先ほど、ときおり愛読しているネットの【NEWS ポストセブン 】を見たりしている中、
【 老後はおひとりさまの方が幸福度高い 離婚する選択肢も? 】と見たりした・・。
私は東京の調布市に住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、
私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や14年目となっている。
このような身であるが、老後はおひとりさまの方が幸福度高い・・、と見出しを見て、
長年、寝食を共にしてきた夫婦で、ふたり過ごした方が安楽なのに・・と私は思い、
どうしてなのょ・・と私は思いながら記事を精読してしまった。
この記事の原文は、『週刊ポスト』の2018年6月15日の記事のひとつであり、
関連のネットの【NEWS ポストセブン 】2018年6月7日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。

《・・定年後は毎日のように行っていた会社に行かなくなり、自然と家に居る時間は長くなる。
そうすると現役時代より「家族」の問題は、重要になってくる。
最近、運送会社を定年になったA氏(65歳)は、
「在職中は忙しくて、家を空けがちだったので、老後は妻と水いらずで過ごそう」と計画を練っていた。
ところが退職した彼を待っていたのは、全く異なる現実だったのだ。
「良妻賢母タイプだった妻が突然、『あなたは自立すべきです』と言いだして、
トイレ掃除から皿洗いまで、あらゆる家事をやらされるようになった。
“これまでやらなかったから、やってみなさいよ”ということから始まったのですが、
慣れないので家事をしても、妻は何かが気に入らないらしく、怒ってばかりなんです。
おかげで家にいるのが、すっかりイヤになっています」(A氏)
結婚以来、今までは日中不在だった夫が、
定年で自宅に「常駐」することで家庭内のバランスが崩れ、
家の一切を担っていた妻が、夫を「攻撃」するようなケースもある。
当然、夫は夢見ていた幸せな老後を過ごすことが難しくなる。
実際、夫婦関係は、老後の幸せに大きく関連する。

マーケティングアナリスト・三浦展氏が主宰するカルチャースタディーズ研究所によるシニア調査が
「幸せである人」と「幸せでない人」それぞれに「人生での失敗」を尋ねたところ、
両者で最も差が開いたのは「夫婦関係があまりうまくいかなかった」との項目だった。
すなわち、シニアの幸と不幸を分ける最大の要因は、夫婦生活だったのだ。
老後は、夫婦や家族同居よりも「おひとりさま」のほうが、幸福度が高いという調査結果もある。
大阪府門真市の耳鼻咽喉科医院の辻川覚志・医師が
60歳以上の約1000人に聞き取り調査したところ、
夫婦や家族と同居する人より、独居のほうが、生活の満足度が高かった。
理由としては、同居のほうが「家族への対応に苦慮する」との説が有力視される。
三浦展氏は、「老後は“おひとりさま”を選ぶのも、一つの手」と指摘する。
「ひとつ屋根の下で、互いにストレスを抱えて暮らすデメリットを考慮すると、
家事能力があり、精神的に自立しているのなら、思い切って妻と別れるという選択肢もあると思います」・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
私は民間会社の中小業のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職した身であるが、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。
そして、私は出向身分であったので、リストラ烈風の中、
会社の首脳部が社員を自主退職させる希望退職優遇制度などの免れたのも事実であり、
定年前にやむなく退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。
しかしながら根底の実情は、この当時は大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もなく、
何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまった。
このような拙(つたな)いサラリーマン航路である上、
そして定年退職するまで半生期は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思ったりした・・。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、2人だけで第二人生の歳月を過ごすので、
結果としては定年後の長い人生は、お互いの趣味を尊重して、堅実な生活を過ごせば、
年金生活でも何とかなると、定年後に年金生活を始めたりした・・。

そして定年前のサラリーマン時代の私は、数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買物、料理、掃除などの家事で、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた。
そして定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩すのは天敵と確信し、
平素の買物専任者を自主宣言したりした。
そして家内から依頼された品を求めて、自動車も所有できない我が家は、
私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。
最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。
帰宅後、やはり私は独りで、我が家から歩いて3キロ範囲にある遊歩道、小公園を散策をし、
四季折々の季節のうつろいに心も身もゆだねている。
こうした時は紳士バックを園児のように真似て、斜め掛けして、颯爽と歩いたりしていることが多いが、
大半はデジカメをネクタイのように首から掛けて、歩いている中で瞬時に魅了された情景を、
一期一会ねぇ・・と思いながら、記憶のかたみとして撮ったりしている。
こうした根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。
やがて帰宅後、昼食だけは、お互いに制約することなく、自由な時間で、
お互いに殆ど我が家で、きままに食べたりしている。
そして午後の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
こうした中で、家内は料理、掃除、洗濯など専業主婦の延長戦をしてくれるので、
せめて家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、
日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。
このような年金生活の一日を定例事項のように過ごしてきた・・。
【 老後はおひとりさまの方が幸福度高い 離婚する選択肢も? 】と見たりした・・。
私は東京の調布市に住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、
私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごして、早や14年目となっている。
このような身であるが、老後はおひとりさまの方が幸福度高い・・、と見出しを見て、
長年、寝食を共にしてきた夫婦で、ふたり過ごした方が安楽なのに・・と私は思い、
どうしてなのょ・・と私は思いながら記事を精読してしまった。
この記事の原文は、『週刊ポスト』の2018年6月15日の記事のひとつであり、
関連のネットの【NEWS ポストセブン 】2018年6月7日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。

《・・定年後は毎日のように行っていた会社に行かなくなり、自然と家に居る時間は長くなる。
そうすると現役時代より「家族」の問題は、重要になってくる。
最近、運送会社を定年になったA氏(65歳)は、
「在職中は忙しくて、家を空けがちだったので、老後は妻と水いらずで過ごそう」と計画を練っていた。
ところが退職した彼を待っていたのは、全く異なる現実だったのだ。
「良妻賢母タイプだった妻が突然、『あなたは自立すべきです』と言いだして、
トイレ掃除から皿洗いまで、あらゆる家事をやらされるようになった。
“これまでやらなかったから、やってみなさいよ”ということから始まったのですが、
慣れないので家事をしても、妻は何かが気に入らないらしく、怒ってばかりなんです。
おかげで家にいるのが、すっかりイヤになっています」(A氏)
結婚以来、今までは日中不在だった夫が、
定年で自宅に「常駐」することで家庭内のバランスが崩れ、
家の一切を担っていた妻が、夫を「攻撃」するようなケースもある。
当然、夫は夢見ていた幸せな老後を過ごすことが難しくなる。
実際、夫婦関係は、老後の幸せに大きく関連する。

マーケティングアナリスト・三浦展氏が主宰するカルチャースタディーズ研究所によるシニア調査が
「幸せである人」と「幸せでない人」それぞれに「人生での失敗」を尋ねたところ、
両者で最も差が開いたのは「夫婦関係があまりうまくいかなかった」との項目だった。
すなわち、シニアの幸と不幸を分ける最大の要因は、夫婦生活だったのだ。
老後は、夫婦や家族同居よりも「おひとりさま」のほうが、幸福度が高いという調査結果もある。
大阪府門真市の耳鼻咽喉科医院の辻川覚志・医師が
60歳以上の約1000人に聞き取り調査したところ、
夫婦や家族と同居する人より、独居のほうが、生活の満足度が高かった。
理由としては、同居のほうが「家族への対応に苦慮する」との説が有力視される。
三浦展氏は、「老後は“おひとりさま”を選ぶのも、一つの手」と指摘する。
「ひとつ屋根の下で、互いにストレスを抱えて暮らすデメリットを考慮すると、
家事能力があり、精神的に自立しているのなら、思い切って妻と別れるという選択肢もあると思います」・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。

私は民間会社の中小業のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職した身であるが、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。
そして、私は出向身分であったので、リストラ烈風の中、
会社の首脳部が社員を自主退職させる希望退職優遇制度などの免れたのも事実であり、
定年前にやむなく退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。
しかしながら根底の実情は、この当時は大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もなく、
何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまった。
このような拙(つたな)いサラリーマン航路である上、
そして定年退職するまで半生期は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思ったりした・・。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、2人だけで第二人生の歳月を過ごすので、
結果としては定年後の長い人生は、お互いの趣味を尊重して、堅実な生活を過ごせば、
年金生活でも何とかなると、定年後に年金生活を始めたりした・・。

そして定年前のサラリーマン時代の私は、数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買物、料理、掃除などの家事で、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた。
そして定年後の年金生活を始めた私としては、このペースを崩すのは天敵と確信し、
平素の買物専任者を自主宣言したりした。
そして家内から依頼された品を求めて、自動車も所有できない我が家は、
私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。
最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。
帰宅後、やはり私は独りで、我が家から歩いて3キロ範囲にある遊歩道、小公園を散策をし、
四季折々の季節のうつろいに心も身もゆだねている。
こうした時は紳士バックを園児のように真似て、斜め掛けして、颯爽と歩いたりしていることが多いが、
大半はデジカメをネクタイのように首から掛けて、歩いている中で瞬時に魅了された情景を、
一期一会ねぇ・・と思いながら、記憶のかたみとして撮ったりしている。
こうした根底として、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。

やがて帰宅後、昼食だけは、お互いに制約することなく、自由な時間で、
お互いに殆ど我が家で、きままに食べたりしている。
そして午後の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
こうした中で、家内は料理、掃除、洗濯など専業主婦の延長戦をしてくれるので、
せめて家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、
日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。
このような年金生活の一日を定例事項のように過ごしてきた・・。

今回の記事に於いて、運送会社を定年になったA氏(65歳)は、
残念ながら現役時代に、奥様がどのように過ごされてきたか、認識度が少なく、
退職後の年金生活の心構えが欠けている、と私は苦笑した。
少なくとも私は、午前中だけは独りで買物メール老ボーイをした後、
この後も独りで散策をしてきたのは、もとより家内の専業主婦のペースを配慮したからである。
そして昼食も、お互いに制約することなく、自由食としてきた。
今回の記事に、老後はおひとりさまの方が幸福度高い・・私は苦笑するばかりである。
ときおり私は、『おひとりさま』の生活を余儀なくされている。
私たち夫婦の両親は、家内の母だけとなって、早や14年となっている。
ここ3年は、家内と家内の妹がお互いに連絡しあって、
家内は家内の母宅に介護に5泊6日前後で行ったりしている。
この間、我が家は私が『おひとりさま』の生活となって、過ごしている。
私は独りぼっちの『おひとりさま』の生活を過ごす時、寂しさを感じたりしている・・。

平素は、少なくとも朝夕の食事の際は、私は談笑しながら、家内と共に頂いている。
或いは私は何かと単細胞の為か、家内に少しボケかと思われない為、
若き自衛隊の諸兄に負けないように、ときおり元気な声で言ったりしている。
たとえば我が家の戸締りの責任者は、もとより主(あるじ)の私である。
こうした中、夜の9時過ぎには、玄関、台所、お風呂場などを点検する時、
『ハイ、OKです!』
と指差し確認し、大きな声で言ったりしている。
この後、居間でテレビを視聴しているか、雑誌を読んでいる家内に、
『戸締り・・終了致しました!』
と私は家内に報告したりしているのが、年金生活の当初からの習性となっている。
こうした時に、話し相手、報告する相手がいないと、やはり寂しさを感じたりしている・・。

平素の私たち夫婦の年金生活は、ご近所の方の奥様たちから、仲良し恋し、
と何と社交辞令を頂いている私たちでも、いずれは片割れとなり『おひとりさま』となる・・。
そして残された方は落胆し寂寥感を深める中、強い趣味があれば、やがて失墜感は薄らいで、
命果てるまで生きがいのひとつとなると思い、お互いの趣味の時は大切にしている。
このように私は深く思いつづけているので、私たち夫婦はできる限りはふたりで生活を続けたい、
と願っている。