夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

冬の山形県・『雪街道』の旅路は・・。 第7回 銀山温泉に別れを告げ、そして最上川に・・。

2011-02-20 17:49:51 | 
           第6章  銀山温泉に別れを告げ、そして最上川に・・。 

旅館街の中ほどにある『旅館 永澤平八』に4日間ほど滞在し、
17日の朝9時半過ぎにチェックアウトし、
この『旅館 永澤平八』のマイクロバスで最寄のJR奥羽本線の『大石田』駅まで送迎して為に、
同宿した人と談笑をしながら、旅館街の外れまで歩いたりした。

過ぎされば短かな4日間であったが、前半は小雪が降ったりやんだりした後、
曇り日、そして晴れ時々曇りとなり、旅館前の石畳みの歩道は雪も消え去り、
旅館の屋根、わき道、そして周囲は積雪が厚く残っていた。

そして私達はマイクロバスに乗り込み、
やがて走り出し坂道を上りきると、後方の下方は谷間の中、銀山川の両側に、三層四層の古き木造旅館が建ち並び、
観光客を除けば、わずかな住民の営みの息遣いを感じ、そして情緒をかもしだす情景を眺め、
私は何かしら愛惜感を心の片隅に秘めながら、銀山温泉に別れを告げた。

こうした心情は、前日の冬晴れの中、私達は旅館街の外れまで散策し、
下方に展開する銀山温泉の前景を眺めた時にも感じたことである。


JR奥羽本線の『大石田』駅前は、わずかに人影が見られる程度で閑散としていた。
13日に初めて訪れた時は、小雪舞い降る中、町の子供向けの雪遊びのイベントが開催され、
親に守れながら幼児の歓声が聞こえたりしていた。

私達は最上地域の『最上川の船下り』をする為に、
悪天候を配慮して、付近の新庄のビジネス・ホテルの『ルートイン新庄』に1泊宿泊の予約をしていたので、
奥羽本線を北上し『新庄』駅に向った。

そして、『新庄』駅の新しい構内の広さ、利便性に微笑みながら、
駅から近いビジネス・ホテルの『ルートイン新庄駅前』に寄り、大きめの旅行バックを預かって貰い、
その後は駅から150メートルぐらい離れた蕎麦屋で、昼食とした。

そして、『新庄』駅より陸羽西線で『最上川の船下り』の乗船所の最寄駅の『古口』駅まで乗車したが、
列車内は閑散として、数えるばかりの乗客であった。

この後、『古口』駅で下車したのは1時半過ぎで、
『最上川の船下り』の乗船所行きのバスが待機していたので、わずかな距離であったが、
私達は乗車した。

                             《つづく》


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冬の山形県・『雪街道』の旅路は・・。 第6回 銀山温泉の和洋菓子、お酒のつまみは・・。

2011-02-20 13:30:46 | 
           第5章  銀山温泉の和洋菓子、お酒のつまみは・・。 

旅館街の中ほどにある『旅館 永澤平八』に4日間ほど宿泊し、
たまたま3階の部屋の窓辺から、早朝、朝食後、昼下り、夕暮れ、そして夜の8時過ぎなどに、
ときおり眺めたりしていた。

そして数多くの観光客が、狭い旅館街の石畳みの歩道を散策され、
私達夫婦もこの歩道を幾たびか歩いた。

こうした中、何軒かのお土産屋で和洋菓子、地酒を買い求めたりした。、

私は日本酒が大好き呑兵衛のひとりであり、雪舞い降り情景を眺めながら、
秘かに地酒を呑むことを楽しみにしていたので、程ほどの価格の地酒を三種類を買い求めたが、
無念ながら心身の波長に合わなかったのである。

こればかりは私なりに女性への好みと同様に、
男の子として妥協できないので、ゆむえずビールを友とした。

こうした時、家内が買い求めた『殿様のただちゃ豆』が、おつまみに最適と私は微笑んだりした。
枝豆をむし豆にフリーズドライの風味ある豆で、
鶴岡産のただちゃ豆100%と明記され、ただちゃはお父さんの愛称でもあると付記され、
私は微苦笑させられたりした。

これと同じように、おつまみとして愛食したのが、
『秘伝 煎り豆』で、東根市の戸田商店から製造された大豆で、
節分の日に煎った大豆を長年頂いてきたが、遥かに風味はもとより固さも最上であった。


今回、滞在していた間、私は異例なほど和菓子を頂いた。
『くるみゆべし』の程々に固い風味豊かさに、魅了されたのである。

http://www.meiyuu.com/cgi-bin/cgis/goodslist.cgi?mode=view_detail&this_num_genre=&this_num_goods=&genre_id=00000002&goods_id=00000002&sort=
☆(株)明友 『くるみゆべし』☆

このサイトに明記されている通り、
《・・
くるみ、ごま、栗などの木の実を餅粉とまぜ、味をつけて蒸したもので
当店のゆべしはクルミがたっぷり入っています
・・》
くるみが基調されたほど程の固さ、そして何よりの風味に好感した。


そして『くじら(久持良)餅』は、私にとっては懐かしく、最優先で頂いた。
私が小学生の4年生の頃、母親の知人が最上川の周辺が生家であり、
黒っぽく蒲鉾(かまぼこ)を大きくしたような形の餅を頂いたのである・・。
最初の数日はやわらかく、その後は固くなり、少し炭火であぶって頂いたのであるが、
私としては58年近く前の頃であるが、香ばしさが残っていた。

http://www.pref.yamagata.jp/ou/somu/020020/naradeha_main/200004pin.html
☆山形県『味な山形』<== くじら餅☆

私はみそくるみ、黒砂糖くるみ、そして白砂糖くるみの三種類のくじら餅を頂いたが、
懐かしさの余り、黒砂糖くるみを家内の分まで食べたりした。
家内は、私の満足した表情に、平素は余りに和菓子を食べない私に驚き、
微笑んだりしていた。

この後、私達は最上川の舟下りの時、私はこの味の地酒にめぐり逢えたり、
くるみゆべしに関しては、『みちのくゆべし』のくるみ味は最良である、
と私は家内に幾度も絶賛の言葉を重ねたりした。

                             《つづく》


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冬の山形県・『雪街道』の旅路は・・。 第5回 銀山温泉の旅館街の情景は・・。 

2011-02-20 11:20:26 | 
           第4章  銀山温泉の旅館街の情景は・・。 

銀山温泉は銀山川を挟んで両側に、三層四層の木造旅館が建ち並び、
夕暮れ時には旅館街の前の石畳みの脇に点在するガス灯、そして数多い橋にも点(とも)り、
各旅館の屋号を描いた灯り取り、各部屋からの灯りが街並みを照らす情景が知られている・・。

特に冬の時節は、雪深い街並みは、各旅館の層をなした屋根の雪、石畳みの歩道、
そして橋も雪に覆われて、より一層情緒をかもしだす情景となる。

このような言葉を集約すれば、
郷愁を感じるノスタルジックな街並み、
と称した銀山温泉組合のホームページに表現されているが、
まぎれない最適な表現かしら、と感覚的にもうなづける。


http://www.ginzanonsen.jp/
☆【 銀山温泉組合 】ホームページ ☆

私はこのホームページに上段に掲げられている四季折々の街並みの叙景を見たりし、
巧く表現されている、と微笑んだひとりである。


私達夫婦は、旅館街の中ほどにある『旅館 永澤平八』に4日間ほど宿泊し、
たまたま3階の部屋の窓辺から、早朝、朝食後、昼下り、夕暮れ、そして夜の8時過ぎなどに、
ときおり眺めたりしていた。

そして数多くの観光客が、狭い旅館街の石畳みの歩道を散策され、
私達夫婦もこの歩道を幾たびか歩いた。

何軒かのお土産屋で和菓子、地酒を買い求めたり、
石畳みの歩道の川沿いに『和楽足湯』と称した足湯の湯煙を眺めたり、
街外れの高台から、この旅館街の情景を眺めたりした。


私は滞在中に散策する時、
来館した時は厚手のスポーツシャツ、セーター、冬のフィールド・ジャケット、そして登山靴であったが、
『旅館 永澤平八』にある長い防寒性のあるフィールド・コート、長靴をお借りした。
厚手のスポーツシャツーにマフラー、そして長い防寒性のあるフィールド・コートを羽織れば、
寒さを感じることはなかった。

そして、ときおりガス灯の点(とも)りはじめた夕暮れ時に、
独りで散策したり、橋にたたずみ、左右の旅館の灯りを眺めたりしていた。


この翌日の昼下り、滞在している『旅館 永澤平八』の貸切風呂の入浴後、
部屋に戻る途中の廊下のはずれに、一枚のポスターが貼ってあるのに、長らく見惚(みと)れていた。

《・・
     ふたたび、旅へ。

時間旅行へ、出かけませんか。

猛スピードで走ってきた、私たちの世代。

たまには、止まっているような時間を楽しみませんか。

あの人と行くなら、たとえば山形県の「銀山温泉」。

大正の面影が色濃く残る風景の中にいるし、

ふたけだけでその時代に紛れ込んでしまったような

ロマンチックな気分に浸れます。

あなたは誰と、いつ、出かけますか。

・・》

このように描かれていたポスターであり、

晩秋の旅館街の橋にガス灯が点る中、各旅館からの灯りを情景を眺め、
たたずんでいる女優・吉永小百合さんが映し出されていた。

そして、下段にはJR東日本の『大人の倶楽部』と明示されていた。


私はこのポスターを見ながら、5年前の頃から私より少し若い団塊の世代が定年退職時となりはじめたので、
この当時のポスターかしら、と微笑んだりした。

                             《つづく》


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冬の山形県・『雪街道』の旅路は・・。 第4回 銀山温泉の歴史を学びながら

2011-02-20 00:07:23 | 
           第3章  銀山温泉の歴史を学びながら

私は滞在旅行をする時には、その地域の歴史をつたないなりに学ぶ習性がある。
その地域に於ける風土・文化などの形成は、その地域に住まわれる人々の長年の歳月の蓄積が歴史であり、
たえず人々の間(あいだ)で育(はぐく)まれた結果が現代であり、
やはり無知な私でも、ささやかながら学ぶことが多いのである。

今回の銀山温泉の歴史は、ネットで旅立つ前に精読したりした。

http://www.ginzanonsen.jp/rekisi.html
☆【 銀山温泉組合 】ホームページ 『歴史』☆

私はこのホームページに縋(すが)り、ひたすら教示された・・。


そして、旅先の銀山温泉『旅館 永澤平八』で滞在している時、
談話室のような一室で、旅行観光先の宿泊所などの案内書を読んだりしていた時、
『最上銀山湯 今昔物語』の記事にに注目させられ、私は精読したりした・・。

この本は、『旅美人 SPECAIL』2006年11月に、(株)ニュー出版より発刊され、
『ふたりで過ごしたい 和の隠れ宿 全国85軒』と題された増刊号であった。

この中の特集のひとつとして、『最上銀山湯 今昔物語』が掲載され、
綴られた作者は、飯塚玲児(いいづか・れいじ)氏であった。


私は記事の一部をノートに走り書きでメモしたのであるが、この部分を無断ながらて転載させて頂く。

《・・
江戸後期の温泉番付『諸国温泉功能鑑』に「うち身かっけ 最上銀山湯」として登場するのが銀山温泉。

現在もなお三層、四層の木造旅館が狭いエリアに軒を連ね、
まるで100年の昔から時の歩みを止めてしまったような、
しっとりとした風情がある。

その歴史を訪ねて、川沿いの旅館街を歩いた。


”出羽の銀山 裸でいても
 金や 宝は掘しだい
 金がほしけりゃ 最上に往けよ
 最上銀山かねがわく”
とうたわれた山形県の延沢銀山。

江戸時代には石見(島根)などと並ぶ三大銀山として繁栄したこの銀山は、
しかしわずか100年ほどで、幕を閉じてしまった。

だが当時から、そして現在もなお、銀山の地に湧き続けているものがある。
”かね”でも”銀”でもなく、”良質な温泉”だ。


江戸時代の温泉というのは、基本的に湯治が目的である。
農家では、正月湯治に始まって、
寒湯治、田植え前の湯治、草刈り前の湯治、夏湯治、借り入れ後の湯治、
という具合に、年中行事として節目ごとに湯治に訪れるものだった。

銀山温泉は、そうした湯治場として歴史をスタートさせた。
だが江戸時代には、湯治客以外は宿に泊まることができなかったそうだ。

明治6年(1873)の資料によれば、
銀山の全戸数は39、うち宿屋は13軒。
ちなみに今の銀山も宿は13軒、戸数は40戸でほぼ同じまま。
いわば100年以上も、時の歩みを止めているともいえる。

大正2年(1913)に銀山川の大洪水があり、ほとんどの宿が流された後、
大正10年(1921)に大石田の大地主が、銀山川の水を利用して発電所を造った。

その後、昭和元年(1925)に温泉ボーリングで高温多量の湯が湧出し、
これを期に各旅館がこぞって改築して新たに登場した温泉街の建物は、
木造三層、四層のいわゆる”擬洋風建築”だった。

最近に於いては、ガス灯の設置、川沿い道の石畳造り、そして電線の地下埋設となった。
・・》

確か3ページで、当時の写真も添付された長い記事があったが、
この中の一部を私は転記しながら、
人々のそれぞの時代の生活の営みの苦楽に、思いを重ねたりした・・。


                             《つづく》

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