私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の身であるが、
昨日の日中、家内と共に肌寒く小雨降る中、小庭の手入れに昼食抜きで奮戦した為か、
夜の9時過ぎに疲れを感じ布団にもぐり、本を10分ぐらい読んでいると眠りについた。
そして目覚めたのは朝の4時好きで、洗面所の窓から外を眺めれは雨が降っていたので、
齢ばかり重ねた私でも、早寝早起き元気な児は敬遠して、再び布団にもぐり二度寝を甘受した。
そして目覚めたのは7時半過ぎで、ぼんやりと居間から小庭に降りしきる雨を眺めていたら、
単細胞の私は、ひとつの歌をかぼそい声で唄いだした・・。
♪静かな雨 並木の雨
あなたを待つ 胸に降る
【『小雨降る径』 作詞・Robert CHAMFLEURY、訳詞・坂口 淳、作曲・Henry HIMMEL 】
このような歌を唄った後、この歌を盛んに聴いたりしていた頃が想い浮かび、
過ぎ去る年の私たち夫婦の新婚時代を甦(よみがえ)ったりした・・。

確か40年前の前後、この頃の独身の私は銀座の一角にあるシャンソン喫茶として名高い『銀巴里』に通うように行き、
数多くのシャンソン歌手が近くで唄われるのを、
私はコーヒーを飲みながら、名曲の数々を聴いたりしていた。
そして、近くにあるカフェ・バー形式のような『蛙たち』にも行き、
私は濃い目の水割りのウィスキーを呑みながら、数多くのシャンソン歌手が唄われるのを、
聴き惚れ、心酔していた時期であった。
そして、ときおり歌をリクエストをしたりしていた。
この後、家内と結婚前に交際していた時も、この『銀巴里』とか、『蛙たち』にも行ったりしていた。

私たち夫婦は、1976〈昭和51)年の3月下旬に結婚し、新婚生活の始めた。
入居した所は、東京都と千葉県の間に流れる江戸川沿いにある『国府台』であった。
この駅の付近には東京医歯大、和洋女子大、国府台高校などある学園街であった。
駅より商店街を抜けると、真間川が流れ、
この近くに賃貸マンションがあり、ここの最上階のひとつの2DKを借り入れた。
角部屋の窓を開けると、樹木に覆われた小高い丘にお寺があり、
私はこの窓辺から観える景観に瞬時に魅了され、貸り入れることを決めたりした。
そしてこのお寺が由緒ある弘法寺(ぐほうじ)であることを知るのは後日ある。
私はこの当時は音楽業界のあるレコード会社に勤めて、コンピュータの専任者として、
兄弟会社のようなレコード会社の担当者と共に、
未熟な私は指導を受けながらシステム開発を共にして奮闘したりしていた。
そして家内は専業主婦として過ごす中、
中学生の時から茶事を学んできた延長として、週に一度にお茶の先生の宅に訪れて習ったりし、
料理、洗濯、掃除も手を抜くこともなく、何かと従順な新妻であった。
こうした中で、私たち夫婦が新婚まもない1977〈昭和51〉の晩春だったと記憶しているが、
東銀座にある東急ホテルの小さなレストランで、
デイナー形式でシャンソンを聴きながら、夕食を頂くのに、私たち夫婦は参加した。
歌い手は私がこの当時圧倒的に心酔していた金子由香里さんで、
私は、金子由香里さんが『銀巴里』、『蛙たち』と違った面が表現できる方、
と私は感じたりしていたので、家内を誘ったのである。
そして金子由香里さんが3曲を唄った後、ボーイさんがリクエスト曲の用紙を廻してきた・・。
私は万年筆で、『小雨降る径』と書き込んだ。
20分過ぎた頃、リクエストの3番目として、
『どなた様が・・この《小雨降る径》をリクエストして下さったのでしょうか・・』
と金子由香里さんは言った。
私は少し恥ずかしげに、片手を少し挙(あ)げた。
金子由香里さんはリクエストした方が人生の苦楽に未熟な若い方であり、
少し驚ろかれた表情されたが、唄いだした・・。
この後、数曲唄われた後、私たちのテーブルに近寄ってきた。
『今晩・・来て下さって・・
あたくしの歌を・・よく聴いてくださる方よねぇ・・』
と私に向って、金子由香里さんは言った。
私はカフェ・バーの『蛙たち』などにも、幾たびか通ったりし、
金子由香里さんの歌を聴きたくて時折リクエストなどをし、記憶されていたのかしら、と私は照れたりした。
そして、金子由香里さんは、
『あなた方・・お若くて・・これからの人生・・何があろうとも・・
お互いに思いやりがあれば・・大丈夫だから・・』
と微笑みながら、このような意味合いの言葉を私たち夫婦に言った。
私は、人生の駆け出しの夫婦として、希望と幸福に満ちたあどけない私たちを視(み)て、
人生は波乱に満ち、たとえ苦難にあっても、励ましと慰めを配慮され、
わざわざ私たちのテーブルに寄って下さった、と思ったりしている。
このようなささやかな思いでが私たち夫婦にはあったが、
若き日々、人生を歩みだした時、『小雨降る径』をリクエストしたのだから、
この頃の私は人生の痛みも知らず、ただ気負(きお)っていたのかしら、
と結婚生活37年を過ぎた私は、人生には世間の荒波などもあったからねぇ、微苦笑したりしている。
この後、私は金子由香里さんの『小雨降る径』を急に聴きたくなったのである・・。

私の音楽棚には、金子由香里さんのレコード、カセット、CDは少なくとも15枚のアルバムはあるが、
この『小雨降る径』が収録されたのはレコードだけであり、少し気落ちしたのである。
私はレコード・プレイヤーを手放しているので、やむなくネットの【YouTube】に頼って検索し、
久々に【YouTube】の上であるが、
愛(いと)しき金子由香里さんの『小雨降る径』の歌に、めぐり逢えたのである。
http://www.youtube.com/watch?v=8ynlEywBSBI&playnext=1&list=PLC14E9415E89B51B1
☆【YouTube】【『小雨降る径』 作詞・Robert CHAMFLEURY、訳詞・坂口 淳、作曲・Henry HIMMEL 、唄・金子由香里】☆
私はあれから37年近く金子由香里さんにお逢いすることなく、
ときおりCDのアルバムで聴いたりするばかりであるが、
お齢を召されもお元気なのかしら、と私は小雨降る小庭を眺めながら思ったりした。
☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村

昨日の日中、家内と共に肌寒く小雨降る中、小庭の手入れに昼食抜きで奮戦した為か、
夜の9時過ぎに疲れを感じ布団にもぐり、本を10分ぐらい読んでいると眠りについた。
そして目覚めたのは朝の4時好きで、洗面所の窓から外を眺めれは雨が降っていたので、
齢ばかり重ねた私でも、早寝早起き元気な児は敬遠して、再び布団にもぐり二度寝を甘受した。
そして目覚めたのは7時半過ぎで、ぼんやりと居間から小庭に降りしきる雨を眺めていたら、
単細胞の私は、ひとつの歌をかぼそい声で唄いだした・・。
♪静かな雨 並木の雨
あなたを待つ 胸に降る
【『小雨降る径』 作詞・Robert CHAMFLEURY、訳詞・坂口 淳、作曲・Henry HIMMEL 】
このような歌を唄った後、この歌を盛んに聴いたりしていた頃が想い浮かび、
過ぎ去る年の私たち夫婦の新婚時代を甦(よみがえ)ったりした・・。

確か40年前の前後、この頃の独身の私は銀座の一角にあるシャンソン喫茶として名高い『銀巴里』に通うように行き、
数多くのシャンソン歌手が近くで唄われるのを、
私はコーヒーを飲みながら、名曲の数々を聴いたりしていた。
そして、近くにあるカフェ・バー形式のような『蛙たち』にも行き、
私は濃い目の水割りのウィスキーを呑みながら、数多くのシャンソン歌手が唄われるのを、
聴き惚れ、心酔していた時期であった。
そして、ときおり歌をリクエストをしたりしていた。
この後、家内と結婚前に交際していた時も、この『銀巴里』とか、『蛙たち』にも行ったりしていた。

私たち夫婦は、1976〈昭和51)年の3月下旬に結婚し、新婚生活の始めた。
入居した所は、東京都と千葉県の間に流れる江戸川沿いにある『国府台』であった。
この駅の付近には東京医歯大、和洋女子大、国府台高校などある学園街であった。
駅より商店街を抜けると、真間川が流れ、
この近くに賃貸マンションがあり、ここの最上階のひとつの2DKを借り入れた。
角部屋の窓を開けると、樹木に覆われた小高い丘にお寺があり、
私はこの窓辺から観える景観に瞬時に魅了され、貸り入れることを決めたりした。
そしてこのお寺が由緒ある弘法寺(ぐほうじ)であることを知るのは後日ある。
私はこの当時は音楽業界のあるレコード会社に勤めて、コンピュータの専任者として、
兄弟会社のようなレコード会社の担当者と共に、
未熟な私は指導を受けながらシステム開発を共にして奮闘したりしていた。
そして家内は専業主婦として過ごす中、
中学生の時から茶事を学んできた延長として、週に一度にお茶の先生の宅に訪れて習ったりし、
料理、洗濯、掃除も手を抜くこともなく、何かと従順な新妻であった。

こうした中で、私たち夫婦が新婚まもない1977〈昭和51〉の晩春だったと記憶しているが、
東銀座にある東急ホテルの小さなレストランで、
デイナー形式でシャンソンを聴きながら、夕食を頂くのに、私たち夫婦は参加した。
歌い手は私がこの当時圧倒的に心酔していた金子由香里さんで、
私は、金子由香里さんが『銀巴里』、『蛙たち』と違った面が表現できる方、
と私は感じたりしていたので、家内を誘ったのである。
そして金子由香里さんが3曲を唄った後、ボーイさんがリクエスト曲の用紙を廻してきた・・。
私は万年筆で、『小雨降る径』と書き込んだ。
20分過ぎた頃、リクエストの3番目として、
『どなた様が・・この《小雨降る径》をリクエストして下さったのでしょうか・・』
と金子由香里さんは言った。
私は少し恥ずかしげに、片手を少し挙(あ)げた。
金子由香里さんはリクエストした方が人生の苦楽に未熟な若い方であり、
少し驚ろかれた表情されたが、唄いだした・・。
この後、数曲唄われた後、私たちのテーブルに近寄ってきた。
『今晩・・来て下さって・・
あたくしの歌を・・よく聴いてくださる方よねぇ・・』
と私に向って、金子由香里さんは言った。
私はカフェ・バーの『蛙たち』などにも、幾たびか通ったりし、
金子由香里さんの歌を聴きたくて時折リクエストなどをし、記憶されていたのかしら、と私は照れたりした。
そして、金子由香里さんは、
『あなた方・・お若くて・・これからの人生・・何があろうとも・・
お互いに思いやりがあれば・・大丈夫だから・・』
と微笑みながら、このような意味合いの言葉を私たち夫婦に言った。
私は、人生の駆け出しの夫婦として、希望と幸福に満ちたあどけない私たちを視(み)て、
人生は波乱に満ち、たとえ苦難にあっても、励ましと慰めを配慮され、
わざわざ私たちのテーブルに寄って下さった、と思ったりしている。
このようなささやかな思いでが私たち夫婦にはあったが、
若き日々、人生を歩みだした時、『小雨降る径』をリクエストしたのだから、
この頃の私は人生の痛みも知らず、ただ気負(きお)っていたのかしら、
と結婚生活37年を過ぎた私は、人生には世間の荒波などもあったからねぇ、微苦笑したりしている。
この後、私は金子由香里さんの『小雨降る径』を急に聴きたくなったのである・・。

私の音楽棚には、金子由香里さんのレコード、カセット、CDは少なくとも15枚のアルバムはあるが、
この『小雨降る径』が収録されたのはレコードだけであり、少し気落ちしたのである。
私はレコード・プレイヤーを手放しているので、やむなくネットの【YouTube】に頼って検索し、
久々に【YouTube】の上であるが、
愛(いと)しき金子由香里さんの『小雨降る径』の歌に、めぐり逢えたのである。
http://www.youtube.com/watch?v=8ynlEywBSBI&playnext=1&list=PLC14E9415E89B51B1
☆【YouTube】【『小雨降る径』 作詞・Robert CHAMFLEURY、訳詞・坂口 淳、作曲・Henry HIMMEL 、唄・金子由香里】☆
私はあれから37年近く金子由香里さんにお逢いすることなく、
ときおりCDのアルバムで聴いたりするばかりであるが、
お齢を召されもお元気なのかしら、と私は小雨降る小庭を眺めながら思ったりした。
☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪

