私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後39年を過ぎた古ぼけた一軒屋に住み、
自動車もない稀(まれ)な家となっている。
私は2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、多々の理由で年金生活を始めた・・。
こうした中で、私は年金生活の当初から、我が家の平素の買物に関して、
私は自主的に買物専任者として宣言し、家内から依頼された品を求めて、
独りで殆ど毎日、スーパー、専門店など歩いて行き、買物メール老ボーイとなっている。
この後は、やはり独りで自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受している。
このような午前中の過ごし方を定例事項のように過ごしてきた・・。
例外として、家内のボディガード、お供そして荷物持ちで、3週間に一度ぐらい駅前で買物、
或いは年に3回ぐらい都心の新宿にある伊勢丹、小田急、京王などのデパートに買物、
そして庭の手入れ、国内旅行、懇親会、冠婚葬祭などで小用がない限り、定年後の13年半を過ごしてきた。
こうした中で、ここ一週間、家内はヘヤー・ドヤイヤーの調子が悪く、
『近いうちに家電量販店に、行きたいわ・・』
と呟(つぶや)くように私に言ったりした・・。
『行きましょう・・』
と私は微笑みながら若き自衛官に負けないように、明るく家内に言ったりした。
私たちの両親は、無念ながら家内の母だけとなって、早や13年半が過ぎている、
我が家より遠くに一戸建てに独り住まいとなった家内の母の宅に、
当初は長女の家内は、季節が変わるたびに、衣服、暖冷房、カーテン、小庭などの整理で、
6泊7日前後で行ったりしてきた。
やがて家内の母は、80歳過ぎた頃から膝(ひざ)を悪化して、まもなく杖(つえ)を突く身となって、
こうした後、整形外科、内科、眼科に通院している中、膝(ひざ)と腰に激痛が感じ、
一昨年の5月より少し遠い大学病院で検査、そして入院、退院後の検査が加わりした後、
リハビリで近くの病院に行ったりして『要介護2』となってきた。
そして家内は付き添う為に、家内の母宅で駐在することが多くなってきた。
まもなく家内の妹が強力な援軍となり、家内と家内の妹が交互に、
家内の母宅に殆ど宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。
そして昨年の5月より、家内の母はデイ・サービスに通った成果で、市の福祉課が再審査を得て、
『要介護2』から『要支援2』と回復して認定されたりした。
このように、家内は家内の妹と逐次連絡しあって、家内は独り住まいの家内の母宅に行っている時は、
私は我が家で『おひとりさま』の生活となっている。
こうした中、私たち夫婦は年金生活をしている身であるが、
何かと家内の母の介護でスケジュールが左右されるようになり、
ときおり私たち夫婦は微苦笑する時もある。
こうした関係で、私は家内と共に外出する機会は、減少してきたので、
せめて高齢者の夫婦の我が家でも、良き事と思いながら、私は家内に明るく応(こ)えたりした。
昨夕、明日(あす)駅前に買物に行こうょ、と私は家内を誘ったりした。
本日の朝、朝食を談笑しながら家内と共に頂いている中、
テレビで天気情報を視聴していたら、本日は今年初めての30度の真夏日となりますので、
熱中症に気を付けましょう、と報じていた。
やがて私たち夫婦は、家電量販店の最短距離を思案して、
我が家より徒歩数分の路線バスのバス停より、京王線の調布駅前まで、行くこととした。
家内は日傘を差して、白のワンピースにロー・ヒールの容姿であり、
私は真夏日にふさわしいようにアロハシャツ、アウトドア用の長ズボン、ウォーキング・シューズで足元を固め、
夏の帽子を深くかぶり、サングラスを掛け、そして紳士バックを園児のように斜め掛けにして、
我が家を出たりした。
この後、路線バスに10数分乗車した後、駅前に一分たらずの家電量販店の『ビックカメラ』に入店した。
やがて家内はヘヤー・ドヤイヤーを買い求めた後、京王線の調布駅より仙川駅に移動し、
駅ビルの中にあるスーバーの『京王ストアー』で、家内は品を選定している間、
私は2階にある本屋の『啓文堂書店』で、読みたい本を選定したりした。
結果としては、総合月刊誌の『文藝春秋』(6月号)、
そして特集に魅せられて『中央公論』』(6月号)を買い求めたりした。
やがて、ドラッグストアの『サンドラック』で、我が家では日用雑貨品、
そして家内の化粧品などを積極果敢に買い求めたりした。
この後、私は両手にレジ袋を提げて、家内の従者のように、お供そして荷物持ちで、
家内も両手にレジ袋を提げて、商店街を歩いたりした。
この後は、ホームセンターの『島忠』で買物をしたりすると、
私は更に手持つの数は増えて、苦笑したりした・・。
この後、昼食用に食事処に迷ったが、私の知人から聞いた美味しい焼き肉屋を思いだして、
私たち夫婦は初めての『焼肉』料理店に入店した。
やがて私は、ビールを呑み焼肉を食べ、家内と談笑すれば、
昨今の政治、社会の悪しき事は、遠い彼方のようなことと思えたりした。
或いは家内の母の介護で、私たちの生活が左右されることなどは、
私たちに与えられた人生のひとつだなぁ、と私は微苦笑を重ねたりした。
やがて私たち夫婦は、路線バスに乗車して、まもなく帰宅したのは午後2時半過ぎであった。