夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

秋日和のような爽やかな中、庭の手入れ、と思いながら・・。

2010-10-02 08:01:02 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の66歳の身であるが、
爽やかな朝となり、6時には18度ぐらいとなっている。
そして、昼下がりは23度前後、夕暮れの6時は20度前後が予測されているので、
秋日和のような晴れの中、庭の手入れに最適かしら、と微笑んでいる。


過日の9月18日は、朝の6時は21度、昼下がりは28度、夕暮れの6時は25度、
さわやかな晴れ間の中、
私は久々に孤軍奮闘して、庭の手入れをした・・。

今年の夏は観測史上100年で最も熱い年となり、
私も熱射病で救急車のお世話になりたくないので、
散歩もさぼることも多くも、庭の手入れも数えるばかりの異例の夏の季節となった。

こうした影響でささやかな主庭は、樹木の枝葉は伸び、草も生(は)え放題となっている。

過日の14日に夕方に前景が見えないような激しい雨の白雨(はくう)となり、
夜の9時前後に本降りの強い雨が降り、
16日の私の大切な健康診察の午前中にも本降りとなったりした。

この雨の後の17日には、さわやかな晴れ間となり、
私はスーパーに買物、銀行、郵便局に廻って帰宅したら、
点在していた玉すだれ(タマスダレ)の純白な花が一斉に咲き、
夏に彩った高砂木槿(タカサゴ・ムクゲ)は、わずか数輪咲いて折、
夏の匂いや香りを残している、、
そして紫式部(ムラサキシキブ)のたわわな実は、薄紫色の色合いとなっていた。

しかし、薄紅色も可憐な彩(いろど)りを観せくれる秋海棠(シュカイドウ)は、
無念ながら余りにも猛暑の日が続いたので、わずか数輪が咲きはじめている。


このような情景の中、私は9時半から、昼食抜きで、午後の4時まで、
孤軍奮闘し樹木の剪定、草むしりの庭の手入れをした。

いつものように穿(は)き古した夏用のトレッキング・パンズの長ズボン、ウォーキング・シューズ、
色あせたワイシャツと軍手、そして夏の帽子を被った容姿である。
そして腰のバンドには、西部劇のガンマンのように、
程ほど高価な剪定バサミを革ケースに入れて、樹木の剪定、草取りをはじめた・・。

そしてこの時節でも欠かせない蚊取り線香を周辺の3箇所に於いて、
何時もの蚊よけ対策をしている。


30分も過ぎれば汗がほどばしったが、夏の猛暑の頃を思い浮かべれば、
楽であり、年金生活の今は運動不足の私にとっては、健全な汗と思い微苦笑をしたりた。
そして、ときたまテラスの簡易椅子に腰かけて、冷茶を飲んだり、煙草を喫ったりしていた。

若き30代の後半の時は、体力にまかせて、休日の時に庭の手入れをしていた。
そして40代の半ばの頃は、この頃に流行(はや)っていた
プリンセス・プリンセスの『Diamonds』、『世界でいちばん熱い夏』などを唄いながら、
汗まみれ泥まみれなり奮闘していた。

その後、50代の初めの頃、こうした折はCDラジカセを家の軒下に置いて、
CDを6枚前後掛けながら、草むしりをしたりしていた。
一番聴いたのは、この頃熱中していたX JAPANであった。
労苦の伴う草取りの時は、バラードの曲よりもはハード・ロックの曲が最適と思ったりして、
暑さの中、汗をぬぐいながら聴いたりしていた。

定年退職した数年は、草を抜きながら、あの時はあんなことがあった、
と現役時代の頃の職場の情景、先輩、同僚、後輩の顔立ちが
甦(よみがえ)ったりするのが多かったりした。

ここ数年になると、私は定年退職し年金生活に入った頃の
おぼつかない私の心情を思いだしたりすることが多い・・。
数多くのサラリーマンと同様に、私の現役時代は多忙な時を過ごしたので、
年金生活の最初の6ヶ月の頃は、平日のゆったりとした時のうつろいに、
働くことなくこのような贅沢な時を過ごしても良いのかしら、と思ったりした。

このような心情であったが、私は玉すだれの数多くの純白な花を観て、
微笑んだりしていたせいか、

♪白い花が 咲いていた
 ふるさとの 遠い夢の日

【 『白い花の咲く頃』 作詞・寺尾智沙、作曲・田村しげる、唄・岡本敦郎 】

思わず心の中で、唄っていたのである。

♪さよならと 言ったら
 黙って うつむいてた
 お下髪(さげがみ)
 悲しかった あの時の
 あの 白い花だよ

【 『白い花の咲く頃』 作詞・寺尾智沙、作曲・田村しげる、唄・岡本敦郎 】

私が小学校に入学する前の年、ラジオから盛んに流れていて、
幼児なりに心で覚えてしまい、
その後、白い花を見ると、何かしら鼻歌を小声で唄ったり、
或いは心の中で唄ったりしている。


この後、初夏に彩ってくれた半化粧(ハンゲショウ)と唐糸草(カライトソウ)を
整理し、
アメリカン芙蓉(フヨウ)だけは、種をたわわに付けているので残したりした。
そして、昨年の晩秋に伊予柚子(イヨ・ユズ)が大きく成りすぎたので、
大幅に剪定したので、今年の実りはあきらめいたのであったが、
20個ぐらい実をつけていたので、微笑んだりした。

汗まみれ、泥まみれになったりし、体力の限界を感じ、
風呂に入ったのは4時過ぎであった。


我家は原則として、庭の手入れは私の責務の範疇であるが、
年に数回ぐらい家内の支援がある。

今朝は、庭に蚊が発生することもなくなった時節であるので、
家内は、
『あたしも手伝うわ・・』と私に云った。

こうした時は、私は剪定鋏(ハサミ)を腰の周りに備え、
剪定用の鋸(のこぎり)を持ちながら、樹木に登りながら、適度に枝葉を切り落としたりしてきた。

家内は付近の樹木を高枝鋏(たかえだばさみ)で枝葉を切り落とし、
私は樹木の枝葉を切り落としていたが、地上から、
『その枝の下の方から、切り落として・・』
と家内の声がするのである・・。

私は太い枝は残すつもりであったが、家内の要望を聞き入れ、
剪定鋸をしいたのである。
そして10センチ前後の太さの枝を切り落としたりした。

今の私は年金生活の6年生で66歳の身であるが、
定年退職時の2年前に、先々の体力の衰えを配慮し、樹高は数メートル程度にしょう、
と私は家内と話し合っていた。

この話し合いの直後、樹高は5メートルは遥かに超えていたので、
植木屋さんに依頼して剪定して貰ったのである。

我家の庭は、敷地の変形と家屋の関係で、主庭、玄関庭としたが、
当初、私は若き33歳で程々の年収の身であったので、ローンの重みで、
やむえず雑木が主体とした。

かぼそく頼りない雑木も10年過ぎれば成長し、
私は自己流で枝葉を剪定していたのである。

植木さんに樹高を3メートル前後と依頼した結果、
雑木はまるで丸太棒のような樹形となり、
私達は驚いたが、翌年からはそれなりに芽吹き、美形と成し、
やはりその道のプロと植木屋さんを思い返していた。

このようなことがあったが、樹木の枝葉の伸びは、春から秋まで予想以上に成長し、
ある程度は大胆に切り詰めているのである。

このように小庭の樹木であるが、
ときには日中、庭の手入れに専念しょうかしら、と思っている。


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