第6章 銀山温泉に別れを告げ、そして最上川に・・。
旅館街の中ほどにある『旅館 永澤平八』に4日間ほど滞在し、
17日の朝9時半過ぎにチェックアウトし、
この『旅館 永澤平八』のマイクロバスで最寄のJR奥羽本線の『大石田』駅まで送迎して為に、
同宿した人と談笑をしながら、旅館街の外れまで歩いたりした。
過ぎされば短かな4日間であったが、前半は小雪が降ったりやんだりした後、
曇り日、そして晴れ時々曇りとなり、旅館前の石畳みの歩道は雪も消え去り、
旅館の屋根、わき道、そして周囲は積雪が厚く残っていた。
そして私達はマイクロバスに乗り込み、
やがて走り出し坂道を上りきると、後方の下方は谷間の中、銀山川の両側に、三層四層の古き木造旅館が建ち並び、
観光客を除けば、わずかな住民の営みの息遣いを感じ、そして情緒をかもしだす情景を眺め、
私は何かしら愛惜感を心の片隅に秘めながら、銀山温泉に別れを告げた。
こうした心情は、前日の冬晴れの中、私達は旅館街の外れまで散策し、
下方に展開する銀山温泉の前景を眺めた時にも感じたことである。
JR奥羽本線の『大石田』駅前は、わずかに人影が見られる程度で閑散としていた。
13日に初めて訪れた時は、小雪舞い降る中、町の子供向けの雪遊びのイベントが開催され、
親に守れながら幼児の歓声が聞こえたりしていた。
私達は最上地域の『最上川の船下り』をする為に、
悪天候を配慮して、付近の新庄のビジネス・ホテルの『ルートイン新庄』に1泊宿泊の予約をしていたので、
奥羽本線を北上し『新庄』駅に向った。
そして、『新庄』駅の新しい構内の広さ、利便性に微笑みながら、
駅から近いビジネス・ホテルの『ルートイン新庄駅前』に寄り、大きめの旅行バックを預かって貰い、
その後は駅から150メートルぐらい離れた蕎麦屋で、昼食とした。
そして、『新庄』駅より陸羽西線で『最上川の船下り』の乗船所の最寄駅の『古口』駅まで乗車したが、
列車内は閑散として、数えるばかりの乗客であった。
この後、『古口』駅で下車したのは1時半過ぎで、
『最上川の船下り』の乗船所行きのバスが待機していたので、わずかな距離であったが、
私達は乗車した。
《つづく》
☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村

にほんブログ村
旅館街の中ほどにある『旅館 永澤平八』に4日間ほど滞在し、
17日の朝9時半過ぎにチェックアウトし、
この『旅館 永澤平八』のマイクロバスで最寄のJR奥羽本線の『大石田』駅まで送迎して為に、
同宿した人と談笑をしながら、旅館街の外れまで歩いたりした。
過ぎされば短かな4日間であったが、前半は小雪が降ったりやんだりした後、
曇り日、そして晴れ時々曇りとなり、旅館前の石畳みの歩道は雪も消え去り、
旅館の屋根、わき道、そして周囲は積雪が厚く残っていた。
そして私達はマイクロバスに乗り込み、
やがて走り出し坂道を上りきると、後方の下方は谷間の中、銀山川の両側に、三層四層の古き木造旅館が建ち並び、
観光客を除けば、わずかな住民の営みの息遣いを感じ、そして情緒をかもしだす情景を眺め、
私は何かしら愛惜感を心の片隅に秘めながら、銀山温泉に別れを告げた。
こうした心情は、前日の冬晴れの中、私達は旅館街の外れまで散策し、
下方に展開する銀山温泉の前景を眺めた時にも感じたことである。
JR奥羽本線の『大石田』駅前は、わずかに人影が見られる程度で閑散としていた。
13日に初めて訪れた時は、小雪舞い降る中、町の子供向けの雪遊びのイベントが開催され、
親に守れながら幼児の歓声が聞こえたりしていた。
私達は最上地域の『最上川の船下り』をする為に、
悪天候を配慮して、付近の新庄のビジネス・ホテルの『ルートイン新庄』に1泊宿泊の予約をしていたので、
奥羽本線を北上し『新庄』駅に向った。
そして、『新庄』駅の新しい構内の広さ、利便性に微笑みながら、
駅から近いビジネス・ホテルの『ルートイン新庄駅前』に寄り、大きめの旅行バックを預かって貰い、
その後は駅から150メートルぐらい離れた蕎麦屋で、昼食とした。
そして、『新庄』駅より陸羽西線で『最上川の船下り』の乗船所の最寄駅の『古口』駅まで乗車したが、
列車内は閑散として、数えるばかりの乗客であった。
この後、『古口』駅で下車したのは1時半過ぎで、
『最上川の船下り』の乗船所行きのバスが待機していたので、わずかな距離であったが、
私達は乗車した。
《つづく》
☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪


