夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『秋分の日』、祖先を敬い、亡くなった人々を偲びながら、私たち夫婦はお墓参り・・。

2011-09-23 17:13:14 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であり、
まもなく67歳を迎える高齢者であるが、
今朝、曇り時々淡き陽射しとなり、おだやかな『秋分の日』の朝を迎えた。

この日は、『祖先を敬い、亡くなった人々を偲ぶ日』と称せられ、
私たち夫婦も、毎年この日は私の実家の長兄宅に行き、
長兄夫婦と他愛ない話をした後、お墓参りに行く。

その後は、お寺の境内、墓地は、『春分の日』と同様に、にぎわう日でもある。

私はお墓参りは、生者の死者に対する慰めと思ったりしているが、
生を受け、両親、祖父母、親族、祖先のお陰で、私がこうして生きているので、
感謝の意味から墓前にお線香、花をささげて手を合わしている・・。

このように、『春分の日』、『お盆の日』、この日の『秋分の日』、そして『母の命日』、
年にわずか4回ばかりであるが、私たち夫婦はお墓参りをしている。


このような心情を私は思ったりしているが、
今朝いつものように朝の9時半過ぎに、私の実家の長兄宅に行くと、
親戚の叔父さんが来宅されていて、
長兄は不意の用事で留守であったが、義姉と叔父さんをまじえて私たち夫婦の4人で談笑したりした。

叔父さんは私より10年齢上の77歳の方で、この地域で住んでいる代々農家のひとりであったが、
ここ40年前頃から植木業をしている人である。
こうした叔父さんであるので、私は地元の情景の変貌などを、
敗戦後の1945〈昭和20〉年から、私が地元の小学校を卒業した1957〈昭和32〉年頃まで、
話題にしたのであった。

私の育った地域は、田畑、竹林、雑木林など圧倒的に緑の豊かな地帯であったが、
都心のベットタウンとして、私の小学生の高学年に急速に住宅街に変貌していたので、
私の幼年期のおぼろげな記憶をたどりながら、
叔父さんの確かな視線と思情を頼りに、話題の中核とした。


一時間ばかり談笑を重ねた後、叔父さんも帰宅されたので、
まもなく私たち夫婦も長兄宅を辞した後、
私たち夫婦は小田急線の『狛江駅』から徒歩数分にあるお寺まで、
お互いに運動不足もあるので、20分ばかり徒歩の道を往復しょう、と歩きだした。

寺院の境内は、大きな樹木が数多くあり広い方であるが、ご家族連れが多く、にぎわう中、
私たち夫婦はお墓に向った。

お墓は過日の台風で葉が散乱し、少し清めた後、
墓石を水で清め、途中で買い求めた生前の母が好きだったお花を4束のお花が奉(ささげ)、
お米を備えた。
そして、お線香を奉げた。

お線香の紫煙が立ち昇る中、
祖先はもとより、祖父、父、母、次兄などから、改めて私は見守られて日々を過ごしている、
と私は感謝をしながら、手を合わしたりした。


こうした思いを重ねた後、母のおもかげがよぎっていった。

生前の母と家内は、ある程度の遠慮がお互いにあった上、
何かと心身の波長が合い、
私は家内、母に秘かに、今でも感謝している。

私の場合は、父が私の小学校の2年の時、
その数ヵ月後に祖父も死去されたので、何かと母の存在が多かった。

このためか、ときたま生前の母のちょっとしたしぐさ、
言葉づかいが想いだされる・・。

そして淡き陽射しの中、お線香の煙が芳香を残して、
青き空の中にゆったりと、立ち昇りながら消えていった・・。


この後、私は80代のご高齢のご夫妻を見かけ、
お互いに労〈いたわ〉りながら、お墓にお花を捧げている情景を見たりした。
このように人生を過ごされれば、と私は深く感じさせられた・・。


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山口百恵ちゃんの『いい日旅立ち』が街に流れていた頃、私は『L特急』の思い出と共に・・。

2011-09-23 00:13:01 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
一昨日の21日は台風15号で暴風雨の後、
昨日の22日は台風一過にふさわしく早朝から快晴となり、
買物担当の私は、いつものように午前中にスーパーに行ったり、そして散策をしたりした。

昼過ぎに自宅の居間で、ぼんやりとしていた私は、
ラジオから山口百恵ちゃんの『いい日旅立ち』の唄声が聴こえてきた・・。

この後、私は庭のテラスに下り立ち、煙草を喫いがら、微風が吹く中、
樹木や草花を眺めたりし、秋めいた情景に心身をゆだねたりした。


♪雪解け真近の 北の空に向い
 過ぎ去り日々の 夢を叫ぶとき

【 『いい日旅立ち』 作詞、作曲・谷村新司、編曲・川口 真、唄・山口百恵 】

先程、ラジオから流れていた歌が脳裏に残っていたせいか、
私は心の中で唄いだしたのである・・。


この歌は街に流れていたのは、 確か1978〈昭和53〉年の晩秋であったと思われるが、
JRの前身の国鉄時代の新宿駅で『いい日旅立つ』の歌が流れて、
私は中央線のプラットフォームで、快速の東京駅行きを待っていたのである。

この頃の私は、あるレコード会社に勤め、六本木の本社で情報畑で奮闘していた時代であった。
そして毎月20日過ぎの数日だけは、新宿駅から神田駅に行き、
日本橋ある情報処理会社にコンピュータ処理を委託していたので、通ったりしていた。

このような時、朝のラッシュ時に山口百恵ちゃんの唄声、或いはメロディーでよく流れていた・・。

♪帰らぬ人たち 熱い胸をよぎる
 せめて今日から一人きり 旅に出る
 ああ 日本のどこかに
 私を待ってる 人がいる

【 『いい日旅立ち』 作詞、作曲・谷村新司、編曲・川口 真、唄・山口百恵 】


私は前方に見える中央線の松本行きの『L特急 あずさ』の列車が、
始発前の車両6両ぐらいで待機している状況で勇姿を見せて、
多忙な私にとっては、平日にゆっくりと旅行に行けるのは夢のようなことであり、
羨望しながら見つめたりしていた。

この年の春に、賃貸マンションから思い切って一戸建てにした年であったので、
公私共々多忙な中、
住宅ローンなどを含めて一戸建ては、何かと出費が多く、私たち夫婦は悲鳴をあげながら、
この難局を何とかしなければ・・と家内はパートに出たりし、
お互いに奮闘したりしていた。

この年の前の2年間は、私たち夫婦は新婚生活を始めて賃貸マンションに住んでいて、
最初の夏季休暇の時は、『L特急』に乗車し、上野駅から長野電鉄に乗り入れた湯田中駅の終点で下車し、
その後は路線バスで志賀高原の奥地のホテルに2泊3日で行ったりした。

翌年も、『L特急』で新宿駅から松本駅で下車し、
その後は大糸線で簗場駅で下車し、青木湖の湖畔にあるホテルに2泊3日で滞在し、
周辺を散策したりした。


そして、家を建てた当年、殆ど生活に余裕はなかったが、
せめて夏季休暇の時ぐらいと、旅行会社のJTBの格安のパンフレットを見て、
蓼科高原の白樺湖の湖畔にある観光ホテルに2泊3日としたのである。
この時も、新宿駅から茅野駅まで『L特急』を利用した後、路線バスで白樺湖に行ったりした。


このような私たち夫婦は、ささやかな旅の思いでと共に『L特急』があり、
私はラッシュアワーで混んでいるプラットフォームに立ちすくんで、
前方に観える『L特急』の列車を眺めていたのである。

そして、いつの日にか、平日のゆっくりとした時に、『L特急』で旅行するのが、
夢のひとつであったが、
私の30代は、多忙と生活に余裕のない時期であり、叶うことがなかった。

その後の『L特急』列車は、優美な最新鋭の列車に変貌し、
中央本線は『スーパーあずさ』となったりした。

後年になると、たまたま『スーパーあずさ』を利用したが、
世の中の大きく変貌した為か、何かしら旅情が浅く感じられて、失望をしたりした。


私は、『いい日旅立ち』を聴いたりすると、『L特急』の列車が浮かび、
私の苦節の多かった30代の思いでと共に蘇(よみが)り、
年金生活となった今、なぜかしら愛惜を深めたりしている。


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