夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

認知症予防に有効なリズミカル歩行、信愛している御方から学び、やがて私は微笑み返しをして・・。

2018-06-18 15:14:16 | ささやかな古稀からの思い

昼過ぎ、ときおり愛読している朝日新聞社系の基幹サイト【AERA dot.】を見ている中、
【 イメージは星の王子さま? 認知症予防に有効なリズミカル歩行  】と見出しを見てしまった。

私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の73歳の身であるが、
認知症予防には、最も関心のある課題があるが、イメージは星の王子さま?・・とフレーズに戸惑いながら、
どういうことですか、と思いながら精読してしまった。

やがて私が信愛している帯津良一(おびつ・りょういち)さんの論調と学び、
多々教示されながら、そうですよねぇ・・、と私は微笑み返しをしてしまった・・。

この記事の原文は、『週刊朝日』の2018年6月22日号に掲載された記事で、
西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、
人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一さんの連載の寄稿文である。

死ぬまでボケない「健脳」養生法を説き、今回のテーマは「凜として老いる」であり、
【AERA dot.】に於いて2018年6月18日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。

               

《・・「凜として老いる」~認知症予防に有効なリズミカル歩行~

【ポイント】
(1)死ぬまでボケないために、凜として老いる
(2)凜として老いるためには、歩き方が大事
(3)背筋を伸ばして、リズミカルに歩こう

死ぬまでボケないということを考えたときに、
私が思い浮かべるのは「凜として老いる」という言葉です。

この言葉が思い浮かんだのは、94歳で亡くなった佐藤初女(さとう・はつめ)さんと同席したときでした。


青森で「森のイスキア」を主宰されていた初女さんをご存知でしょうか。
「森のイスキア」は悩みを抱えた人などを受け入れる癒やしの場でした。
そこで出される初女さんのおむすびやぬか漬けで、励まされた人は数えきれません。


初女さんとのお付き合いはずいぶん長くて、そのなかで私が「森のイスキア」をお訪ねしたり、
初女さんが私の病院にみえたりしていました。

また初女さんは毎年、埼玉県川越市で講演会をされたので、
懇親会でお会いできるのを楽しみにしていました。

いつも並んで座って酒席を共にするのですが、初女さんは東北の女性らしく熱燗。
私はウイスキーか焼酎のロック。
飲むものは違っても、互いに酒好きであることは、手に取るようにわかりました。


もうだいぶ前になりますが、初女さんが90歳を超えたと聞いて、
急に不安になったことがありました。

初女さん、認知症は大丈夫だろうかと、気になりだしたのです。
その年の懇親会は私が会場に先に行って、初女さんをお待ちしました。

しばらくして初女さんが、部屋に入って来ました。
その姿を一目見て、あっ、大丈夫だと思いました。

それと同時に、私の右上の中空に「凜として老いる」という文字が
墨痕淋漓(ぼっこんりんり)とばかりに浮かんで来たのです。

初女さんが凜としていたのは、まず歩き振りです。
音もなくリズミカルに足を運ばれます。
顔の艶がいいこともありますが、凜として老いることのポイントは、歩き方にあります。

              


私が関わるシンポジウムに演者として来ていただいた宗教学者の山折哲雄さん(87歳)も、
凜として老いていると感じさせる方です。

会場に入って演台に立つ時の歩き方がいいのです。
京都にお住まいの山折さんは、その頃は早朝の洛中を作務衣姿で、
1万歩近く歩くのが日課だったというのですから、さすがです。



もう一人、歩く姿に感銘を受けたのが、92歳で亡くなった伊那谷の老子こと、加島祥造さんでした。
一度いっしょに天竜川の土手を歩いたことがあるのですが、
私より一回りも年上だというのに、足には自信があった私がどんどん置いていかれました。

背筋をしっかり伸ばして、やはりリズミカルな歩き方です。
その後ろ姿を見て、ふと思ったのがサン=テグジュぺリの星の王子さまでした。
老子と星の王子さま、どこかにつながりがあるのかもしれません。


              

リズミカルなウォーキングの効果が最近、明らかになってきています。
リズム運動が、脳内物質のセロトニンを分泌させて、心身のバランス(自律神経)を整え、
さらには脳への血流の促進と刺激が、認知症の予防につながるというのです。


まずは背筋を伸ばして、リズミカルに歩きましょう。
それが凜として老いることの第一歩になります。・・》


注)原文にあえて改行を多くした。
                          

私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに過ごして、年金生活は早や14年生になっている。

私は民間会社の中小業のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職した身であるが、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。

そして、私は出向身分であったので、リストラ烈風の中、
会社の首脳部が社員を自主退職させる希望退職優遇制度などの免れたのも事実であり、
定年前にやむなく退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。

しかしながら根底の実情は、この当時は大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もなく、
何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまった。

このような拙(つたな)いサラリーマン航路である上、           
そして定年退職するまで半生期は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思ったりした・・。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、2人だけで第二人生の歳月を過ごすので、
結果としては定年後の長い人生は、お互いの趣味を尊重して、堅実な生活を過ごせば、
年金生活でも何とかなると、定年後に年金生活を始めたりした・・。

               

年金生活の当初は、現役サラリーマン時代は悪戦苦闘が多かった為か、解放感で高揚したりした・・。

そして独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。

何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりした。

こうした中で、午前中の殆どは、平素の我が家の買物は、家内から依頼された品をスーパー、専門店で求め、
買物メール老ボーイとなっている。

この後、独りで自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを歩いたりしている。
私は今住んでいる近くに生家もあり、結婚前後の5年を除き、68年ばかり住み、
戦後から今日まで急速に変貌してことに、心を寄せたりして愛惜感もある。

そしてイギリスの湖畔詩人と称されたワーズワースは、湖水地方の緩やかな谷と丘が連なる道、
或いは小さな町の田舎道を、何十キロでも平気で歩いたと伝えられているが、
私も少しばかり真似事をして、歩き廻ったりし、季節のうつろいを享受している。

こうした時の大半は、帽子を被り、スポーツシャツとアウトドアの丈夫な長ズボン、
ウオーキング・シューズの容姿となっている。

そして紳士バックを園児に真似て、斜め掛けして、颯爽と歩いたりしていることが多いが、
大半はデジカメをネクタイのように首から掛けて、歩いている中で瞬時に魅了された情景を、
一期一会ねぇ、と思いながら撮ったりしている。

            

こうした根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。
       
そして70代の三年生して、心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命を意識して、
確かな『生きがい』と『健康』、そして『気力』を持続できるように、
ときおり願いながら歩いたりしている。

                 

過ぎし2010年8月下旬の頃に、私は医学博士で病院長の帯津良一さんに、紙上でめぐり逢えた。
新聞の出版広告で偶然に読み、この雑誌が女性月刊誌の『婦人公論』と知り、
私は恥ずかしながら買い求めて、精読したりした。

《・・(略)・・
人生は生老病死ーーつまり死も含めて、丸ごと自分の人生なのだから、
「死に時」も「死に方」も自分らしくありたいという考えが基本です。                                                         

「いたずらに死を恐れるあまり不要に長生きしても意味がない」と考えるようになったのは、
このホリスティック医学の考え方に共鳴し、
その理念に基づいて自らの病院を設立した40半ば以降です。
・・(略)・・
年齢に関していえば、80歳くらいまで生きれば十分ではないですか。
もちろん、肉体面でも精神面でも人それぞれ個人差がありますから一概には言えません。

しかし、自力で自由に動けるのは、せいぜい80代まででしょう。
90代になると、何かしら衰え、欠けてくる。
いくら頭がしっかりとしている人でも、足腰が立たなくなったり、その逆のケースも起こります。

ましてや100歳なんて、どんな人でもポンコツになっているはずですよ(笑)。
おめでたいと言うけれど、100歳以上は、やはり「生き過ぎ」だと私は思います。

これとこれができなくなったら、自分はそろそろ「死に時」かもしれない。
その線引きは人それぞれですし、それがわかれば、
「生きているうちにこれだけはやり遂げておこう」という人生のテーマも見えてくる。

つまり、自分にとってベストな「死に時」を考えことは、
今、生きているこの時間を最大限に充実させて生きていくことにもつながるのである。(略)・・》

                                                  
このようなことを私は深く学び、今後の確かな晩年期の導きの御人にめぐり逢えた、と深く感じて、
これ以降、帯津良一さんの言動、ご著書も購読したりして、信愛を重ねている。

今回の寄稿文に於いて、帯津良一さんは佐藤初女さん、山折哲雄さん、加島祥造さん、
いずれもその世界で突出された御方の上、人生の達人の御方でもある。

つたない人生航路を歩んできた私は、もとより比較することはおこがましいが、
体力の衰えを実感しながらも、せめて心も身も溌溂と過ごしたと目標をしている私としては、
帯津良一さんが今回掲げられた三か条を深く読み返したりした・・。

「凜として老いる」

(1)死ぬまでボケないために、凜として老いる
(2)凜として老いるためには、歩き方が大事
(3)背筋を伸ばして、リズミカルに歩こう

そして私は、少しばかり真似事ができるょなぁ・・と私は微笑み返しをしたりした。

コメント (2)
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