夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『おわら風の盆』、ささやかな私の思いは、夢うつつの時と思い馳せ・・。

2011-09-11 17:37:27 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
午前中のひととき、サラリーマンだった50代の時に人事異動で知り合った友人から、
以前、懇親会で逢った時、あなたが『風の盆』を絶賛していたので、
遅ればせながら、月初め、私たち夫婦も観に行ってきたよ、
と電話連絡があり、良かったでしょう、と私は応〈こた〉えたりした。


私たち夫婦の共通趣味のひとつは、国内旅行であり、
2004〈平成16〉年の秋に定年退職した私は、家内から、
いつの日にか『越中七尾 おわら風の盆』を観に行きたいわ、と言われたりしていた。

結果として、2006〈平成18〉年の9月1日に、
ある旅行会社の1泊2日の周遊団体観光で、初めて『風の盆』を鑑賞し、
翌日は、周辺をめぐる小旅行をした。


私はB型の思いこみの激しいひとりで、この旅立つ前は、
私なりにその地の情景を勝手にイメージし、心に片隅に創り始めてしまう習性がある。


初秋の風が吹き、夜の7時過ぎになると、家並みに沿ってぼんぼりの淡い灯りの中、
胡弓と三味線の物悲しく哀愁帯びた音色が聴こえて来た。

涼しげな少し華やいだ浴衣の女人の30数名が音色に合わせ、
踊りながら近づいてきた。

女人達は編笠の間から少し顔を覗かし、
目元は見えないが、時折、うなじが見えて、
わずかに裾が乱れながら、私の前を通り過ぎていく・・。

私は妖艶な容姿にときめきを感じて・・


このようなこと思い託〈たく〉し、夢の世界のような夢幻のひとときを思い創りあげたりしていた。



『越中七尾 おわら風の盆』の現(うつつ)の世界は、
夕方、町並みを散策し、編笠を被った浴衣の女人、はっぴ姿の男性を見かけ、
夜の本祭りの期待を増していた。

私たち夫婦も観光客のひとりであるが、普段静寂な街に多くの観光客が押し寄せていた。
3日間の本祭りの間、25万人前後の方たちが訪〈おとず〉れる、と聞いたりしていた。

陽がくれると、ぼんぼりの淡い灯りが家並みに沿って帯状となり、幻想的な街並みの光景となり、
このような中で、胡弓と三味線、そして小太鼓の音色が聴こえ、祭りの始まりに相応しい状況となった。

まもなく小雨が降りだして、10数分後には止(や)んだりし、
街の中央の通りには、観客のサービスとして、男女一組の模範踊りが披露された。
この最中に、小雨が再び降りだして、観光客の私たちは、それぞれ軒下で雨宿りをしたりした。

この後も降ったりやんだりし、夜の村雨(むらさめ)となった。


街並みを練り歩く「町流し」もわずかとなり、常設の『おわら演舞場』で拝見した後、
家内と街の中を傘を差して、散策したりした。

帰路の時、ある街の1軒のお宅の広間で、長老数名の前で、男女三組が踊りを披露していた・・。
街の中で観た人達より、格調性があり、ほのかな哀歓が漂っていた。

私が夢みた夢幻の世界と現実の現(うつつ)の世界が重なり始めたが、
10分過ぎると終わりを告げて、私達はその場を離れ、雨上がりの清々しい中、集合場所に向かった。


そして真夜中の12時に集合となり、その後は宿泊先の金沢のホテルに着いたのが、
深夜の2時半前であった。


このような『風の盆』の旅路を、ささやかながら思い馳せたりした。


私は『おわら風の盆』に魅了されたひとつには、
少し華やいだ浴衣で編笠の間から、少し顔を覗〈のぞ〉かし、
時折うなじが見える容姿、しぐさに惹かれる・・。

目元が見えない表情に妖艶を感じ、編笠を女人に被らせ発想した人は、
美の世界を識ったお方と思っている。

もとより隠れた秘めたる美こそ、日本古来の美の伝統に相応しいと確信している。


昨今の若き女性の多くの人達は、肌などを露〈あら〉わにすれば妖艶、と勘違いする方もいるが、
こうした『おわら風の盆』の編笠に隠れた表情の美しさ、そしてしぐさを学んでほしい、
と余計な事を思ったりしている。


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愚図〈ぐず〉の高齢者の私でも、この一週間は慌〈あわ〉ただしく過ごし・・。

2011-09-11 11:02:25 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

日常は定年後から自主的に平素の買物担当となり、
毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

ときおり、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。

日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。


このような生活を過ごして年金生活7年生となっているが、
この一週間ぐらいは、アメリカで2001年に発生した『同時テロ9.11』に関して、
10年目となるので、テレビで特集番組を視聴したり、読売新聞の特集記事を精読したりしている。

そして、過ぎし3月11日に我が国で発生した『東大日本大震災』そして『福島原発』は、
まもなく半年となり、やはりテレビで特集番組を視聴したり、読売新聞の特集記事を精読したりしている。

もとより『同時テロ9.11』、『東大日本大震災』そして『福島原発』は、
拙〈つたな〉い私でも、発生当時より震撼させられた。


『同時テロ9.11』には関しては、アメリカはもとより紛争国、そして世界の主要国は、
どのように変貌するのか、と時折ドキドキしながら、ここ10年近く私なりに注視してきた。

そして、『東大日本大震災』そして『福島原発』に関し、
数多くの被災地の方たちは、日常生活の困窮し、戸惑う中、
肝要の政権与党は、政局に時間を浪費し、迅速で具体的な復旧と復興の総合施策が遅延し、
自治体の県、市町村の首長、そして首脳陣を困惑させ、何よりも住民をおろそかにした状況に、
責務ある政権の首相、閣僚か、と私は知るたびに怒り、疲れ果ててきたのが実情であった。


このような心情の上、テレビを余り視聴しない私でも、
ここ一週間はNHKのBS1の特集番組などを視聴したり、そして読売新聞の特集記事を精読したり、
愚図〈ぐず〉で齢ばかり重ねた私でも、稀〈まれ〉な一週間となったりした。


その上、野田首相は、民主党の政権下で初めて『大人の政治』ができる方、と期待する中、
鉢呂吉雄(はちろ・よしお)経済産業相は、園児のような失言を発露し、辞任された。
氏は北海道大学を卒業された学業は優秀な方であるが、小・中学校の義務教育を受けた時、
礼儀作法や心の節度を学ぶことなく過ごされたのかしら、と私は苦笑している。


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