夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

八重山諸島きまぐれ周遊記《12》 第11章 小浜島、竹富島の観光ツアー 

2013-02-20 21:42:31 | 
     第11章 小浜島、竹富島の観光ツアー 

2月15日(金)
昨日の日中、私たち夫婦はパナリ島と称せられる新城島の
『おもいっきり新城島散策&シュノーケリングツアー1日コース』に参加した・・。

私の事前の勝手な思いとして、私たち夫婦は、シュノーケリングはできないが、
その間の時間帯は、家内は波打ち際で貝を拾ったり、私は浜辺から観え情景をデジカメで撮ったりした後、
参加者の方たちと島内めぐり散策をすれば、良いかしら、と選定した。

そしてシュノーケリングをされる方たちは、若き男女の人たちと思い、
彼らの容姿を想像すれば、私たちも少なからず長ズボンの裾を膝ぐらいまでまくりあげて、
ビーチ・サンダルを履いて、波打ち際でたわむれなければ、バランスがとれないよねぇ、
と私は思いこみ、結果としてホテルの売店で少し高価なビーチ・サンダルを私たちは買い求めたりし、
私たちは夢を膨らました・・。

結果としては、私たちだけの参加となり、余りにもかけ離れていたので、困惑していた。

ホテルに帰館後、何かしら心身の露払いのようなお清めをしょう、と私は家内に提案し、
私たちが市内で最も魅了された居酒屋の『島の美食や「なかゆくい」』に、
11日(月)に続いて、ふたりだけの夕食兼や親睦会として、行った。

そして地魚、貝などを中核に私たちは食べながら、私は盛んにビールをお代わりしていた・・。

こうした時、明日はどこに行こうかしら、と話し合い、
これまでのツアーの3回も私たち夫婦だけの貸切も、少し寂しいじゃないの、
と私は家内に言ったりした。

そして小浜島は未知であり、竹富島は過ぎし18年前に訪れていたが、
結果として、『小浜島、竹富島の観光ツアー』に決定した。
もとより 竹富島は八重諸島の離島の中で、最も人気のある島で、多くの方と周遊できるかしら、
と私は家内に微苦笑しながら言ったりした。


そして15日、『小浜島、竹富島の観光ツアー』に参加する為に、
石垣港を朝の10時半に出港の30分前に離島ターミナルに私たちは着いた。

私は今回の旅路で幾たびか離島ターミナルに来て、馴染となったが、
旅の記念に離島ターミナルの情景を撮ったりした。
      

そして桟橋の情景も撮ったりした。
               

この後、予定通り観光船は小浜島をめざし着岸したら、
『島めぐり』ツアーとして、マイクロバスが待機して、案内人の誘導に基づいて、
小雨降る中を私たちは乗り込んだ。

そして私たち夫婦と同世代のご夫婦が、二組同行となったので、
安堵したことは事実であった・・。

50代の男性がドライバーをしながら、解り易い解説をして下さり、
さとうきび畑が広がるシュガー・ロードと称される一本路を走行したり、
或いはNHKのテレビドラマの『ちゅらさん』(2001年度上半期)のロケ地に、
この島は使われた、と解説して下さり、このドラマのロケ地を周遊したりした。

私はこの放送された当時は、サラリーマンの現役時代で多忙の身であったので、
無知であったので、せっかく案内して下さっても興味がなかったので、
周辺の情景を見たりしていた。。

まもなく50代の男性がドライバー兼案内人は、この島はハブが多く島民は困苦していたので、
有志の人が孔雀(クジャク)を放った所、孔雀(クジャク)は予測した以上に繁殖し、目的のハブは激少したが、
肝要な島民の農作物まで食べて、困っている、
確かに孔雀(クジャク)は表面上は美麗であるが、獰猛である、と話して下さったりした。

そして島民の勇士が、この孔雀(クジャク)を食べた所、まずくて二度と食べたくない、
と話して下さり、私は微苦笑したりした。


この後、昼食は星野リゾートの『リゾナーレ小浜島』で松花堂のお弁当を頂きながら、
私はビールを吞んだりした。
               

南国の優雅なリゾートホテルで、多忙な働いて下さる諸兄諸姉が、
休暇の時に数泊して、ゆったりと滞在するのに最適、と思ったりした。
このようなことを思い馳せたりすると、ビールのお代りをボーイさんに所望した。

そして島内を二か所寄った後、島内観光は終了となり、
私たちは小浜島の港に行き、そして観光船に乗り、小浜島に別れを告げた。
      
               
私たちの乗船は、小雨降る中を一路『竹富島』にめざした。
               

この後、『竹富島』の港ら接岸した直後、
グラスボートに乗船し、サンゴ礁と魚が遊泳している状景を家内たちは歓声を上げながら視たりしていた。

その後、島内観光の案内して下さる50代ぐらいの女性がワゴン型の車で待機していた。
そしてこの方の案内で、私たち3組の夫婦が導かれて、『星砂の浜』、街の中心街などを解説して下さった。
      

私は18年前の頃に家内と『竹富島』に来島してきたので、
      
さりげない実の花、サンゴ礁の石垣に咲く花に見惚(みと)れたりした。

この後、竹富島の桟橋で午後3時45分に遊覧船に乗船し、わずか15分で石垣港に帰港した。

小雨が降ったり止んだりして慌ただしい日中であったが、
マイクロバス、そしてワゴン型の車で、私たちは移動して観光ができたので、
ホテルでぼんやりと過ごすより、遥かに有意義だったわ、と家内は言ったりした。


                                       《つづく》
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八重山諸島きまぐれ周遊記《11》 第10章 パナリ島ツアー 

2013-02-20 09:47:13 | 
     第10章 パナリ島ツアー 

2月14日(木)

私たち夫婦が今回の旅を立案している1月下旬、家内が魅力ある観光ツアーがある、
と私に教えてくれた。

何かしらネットで八重山諸島のことを調べていたら、
こうした企画のツアーがあることを知った、と家内は言ったりしていた。
http://panari88.com/
☆【パナリ島観光(新城島)公式サイト】☆

そして私は、この公式サイトの『魅力』、それぞれの『ツアー』を見て、
家内と話し合い、結果としてはツアーとしては『おもいっきり新城島散策&シュノーケリングツアー1日コース』が、
最適かしら、と思ったりした。

私たち夫婦は、シュノーケリングはできないが、
その間の時間帯は、家内は波打ち際で貝を拾ったり、私は浜辺から観え情景をデジカメで撮ったりした後、
参加者の方たちと島内めぐり散策をすれば、良いかしら、と選定したのである。

そして今回の旅路の始めの7日、滞在するホテルに到着した後、
ホテルのフロントの一角にある観光専門スタッフにツアー参加を14日申し入れ、
やがてツアー施行と聞き、私たちは夢を膨らました・・。

その後、やはりシュノーケリングをされる方たちは、若き男女の人たちと思い、
彼らの容姿を想像すれば、私たちも少なからず長ズボンの裾を膝ぐらいまでまくりあげて、
ビーチ・サンダルを履いて、波打ち際でたわむれなければ、バランスがとれないよねぇ、
と私は思いこみ、結果としてホテルの売店で少し高価なビーチ・サンダルを私たちは買い求めた。

当日の14日、ホテルのロビーで私たち夫婦は午前9時少し前に待機していると、
30代前半の男性が現れ、やがてツアーの案内人と知り、送迎車で離島ターミナルまで行く間、
今回のツアー参加者は私たちだけと知った。

サンセット・クルーズ、そして海中遊覧船も私たち夫婦だけで、
今回も私たちだけとなり、私は微苦笑しながら、何となく悪い予感がしたことは事実であった。


この後、予定通り石垣港を観光船は9時半に出港し、西表島の大原港を経由して
新城島(あらぐすくじま)の上地島の港に着岸したのは10時15分であった。
この間、人気のある西表島までの乗客は100名前後であったが、
その後は上地島の港に向かう乗客は私たち観光客を含めて6人であった。

そして私たち夫婦は、今回の案内人の30代前半の男性に導かれて、
港から歩きだし、上地島の集落を見ながら、やがて一軒の家に着いた。
      

このように看板が明記された家で、案内人が庭にあるテープルに大きなパラソルを掲げた。
                

その後、今回のツアーはあなた方ふたりだけですので、ご自由に過ごして下さい、
浜に行くのでしたら、この先の路を歩いて下さい、
まっすぐな一本道ですから、15分ぐらい歩けば、浜崎という浜辺に到着しますから、
このような意味合いの言葉を案内人は私たちに言った。

そして私たちは、浜崎の浜辺をめざして、1キロぐらい路を歩いた。
               

やがて海が見えて、曇り空の中、白い砂浜が広がっていた。
     

そして家内は波打ち際で貝などを拾い、私は砂浜から周辺の情景を撮ったりした。
      

私はぼんやりと押し寄せる水色の波、そして前方の蒼い海面、そして波の彼方に視える西表島を見たりしたが、
私が想定していた今回のツアーと余りにもかけ離れていたので、困惑していた。

やむなく家内の貝を探している情景を見たり、白い砂浜を見たりしていると、
ひとつの歌を小声で唄いだした・・。

♪あした浜辺を さまよえば
 昔のことぞ 忍(しの)ばるる
 風の音よ 雲のさまよ
 寄する波も 貝の色も
【『浜辺の歌』 作詞・林古渓、作曲・成田為三】

かぼそい声で唄ったりしたが、余りにも人気もなく確かに静寂であるが、
少し寂しいじゃないの、と心の中で呟(つぶや)いたりしていた。

こうした中で2時間ばかり過ごし、パナリ島ツアーの休憩所に戻り、
昼食を頂いた後、案内人に導かれて島内を散策したりした。
そして高台から、島内の見れば、
               

この後、私たちは恋路ケ浜と称せられたお洒落な名前の浜に行き、2時間ばかり過ごした。
      

そして家内は相変わらず波打ち際で貝などを拾い、私は砂浜から周辺の情景を撮ったりした。
                

この後、午後4時過ぎにパナリ島と命名された上地島に別れを告げて、
石垣港に帰港したのは午後5時15分過ぎであった。


帰宅後の今、家内は波打ち際で拾った6つの貝、私はデジカメで撮った数多く写真・・
ぼんやりと私は見ながら、微苦笑している。

                                       《つづく》
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