私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
昨夜、NHK総合で夜の11時から【SONGS】に於いて、『山口百恵』の特集番組を視聴した。
私は第2回と表示されたので、第一回の放映された番組を無念ながら見逃してしまい、
こうした番組も知らず、
一昨日の5日の深夜に於いて、【山口百恵ちゃん、この日の10月5日はラストコンサート日・・。】
と題して、投稿文を苦心惨澹しながら、投稿していた。
私は少しボケたのかしら、と苦笑したしりした・・。
その後、山口百恵ちゃんに関しては、
確か『秋桜(コスモス)』、『いい日旅立ち』に関して私は投稿していたので、
深夜、読み返したりした・・。
『秋桜(コスモス)』に関しては、昨年の2009年10月15日に於いて、
【山口百恵ちゃんの『秋桜(コスモス)』が街に流れた頃の私の想いで・・。】
と題して、投稿している。
【・・
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の65歳の身であるが、
今朝は爽やかな秋晴れに恵まれた穏やかな秋日和を迎えている。
昼下がり、主庭のテラスに下り立ち、ぼんやりと煙草を喫いながら、秋めいた樹木を眺めたりしていた。
そして雲ひとつない青空、風もなく暖かな秋の陽射しを受けていると、
時が止まったように静寂なひとときが流れ、
私の心の中でひとつの歌が流れたのである・・。
♪淡紅(うすべに)の秋桜(コスモス)が秋の日の
何気ない 陽溜(ひだま)りに揺れている
【『秋桜(コスモス)』 作詞・作曲 さだまさし、唄・山口百恵 】
このような心の中で呟きながら唄ったのであるが、
この後、私は『秋桜(コスモス)』が街に流れた頃を想いだされたのである・・。
確か『秋桜(コスモス)』が発売されたのは、1977(昭和52)年の秋で、
私は前年の春に家内と結婚し、千葉県市川市のはずれにある国府台に住んでいた。
周辺は住宅街の中で、中学、高校、大学の四校があり、付近の丘には由緒る寺もあり、おちついた街並みであった。
こうした中で私達夫婦は、賃貸マンションを借りて新婚生活を過ごしていた。
そして一年半を過ぎようとした頃、この『秋桜(コスモス)』の歌が商店街からも流れていた。
私は、あるレコード会社に1970(昭和45)年から勤め、
この頃の私は本社のコンピュータ専任として孤軍奮闘し、前年のシステム改定が終り、
何とか乗り切れたと安堵していた頃であった。
そして私は住居のことで、いつまでも狭い2DKの賃貸マンションを住むことなく、
分譲のマンション、或いは私の実家に近くに一戸建てにするが、
家内と話し合った結果、一戸建て用の土地の取得と家の建設会社の選択、
そして住宅ローンの交渉などで多忙となり始めた時てあった。
結果としては、私の若気の至りで家の内部に茶室を設けて、私の実家に近くに一戸建てが完成し、
住みはじめたのは翌年の1978(昭和53)年の春であった。
そして計画していた以上の借金をしたので、それまで専業主婦をして茶事などを学んでいた家内は、
働きに出て、共働きとして私達夫婦は悪戦苦闘が数年続いたのである。
この『秋桜(コスモス)』が街に流れた頃は、今から振り返っても歌の全盛期であり、
名曲が揃った時代だった、と思う。
ピンク・レディの全盛期の中で、
岩崎宏美さんの『思秋期』、中島みゆきさんの『わかれうた』、河島英吾さんの『酒と涙と男と女』等が想い出される。
もとより『秋桜(コスモス)』の名曲は、さだまさし氏の作詞であるが、
良き詞を提供してくれたと思っている。
そして翌年の秋に発売された『いい日旅立ち』は谷村新司氏が作詞しているが、
この曲も双璧の名曲である。
改めて山口百恵ちゃんは、恵まれたというより、唄いきったこの方も素晴しいが、
何よりも作詞で綴られたこのお二人の感性に私は脱帽する。
過ぎ去った時の流れは早いが、その時代に唄われ心に残る名曲は、
その時代のそれぞれの方の思い出を蘇(よみがえ)る力が存在する確かなことである。
私はこのようなことを思いながら、かぼそい小さな声で、
♪こんな小春日和の 穏やかな日は
あなたの優しさが 浸みて来る
明日(あした)嫁ぐ私に
苦労はしても
笑い話に時が変えるよ
心配いらないと笑った
【『秋桜(コスモス)』 作詞・作曲 さだまさし、唄・山口百恵 】
と唄ったりした・・。
・・】
そして、『いい日旅立ち』に関しては、
【改めて、山口百恵ちゃんの『いい日旅立ち』が街に流れていた頃の私は・・♪】
と題して、昨年の2009年9月26日に投稿している。
【・・
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であるが、
日中のひととき、ラジオから山口百恵ちゃんの『いい日旅立ち』の唄声が聴こえてきた・・。
この後、私は庭のテラスに下り立ち、煙草を喫いがら、微風が吹く中、
樹木や草花を眺めたりし、秋めいた情景に心身をゆだねたりした。
♪雪解け真近の 北の空に向い
過ぎ去り日々の 夢を叫ぶとき
【 『いい日旅立ち』 作詞、作曲・谷村新司、編曲・川口 真、唄・山口百恵 】
先程、ラジオから流れていた歌が脳裏に残っていたせいか、
私は心の中で唄いだしたのである・・。
この歌は街に流れていたのは、 確か昭和53年の晩秋であったと思われるが、
JRの前身の国鉄時代の新宿駅で『いい日旅立つ』の歌が流れて、
私はプラットフォームで東京駅行きを待っていたのである。
この頃の私は、あるレコード会社に勤め、六本木の本社で情報畑で奮闘していた時代であった。
そして毎月20日の数日は、新宿駅から神田駅に行き、日本橋ある情報処理会社に行っていたのである。
このような時、朝のラッシュ時に山口百恵ちゃんの唄声、或いはメロディーでよく流れていた・・。
♪帰らぬ人たち 熱い胸をよぎる
せめて今日から一人きり 旅に出る
ああ 日本のどこかに
私を待ってる 人がいる
【 『いい日旅立ち』 作詞、作曲・谷村新司、編曲・川口 真、唄・山口百恵 】
私は前方に見える中央線の松本行きの『L特急』の列車が、
始発前の待機の状況で勇姿を見せて折、
多忙な私にとっては、平日にゆっくりと旅行に行けるのは夢のようなことであり、羨望しながら見つめたりしていた。
この年の春に私は家を建てた年であったので、公私共々多忙な中、
住宅ローンなどを含めて一戸建ては何かと出費が多く、私達夫婦は悲鳴をあげながら、
この難局を何とかしなければ・・と家内はパートに出たりし、互いに奮闘したりしていた。
この年の前の2年間は、新婚生活を初めて賃貸マンションに住んでいて、
最初の夏季休暇の時は、『L特急』に乗車し、上野駅から長野電鉄に乗り入れた湯田中駅の終点で下車し、
その後は路線バスで志賀高原の奥地のホテルに2泊3日で行ったりした。
翌年も、『L特急』で新宿駅から松本駅で下車し、
その後は大糸線で簗場駅で下車し、青木湖の湖畔にあるホテルに2泊3日で滞在し、
周辺を散策したりした。
そして、家を建てた当年、殆ど生活に余裕はなかったが、
せめて夏季休暇の時ぐらいと、旅行会社のJTBの格安のパンフレットを見て、
蓼科高原の白樺湖の湖畔にある観光ホテルに2泊3日としたのである。
この時も、新宿駅から茅野駅まで『L特急』を利用した後、路線バスで白樺湖に行ったのである。
このような私達夫婦はささやかな思いでが『L特急』と共にあるので、
ラッシュアワーで混んでいるプラットフォームに立ちすくんで、
前方に観える『L特急』の列車を眺めていたのである。
そして、いつの日にか、平日のゆっくりとした時に、『L特急』で旅行するのが、
私の30代の叶うことのない夢であったが、
その後は洒落た最新鋭の列車に中央本線などは変貌してしまったのである。
私は、『いい日旅立ち』を聴いたりすると、『L特急』の列車が浮かび、
私の苦節の多かった30代の思いでと共に蘇(よみが)り、
年金生活となった今、なぜかしら愛惜を深めたりしている。
・・】
このような投稿文を読みながら、若き私の30代を思い馳せると、
深夜の一時過ぎになり、微苦笑しながら、寝室の布団に向ったりした。
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昨夜、NHK総合で夜の11時から【SONGS】に於いて、『山口百恵』の特集番組を視聴した。
私は第2回と表示されたので、第一回の放映された番組を無念ながら見逃してしまい、
こうした番組も知らず、
一昨日の5日の深夜に於いて、【山口百恵ちゃん、この日の10月5日はラストコンサート日・・。】
と題して、投稿文を苦心惨澹しながら、投稿していた。
私は少しボケたのかしら、と苦笑したしりした・・。
その後、山口百恵ちゃんに関しては、
確か『秋桜(コスモス)』、『いい日旅立ち』に関して私は投稿していたので、
深夜、読み返したりした・・。
『秋桜(コスモス)』に関しては、昨年の2009年10月15日に於いて、
【山口百恵ちゃんの『秋桜(コスモス)』が街に流れた頃の私の想いで・・。】
と題して、投稿している。
【・・
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の65歳の身であるが、
今朝は爽やかな秋晴れに恵まれた穏やかな秋日和を迎えている。
昼下がり、主庭のテラスに下り立ち、ぼんやりと煙草を喫いながら、秋めいた樹木を眺めたりしていた。
そして雲ひとつない青空、風もなく暖かな秋の陽射しを受けていると、
時が止まったように静寂なひとときが流れ、
私の心の中でひとつの歌が流れたのである・・。
♪淡紅(うすべに)の秋桜(コスモス)が秋の日の
何気ない 陽溜(ひだま)りに揺れている
【『秋桜(コスモス)』 作詞・作曲 さだまさし、唄・山口百恵 】
このような心の中で呟きながら唄ったのであるが、
この後、私は『秋桜(コスモス)』が街に流れた頃を想いだされたのである・・。
確か『秋桜(コスモス)』が発売されたのは、1977(昭和52)年の秋で、
私は前年の春に家内と結婚し、千葉県市川市のはずれにある国府台に住んでいた。
周辺は住宅街の中で、中学、高校、大学の四校があり、付近の丘には由緒る寺もあり、おちついた街並みであった。
こうした中で私達夫婦は、賃貸マンションを借りて新婚生活を過ごしていた。
そして一年半を過ぎようとした頃、この『秋桜(コスモス)』の歌が商店街からも流れていた。
私は、あるレコード会社に1970(昭和45)年から勤め、
この頃の私は本社のコンピュータ専任として孤軍奮闘し、前年のシステム改定が終り、
何とか乗り切れたと安堵していた頃であった。
そして私は住居のことで、いつまでも狭い2DKの賃貸マンションを住むことなく、
分譲のマンション、或いは私の実家に近くに一戸建てにするが、
家内と話し合った結果、一戸建て用の土地の取得と家の建設会社の選択、
そして住宅ローンの交渉などで多忙となり始めた時てあった。
結果としては、私の若気の至りで家の内部に茶室を設けて、私の実家に近くに一戸建てが完成し、
住みはじめたのは翌年の1978(昭和53)年の春であった。
そして計画していた以上の借金をしたので、それまで専業主婦をして茶事などを学んでいた家内は、
働きに出て、共働きとして私達夫婦は悪戦苦闘が数年続いたのである。
この『秋桜(コスモス)』が街に流れた頃は、今から振り返っても歌の全盛期であり、
名曲が揃った時代だった、と思う。
ピンク・レディの全盛期の中で、
岩崎宏美さんの『思秋期』、中島みゆきさんの『わかれうた』、河島英吾さんの『酒と涙と男と女』等が想い出される。
もとより『秋桜(コスモス)』の名曲は、さだまさし氏の作詞であるが、
良き詞を提供してくれたと思っている。
そして翌年の秋に発売された『いい日旅立ち』は谷村新司氏が作詞しているが、
この曲も双璧の名曲である。
改めて山口百恵ちゃんは、恵まれたというより、唄いきったこの方も素晴しいが、
何よりも作詞で綴られたこのお二人の感性に私は脱帽する。
過ぎ去った時の流れは早いが、その時代に唄われ心に残る名曲は、
その時代のそれぞれの方の思い出を蘇(よみがえ)る力が存在する確かなことである。
私はこのようなことを思いながら、かぼそい小さな声で、
♪こんな小春日和の 穏やかな日は
あなたの優しさが 浸みて来る
明日(あした)嫁ぐ私に
苦労はしても
笑い話に時が変えるよ
心配いらないと笑った
【『秋桜(コスモス)』 作詞・作曲 さだまさし、唄・山口百恵 】
と唄ったりした・・。
・・】
そして、『いい日旅立ち』に関しては、
【改めて、山口百恵ちゃんの『いい日旅立ち』が街に流れていた頃の私は・・♪】
と題して、昨年の2009年9月26日に投稿している。
【・・
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であるが、
日中のひととき、ラジオから山口百恵ちゃんの『いい日旅立ち』の唄声が聴こえてきた・・。
この後、私は庭のテラスに下り立ち、煙草を喫いがら、微風が吹く中、
樹木や草花を眺めたりし、秋めいた情景に心身をゆだねたりした。
♪雪解け真近の 北の空に向い
過ぎ去り日々の 夢を叫ぶとき
【 『いい日旅立ち』 作詞、作曲・谷村新司、編曲・川口 真、唄・山口百恵 】
先程、ラジオから流れていた歌が脳裏に残っていたせいか、
私は心の中で唄いだしたのである・・。
この歌は街に流れていたのは、 確か昭和53年の晩秋であったと思われるが、
JRの前身の国鉄時代の新宿駅で『いい日旅立つ』の歌が流れて、
私はプラットフォームで東京駅行きを待っていたのである。
この頃の私は、あるレコード会社に勤め、六本木の本社で情報畑で奮闘していた時代であった。
そして毎月20日の数日は、新宿駅から神田駅に行き、日本橋ある情報処理会社に行っていたのである。
このような時、朝のラッシュ時に山口百恵ちゃんの唄声、或いはメロディーでよく流れていた・・。
♪帰らぬ人たち 熱い胸をよぎる
せめて今日から一人きり 旅に出る
ああ 日本のどこかに
私を待ってる 人がいる
【 『いい日旅立ち』 作詞、作曲・谷村新司、編曲・川口 真、唄・山口百恵 】
私は前方に見える中央線の松本行きの『L特急』の列車が、
始発前の待機の状況で勇姿を見せて折、
多忙な私にとっては、平日にゆっくりと旅行に行けるのは夢のようなことであり、羨望しながら見つめたりしていた。
この年の春に私は家を建てた年であったので、公私共々多忙な中、
住宅ローンなどを含めて一戸建ては何かと出費が多く、私達夫婦は悲鳴をあげながら、
この難局を何とかしなければ・・と家内はパートに出たりし、互いに奮闘したりしていた。
この年の前の2年間は、新婚生活を初めて賃貸マンションに住んでいて、
最初の夏季休暇の時は、『L特急』に乗車し、上野駅から長野電鉄に乗り入れた湯田中駅の終点で下車し、
その後は路線バスで志賀高原の奥地のホテルに2泊3日で行ったりした。
翌年も、『L特急』で新宿駅から松本駅で下車し、
その後は大糸線で簗場駅で下車し、青木湖の湖畔にあるホテルに2泊3日で滞在し、
周辺を散策したりした。
そして、家を建てた当年、殆ど生活に余裕はなかったが、
せめて夏季休暇の時ぐらいと、旅行会社のJTBの格安のパンフレットを見て、
蓼科高原の白樺湖の湖畔にある観光ホテルに2泊3日としたのである。
この時も、新宿駅から茅野駅まで『L特急』を利用した後、路線バスで白樺湖に行ったのである。
このような私達夫婦はささやかな思いでが『L特急』と共にあるので、
ラッシュアワーで混んでいるプラットフォームに立ちすくんで、
前方に観える『L特急』の列車を眺めていたのである。
そして、いつの日にか、平日のゆっくりとした時に、『L特急』で旅行するのが、
私の30代の叶うことのない夢であったが、
その後は洒落た最新鋭の列車に中央本線などは変貌してしまったのである。
私は、『いい日旅立ち』を聴いたりすると、『L特急』の列車が浮かび、
私の苦節の多かった30代の思いでと共に蘇(よみが)り、
年金生活となった今、なぜかしら愛惜を深めたりしている。
・・】
このような投稿文を読みながら、若き私の30代を思い馳せると、
深夜の一時過ぎになり、微苦笑しながら、寝室の布団に向ったりした。
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