私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
夕暮れに玄関庭にある白梅の純白な花を眺めたりしていた・・。
そして風邪気味のせいか、少し気弱になっている私は、いつの日にか命を果てた時のことを
ぼんやりと思ったりした。
私はこのサイトに葬儀に関しては、以前に数回綴ったりしているが、
私の戒名のことを思ったりしたりしたのである。
私は民間会社に35年ばかり勤め定年退職後は、年金生活をしているが、
確か55歳の頃から、70歳まで五体満足で生かしてくれれば、後は余生と強く念願してきた。
しかし、こればかりは天上の神々の采配で決まるのであり、
果たして何歳まで生かしてくれるかは解からないが、
延命処置などはするな、と固く家内に云ったりしてきている。
私達は子供に恵まれなかったので、たったふたりだけの家庭であるので、
葬儀に関しては、身内だけの家族葬として、
家内は自宅で居間と茶室を使えば何とかなるわ、と私に云ったりしているが、
後先のことを配慮すれば、葬儀場の小さなホールを借りようと思っている。
私の実家は仏教徒の曹洞宗であるが、僧侶はご遠慮を願い、
お通夜、葬儀は、野花に近い花につつまれて、好きな音楽をながしてくれれば良いと思っている。
こうした中で、会席料理を食べながら、好きなアルコールを呑んで頂き、
私の独断と偏見の屈折した思いで話(ばな)しをして下さればよい、と家内に云ったりしている。
火葬場からの遺骨は、東北地方にある樹木葬のある処で、
私の好きな落葉樹の下に納骨して貰い、土に還りたいと願っている。
こうした事は、子供のいないせいか私達は、ここ10数年、ときおり話し合っている。
私が先に亡くなった時は、
家内が温泉滞在などで東北地方の埋葬されている近くに来た折、
そして心が向いた時、お線香の1本と純米酒壱合をささげてくれれば良い、
と厳命している。
そして、1周忌、3回忌などは、生者の慰めに過ぎないので、無用と兼ね備えている。
さて、葬儀に於いての音楽に関しては、
モーツァルトのピアノ協奏曲第20番、アルビノーニのアダージョ、そして日本の叙情歌が、
秘かな私の好みであるので、この曲を流して下されば、最上かしらと思ったりしている。
何よりの課題は、戒名については、
私は無念ながら親しい心友となる僧侶はいないので、
やむえず故人の意思として、考えたりしている。
曹洞宗の家で私は生を受けたので、これに準拠して、
戒名は『風光院文愛道X居士』として、
日本の古来の四季折々の風土の土に還る、と託して、
つたない言動の一生であったが、読書だけが何よりも好きであった、
そして、法名は『文愛道X居士』となる・・。
しかし、余りにも格調高く、つたない私の生涯にふさわしくないので、
雑木林の四季の移ろいに60数年に魅せられ、幼年期に農家の児として育ったこともあるので、
戒名は『雑木院文愛道X居士』が最適かしら、と思ったりしたのである。
このような意味を込められていれば、
と考えたりしているが、果たして・・と思ったりしている。
尚、『X』は曹洞宗の定義のひとつとして、私の名前である。
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夕暮れに玄関庭にある白梅の純白な花を眺めたりしていた・・。
そして風邪気味のせいか、少し気弱になっている私は、いつの日にか命を果てた時のことを
ぼんやりと思ったりした。
私はこのサイトに葬儀に関しては、以前に数回綴ったりしているが、
私の戒名のことを思ったりしたりしたのである。
私は民間会社に35年ばかり勤め定年退職後は、年金生活をしているが、
確か55歳の頃から、70歳まで五体満足で生かしてくれれば、後は余生と強く念願してきた。
しかし、こればかりは天上の神々の采配で決まるのであり、
果たして何歳まで生かしてくれるかは解からないが、
延命処置などはするな、と固く家内に云ったりしてきている。
私達は子供に恵まれなかったので、たったふたりだけの家庭であるので、
葬儀に関しては、身内だけの家族葬として、
家内は自宅で居間と茶室を使えば何とかなるわ、と私に云ったりしているが、
後先のことを配慮すれば、葬儀場の小さなホールを借りようと思っている。
私の実家は仏教徒の曹洞宗であるが、僧侶はご遠慮を願い、
お通夜、葬儀は、野花に近い花につつまれて、好きな音楽をながしてくれれば良いと思っている。
こうした中で、会席料理を食べながら、好きなアルコールを呑んで頂き、
私の独断と偏見の屈折した思いで話(ばな)しをして下さればよい、と家内に云ったりしている。
火葬場からの遺骨は、東北地方にある樹木葬のある処で、
私の好きな落葉樹の下に納骨して貰い、土に還りたいと願っている。
こうした事は、子供のいないせいか私達は、ここ10数年、ときおり話し合っている。
私が先に亡くなった時は、
家内が温泉滞在などで東北地方の埋葬されている近くに来た折、
そして心が向いた時、お線香の1本と純米酒壱合をささげてくれれば良い、
と厳命している。
そして、1周忌、3回忌などは、生者の慰めに過ぎないので、無用と兼ね備えている。
さて、葬儀に於いての音楽に関しては、
モーツァルトのピアノ協奏曲第20番、アルビノーニのアダージョ、そして日本の叙情歌が、
秘かな私の好みであるので、この曲を流して下されば、最上かしらと思ったりしている。
何よりの課題は、戒名については、
私は無念ながら親しい心友となる僧侶はいないので、
やむえず故人の意思として、考えたりしている。
曹洞宗の家で私は生を受けたので、これに準拠して、
戒名は『風光院文愛道X居士』として、
日本の古来の四季折々の風土の土に還る、と託して、
つたない言動の一生であったが、読書だけが何よりも好きであった、
そして、法名は『文愛道X居士』となる・・。
しかし、余りにも格調高く、つたない私の生涯にふさわしくないので、
雑木林の四季の移ろいに60数年に魅せられ、幼年期に農家の児として育ったこともあるので、
戒名は『雑木院文愛道X居士』が最適かしら、と思ったりしたのである。
このような意味を込められていれば、
と考えたりしているが、果たして・・と思ったりしている。
尚、『X』は曹洞宗の定義のひとつとして、私の名前である。
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