私は民間会社の中小業のある会社に35年近く奮戦して、
2004年(平成16年)の秋に定年退職をした身であるが、
この間に幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりした。
やがて最後の5年半は、リストラ烈風が加速される中、あえなく出向となったり、
何とか定年を迎えることができたので、敗残者のような七転八起のサラリーマン航路を過ごした。
そして定年退職するまで人生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
世の中の多く人たちから、人生の3大支出は教育資金、住宅資金、老後資金と学んだりしているが、
たまたま我が家は子供の「教育資金」は不要となったので、定年した直後から年金生活を開始できたことも事実である。
こうした中で、私たち夫婦は雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごし、
まもなく9月の誕生日を迎えると72歳となり、年金生活も早や丸12年となる。
そして家内は、私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

年金生活を始めた当初は、定年の5年前の頃から、定年後の60代の10年間だけは五体満足に生かしてくれ、
その後の70代以降の残された歳月は、余生であると漠然ながらと思ったりしてきた。
こうした思いの底には、私の父は私が小学2年3学期になると、黄疸〈おうだん〉で長らく自宅治療をしていたが、
肝臓が悪化して、42歳の若さで病死されたこともあったりした。
そして何よりも私の現役のサラリーマンの50代に同僚が病死されたり、
残されたご家族の心痛な思いが、痛いほど理解させられたりしてきた。
或いは先輩の65歳、69歳で亡くなったことであった。
やがて私は定年後、年金生活をし62歳の時、現役時代の一時時期に交遊した友も、無念ながら病死したりした。
そして私が64歳の時、同世代のひとりの知人が奥様に病死されて、
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。
こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。
ここ数年は会社時代の少し先輩、或いは後輩の68歳が、いずれも大病で入退院を繰り返した後、この世を去ったり、
ご近所の私と同世代の知人が、突然に脳梗塞で死去されて、数か月の先は誰しも解らない、冷厳なこの世の実態に、
私は震撼させられたりしてきた・・。

このような心情の片隅みに秘めながら、私は60代の年金生活は、つたない我が人生の中で、
最も安楽な日々を過ごして、享受してきた。
過ぎし2012年(平成24年)の晩春の頃、団塊世代が65歳を迎え、大量退職が始まる年、
と雑誌を読んで教えられ、思わず微笑んだりした。
私より少し若い世代の団塊世代の諸兄諸姉は、
多くは60歳で定年退職をされて、その後は年金完全支給年まで何らかの形で働かれ、
65歳になった今日、セカンドライフと称せられる年金生活を迎えられた、と私は解釈した。
こうした中で、団塊世代の諸兄諸姉は、第一線を退かれ、年金生活を過ごされ、
今までの多忙な勤務の生活を終えて、それぞれお好きな趣味の時間で過ごされる、と思ったりした。
もとより60代は、ゴールデン・イヤーズと称される通り、身体も元気、
心は長年の勤務から解放感で満ち、心身共に第二の人生を満喫されている年代でもある。
そして私は、25歳の時に中途入社し、何かと職場に団塊世代の諸兄諸姉の新卒の方が多く、
時代の空気を共にしてきたので、何かと親近感が増し、好感したりしてきた。

定年前の私は、現役のサラリーマン時代は数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた・・。
そして定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩したくなく、
平素の我が家の買物は、家内から依頼された品をスーパー、専門店で求めている買物メール老ボーイとなっている。
この後、独りで自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを歩いたりしている。
私は今住んでいる地域に、結婚前後の5年を除き、長らく住み、
戦後から今日まで急速に変貌してことに、愛惜感もある。
そしてイギリスの湖畔詩人と称されたワーズワースは、湖水地方の緩やかな谷と丘が連なる道、
或いは小さな町の田舎道を、何十キロでも平気で歩いたと伝えられているが、
私も少しばかり真似事をして、歩き廻ったりし、季節のうつろいを享受している。
帰宅後の午後の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。

こうした中、家内は相変わらず料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
私はせめてと思いながら、家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、
私は素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。
そして私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。
或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
ビール、水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
そして、ときおり小庭の手入れをしたり、家内との共通趣味の国内旅行で、
私たち夫婦は海外の地は苦手であるので、せめてと思いながら、
元気なうちに行きたい所を行こうょ、と日本の四季折々の各地を訪ねてきた。

このように年金生活を過ごしているが、私は敬愛しているチャップリンの遺(のこ)された言葉のひとつに、
《 人生には三つのものがあればいい。希望と勇気とサムマネー。 》
という名言があり、人生の確かな格言ですねぇ、と程ほどの貯金しかない私でも、信愛しているひとりである。
そして恐れ多くも日本の歴代天皇が継承してきた三種の神器と称せられる鏡・剣・玉があるが、
平民で無力な私は、『生きがい』、次に『健康』、そして程ほど『お金』が、
私の年金生活の三種の神器かしら、と思いながら過ごしてきている。
たとえ不幸にして、入院生活が余儀されても、『生きがい』を失くしたら、心は終末期と思ったりしている。
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
私はひたすら歩くこと、睡眠、程ほどの食事が、セカンドライフ健康体の三種の神器として思い、
年金生活を過ごしている。
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2004年(平成16年)の秋に定年退職をした身であるが、
この間に幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりした。
やがて最後の5年半は、リストラ烈風が加速される中、あえなく出向となったり、
何とか定年を迎えることができたので、敗残者のような七転八起のサラリーマン航路を過ごした。
そして定年退職するまで人生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
世の中の多く人たちから、人生の3大支出は教育資金、住宅資金、老後資金と学んだりしているが、
たまたま我が家は子供の「教育資金」は不要となったので、定年した直後から年金生活を開始できたことも事実である。
こうした中で、私たち夫婦は雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごし、
まもなく9月の誕生日を迎えると72歳となり、年金生活も早や丸12年となる。
そして家内は、私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

年金生活を始めた当初は、定年の5年前の頃から、定年後の60代の10年間だけは五体満足に生かしてくれ、
その後の70代以降の残された歳月は、余生であると漠然ながらと思ったりしてきた。
こうした思いの底には、私の父は私が小学2年3学期になると、黄疸〈おうだん〉で長らく自宅治療をしていたが、
肝臓が悪化して、42歳の若さで病死されたこともあったりした。
そして何よりも私の現役のサラリーマンの50代に同僚が病死されたり、
残されたご家族の心痛な思いが、痛いほど理解させられたりしてきた。
或いは先輩の65歳、69歳で亡くなったことであった。
やがて私は定年後、年金生活をし62歳の時、現役時代の一時時期に交遊した友も、無念ながら病死したりした。
そして私が64歳の時、同世代のひとりの知人が奥様に病死されて、
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。
こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。
ここ数年は会社時代の少し先輩、或いは後輩の68歳が、いずれも大病で入退院を繰り返した後、この世を去ったり、
ご近所の私と同世代の知人が、突然に脳梗塞で死去されて、数か月の先は誰しも解らない、冷厳なこの世の実態に、
私は震撼させられたりしてきた・・。

このような心情の片隅みに秘めながら、私は60代の年金生活は、つたない我が人生の中で、
最も安楽な日々を過ごして、享受してきた。
過ぎし2012年(平成24年)の晩春の頃、団塊世代が65歳を迎え、大量退職が始まる年、
と雑誌を読んで教えられ、思わず微笑んだりした。
私より少し若い世代の団塊世代の諸兄諸姉は、
多くは60歳で定年退職をされて、その後は年金完全支給年まで何らかの形で働かれ、
65歳になった今日、セカンドライフと称せられる年金生活を迎えられた、と私は解釈した。
こうした中で、団塊世代の諸兄諸姉は、第一線を退かれ、年金生活を過ごされ、
今までの多忙な勤務の生活を終えて、それぞれお好きな趣味の時間で過ごされる、と思ったりした。
もとより60代は、ゴールデン・イヤーズと称される通り、身体も元気、
心は長年の勤務から解放感で満ち、心身共に第二の人生を満喫されている年代でもある。
そして私は、25歳の時に中途入社し、何かと職場に団塊世代の諸兄諸姉の新卒の方が多く、
時代の空気を共にしてきたので、何かと親近感が増し、好感したりしてきた。

定年前の私は、現役のサラリーマン時代は数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた・・。
そして定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩したくなく、
平素の我が家の買物は、家内から依頼された品をスーパー、専門店で求めている買物メール老ボーイとなっている。
この後、独りで自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを歩いたりしている。
私は今住んでいる地域に、結婚前後の5年を除き、長らく住み、
戦後から今日まで急速に変貌してことに、愛惜感もある。
そしてイギリスの湖畔詩人と称されたワーズワースは、湖水地方の緩やかな谷と丘が連なる道、
或いは小さな町の田舎道を、何十キロでも平気で歩いたと伝えられているが、
私も少しばかり真似事をして、歩き廻ったりし、季節のうつろいを享受している。
帰宅後の午後の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。

こうした中、家内は相変わらず料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
私はせめてと思いながら、家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、
私は素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。
そして私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。
或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
ビール、水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
そして、ときおり小庭の手入れをしたり、家内との共通趣味の国内旅行で、
私たち夫婦は海外の地は苦手であるので、せめてと思いながら、
元気なうちに行きたい所を行こうょ、と日本の四季折々の各地を訪ねてきた。

このように年金生活を過ごしているが、私は敬愛しているチャップリンの遺(のこ)された言葉のひとつに、
《 人生には三つのものがあればいい。希望と勇気とサムマネー。 》
という名言があり、人生の確かな格言ですねぇ、と程ほどの貯金しかない私でも、信愛しているひとりである。
そして恐れ多くも日本の歴代天皇が継承してきた三種の神器と称せられる鏡・剣・玉があるが、
平民で無力な私は、『生きがい』、次に『健康』、そして程ほど『お金』が、
私の年金生活の三種の神器かしら、と思いながら過ごしてきている。
たとえ不幸にして、入院生活が余儀されても、『生きがい』を失くしたら、心は終末期と思ったりしている。
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
私はひたすら歩くこと、睡眠、程ほどの食事が、セカンドライフ健康体の三種の神器として思い、
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