夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

いつの日にか私が命を果てた時、ささやかな私の葬儀、そして戒名などを託せば・・。

2011-02-02 19:00:42 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
夕暮れに玄関庭にある白梅の純白な花を眺めたりしていた・・。

そして風邪気味のせいか、少し気弱になっている私は、いつの日にか命を果てた時のことを
ぼんやりと思ったりした。

私はこのサイトに葬儀に関しては、以前に数回綴ったりしているが、
私の戒名のことを思ったりしたりしたのである。


私は民間会社に35年ばかり勤め定年退職後は、年金生活をしているが、
確か55歳の頃から、70歳まで五体満足で生かしてくれれば、後は余生と強く念願してきた。
しかし、こればかりは天上の神々の采配で決まるのであり、
果たして何歳まで生かしてくれるかは解からないが、
延命処置などはするな、と固く家内に云ったりしてきている。


私達は子供に恵まれなかったので、たったふたりだけの家庭であるので、
葬儀に関しては、身内だけの家族葬として、
家内は自宅で居間と茶室を使えば何とかなるわ、と私に云ったりしているが、
後先のことを配慮すれば、葬儀場の小さなホールを借りようと思っている。

私の実家は仏教徒の曹洞宗であるが、僧侶はご遠慮を願い、
お通夜、葬儀は、野花に近い花につつまれて、好きな音楽をながしてくれれば良いと思っている。

こうした中で、会席料理を食べながら、好きなアルコールを呑んで頂き、
私の独断と偏見の屈折した思いで話(ばな)しをして下さればよい、と家内に云ったりしている。

火葬場からの遺骨は、東北地方にある樹木葬のある処で、
私の好きな落葉樹の下に納骨して貰い、土に還りたいと願っている。

こうした事は、子供のいないせいか私達は、ここ10数年、ときおり話し合っている。

私が先に亡くなった時は、
家内が温泉滞在などで東北地方の埋葬されている近くに来た折、
そして心が向いた時、お線香の1本と純米酒壱合をささげてくれれば良い、
と厳命している。
そして、1周忌、3回忌などは、生者の慰めに過ぎないので、無用と兼ね備えている。

さて、葬儀に於いての音楽に関しては、
モーツァルトのピアノ協奏曲第20番、アルビノーニのアダージョ、そして日本の叙情歌が、
秘かな私の好みであるので、この曲を流して下されば、最上かしらと思ったりしている。

何よりの課題は、戒名については、
私は無念ながら親しい心友となる僧侶はいないので、
やむえず故人の意思として、考えたりしている。
曹洞宗の家で私は生を受けたので、これに準拠して、

戒名は『風光院文愛道X居士』として、
日本の古来の四季折々の風土の土に還る、と託して、
つたない言動の一生であったが、読書だけが何よりも好きであった、
そして、法名は『文愛道X居士』となる・・。

しかし、余りにも格調高く、つたない私の生涯にふさわしくないので、
雑木林の四季の移ろいに60数年に魅せられ、幼年期に農家の児として育ったこともあるので、
戒名は『雑木院文愛道X居士』が最適かしら、と思ったりしたのである。

このような意味を込められていれば、
と考えたりしているが、果たして・・と思ったりしている。

尚、『X』は曹洞宗の定義のひとつとして、私の名前である。


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つたない高齢者2年生の私、お財布、そして中味は・・と改めて確認すれば・・。'

2011-02-02 09:15:32 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
先ほど、私の乱れ整理箱を見たら、家の鍵、財布、そしてカードが入っているだけである。

カードのひとつは『住民基本台帳カード』であり、
定年退職後、『自動車の運転免許書』の更新を断念したり、
海外旅行の苦手な私は、『パスポート』の更新もしなかったので、身分証明書として、
保有しているのである。

これ以外は、家電の量販店の『ヤマダ電機』、和菓子の『文明堂』、市の『図書館利用カード』、
最寄の『内科医院の診察カード』などである。

そして財布の中には、定年後に買物担当となった私は、
スーパーの『いなげや』、ドラック・ストアーの『サンドラッグ』、メガネ量販店の『メガネ・スーパー』、
そして『血液型』の詳細証明書が常時ある。

『血液型』の詳細証明書に関しては、
たまたま私はB型であるが、もとより血液は(プラス、マイナス)があるので、
万一、交通事故などにまきこまれた場合、緊急の輸血が必要となった場合のことを配慮している。


恥ずかしながら財布の本体は、
定年退職の前後に、街の雑貨屋さんで買い求めた3000円程度の財布であったが、
一年前に新たにスーパーで買い求めた品であり、確か7000円ぐらいだったと記憶している。

この時は、スーパーのチラシを見て、特売品として3000円均一があり、
私は小躍(こおど)りして購入しょうと現物を見たが、
つたないながら私の感覚にあわず、少しばかり奮発して買い求めた品であった。


私は高校生の頃から、よくある二つ折りの財布を愛用している。

現役のサラリーマンの時代は、携帯電話を持っていないのでテレフォン・カード、
そして現金を入れている。

私は原則としてニコス、JCBのような買い物用のカードは持たない主義で、
現役時代の時は、やむえず銀行カードを持っていたぐらいである。


私は根がケチな性格なのかしら、殆ど現金払いとしている。
食事、呑み屋などはレジで現金で払っている。
例えば友人達と呑んだり、ひとりで居酒屋でぼんやりと呑んだ後でも、
これだけ支払ったが楽しかった、と素直に思えるからである。

カードだと、後で請求が着た時は、あの時あんなに食べたり呑んだかしら、
と振り返っても余韻がないからである。


私の現役時代の45歳の時、妹からブランド物の財布を頂いた時があった。
確かに多くの方が高価だと分かる品で、
レジで支払う等の場合は財布から現金を取り出し、
ちょぴり優越感にしたったこともあった。

しかし、私が個人で財布を店頭で選ぶ時は、せいぜい7000円以下としている。

15年前頃、たまたま家内と買い物に出かけた折、
安価の財布のあれこれを見た時、
『あなた・・50代のサラリーマンにしては・・みっともないわよ・・
きちんとしたお財布・・選んだら・・』
と非難されたことがあった。

私は財布の良さより、中味の現金が多い方に優先するので、
私が財布を買い換える時は、背伸びしても7000円前後の価格を選定している。


先ほど、財布の中身の現金をこっそりと見たら、
一万円札が2枚、千円札が3枚、そして小銭の百円玉、十円玉が入っていたが、
日常の買物担当者の年金生活の身としては、相応しいかしら、と苦笑した。

そして、現役時代の50代の頃は、少なくとも一万円札が5枚、
その日の緊急時に備えて、銀行カードを所有していた頃を、
懐かしげに思いを馳せながら、微苦笑したりしている。


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