夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

春の嵐、齢ばかり重ねた買い物担当の私は、戸惑いながら溜息(ためいき)を重ねて・・。

2013-04-03 13:08:48 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の身であるが、
民間会社の中小業に35年近く勤めて2004年〈平成16〉年の秋に定年退職となり、
何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった半生だったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、その直後から年金生活をしている。

そして年金生活を始めて、せめて平素の買い物ぐらいは私がしょうと、家内に承諾を得て、
これ以来、日常の買い物専任者となり、殆ど毎日スーパー、専門店に行っている。

私は根はケチな為か、路線バスには乗らず、
最寄駅のひとつに徒歩20分ばかりの大通りの歩道を歩き、家内からの要望した品を買い求めたりしている。
歩くことは何よりも健康の基本である上、歩きながら四季折々の情景が観られ、
季節のうつろいを享受できるからである。

こうした中で、世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む我が家の地域は、
ここ2週間前の頃から、花桃が咲いたり、平年より早く桜花が咲き、
              
自宅の近くに流れる野川の遊歩道に桜の樹が多い中、満開となった桜花を愛(め)でながら、
過ぎし3月26日より、幾たびか歩いて来たりした。
                   
そして桜の視える桜並木は、わずかながら桜花は舞いながら散り始めていたが、
まだ満開の桜花であり、安堵しながら微笑んだりした。
                    

昨日は本降りの雨降る一日となり、やむなく買い物は中止とし、
小庭に降る雨を眺めたりして、居間で本を読んだりした・・。

そして桜花に思いを寄せたりした・・。
              
花びらが散りはじめ、空中にゆったりと舞いながら散り、
ときおり微風が吹くと、花びらが枝から離れ、青い空の中をさまようように舞いながら、
地上に落下する情景を思い浮かべたりした。
このような情景は古来より、桜の散りはじめ、花びらが舞いながら散る情景を花衣(はなごろも)と称してきた。

或いは川面に花びらが舞い、そして花びらがゆっくりと流れる情景を花筏(ハナイカダ)にも、
私は30数年魅せられてきた。


今朝、雨脚の音で目覚め、その上に風は強く吹き春の嵐となり、
あの桜花はどのようになっているのか、と憂(うれ)いたりしていた。

ときおり激しく降る雨の中、風邪は強く吹いているので、
桜花は花衣(はなごろも)、そして花筏(ハナイカダ)の美景を懇願しても、
この天候では・・と思ったりしていたのであった。

このようなことを午前中のひととき、私は風雨の中に買い物を敬遠して、
ぼんやりと小庭を眺めて、ときおり溜息(ためいき)を重ねたりしている。

追記
午後1時半過ぎ、私は買い物専任者の責務として、
風雨の舞う中、近かくの徒歩10分ばかりのスーパーに行き、
買い物をして帰宅に向かうと、なぜかしら雨は小降りとなり、帰宅した。

こうして綴っている午後2時半過ぎの今、急速に天候は回復して、
雨も上がり、風も止み、清々しい小庭の情景となっている。
そして私は、平素の行いが悪かったのかしら、微苦笑している。


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