け!と脅した。
男は職員に取り押さえられ、掛け付けた愛知県警・中署員が強盗傷害容疑で現行犯逮捕した。

男は1994年8月、神戸市の旧・福徳銀行・神戸支店で現金輸送車を襲い、
現金約5億4100万円を奪ったとして指名手配された森本喜博・容疑者(56歳)。

・・旧・福徳銀行の現金強奪事件は、
拳銃のようなものを持った2人組が現金輸送車からジュラルミン・ケースを奪い、軽ワゴンで逃走した。
奪われた約5億4100万円は当時、現金強奪では史上最高額だった。

兵庫県警は1999年10月、森本容疑者を指名手配し、
知人のパチンコ店員(1997年11月に自殺)を共犯として容疑者死亡のまま書類送検した。
同県警によると、事件は2002年4月1日、公訴時効が成立している。

森本容疑者は事件直後に韓国に出国するなど出入国を繰り返し、
韓国や香港、グアム島などに滞在。

1995年12月に韓国人名の偽造パスポートで入国し、
静岡県内の知人宅に立ち寄ったり、
1999年末までの約2年間、同県・浜松市内の賃貸住宅に潜伏するなどしていた。

まぶたを二重にする整形手術を受け、
『菅原』、『木村』、『許』などの偽名を用いて逃亡していた。

兵庫県警は時効成立までに、
捜査員延べ約13万人を投入して捜査にあたってきた。

・・退職した当時の捜査1課幹部は、
『(森本容疑者は)海外を含め、あちこちに逃げていたので、
とても苦労した事件だった。
別の強盗事件での逮捕であるが、良かった』
と振り返った。

別の県警幹部によると、
森本容疑者は重い糖尿病を患って折、
捜査本部では病死したのではないかという見方が大勢を占めていたという。
幹部は『悔しい。兵庫県警が逮捕すべき事件だった』とため息をついた。



以上、記事の大半を転記させて頂きました。


私は日本は法治国家であることを知っているつもりであるが、
法律、捜査などは全く解からないひとりである。

私は森本容疑者の男に対しては、
悪質でその上、再度強盗傷害を起こしたので、
取調べの最中、利き腕の一本を複雑骨折をさせて上、
数時間放棄した後、取り調べるが望ましいと秘かに思っている。

捜査に投じた約13万人の労苦を思えば、この程度の身体の痛みは耐えろ、
と思ったりしている。

なぜなら、こうした悪質の男には、
法の理性より具体的な感情行動が有効と思っている。
普段、気弱な私は、ときとして怜悧に思考するときもある。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ときには、大人の恋愛映画・・♪    《初出2007.2.10.》

2008-05-09 15:52:58 | 映画・テレビ
私は東京オリンピックを過ぎた頃、大学を中退し、
映画青年の真似事をしていた時代もあった。

このような生活を1時送っていたので、
定年退職後の3年生の今、洋楽映画に関しては少なくとも5000作品前後を鑑賞したと振り返ったりした。

この中には、恋愛物のジャンルもあるが、
どなたでも人生のひととき、恋心を抱き、
物狂いのように冷静に先が見えなくなる状況を過ごされたと思うので、
こうした人生のある期間を切取った恋愛映画は私は好きである。

私は映画からは人生の教科書のように学んできたので、
大人の恋愛映画はある程度観たりしてきた。

二十歳の頃は、デビット・リーンの『逢びき』(1948年)、
その後はジェーン・カンピオンの『ピアノ・レッスン』(1994年)、
アンソニー・ミンゲラの『イングリュシュ・ペイシェント』(1996年)が代表として甦(よみが)る。

尚、ジェームス・キャメロンの『タイタニック』(1997年)を観て感動した人々は、
あの映画は10代の恋愛であり、
大人の本来の恋愛は、上記に掲げた3作品のひとつでも良いから見て頂きたい、
と思ったりしている。

幸い、今晩のNHKのBS2に於いて、
8時より『イングリュシュ・ペイシェント』が放映されるので、
特に20、30代の男女の方達にご覧になってほしい、
と余計なことを思ったりしている。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨夜は、ひさびさの小雨となり・・♪  《初出2007.2.10.》

2008-05-09 15:46:02 | 定年後の思い
東京の郊外は、昨夜8時過ぎに待望の雨が降ってきた・・。

春のような陽気が2週間近い続いたので、空気は乾燥し切って、困り果てていた。

余りにも湿度が低下し、心身に於いて潤(うるお)いが感じられないからである。


今朝、6時に目覚め、庭先に下り立った。

どんよりとした曇り空であるが、常緑樹の葉は洗われ、落葉樹の枝は雨粒が見られたりした。
土は黒土となり、草花も生き返ったように色彩りを染めている。

数日前、庭に下り立った時、フキノトウを見かけたが、
乾いた空気の中では落ち着きがないと思ったりしていた。

東京の郊外は、朝方はどんよりとした曇り空で暖かく、
午後より快晴となり14度前後の陽気となる。

私の身勝手な思いは、この時節は深夜に雨が降り、日中は寒気の中、凛とした冬晴れが望まれ、
日本水仙、白梅の花が鑑賞できたら、最上と思っている。

この上、小雪が数回降り、3月の初旬を迎えることが出来たならば、
心躍(こころおど)る時節となると庭先、空を眺めたりしている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

風邪ひき、肌荒れ、そして鍋物・・♪  《初出2007.2.9.》

2008-05-09 15:42:14 | 時事【社会】
先程、天気予報を検索していたら、
天気の状況に伴なう指数情報が表示されていた。

冬季としては、『風邪ひき』、『肌荒れ』、『鍋物』の指数が表示されて折、
私の住む東京地域を見ていたら、少し笑ってしまった。

風邪ひきは、80~100%となり、
ここ2週間前後は春のような陽気が続いているので、湿度が低下して折、
私さえ風邪気味となっている。

肌荒れは60~70パーセントとなり、
湿度の少なく、女性の方には天敵と思ったりしている。

鍋物に関しては、40~50%となって折、
平年の冬の寒さであったら鍋物の夕食も良いが、
春のような陽気では・・と笑ってしまっている。

雨がある程度降れば湿度が増し、冬の時節に相応しい寒気になれば、
温かい鍋物が恋しくなると思ったりしている。

いずれも天上の気候の神様にゆだねられている、
と夜空を見詰めたりしている。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする