私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の71歳の身であるが、
結婚前後5年を除き、都民のひとりとして、この地に66年ばかり過ごしている。
私は政治にも疎(うと)く、今回の都知事選に於いて、数多く御方が立候補され、
何よりも驚いたのは、山口敏夫さんが立候補されたことであった。
私は新聞、雑誌、テレビなどから、山口敏夫さんに関しては、
失礼ながら小柄であるが、遠い昔に迫力ある言動を幾たびか感じていた御方であった。
そして改めて氏の略歴を読み、遠い日の記憶が蘇(よみがえ)った・・。、
過ぎし1976年、ロッキード事件を受けて、
自民党のリベラル派議員と称せられる河野、西岡、田川誠一ら自民党を離党し、
新自由クラブを結党する。
同年末の第34回衆議院議員総選挙では「クリーンな政治」を掲げ、一挙に12人もの新人を当選させ大勝するが、
その後は政党の独自色を明確にできず、既成政党に埋没して、やがて党勢は衰退した。
1979年には、党の中心人物であり、初代新自由クラブ幹事長の西岡武夫が離党。
1980年、田川幹事長の代表就任に伴い、後任の幹事長に就任し、
党の起死回生を図るべく1983年、中曽根康弘連立政権への参加を推進。
翌1984年発足の第2次中曽根改造内閣で労働大臣に就任し、初入閣した。
こうした歴任された御方であり、私はとっくに政界を引退されて、地元で穏やかに過ごされている御方、
と思っていたので、ここ12日前に、偶然にテレビのニュースを視聴していた時、
御歳を召された容姿に、今更どうして都知事選に立候補されたんですか、とびっくりさせられたりしてきた。

確か7月27日の朝、家内が居間でテレビを視聴していた時、
私は近くで、ブログで愛読してる数多くの御方の投稿文を読ませていただいたりしていた・・。
テレビからは、何かしら自民党本部で各種団体総決起大会を開き、
自民、公明などが推薦する増田寛也・立候補の支援が開催され、石原慎太郎・元都知事(83)が登壇し、発言されいた。
石原慎太郎さんは、野党統一候補として擁立された鳥越俊太郎・立候補について
「売国奴だよ、こいつは」と“こいつ”呼ばわりをされていた。
更に鳥越俊太郎さんが、尖閣諸島で中国と衝突し、人命が失われる事態になるようなら
「尖閣なんて、中国にくれたらいい」と発言しているとし
「こんなバカなことを言うヤツに、東京を代表できるか」と切り捨てたりしていた。

或いは小池百合子・立候補については、
「私はあの人は、ウソつきだと思いますよ。
私があの人に、選挙に出たらいいなんて言ったという。そんなこと毛頭ありませんから。
厚化粧の女に、任せるわけにはいかないよ」と発言した。
私は自民党の都連会長の石原伸晃さんは、自民、公明などが推薦する増田寛也・立候補が劣勢で危惧して、
父上の石原慎太郎さんの名声にすがった、と瞬時に感じたりした。
そして立候補している小池百合子元防衛相について、
「今日をもって小池氏は自民党の人間ではない。私はこのように思っている」と公言した。
私は園児のような発言に、相変わらずお坊ちゃんの言動にあきれ果てて、
父上のお陰で国会議員になれた癖に、困ったもんだ、と苦笑したりしてきた。
私は何よりも憂いことは、石原慎太郎さんは心の節度も欠け、御歳を召された、と深く感じたし、
今回の小池百合子・立候補についての発言の中で、・・厚化粧の女に、任せるわけにはいかないよ・・
こうしたことは、少なくとも都民の有権者のご婦人層が心害されることである、と瞬時に感じ深めたりした。

山口敏夫・立候補がジャーナリストの上杉隆・立候補ともに、7月29日に街頭演説を行った、
と私は新聞で読んだりした。
何かしら26日に、自民党本部で開かれた増田寛也・立候補の総決起集会で、「
石原慎太郎さんの小池百合子・立候補についての発言を問題視されていた。
≪・・この日午後、渋谷駅前の演説で、山口氏は、
慎太郎氏の長男で自民党東京都連会長の石原伸晃経済再生担当相(59)にも怒りの矛先を向けた。
「老いた慎太郎さんに、選挙の応援を頼んだのが、せがれの石原伸晃。
伸晃はもうすぐ60歳。大臣もやってる。
それが5歳や10歳の子供じゃあるまし、
『父ちゃん、俺たちの担いだ候補が負けそうだから、ぜひ応援して下さい』
と応援ベンチに引っ張り出した」
と都連会長の手腕に疑問を呈した。
「挙げ句の果てに、小池批判をさせた。
結果的に小池さんだけでなく、全国の女性を怒らせて、小池さんを応援するようなことになった。
慎太郎さんも親バカだから、せがれに頼まれたら、ひきうけちゃう。
しかし、頼むせがれは、もっと頭が悪い」と痛烈に批判した。・・≫
こうした記事を私は読みながら、山口敏夫・立候補の的言に、大笑いさせられた・・。
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結婚前後5年を除き、都民のひとりとして、この地に66年ばかり過ごしている。
私は政治にも疎(うと)く、今回の都知事選に於いて、数多く御方が立候補され、
何よりも驚いたのは、山口敏夫さんが立候補されたことであった。
私は新聞、雑誌、テレビなどから、山口敏夫さんに関しては、
失礼ながら小柄であるが、遠い昔に迫力ある言動を幾たびか感じていた御方であった。
そして改めて氏の略歴を読み、遠い日の記憶が蘇(よみがえ)った・・。、
過ぎし1976年、ロッキード事件を受けて、
自民党のリベラル派議員と称せられる河野、西岡、田川誠一ら自民党を離党し、
新自由クラブを結党する。
同年末の第34回衆議院議員総選挙では「クリーンな政治」を掲げ、一挙に12人もの新人を当選させ大勝するが、
その後は政党の独自色を明確にできず、既成政党に埋没して、やがて党勢は衰退した。
1979年には、党の中心人物であり、初代新自由クラブ幹事長の西岡武夫が離党。
1980年、田川幹事長の代表就任に伴い、後任の幹事長に就任し、
党の起死回生を図るべく1983年、中曽根康弘連立政権への参加を推進。
翌1984年発足の第2次中曽根改造内閣で労働大臣に就任し、初入閣した。
こうした歴任された御方であり、私はとっくに政界を引退されて、地元で穏やかに過ごされている御方、
と思っていたので、ここ12日前に、偶然にテレビのニュースを視聴していた時、
御歳を召された容姿に、今更どうして都知事選に立候補されたんですか、とびっくりさせられたりしてきた。

確か7月27日の朝、家内が居間でテレビを視聴していた時、
私は近くで、ブログで愛読してる数多くの御方の投稿文を読ませていただいたりしていた・・。
テレビからは、何かしら自民党本部で各種団体総決起大会を開き、
自民、公明などが推薦する増田寛也・立候補の支援が開催され、石原慎太郎・元都知事(83)が登壇し、発言されいた。
石原慎太郎さんは、野党統一候補として擁立された鳥越俊太郎・立候補について
「売国奴だよ、こいつは」と“こいつ”呼ばわりをされていた。
更に鳥越俊太郎さんが、尖閣諸島で中国と衝突し、人命が失われる事態になるようなら
「尖閣なんて、中国にくれたらいい」と発言しているとし
「こんなバカなことを言うヤツに、東京を代表できるか」と切り捨てたりしていた。

或いは小池百合子・立候補については、
「私はあの人は、ウソつきだと思いますよ。
私があの人に、選挙に出たらいいなんて言ったという。そんなこと毛頭ありませんから。
厚化粧の女に、任せるわけにはいかないよ」と発言した。
私は自民党の都連会長の石原伸晃さんは、自民、公明などが推薦する増田寛也・立候補が劣勢で危惧して、
父上の石原慎太郎さんの名声にすがった、と瞬時に感じたりした。
そして立候補している小池百合子元防衛相について、
「今日をもって小池氏は自民党の人間ではない。私はこのように思っている」と公言した。
私は園児のような発言に、相変わらずお坊ちゃんの言動にあきれ果てて、
父上のお陰で国会議員になれた癖に、困ったもんだ、と苦笑したりしてきた。
私は何よりも憂いことは、石原慎太郎さんは心の節度も欠け、御歳を召された、と深く感じたし、
今回の小池百合子・立候補についての発言の中で、・・厚化粧の女に、任せるわけにはいかないよ・・
こうしたことは、少なくとも都民の有権者のご婦人層が心害されることである、と瞬時に感じ深めたりした。

山口敏夫・立候補がジャーナリストの上杉隆・立候補ともに、7月29日に街頭演説を行った、
と私は新聞で読んだりした。
何かしら26日に、自民党本部で開かれた増田寛也・立候補の総決起集会で、「
石原慎太郎さんの小池百合子・立候補についての発言を問題視されていた。
≪・・この日午後、渋谷駅前の演説で、山口氏は、
慎太郎氏の長男で自民党東京都連会長の石原伸晃経済再生担当相(59)にも怒りの矛先を向けた。
「老いた慎太郎さんに、選挙の応援を頼んだのが、せがれの石原伸晃。
伸晃はもうすぐ60歳。大臣もやってる。
それが5歳や10歳の子供じゃあるまし、
『父ちゃん、俺たちの担いだ候補が負けそうだから、ぜひ応援して下さい』
と応援ベンチに引っ張り出した」
と都連会長の手腕に疑問を呈した。
「挙げ句の果てに、小池批判をさせた。
結果的に小池さんだけでなく、全国の女性を怒らせて、小池さんを応援するようなことになった。
慎太郎さんも親バカだから、せがれに頼まれたら、ひきうけちゃう。
しかし、頼むせがれは、もっと頭が悪い」と痛烈に批判した。・・≫
こうした記事を私は読みながら、山口敏夫・立候補の的言に、大笑いさせられた・・。
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