夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

八重山諸島きまぐれ周遊記《7》 第6章 自然村を訪ねて

2013-02-18 17:18:50 | 
     第6章 自然村を訪ねて

2月11日(月)
昨夜の10日、私たち夫婦は八重山の植物が集約された『八重山自然村』を知り、
本日訪れようと話し合い、バス・ターミナルからの路線バスでわずか12分足らずで、
最寄りのバス停車で下車した。

大きな門には、『八重山自然村』と明記されていたが、台風を受けたせいか『八』の字が欠けて、
               
私は家内にお気の毒、と言ったりした。

そして開かれた道は直線400メートル前後を歩いた先に、大きな樹があり、
      
その近くに館があり、入園料の購入売り場の近くに、動物好きな家内は『エサ』を買い求めたりした。

何かしらこの『八重山自然村』は、古来からの数多くの植物はもとより、
ウサギ、サル、アヒル、ニワトリ、カメ、ブタなども園内のコーナーにいるらしく、
家内は植物を素早く鑑賞しながら、この動物に盛んにエサを与えたりしていた。

私はこうした動物は苦手で、ゆっくりと植物の数多い樹木を観ながら、散策した。
          

こうした小路を過ぎゆく時を友としながら歩くのは、私は好きである。
                    

そして簡素な東屋で休息していると、歌が聴こえてきた・・。
               
BEGIN(ビギン)の『島人ぬ宝』、夏川りみの『涙そうそう』のなどの歌であった。

私は今回の旅路の前に、もとよりBEGIN(ビギン)、夏川りみは、石垣島ご出身でなので、
程ほどに聴いたりしてきたので、ゆっくりと時が流れる簡素な東屋で座って聴き惚れていると、
やはり八重山の情景が想い重ね、
こうした植物の中、より強く旅路の思いが心に沁みてきた・・。

こうした中、『涙そうそう』の歌に関して、
作詞・森山良子、作曲・BEGIN(ビギン)であることは5年前の頃から、遅ればせながら知っていたが、
《・・森山良子が、ライブで共演したBEGIN(ビギン)と意気投合し、沖縄の曲を依頼した。
BEGIN(ビギン)から送られたデモテープのタイトルに書いてあった「涙そうそう」は、
沖縄の言葉で「涙がぽろぽろこぼれ落ちる」という意味であると聞き、
森山良子が若くしてこの世を去った兄を想う歌詞をつけた・・》
と学んだりした。

或いは三人で構成されているBEGIN(ビギン)のメンバーは、同級生で、
夏川りみの姉がBEGIN(ビギン)のメンバーと同級生の間柄で、
こうした関連からは森山良子、BEGIN(ビギン)、夏川りみの3組は、
何かとコンサート、歌の番組などで出演が多いと知ったりした。

このようなことを思い重ねて、BEGIN(ビギン)の『島人ぬ宝』、夏川りみの『涙そうそう』のなどの歌を
聴いたりした・・。

そして付近にあるスピーカーがあり、館内から歌を流していることが、
この後、知ったりした。


この後、私は園内の樹木をゆったりと観たりし、歩道のはずれを見ると、
あえて放置された情景を見て、この周辺の自然の情景は、こうした景観だったろう、
               
と深く学んだりした。

そして私は小さな花を眺めて、野に咲く花、瞬時に魅了され、
               
家内と待ち合わせている場所に急いだ。

                                       《つづく》
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八重山諸島きまぐれ周遊記《6》 第5章 サンセット・クルーズ、初めてヨットに乗船

2013-02-18 13:48:15 | 
     第5章 サンセット・クルーズ、初めてヨットに乗船

2月10日(日)
私たち夫婦は昼過ぎまで、 陽射しを燦々とする中で、川平湾の風光明媚な情景を観たり、
食事処のサンテラスで、バラソルの下で私は煙草を喫いながら、ビールを呑んだりし、至福のひとときを過ごしたりした。
家内はトロピカル風のジュースを飲んだりして、前日までの不安定な天候の中、
雨時々曇り、ときおり風強しが多く、苦い日々を過ごしてきたので、お互いに爽快の時を共にした。

この後、路線バスを利用して、石垣市の街中を散策したし、喫茶店のような所で休息していた時、
『XXちゃんさぁ・・夕方に《サンセット・クルーズ》ツアーの追加をしてみない?』
と私は家内に問いかけた。

私たちが滞在しているホテルのフロントの一角にある観光専門スタッフが常駐しているが、
初めて到着した7日の夕食後に、このコーナーの横にある観光ツアーのパンフレットで、
《サンセット・クルーズ》を知り、私たちは瞬時に魅了されて、
このスタッフの方に13日の水曜日のツアーを申し入れ、やがて確定した。

しかしながら《サンセット・クルーズ》は、夕陽に恵まれないと意味はなく、
私たちは今回の旅路で、何かと雨時々曇りで、ときおり風も強い、
淡き陽射しが射したら、まもなく曇り、小雨となり、本日が初めて陽射しが安定した日であった。

このような状況であったので、天候か観光オプション・ツアー施行先の事情で中止も考えられるので、
私は家内に言ったりしたのである。

そして家内は承諾し、やがては観光専門スタッフに急遽本日の追加を申し入れ、
結果としては本日の午後6時から7時半の《サンセット・クルーズ》となった。

私は過ぎし55歳のサラリーマンの現役時代に於いて、会社でハワイ旅行が施行され、
私はオプションのひとつとして《サンセット・クルーズ》に参加したが、
大きな観光船の上、何よりも曇り空で無念の思いの体験があったりした。

私たちは午後5時過ぎに、ホテルのロビーで待機していた時、
何かしらヨットで《サンセット・クルーズ》と聞いていたので、
私たちのような観光の乗船客は6名前後かしら、と私は家内と談笑していた。

まもなく欧米人のような方で細身の長身の容姿の40代の男性が、
私たちの近くに来て、
『XXさんですか? 私が本日の《サンセット・クルーズ》担当するXXXXです』
と私に日本語で挨拶した。

私は観光ツアーの方は日本人の男性で船長のアシスタントの若き男性を想定していたので、
少し驚いたが、家内は全く予測していなかったので驚いた、と後で私に言ったりした。

そしてこの欧米人風の男性に導かれて、送迎車に乗り、やがてヨットが係留されている桟橋に行った。

やがてアシスタントもいなく、この欧米人風の男性がたった独りで操縦、案内人と知り、
私たちは最後部の椅子席に腰かけた。
               
私たちか何よりも驚いたのは、乗客の観光客は私たち二人だけで、
貸切船で贅沢この上もなく、と私は感じたりした。

そして桟橋を離れて、海上保安庁の巡視船(?)が視られると、
        
『何かとお忙しくて・・大変ですねぇ』
と操縦士兼案内人の欧米人風の男性は私たちに言ったりした。

まもなくして私は、
『海がお好きなようで・・ヨットの経歴は長いのですか?』
このような意味合いの言葉を操縦士兼案内人の欧米人風の男性に重ねた・・。

『私は(アメリカ)テキサスの北部の生まれで・・20歳の少し前にヨットに魅せられました・・。
そして1997年から・・この地で《サンセット・クルーズ》しています』
とこのアメリカ人の40代の方は言ったりした。
                
私は若き頃からヨットに魅了され、各国の海をヨットでクルージングされ、
やがてこの石垣港で、《サンセット・クルーズ》ツアーを施行された、と知った。
       
そして私は映画の『ジャイアンツ』(1956作品)でテキサスの時代の変貌、
或いは『大いなる西部』(1959作品)で牧場の経営者の娘の婚約者が、
初めて広大な牧場に訪れ、牧童頭に案内される時、
「この牧場は広いだろう・・」と言われて、
「海の方が広いょ」と婚約者の海の男が応えたシーンを
アメリカ人の40代の方に映画のタイトル、主演のスターを英語で話しかけたりした。

やがて私たちは、たまたま同じカメラ、そして住んでいる処の思い、家族のことなども含めて、
親睦を深めて談笑した。
               
                  そしてご当人の承諾を得て、私は記念に撮った。

この後、海をこよなく愛し、少し寡黙な男を《ヨットマン》と秘かに名付けたりした。

そして私たち三人は移ろう時の海上の波、夕暮れの陽射し、雲の流れを見つめたり、
        
こうした中で、私の好きな光景のひとつは。
     
その間に、私と《ヨットマン》デジカメで情景を撮ったりした。

このような光景は、海上のヨットの低い角度から、初めて撮れる一葉と思ったりしている。



                                       《つづく》
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八重山諸島きまぐれ周遊記《5》 第4章 再び川平湾で至福のひととき

2013-02-18 08:48:41 | 
     第4章 再び川平湾で至福のひととき

2月10日(日)
朝の天気予報を視聴していたら、滞在3日目で初めて日中は晴れ時々曇りとなった。

こうした晴れマークを視ていたら、一昨日の8日に18年ぶりに川平湾に訪れ、
無念ながら雨は本降りとなり、風はまともに受け、傘を差しても私の衣服も濡れ、
肝要の美景も霞(かす)んでしまい困惑した苦い体験があったので、
敗者復活戦の意味合いも含めて、私たち夫婦は再び川平湾に行くことにした。

市内のバス・ターミナルより午前8時55分発の路線バスで、風光明媚なリゾート線道路を走り、
川平の最寄に着いたのは午前9時40分であった。
そしてバスの乗客を迎えるように、サンゴ礁を鑑賞しやすいグラスボート船のスタッフが待機し、
私たちは導かれるように川平湾の岸辺に係留しているグラスボート船に乗船した。

まもなくグラスボート船は午前の陽射しを受けた中、湾内を周遊し、


私たち乗客は周囲の風光明媚な情景をゆっくりと見たりした後、
船底のガラス越しに川平湾のサンゴ礁を群棲をスタッフの解説を聴きながら鑑賞した。


そして乗客の若い女性は歓声を上げたりしていた。


やがて私たち乗客は、波打ち際、或いは浜辺で川平湾の美景を観たり、
記念にデジカメで撮る方が多かった。

その後、私たち夫婦は一望できる展望台に行き、晴れ渡っている川平湾の情景を
長らく観たりした。


そして付近の食事処にあるサンテラスで休憩することとし、
私はビール、家内は南国のフルーツ・ジュースを注文した後、
大きなパラソルが設置され、こうした中で私たちは椅子に腰かけて、
前面の下方に展開する川平湾の情景を眺めたりした・・。


私はパラソルから少し外れて、陽射しを燦々と受けたりして、
煙草を喫いながら、ビールを吞んだりし、至福のひとときを過ごしたりした。
こうした根底には、前日までの不安定な天候の中、雨時々曇り、ときおり風強しが多く、苦い日々を過ごしてきた。
幸いにもこうした天候に恵まれ、ストレス解消もでき、爽快一言である。


結果として私たちは昼食も兼ね、このサンデッキに2時間ばかり過ごした。


その後、ゆっくりと川平の園内の歩道を歩いたりして、この地を辞したのは午後の1時半過ぎであった。


余談であるが、ビールの付けだしには黒真珠を養育する貝であり、
ときには貝の中に、黒真珠の元となる核玉が入っていることもある。
たまたま私の一杯目のビールの時の付けだしの時は、
ひとつの黒い薄い粘膜があって、家内は微笑みながら、私に2杯目のビールを積極的に進言したりした。
                                       《つづく》
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