序章 蓮(はす)の花を誉(ほ)める旅
昨年の今頃、テレビで旅行番組を視聴していた家内は、
総合月刊誌を読んでいた私に声をかけた。
『貴方の好きな蓮の花・・遊覧船で観られるみたい・・』
と言った。
私はテレビを観ると、
数多くの蓮の花が咲いている中を小船がゆっくりと動いていた・・。
番組の最後のテロップには、
館林市『夏の城沼 花ハスまつり』と明示されていた。
私は早速、ネットで検索し、
北関東地方にある館林市の郊外で、城沼(じょうぬま)があり、
蓮の花の咲く時期に『花ハスまつり』の一環として、花ハス遊覧船が運行される、
と理解した。
『来年・・行ってみたいわ・・』
と家内は私に言った。
私は結婚前から、家内に蓮の花をこの世に稀(まれ)な花である、
と常々話していたので、家内がこのような振る舞いにでたのである。
このサイトで私が蓮に対しての想いは、
7月21日に於いて『純白な蓮の花の想いで・・♪』、
そして『されど、蓮、睡蓮(スイレン)、未草(ヒツジグサ)・・♪』
2篇で綴ってきたので、省略するが、
強く深い想いがある。
このような昨年のテレビ放映も観たことがあるので、
今年の5月末に付近の宿泊先を予約したのである。
家内の母を含めた3人で、隣接したつつじが岡公園を散策したり、
城沼の蓮の咲く中を遊覧船に乗船し、花を誉めよう、と3泊4日とした。
蓮の花は短い期間に咲き終わるので、
果たして私にとっては夢の時となるか、
或いは幼児の時に観た再現となるかはわからない。
このようなせつない思いを秘めて、小旅行をしてくるので、
この間は投稿出来ない環境であり、残念ながら、お休みとさせて頂きます。
第一章 蓮(はす)の花を眺めながら
私達夫婦は、家内の母と浅草で合流した後、
東武の特急『りょうもう7号』に乗車した。
家内達は動物好きなので、途中の東武動物園で下車したが、
私は群馬県の最南東の館林の駅に降り立ったのは、10時半過ぎであった。
つつじが岡公園に近くの城沼(じょうぬま)に隣接した宿泊先を決めたのは、
家内が5月の下旬に館林市観光課に電話した結果で決定した。
城沼に最も近い宿泊先は・・、というのは問い合わせで、
それでしたら公共の宿ですが、つづじが岡パークインをご利用されたら、
というアドバイスの結果、ネットで確認後、3泊4日で予約した。
私は駅前からタクシーで向ったが、樹木の豊かな市街地を抜けて、
公園に面した道路を走破した後、
宿泊先に到着した。
私はロービーのソファに座り、周囲を眺めた時、
庭先の遊歩道に沿(そ)った桜の枝葉の並木越しに、
岸辺の葦(あし)の群生に寄り添い、そして沼の中央部まで蓮の葉で覆(おお)われて、
その中から数多くの花が観られた。
薄紅色、紅色、純白色の彩りがあり、
そして莟(つぼみ)、3分咲き、7分咲き、満開もあり、
既に花が終え、蜂の巣のような形になった実もあり、私は呆然と見惚(みと)れた。
その後、レストランの窓際のテーブルで、
ビールを呑みながら昼食を頂いている時も、
沼地の蓮の花を眺めたりしていた。
家内達は昼下りに到着したが、
思ったより・・蓮の花・・近くでたくさん観られるね・・、
と私に言った。
第二章 それぞれ蓮(はす)の花
蓮の花は、早朝に咲きはじめ、昼過ぎに閉じ、
その上に3日ほどの短命な花として知られているので、
私は日の出の5時過ぎた頃には、
浴衣と下駄の容姿でデジカメを持ちながら、
宿泊地のつつじが岡パークインの前方にある常備展示コーナーに通いつめた・・。
この花の咲く頃には、鉢の三尺前後が幾重にも並べられいる。
日本、中国、韓国、アメリカ、ロシア、インド、インドネシアの各国の花が展示され、
紅色の一重、八重、桃色の一重、八重、純白な一重、八重もあり、
中には花びらの白色であるが、花びらの先が薄紅色の彩りした花色があった。
そして莟(つぼみ)、3分咲き、五分咲き、満開となって花々が観られ、
中には既に花が終りを告げ、蜂の巣のように実となっていたのもあった。
パークインの庭園にも蓮の彩(いろど)りが観られ、
私はそれぞれの花に心を寄せて、眺めた後、デジカメに収(おさ)めた。
この後に、私達3人は6時に風呂に入った後、
朝食をレストランの窓辺近くで、
数多くの蓮の花が観られる城沼を眺めながら7時過ぎに頂くのが、
定例行事となった。
第三章 蓮(はす)の花を眺めるクルーズ
宿泊地に隣接した城沼、つつじが岡公園の外れに古城沼があるが、
この時節には『夏の城沼花ハスまつり』と称して、
遊覧船に乗って花ハスのクルーズがある。
解説に寄れば、
【 間近で見る花ハスは優雅に咲き誇り、
もの静かに涼しげに咲くハスの姿が大人気です! 】
と明示され、今年は7月10日から8月12日まで30分の遊覧が楽しめる。
昨年の夏、偶然に家内がテレビを視聴していた時に観た情景である。
私達3人は、8時半過ぎに宿泊地から15分足らずのつつじが岡にある乗船乗り場を目指して、
暑さの増した中、家内達は団扇(うちわ)、私は持参している扇子で扇(あお)ぎながら歩いた。
私達を含めた15名の遊覧船は、操作員の方の解説を聴きながら、
古城沼の蓮の群生を眺め、数多くの花の咲くに見惚(みと)れたりした・・。
薄紅、桃色、紅色、白色の色合いを眺めたりしたが、
蓮根がレンコンと知られている食用品種、単なる鑑賞用となる花蓮とは、
残念ながら私のつたなさでは、区分が出来ず、
心が不満げとなったりしていた・・。
私は幼児の想いでから、純白の花の彩(いろど)りで、
秋に蓮根が食べられる蓮に強く心を引かれているので、
華麗に咲く花を観ても、何かしら実感が湧(わ)かないのであった・・。
されど蓮の花である。
私は夏の花としては、心の浄化を与えたれる随一の花であるので、
心ゆくまま、それぞれの花色に魅了されたりした。
私達は炎天下の中、宿泊地に戻った後、
互いに風呂に入り、浴衣姿でレストランで昼食とした。
お互いに炎天下を歩いたので、少し疲れ、窓辺の城沼の蓮を眺め、
ビールを呑みながら、おしゃべりをした。
1日限定20食の花見弁当蓮づくし、蓮の天ざるうどん、蕎麦を注文し、
その上にハープの天ぷらなどを頂いたりして、
ビールを呑めば、さながら昼の宴会となったりした。
その後、家内達は売店に寄り、
ハスの実の甘納豆、羊羹、そしてハスのクッキーを買い求め、部屋で食べるというので、
私はロビーの片隅で城沼の蓮を眺めながら、煙草を喫ったりした。
そして、ロビーの常設の本棚から一冊を読みはじめた・・。
『明美紅(めいびこう)』、『花曇淡紅(かうんうすべに)』、『天照爪紅(てんしょうつまべに)』、『淡粧(たんしょう)』、
『麗蓉(れいよう)』、『媚愁(びしゅう)』などの蓮の品種を読みながら、
私なりに思いを馳せるのも楽しいひとときである。
この後、別の本を開いていた時、
蓮の花言葉としては、『救ってください』、と明記されていたので、
私は微笑みながら、苦笑したりした。
第四章 蓮(はす)の花のうつろい
宿泊地の外気は、35度前後の猛暑が続いているので、
家内達は館内でゆっくりし、
私も早朝のひととき、
宿泊先の前方の展示の花を昨日からの移ろいを確認しながら眺めたり、
庭園内の花の色合いを誉(ほ)めたりしたが、
この他は館内で過ごした。
館内を歩いたりすると、部屋の名称に微笑んだりしていた。
『西行(さいぎょう)』、『曙(あけぼの)』、『関寺(せきでら)』、『飛鳥川(あすかがわ)』、
『初霜(はつしも)』、『古城の春(こじょうのはる)』などと命名されて折、
躑躅(ツツジ)の名所として名高い館林の郊外にあるつつじが岡公園があるので、
私は躑躅の品種からとられたと理解したのである。
この間に、布団に横たわりながら、持参した本を読んだりした。
嵐山光三郎・著の『死ぬための教養』(新潮新書)、
そして再読であるが塩野七生・著の『サイレント・マイノリティ』(新潮文庫)の2冊である。
『蓮の花は近くで観るのも良いが・・炎天下では身体によくないので、
こうして窓辺から観る花もいいね・・』
と暑さの苦手な私は、家内の母の高齢も配慮しながら、
家内に言い訳をしたりした。
そして、『明日・・早めに東京に戻り、周辺を少し観光めぐりする・・』
と私は家内に言ったりした。
最終章 旅の終りは、東京クルーズ
館林市の郊外にあるつつじが岡と城沼に隣接して『つつじが岡パークイン』に3泊した朝、
夏の花の蓮(ハス)の花に別れを告げた後、
私たち3人はタクシーで駅に向った。
館林駅から東武の特急の『りょうもう16号』に乗れば、
1時間ほどで東武の浅草駅に着く。
緑ゆたかな館林の郊外から一転して、喧騒につつまれた浅草の街を歩くと、
猛暑もさることながら、戸惑ったりした。
私は日除けの帽子を深めに被(かぶ)り、サングラス、
そして扇子を扇(あお)ぎなが歩いた。
家内と昨夜打ち合わせをして、浅草から隅田川を水上バスで下り、
日の出桟橋からはお台場クルーズ称された遊覧船でお台場の海浜公園まで行き、
昼食と散策をすれば、
という案の結論とした。
家内の母はもとより私達夫婦もここ10数年は未知の世界であったので、
急速に変貌したこの周辺の情景を楽しめる、
と考えたまでであった・・。
浅草の船着場で乗船時間まで、売店の近くのベンチに座りながら、
家内達はアイスクリームを食べ、私は地ビールを呑んだりした。
周囲の人々の間から、英語、イタリア語、そして中国語が聴こえたりし、
国際色ゆたかな待合場であった。
遊覧船は隅田川を下ると、吾妻橋、両国橋、墨田川大橋を過ぎる頃から、
幾重の高層マンションが観えたりした。
勝鬨橋は小学生の頃から観たり、浜離宮は数度散策したこともあるので、
少しは懐かしげに観たりしたが、これ以上の感慨はなかった。
日の出桟橋から遊覧船がお台場の海浜公園に向かうと、
苦手なテレビ局が観えた後、レインボー・ブリッジに差し掛かったが、
これが昨今人気のある橋なの、という程度であった。
浅草から隅田川を下ってきたのだが、川の水の汚れが気になり、
風情もなく、私にとっては苦手な景観であった。
お台場の海浜公園の船着場の前に建つ『アクアシティ』の6階で昼食としたが、
店内からの対岸の港区、品川区の街並みの景観だけは魅了させられた。
ただ、高層マンションで常時住む身となれば、
東京の郊外の調布市に住む私の心情としては、
やはり余りにも樹木が少なく、うるおいのない街であった。
帰路の浅草までの隅田川を上(のぼ)る遊覧船で、
昼のひととき、夜景のひとときにお台場からの情景を眺めれば、
私にとっては充分<と余計なことを思ったりした。
帰宅する時、門扉を開けて、階段を上がり、玄関に立つと、
緑ゆたかな樹木の中、玉簾(タマスダレ)の数多くの白い花が出迎えてくれた。
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