夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

山口百恵ちゃんの『秋桜(コスモス)』、そして『いい日旅立ち』の私なりの思いは・・。

2010-10-07 19:19:50 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
昨夜、NHK総合で夜の11時から【SONGS】に於いて、『山口百恵』の特集番組を視聴した。

私は第2回と表示されたので、第一回の放映された番組を無念ながら見逃してしまい、
こうした番組も知らず、
一昨日の5日の深夜に於いて、【山口百恵ちゃん、この日の10月5日はラストコンサート日・・。】
と題して、投稿文を苦心惨澹しながら、投稿していた。

私は少しボケたのかしら、と苦笑したしりした・・。

その後、山口百恵ちゃんに関しては、
確か『秋桜(コスモス)』、『いい日旅立ち』に関して私は投稿していたので、
深夜、読み返したりした・・。

『秋桜(コスモス)』に関しては、昨年の2009年10月15日に於いて、
【山口百恵ちゃんの『秋桜(コスモス)』が街に流れた頃の私の想いで・・。】
と題して、投稿している。

【・・
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の65歳の身であるが、
今朝は爽やかな秋晴れに恵まれた穏やかな秋日和を迎えている。

昼下がり、主庭のテラスに下り立ち、ぼんやりと煙草を喫いながら、秋めいた樹木を眺めたりしていた。
そして雲ひとつない青空、風もなく暖かな秋の陽射しを受けていると、
時が止まったように静寂なひとときが流れ、
私の心の中でひとつの歌が流れたのである・・。

♪淡紅(うすべに)の秋桜(コスモス)が秋の日の
 何気ない 陽溜(ひだま)りに揺れている
 
【『秋桜(コスモス)』 作詞・作曲 さだまさし、唄・山口百恵 】


このような心の中で呟きながら唄ったのであるが、
この後、私は『秋桜(コスモス)』が街に流れた頃を想いだされたのである・・。


確か『秋桜(コスモス)』が発売されたのは、1977(昭和52)年の秋で、
私は前年の春に家内と結婚し、千葉県市川市のはずれにある国府台に住んでいた。
周辺は住宅街の中で、中学、高校、大学の四校があり、付近の丘には由緒る寺もあり、おちついた街並みであった。

こうした中で私達夫婦は、賃貸マンションを借りて新婚生活を過ごしていた。
そして一年半を過ぎようとした頃、この『秋桜(コスモス)』の歌が商店街からも流れていた。

私は、あるレコード会社に1970(昭和45)年から勤め、
この頃の私は本社のコンピュータ専任として孤軍奮闘し、前年のシステム改定が終り、
何とか乗り切れたと安堵していた頃であった。
そして私は住居のことで、いつまでも狭い2DKの賃貸マンションを住むことなく、
分譲のマンション、或いは私の実家に近くに一戸建てにするが、
家内と話し合った結果、一戸建て用の土地の取得と家の建設会社の選択、
そして住宅ローンの交渉などで多忙となり始めた時てあった。

結果としては、私の若気の至りで家の内部に茶室を設けて、私の実家に近くに一戸建てが完成し、
住みはじめたのは翌年の1978(昭和53)年の春であった。

そして計画していた以上の借金をしたので、それまで専業主婦をして茶事などを学んでいた家内は、
働きに出て、共働きとして私達夫婦は悪戦苦闘が数年続いたのである。


この『秋桜(コスモス)』が街に流れた頃は、今から振り返っても歌の全盛期であり、
名曲が揃った時代だった、と思う。

ピンク・レディの全盛期の中で、
岩崎宏美さんの『思秋期』、中島みゆきさんの『わかれうた』、河島英吾さんの『酒と涙と男と女』等が想い出される。

もとより『秋桜(コスモス)』の名曲は、さだまさし氏の作詞であるが、
良き詞を提供してくれたと思っている。
そして翌年の秋に発売された『いい日旅立ち』は谷村新司氏が作詞しているが、
この曲も双璧の名曲である。

改めて山口百恵ちゃんは、恵まれたというより、唄いきったこの方も素晴しいが、
何よりも作詞で綴られたこのお二人の感性に私は脱帽する。


過ぎ去った時の流れは早いが、その時代に唄われ心に残る名曲は、
その時代のそれぞれの方の思い出を蘇(よみがえ)る力が存在する確かなことである。
私はこのようなことを思いながら、かぼそい小さな声で、

♪こんな小春日和の 穏やかな日は
 あなたの優しさが 浸みて来る
 明日(あした)嫁ぐ私に
 苦労はしても
 笑い話に時が変えるよ
 心配いらないと笑った

【『秋桜(コスモス)』 作詞・作曲 さだまさし、唄・山口百恵 】

と唄ったりした・・。
・・】


そして、『いい日旅立ち』に関しては、
【改めて、山口百恵ちゃんの『いい日旅立ち』が街に流れていた頃の私は・・♪】
と題して、昨年の2009年9月26日に投稿している。

【・・
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であるが、
日中のひととき、ラジオから山口百恵ちゃんの『いい日旅立ち』の唄声が聴こえてきた・・。

この後、私は庭のテラスに下り立ち、煙草を喫いがら、微風が吹く中、
樹木や草花を眺めたりし、秋めいた情景に心身をゆだねたりした。


♪雪解け真近の 北の空に向い
 過ぎ去り日々の 夢を叫ぶとき

【 『いい日旅立ち』 作詞、作曲・谷村新司、編曲・川口 真、唄・山口百恵 】

先程、ラジオから流れていた歌が脳裏に残っていたせいか、
私は心の中で唄いだしたのである・・。


この歌は街に流れていたのは、 確か昭和53年の晩秋であったと思われるが、
JRの前身の国鉄時代の新宿駅で『いい日旅立つ』の歌が流れて、
私はプラットフォームで東京駅行きを待っていたのである。

この頃の私は、あるレコード会社に勤め、六本木の本社で情報畑で奮闘していた時代であった。
そして毎月20日の数日は、新宿駅から神田駅に行き、日本橋ある情報処理会社に行っていたのである。

このような時、朝のラッシュ時に山口百恵ちゃんの唄声、或いはメロディーでよく流れていた・・。

♪帰らぬ人たち 熱い胸をよぎる
 せめて今日から一人きり 旅に出る
 ああ 日本のどこかに
 私を待ってる 人がいる


【 『いい日旅立ち』 作詞、作曲・谷村新司、編曲・川口 真、唄・山口百恵 】


私は前方に見える中央線の松本行きの『L特急』の列車が、
始発前の待機の状況で勇姿を見せて折、
多忙な私にとっては、平日にゆっくりと旅行に行けるのは夢のようなことであり、羨望しながら見つめたりしていた。

この年の春に私は家を建てた年であったので、公私共々多忙な中、
住宅ローンなどを含めて一戸建ては何かと出費が多く、私達夫婦は悲鳴をあげながら、
この難局を何とかしなければ・・と家内はパートに出たりし、互いに奮闘したりしていた。

この年の前の2年間は、新婚生活を初めて賃貸マンションに住んでいて、
最初の夏季休暇の時は、『L特急』に乗車し、上野駅から長野電鉄に乗り入れた湯田中駅の終点で下車し、
その後は路線バスで志賀高原の奥地のホテルに2泊3日で行ったりした。

翌年も、『L特急』で新宿駅から松本駅で下車し、
その後は大糸線で簗場駅で下車し、青木湖の湖畔にあるホテルに2泊3日で滞在し、
周辺を散策したりした。


そして、家を建てた当年、殆ど生活に余裕はなかったが、
せめて夏季休暇の時ぐらいと、旅行会社のJTBの格安のパンフレットを見て、
蓼科高原の白樺湖の湖畔にある観光ホテルに2泊3日としたのである。
この時も、新宿駅から茅野駅まで『L特急』を利用した後、路線バスで白樺湖に行ったのである。


このような私達夫婦はささやかな思いでが『L特急』と共にあるので、
ラッシュアワーで混んでいるプラットフォームに立ちすくんで、
前方に観える『L特急』の列車を眺めていたのである。

そして、いつの日にか、平日のゆっくりとした時に、『L特急』で旅行するのが、
私の30代の叶うことのない夢であったが、
その後は洒落た最新鋭の列車に中央本線などは変貌してしまったのである。


私は、『いい日旅立ち』を聴いたりすると、『L特急』の列車が浮かび、
私の苦節の多かった30代の思いでと共に蘇(よみが)り、
年金生活となった今、なぜかしら愛惜を深めたりしている。
・・】

このような投稿文を読みながら、若き私の30代を思い馳せると、
深夜の一時過ぎになり、微苦笑しながら、寝室の布団に向ったりした。


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「0円ビジネス」、無知な私は・・。

2010-10-07 13:26:57 | 時事【政治・経済】等
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の66歳の身であるが、
先ほど、ネットでニュースを見ようと【YAHOO! JAPAN】を開き、

《 「店頭無料配布」定着するか  》

と題された見出しに、何のことかしら、と思いながらクリックした。

そしてフジサンケイのビジネスアイが配信した記事と判り、

《 「0円ビジネス」夜明け前 無料配布、収益効果期待外れも 》

という見出しで、私は定年退職後の年金生活で昨今はビジネス感覚も衰えてしまったので、
詳細記事を精読した。

フジサンケイのビジネスアイの西川博明記者の綴られた記事であり、無断ながら転載させて頂く。

《・・
         「0円ビジネス」夜明け前 無料配布、収益効果期待外れも
                        フジサンケイ ビジネスアイ 10月7日(木)8時15分配信

味の素や日本マクドナルドなど食品・外食各社が相次いで
「無料(フリー)」ビジネスに乗り出している。
個人消費が停滞する中、“究極の値下げ”で自社製品の得意客になってもらうのが狙いだ。
無料提供の試みはインターネットが先行しているが、実際の店舗で無料配布する試みは定着するのか。


◆マック「効果あり」

「おみそ汁やお吸い物は無料でおかわり自由、塩おむすびは1個無料」。
そんな無料店「だしカフェ」が1日、東京・有楽町にオープンした。
味の素が日本の食文化である「カツオ節やコンブなどから取っただしの魅力を再発見してほしい」(三輪清志専務)という狙いで始めた。
その上で、「ほんだし」など同社のうまみ調味料の消費拡大を期待している。

日本マクドナルドは昨年7月から、全国の店頭で定期的にコーヒー(通常120円)を無料提供するキャンペーンを展開。
次回は今月15~21日に実施する予定だ。
同社が重点を置いているのが「いかに来店客数を増やすか」(原田泳幸会長兼社長)。
他のコーヒーチェーンより安い自社製品の味を知ってもらった上で、
「ハンバーガーなど他のメニューも買ってもらう」狙い。
実際、同社の業績は過去最高益を更新中で、無料提供も効果ありと判断しているようだ。


◆おかき 一転有料化

ただ、無料サービスが売り上げ拡大につながるかどうかは未知数だ。
ダスキンが展開する「ミスタードーナツ」は創業40周年を記念し、
9月28~30日に全1330店でドーナツ(通常105円)を各店先着300人に無料提供する「大試食会」を行い、
3日間で約120万個をサービスした。
同社は「お客さまへの利益還元が目的」とし、11月1~3日にも第2弾を行う予定だが、
9月の無料配布の売り上げ効果は「プラスでもマイナスでもない」という。


無料提供を取りやめたケースもある。
米菓製造の播磨屋本店(兵庫県豊岡市)は、
2008年からおかきやドリンク類を提供するカフェ「播磨屋ステーション」を東京・銀座など全国7カ所で展開したが、
おかきは8月下旬以降、1皿200円の有料化に踏み切った。
理由は「マナーの悪いお客さまが増えた」(同社)ためという。

無料カフェによる売り上げ効果も「特に増えてはいない」と期待外れの面も。


インターネットに多い無料のビジネスモデルは、
多くの利用客に使ってもらい、その中から有料でも利用する客をつかみ取る形だ。

個人用文書管理システムで日本で約15万人の利用者を持つ米エバーノートのフィル・リービン最高経営責任者は、
「無料のお客のうち、5%程度が有料会員になればビジネスが成り立つような仕組み」と語る。


食品・外食各社の無料ビジネスは始まったばかりで、
収益効果に結びつけるにはまだ試行錯誤が続きそうだ。
(西川博明)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。


私は食品の大手企業の味の素が、都心の有楽町で、
無料店「だしカフェ」として、「おみそ汁やお吸い物は、無料で、おかわり自由、塩おむすびは1個無料」。
サービス店が1日にオープンしたことに驚いたりした。

私は定年退職後、都心の有楽町には一時間ばかりに行ける距離であるが、
新宿のデパートに年に数回に買物をしたり、旅行の時に東京駅を利用するぐらい、
そして友人と懇親会、或いは冠婚葬祭で出掛ける程度で、
都心に通勤していた30年間から、すっかり遠のいている。

従って「店頭無料配布」のサービス利用は、無知である。

このように思ったりしていると、
私の現役時代だった時でも、酒屋から試飲会の招待を受けて、
純米酒から高級な吟醸酒まで、試飲させてもらい、
何かと申し分けなく、程ほどの価格の四合瓶を2本ばかり買い求めたりしてきた。

或いはここ数年でも、国内旅行に家内と共に出掛けて、
街を散策して、酒屋により、ご主人から試飲を進められ、
やはり程ほどの価格の四合瓶を2本ばかり買い求めたりしてきた。

或いは家内と共に和菓子屋により、煎茶か抹茶のサービスを受けながら、
この地の銘菓を頂き、結果として程ほどの価格の和菓子を買い求めたりしてきた。


このような体験からして、無料サービスを受けると、
小心者の私は、お店のまごごろに感謝して購入してきたりしているので、
昨今経済の低迷で確かに厳しい状況であるが、
誰しも無料サービスには弱く、私は提供して下さる店の売上げ向上を、
思わず祈願してしまったりした。


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『何歳から・・おじさん?・・』、私は微苦笑を重ね・・。

2010-10-07 09:41:05 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の66歳の身であるが、
パソコンのトップページは【YAHOO! JAPAN】に設定しているが、
中央の下段には、
《・・
     おやじ、おっさん、おじ様は
                ニッポンの男の称号である

   ときにあこがれられ、ときに疎まれる存在、おやじ。
       これからその門をくぐらんとするアナタに贈る“おやじ学”。

・・》

と表示され、何のことかしら、と私は思ったりして。

この下段に、

《・・
おっさん的行動トップ5

何歳からが“おじさん”か20代女性に人気、
肉食おやじ加齢臭が気になりだしたら、洗顔を変えれば肌は若返る何歳まで恋愛対象になる?
アラフォー世代はアレが好きあなたのおやじ度をチェック
・・》
と明示され、
この人生は、何事も好奇心を失くしたら終わりだ、と私の信条から、
幾つかな課題の中から、こっそりと『何歳からがおじさん?』をクリックした。


【Yahoo! JAPANweb R25】のサイトと思われるが、
《・・
30代からがおじさん…という結果になった今回のアンケート。
あなたは「おじさん」? 「お兄さん」?

「COBS ONLINE」の『【女性編】お兄さんからおじさんになると思う年齢ランキング』という記事に、
ネット上で嘆き、反論が相次いでいる。

同記事によると、20代の女性551名にアンケートをとった結果、

1位 35歳(23.1%)
2位 40歳(22.3%)
3位 30歳(17.4%)
4位 36歳(6.5%)
5位 37歳、38歳(共に3.5%)

となったという。

この結果がmixiニュースで紹介されたところ、
7日8時現在、1916件もの日記に引用されているほか、ツイッターでも話題となっている。
mixi日記を書いたユーザーのコメントを見てみると
「もうおじさんだ(-_-;)」といったように“おじさん”のレッテルを貼られ落ち込む人も多いなか、

「30代はオッサンになるか、かっこいいおじ様になるか分かれ目だと思う」
「このランキングの年齢…低くくない? 近ごろの30代、40代はいいお兄さんが揃ってまっせ!!」
「年とっても、カッコイイ人はカッコイイし。
おじさんを年齢で決めたらいかんよ(笑)。
逆に言えば、若い人で残念な奴もいるし」

との反論も多数。さらにツイッター上でも、

「『「40」という響きがおじさんを想起させる』はわかるが、
『お世辞でもお兄さんとは呼べなくなる年齢』に打ちのめされた。
いや、わかっちゃいるんだけどね…」

「35という数字は人生の折返し地点でもあるし。
ただ大人になってからの実年齢と精神年齢の開きは、
個人差が大なので単純に年齢でオジサンと 言えないとも思う」

などと、年齢だけでおじさんと言うべきではないのでは…という意見が多く出ている。また、

「まぁ、30代後半で言われるのは仕方ないかなと。
ただ『おじさん』よりは『おじさま』と呼ばれたい」

といったように、呼ばれ方にこだわるといった内容のmixi日記を書いている人もおり、
その反応は様々だ。
・・》


長々と転載させて頂いたが、私は高齢者の2年生の身であるが、
若い女性の発言に微苦笑したりしながら、読んだりしたのである・・。

この後、私は初めて『おじさん』と呼ばれた時期を思い馳せたりした。


私が40代の初め、あるレコード会社の情報畑でシステム開発の多忙が終えて、
何とか軌道にのせた土曜日の休日出勤務の夜、
自宅から最寄り駅の成城学園前から、疲れ切っていたので、タクシーに乗った。

自宅の近くの大通りで下車し、すぐに空車を探していた若い女性の3人がタクシーに乗り込んだ。
タクシーのドライバーは効率が良いね、と私は微笑んで歩き出した時、
『おじさ~ん・・本・・忘れている!』
とタクシーの車内から、若い女性のひとりから大声で云われたのである・・。

私はこの女性にお礼の言葉を云いながら、本を受け取ったのである。

この後、私は自宅に向かいながら、おじさんかょ、と微苦笑したりした。


そして『おじさま』と呼ばれたことも、私は思いだしたりした・・。
私が45歳前後で合ったから、20年前の確か梅雨の季節だった。

私は会社を退社して、
自宅の最寄駅の『成城学園前』のタクシー乗り場に並んでいた。
夜の11時過ぎで、雨が降っていた・・。

私の前に20人並んでいて、1番後方だった。
しばらくすると、私の後方に5、6人の人影を感じた。
私は左手にアタシュ・ケースを提げて、
スーツのズホンが濡れないように、傘を深く差していた。

後方から、
『おじさま・・かしら?・・』
と声がした。

私は振り返ると、若い女性のツーピース姿を見た。
『XXちゃんか・・しばらく・・』
と私は云った。

遠い親戚の娘さんだった。

私はこの娘を私の立っている場所の前に譲り、
『ずいぶん・・遅いんだね・・』
と私は云った。

そして雨のしずくが、水色のツーピースに掛からない程度に、傘かしげにし間隔を開けた・・。

『おじさま・・知らなかった・・
私、今年から銀行にお勤め・・』
とこの娘は私に云った。

『大学に行ったのは聞いていたけど・・
そう・・社会人の一年生か・・大変でしょう・・』
と私は云った。

『思ったより楽しいけれど・・勤務時間が長くて・・
今日もこんな時間になって・・』
と微苦笑しながら、私に云った。

『おじさんの所もね・・金融関係と違うけれど・・
何かと忙しいょ・・』
と私は云った。

雨がしきりに降っていた。

まもなく並びの列の先頭となり、
タクシーにこの娘が乗り込む寸前、
『おじさま・・お先に・・ありがとう・・』
と笑顔を浮かべながら私に云った。

私は走り去るタクシーの尾灯を見送った。


このような私のささやかな『おじさん』、『おじさま』の思いでを秘め、
高齢者の2年生となった私は、齢ばかり早く過ぎ去り走馬灯のような、遠い思いでとなっている。


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「日本最大の賭博場」摘発、私は驚きそして苦笑して・・。

2010-10-07 07:42:18 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の66歳の身であるが、
先ほど、ネットでニュースを見ようと【YAHOO! JAPAN】を開き、

《 「日本最大の賭博場」摘発  》

と題された見出しに、何のことかしら、と思いながらクリックした。

そして毎日新聞が配信した記事と判り、

《 ノミ行為 「日本最大の賭博場」摘発、10人逮捕 大阪 》

という見出しで、詳細記事を精読した。

無断ながら転載させて頂く。

《・・
       ノミ行為 「日本最大の賭博場」摘発、10人逮捕 大阪
                       
                         毎日新聞 10月6日(水)22時21分配信


競艇や競輪のノミ行為をしたとして、
大阪府警は6日、大阪市西成区萩之茶屋3の賭博場・通称「ドーム」を摘発、
胴元と客の男女計10人をモーターボート競走法違反(ノミ行為)などの疑いで現行犯逮捕した。

マンション3棟の1階部分を結合したドームは、客300人を収容する「日本最大の賭博場」とされる。
指定暴力団山口組弘道会系組織が運営しており、府警は資金の流れや背後関係の解明を目指す。

10人の逮捕容疑は同日午後2時ごろ、ドーム内で競艇や競輪の私設券を売買するノミ行為をした、としている。
現場にいた客約80人からも任意で事情を聴いている。

捜査4課によると、ドームは1998(平成10)年ごろから営業し、
二重、三重の扉と厳格な見張りで警戒しており、これまで詳しい実態は不明だった。
競艇などを観戦する大型テレビなどを備え、1日に500万円を売り上げていたとみられる。

府警はこの日、機動隊員を含め計300人を動員、ドームの摘発と警戒にあたった。
胴元の男らは扉を閉めきってドーム内に立てこもり、
府警は捜査1課特殊班を出動させて鉄の扉を爆破、捜査員が踏み込んで摘発した。
・・》
注)記事の原文にあえて改行をした。


私は若き20代の東京オリンピックが開催された頃、
この人生は何事も学びという思いで、それぞれ競馬、競輪、競艇の開催されているレースを観て、
3000円ぐらい購入したことがあるぐらい、無知な部類に属する。

今回のニュースを読み終えると、非合法とされるノミ行為に、
こっそりとされるのでなく、《客300人を収容する「日本最大の賭博場」》に驚いたのである。

この後、私は玄関の軒下で煙草を喫いながら、苦笑したのである・・。


私は定年退職時の一年前頃から、『ドリームジャンボ』宝くじなど、
年に6回ぐらいを購入したりしている。
もとより宝くじは一等の当選の確率は、一千万の中の一、
と長らく云われているくらいであるから、まぎれなく夢の世界、でもある。

こうしたことも判っているが、もしかしたらと思いながら、
買い求めてきたひとりである。

そして、外れた場合は、たとえば『地域医療等振興自治宝くじ』の場合は、
ささやかなりに少しはお役にたてたかなぁ、
と思ったりしてきた。

私は漠然とした『宝くじ』の思いは、
売り上げの当選金は75%、経費は数%、そして発行元の収益金は20数%ぐらい、
と何となく感じたりしていた。


今年の5月に、政府の行政刷新会議に於いて、事業仕分けの議論を行い、
宝くじ関連法人が行っている普及宣伝事業など8事業を「廃止」と判定した、
ことが思いだされたのである・・。

確か読売新聞の記事で、私は転載してきた。
《・・
仕分け人側は総務省(旧自治省含む)OBへの高額な報酬や、
収益金の一部を関係法人を通じて地方自治体に分配する仕組みを問題視した。

取りまとめ役の寺田学民主党衆院議員は
「問題が解決されるまで、宝くじの認可権限者である総務相は、
宝くじの発売を認めるべきではない」
と踏み込んだ判定を下した。
判定に強制力はないが、法人側は強く反発した。

仕分け人側が集中的に追及したのは、天下り官僚の厚遇ぶりだ。
総務省OBが役員を務める宝くじ関連法人では、
常勤理事の平均年収が2000万円近くに上ると指摘。

首相官邸近くの高層ビルに事務所を置く「自治総合センター」について、
仕分け人が
「庶民の夢(宝くじ)の一部を、東京で一番高いオフィス賃料に使う必要があるのか

などと批判する場面もあった。

「宝くじマネー」の複雑な流れについても
「直接市町村に助成すればいいのに、いろんな団体が中間マージンを抜いている」
との指摘が相次いだ。

これに対し、法人側は「国からは(税金を)一銭ももらっていない」などと反論。
旧自治省出身で発売元の立場で出席した伊藤祐一郎・鹿児島県知事は記者団に
「地方の自主財源に手を突っ込む話で、一方的だ」と強く反発した。
・・》

こうしたことを思いだすと、飛躍はするが、宝くじ、そして競馬、競輪、競艇なども、
国会議員の族議員、関連官僚の一部が役員を務めるなど天下り官僚の厚遇であり、
そして自治体の関係諸兄諸姉まで、まさに砂糖に蟻が群がるように、
恥知らずの人たちがいる。

こうした世の中に公認された宝くじ、そして競馬、競輪、競艇などは、
太陽の下で大手をふって利権をむさぼり、
違法とされるノミ行為は日陰の下で・・

危険な発言であるが、500円玉の表と裏と同じよう、と感じたりしているのである。


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