夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『中学校長、パチンコ店で24万円入りの財布を窃盗し、容疑で逮捕・・』、私は驚き、ため息を重ね・・。

2010-10-23 23:30:48 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の66歳の身であり、
先程、時事通信社の基幹ネットの【時事ドットコム】を開いたのであるが、

《 パチンコ店で24万入り財布窃盗=容疑で中学校長逮捕-鹿児島県警 》

と題された見出しを見て、学校の校長先生がどうして窃盗などを、と呟(つぶや)きながら、クリックした。

無断であるが転載させて頂く。

《・・
      パチンコ店で24万入り財布窃盗=容疑で中学校長逮捕-鹿児島県警

パチンコ店で客が置き忘れた現金24万円入りの財布を盗んだとして、
鹿児島県警出水署は23日、窃盗容疑で、
出水市立中学校長、三谷恭美容疑者(55)=同市高尾野町柴引=を逮捕した。

同署によると、
「パチンコ台に座った時、目の前にあったので取った」
と容疑を認めているという。

時事通信(2010/10/23-22:24)
・・》
注)記事の原文をあえて改行を多くした。


私は中学校の校長先生が、教育委員会、教師、生徒、そして生徒の親御などに、
何かと日頃のストレスがたまり、解消の為に、たまたまパチンコ店に入店した、と推測する。

そしてパチンコ台に座った時、財布が目の前にあり、
そぉと開けてみたら、大金の24万円が入って、驚いた・・。


ここから人の良識と罪の別れ道となる。

もとより誰しもが、無条件に大金の24万円を頂けるならば、
下さった方に丁重にお礼の言葉を重ねたりするが、
今回の場合は、無断で着服したのである。

まして生徒に教育を教える教師たちに、指導する職責のある校長先生が、
一瞬の判断で、たった24万円で、
これまでの良き言動も打ち消しにされ、
そしてこれからの人生の航路を自身で駄目にしてしまう行動は、私に到底理解できない。

何よりも数多くの中学生の生徒、そして教師たちに、
『校長先生が、どうして・・』と、
今までの信頼関係から、多大な失望感を感じ与えたのは、余りにも罪が重い。


そして窃盗した逮捕された校長先生、家族にどのように言動されるのか、
今回のニュースを読み終えて、しばらく私はやりきれない思いでいる。


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恥ずかしながら、私は年金生活7年生に進級して、微苦笑を重ね・・。

2010-10-23 16:27:35 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む高齢者2年生の66歳の身であるが、
私は民間会社の中小業に35年ばかり勤め定年退職したのは、
2004(平成16)年10月20日であった。

そして定年退職後、ただちに年金生活をしたので、丸6年が過ぎて、
年金生活は早くも7年目を迎え、少しばかり微苦笑している。


私は東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年の秋、
大学を中退したのは二十歳の時であった。

映画・文学青年の真似事する為であり、アルバイトをしながら4年ばかり過ごし、
根拠のない自信にあふれていたが、もとより先行きの見えない生活を過ごしていたが、
自身の30代の頃を浮かべると妻子を養う確固たる自信がなく断念した。

そして安定したサラリーマンになる為、軌道修正し、
1969(昭和44)年の春、コンピュータの専門学校でソフト科を一年間学んだ後、
これを梃子にして、ある民間大手の映像・音響メーカーに何とか中途入社ができたのは、
1970(昭和45)年の春で、私が25歳であり、遅い社会人のスタートであった。


入社してまもない時、音楽の大手のレーベルが独立したレコード会社となり、
私はこの新しく独立したレコード会社に転籍となった。
まもなく私は本社でコンピュータの専任者となり、それなりに孤軍奮闘をした。

こうして情報畑を20年過ぎた後、管理畑、営業畑など異動したりした。
この間、1998(平成10)年にレコード業界は売上げのピークとなった。
もとよりレコード会社は中小業で、外資系も多かったので、
この前後に各社でリストラが迅速に実施された。

会社間の合併、部署の解消や合同などが行われ、
早期退職優遇制度などで退社する方、そして数多くの人事異動、出向などがあった。

そして1999(平成11)年の早春、私も出向の打診があった時は、
私なりに入社時から定年の60歳まで勤め、それなりの人生設計があったので、
出向の物流情報会社の中のCD、DVDなどの音楽商品の物流センターに5年半を勤めて、
定年退職を迎えたのである。


私達夫婦が定年後の生活設計を本格的に話し合ったのは、
私の出向時の55歳を迎える前であった。
私達は子供に恵まれなかったので、2人だけの家庭であり、
もとより老後の生活、そしていずれ片割れになった時の状況を配慮し、
お互いの要望をまじえて話し合ったのである。

結論から云えば、私は定年退職後から年金生活とし、
お互いの趣味を尊重し、共通趣味の国内旅行をすることとしたのである。

生活の基盤の日常生活は、原則として年金支給でまかない、
そして国内旅行、冠婚葬祭などは、程ほどの貯金から取り崩すのが基本としている。

ただ、厚生年金の当初は、私は1944(昭和19)年9月生まれであり、
厚生年金の一部である報酬比例部分で2年間で過ごすので、
62歳からの通常支給額のほぼ半額となるので、このことを配慮した。

こうした定年退職を迎えるまで間、出向元のレコード会社でも、
たびたびリストラを大幅に実施され、
先輩、同僚、後輩が止む得ず退社されたり、人事異動をされたりした。

出向先の物流情報会社でも、リストラが実施されていたので、
私なりに民間会社のサラリーマンの痛みを解っているひとりである。


定年退職後、サラリーマン生活を35年ばかり過ごしたことになるが、
改めて多くの方にめぐり逢え、多々教示されたりし、
或いは自分の軌跡と照らし合わせながら、懐かしく充実した歳月だった、と想っている。


定年退職の直前に家内の父が死去したので、葬儀などの関連と、
私の退職の手続き、程々の金融資産に伴い銀行、郵便局の各所に行ったりして、
慌しい日々が続いた・・。

家内の父の四十九日で納骨を済ませ、
私達夫婦は家内の母と3人で、墓地の近くの温泉地に3泊4日で観光ホテルに滞在した折、
のんびりと周辺を散策した時、
こんなに日中気ままに過ごしてよいのかしら、と少し後ろめいたような感じをしていた。

12月の下旬、家内と土湯温泉に3泊4日で滞在した時、
歳末に近く何かと慌しい世間を見ながら、私達はゆったりと時を過ごした・・。

こうして、サラリーマンの多忙だった時間帯の生活から、
心も身も吹っ切れた、と感じたりした。


肝要の私の年金生活のことであるが、
生を受けてサラリーマンを卒業するまでの半生は、
何かと屈折の多い人生だったので、せめて残された人生は、生きた証(あかし)として、
念願の清貧の数寄者をめざし、
これに伴い、言葉による表現、読書、そして思索の時間としている。

幸いに定年後にブログの世界を知り、
おぼつかないWebの技量と若き頃の感性を蘇(よみがえ)させながら、
散文を綴り、投稿をはじめたのである・・。

これ以降の私なりの生活状況はもとより、日々に感じたこと、思索していることなど、
余すことなく心の発露として、このサイトに綴っているので、省略する。


このように早くも年金生活7年生となり、
確かに体力の衰えを感じたりしているが、感覚と感性だけは50代かしら、
と自惚(うぬぼ)れながら、微苦笑している。


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中国政府は、チベット族の学生などの『漢語教育強制』反対デモを弾圧し、メディアには黙殺・・(改定)

2010-10-23 00:09:51 | 時事【政治・経済】等
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の66歳の身であるが、
一昨日の20日の夜、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を見ていて、

《 チベット族の高校生ら7千人デモ…漢語強要で 》

と題された記事を見て、やはり中国政府はチベット族に対して漢語強要を徹底させたか、と憂いながらクリックした。

無断であるが、記事を転載させて頂く。

《・・
            チベット族の高校生ら7千人デモ…漢語強要で

【北京=関泰晴】
米政府系のラジオ自由アジア(RFA)などによると、
中国青海省黄南チベット族自治州同仁県で19日、
チベット族の高校生ら7000人が
「漢語(共通語)による教育を強要され、チベット族の言語や文化が衰退する」
などと抗議し、市街をデモ行進した。

同県の高校6校の生徒が同日朝、
地元当局庁舎前でデモ行進を始め、周辺寺院の僧侶も加わった。

参加者は
「チベット語の使用を拡大しよう」
「民族の平等を守ろう」などと、
横断幕を掲げて抗議した。

地元当局が、チベット語と英語を除く全教科で漢語による授業を行う「教育改革」に踏み切ったことが反発を招いたという。
漢族の教員が大量流入し、チベット族は失業すると危機感も広がった。

(2010年10月20日19時42分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文をあえて改行した。


言語は、その地域に住まわれる日常の習性から、あらゆる範囲で人々の根源をなすものであり、
まして征服した中国政府による《チベット語と英語を除く全教科で漢語による授業を行う「教育改革」》は、
まぎれなく「漢語(共通語)による教育を強要され、チベット族の言語や文化が衰退する」のは、確かなことである。

そして、チベット族自治州の同仁県の高校6校の生徒に周辺寺院の僧侶も加わり、
地元の当局庁舎前でデモ行進を始めたのは、やむにやまれない行動であり、
中国政府はチベット語の根絶を図り、教育改革まで徹底的に行う、と感じながら、
私は憂鬱となった。


そして、今夜の22日に於いて、
時事通信社の基幹ネットの【時事ドットコム】に於いて、
《 数千人が3日連続の抗議デモ=言語問題でチベット族学生-中国 》

と題された記事を読んだりしたのである。

無断であるが転載させて頂く。

《・・
          数千人が3日連続の抗議デモ=言語問題でチベット族学生-中国

【香港時事】
中国西部の青海省で19日から21日にかけて、
授業で中国語の使用を強制する新政策に反発するチベット族の大学生や高校生らが、
3日連続で抗議デモを行った。

米政府系の自由アジア放送(RFA)が22日、伝えた。

デモが起きたのは黄南チベット族自治州同仁県や海南チベット族自治州興海県などで、
連日数千人がデモに参加。
同仁県では数日以内に授業ボイコットも計画されているという。

デモ参加者は「チベット語を返せ」と叫び、県庁前などを行進。
20日の参加者は計8000人に達した。

警察は各地の学校にデモを制止するよう要請したり、学生を学校に連れ戻したりしている。

青海省教育庁の当局者はRFAに
「状況を把握するため、職員を現地に派遣した」と述べた。

中国メディアは、一連のデモを一切報じていない。

時事通信(2010/10/22-17:13)
・・》
注)記事の原文をあえて改行した。


この後の私は、中国政府は最終的にはチベット民族を壊滅状態にし、根絶することなので、
中国以外の人々が、少なくとも批判をしなければ黙認することなので、
数多くの方が、これまでのチベット問題を簡潔に公知する方法はないかしら、
と悩んだりしたのである・・。

無念ながら、私は政治、軍事、外交なども疎(うと)く、
ただ少しばかり歴史に興味がある程度で、能力に乏しいので困苦していたのが本心である。

先ほど、【超入門 チベット問題】と表示されたサイトを一時間半ぐらい読んだりし、
これだったら高校生でも解かる、と私は微笑んだのである・・。

何よりも、中国の独裁共産一党の政権下の国を除けは、多くの主要国からして公平な視線で、
私は表現されている、と深く感じている。

この後、私は初めて、【I LOVE TIBET!】と命名されたサイトと知った。

http://www.tibet.to/mondai/index.htm
☆ 【I LOVE TIBET!】の中の【超入門 チベット問題】☆

そして、果たして、チベット民族は今後、どのような言動で生き延びれるか、
と高齢者2年生の私は考えたりしている。


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