夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『暑さ寒さ彼岸まで・・』と私は呟〈つぶや〉き、心の中で小躍〈こおど〉りしながらも・・。

2011-09-24 12:57:24 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
昨日は彼岸の『お中日』の秋分の日となり、お墓参りをしたりし、
熱かった夏の日々に別れを告げた。

そして古来の人たちから、暑さ寒さ彼岸まで、と伝えられているので、
確かにそうですよねぇ、と何よりも暑さに苦手な私は、微笑んだりした。

今朝は、穏やかな陽射しが射し込む中、
ぼんやりと地元の天気情報を見たりし、朝の6時は14度、昼下りは23度前後、
そして夜の6時は20度前後が予測され、
快晴の一日と、報じている。


私の住む地域は、この時節の秋日和に恵まれて、
やがて数多くの葉が朱紅色、黄色に染められる錦繍〈きんしゅう〉を迎えるまで、
エフコンの冷気、ガスファンヒーターのお世話になることもなく、
最も過ごしやすい季節と感じている。

こうした快適な中で、農業、果樹業の方たちが労苦の成果とした農作物、果物を頂いたり、
散策をしながら、ときには心の中で小躍〈こおど〉りし、秋の訪れから深まりゆく情景を享受し、
定年後の私は、毎年この時節を過ごしてきた。

或いはウォーキングで健康な汗を流したり、
夜になれば月を愛〈め〉でたりし、ときおり私の心の合わせ鏡のような心情で眺めたり、
鈴虫、こうろぎの健気〈りなげ〉な鳴き声を友とし、書物に熱愛してきた。


このように私は、この季節を享受してきたが、今年ばかりは複雑な心情である。
もとより過ぎし3月11日、東日本大震災、そして福島原発により、
巨大な大津波で余りにも多くの人たちが亡くなわれ、
被災された方たちが、明日の見えない生活を過ごされている。

こうした方たちの前では、無力な私は言葉もなく、
被害の甚大を知るたびに茫然と過ごしながら、平常心こそが大切である、
と自身に言い聞かせてきた・・。

私は5月中旬の北東北旅行をやむなく中止した分の半額を赤十字、
自治会でわずかな義援金を供出したぐらいで、恥ずかしい身であるが、
政治は混迷、経済は低迷、社会は劣化を深め、震災地の復旧・復興に関し、
日本経済の復興こそが、何よりも日本再生の道である、
と無力な私は心の片隅に思い続けている。

政府の首脳閣僚の諸兄諸姉の議員が、真摯で国益に合った政策を取れば、
やがては私たち多くの国民が享受できるので、
直面する税負担が多少増えようと、私は生活を切り詰めて我慢し、賛意をする。

私たち高齢者は、敗戦後からの一部の方を除き、誰しも貧乏な時代を知っている世代なので、
あの悲惨な時代を思い馳せると、
今日の難題が山積しているが、日本の多くの人たちが一時的に総集すれば、
乗り切り、明るい明日が見える、と信じているひとりである。

このようにことを初秋のおだやすな陽射しを受けて、
ぼんやりと私は思ったりしている。


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