昨夜、ネットの【YAHOO! JAPAN】の中にある『雑誌』部門の『ライフ』のニュースを見ている中、
【 70歳ひとり身が痛感する「友の価値」
あなたは自分の家の鍵を渡せる友達がいますか? 】と見出しがあった。
私は、どういうことなのかしら、と思いながら記事を精読してしまった・・。
やがて『おひとりさま』の70歳になる女性が、これからの人生を思案すると、
お友達でも必要度に応じてランクを付けて、晩年期を彩(いろど)る深情を明示されていた。
私は東京の調布市に住む年金生活の73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であるが、
ときおり私は、『おひとりさま』の生活を余儀なくされている。
私たち夫婦の両親は、家内の母だけとなって、早や14年となっている。
ここ3年は、家内と家内の妹がお互いに連絡しあって、
家内は家内の母宅に介護に5泊6日前後で行ったりしている。
この間、我が家は私が『おひとりさま』の生活となって、過ごしている。
こうした時、ときおり私は、まさかの出来事で家内に先き立たれて、
本当に独りぼっちの『おひとりさま』になってしまうことも、思案する時もある。
このような心情を秘めてきた私は、どのような『おひとりさま』の生活をするか、
漠然としながらも、思い馳せる時もある。
こうした思いのある私は、今回の寄稿文で多々教示されたりした。
この記事の原文は、1986年『女が家を買うとき』(文藝春秋)での作家デビューから、70歳に至る現在まで、
一貫して「ひとりの生き方」を書き続けてきた松原惇子さんが、
これから来る“老後ひとりぼっち時代”の生き方を問う不定期連載の寄稿文である。
そして今回は、第6回「友達がいない? 友達が多い?」の寄稿文であり、
ネットの【週刊女性PRIME】に2018年6月16日に配信され、無断であるが主要な部分を転載させて頂く。
《・・(略)・・シングルで少しでも明るく生きるには、だれでもとは言わないが、
身近な友達という存在が不可欠だ。
既婚の方は、家族という存在があるので、特に友達の必要性を感じないだろうが、
シングルの人にとり、友達は、迷いのトンネルから、抜けるための必要条件だと思う。
シングルの人の中には、孤独好きな人もいるだろうが、
「孤独大好き! 誰もいなくても平気」と、神に誓って言えるようになるのは、
65歳過ぎからではないかと、経験から言いたい。
よく、世間では、「男性は親友ができるが、女性には親友ができにくい」と言われている。
確かに男性同士の友人関係は、長く続いているようだが、
自分の経験からも、女性同士の友人関係は、短いような気がする。
あなたにも経験があるだろう。
親しかった女友達の急変ぶりを。
結婚した女友達と久しぶりに会ったときの会話が「ひとりで寂しくない?」。
シングル同士のときは「ひとりって気楽でいいよね」と盛り上がっていたのに、
それを否定するような発言を聞くことがあったに違いない。
へこみますよね。
わたしも30代のころは、「友達って何なの?」と裏切られた気がしていたが、
そうではなく、シングルのときと結婚してからでは、
「友達」の優先順位が違ってくるので、友達への関心が薄れただけなのだ、と捉えられるようになった。
シングル女性の「大切な人のランキング」第1位が「友達」だったとしたら、
既婚者の第1位は「家族」になったというだけのことだ。
現在、代表理事を務めるNPO法人SSS(スリーエス)ネットワークで何百人というシングル女性と関わっていて思うことは、
人間は似た者同士が引き合うということだ。
似た環境だからこそ、話が合う。
シングルは、シングル同士引き合う。
心が狭いように感じるが、それが現実だ。
(略)
シングルでも既婚でも本当は、どっちでもいいことだが、
老いてくると「友達」こそが、宝になるので、友達は大事にしたほうがいい。
多少、気に食わなくてもね。
相手だって、あなたのことを100%好きなわけではないのだから。
わたしは、最近、友達にも、ランクがあることに気づいた。
我流なのでお役に立つかわからないが、教えますね。
友達を、わかりやすいように、大好きなうな重のように、ランク分けしてみた。
実は、うな重を食べているときに思いついた。
友達のランクも、目の前のうな重のように「特上」・「上」・「並」と3ランクあるのではないかと。
(略)
「並」とは・・・
趣味のクラスで一緒とかの友達。
会ってランチしてさよなら。ジムで会ってしゃべって、じゃまたね。
そんな軽い関係の友達。
わたしもバレエの習い事をしているので、スタジオで会うと楽しい友達が数人いる。
日々のにぎわいとして、つきあっている人たちのこと。
「上」とは・・・
話が合う人。いつまで話していても話題のつきない人。つまり価値観が同じ人。
「特上」とは・・・
自分の部屋の鍵を渡せる人。
実際に鍵を渡すかどうかではなく、そのような信頼関係を持てる人。
親しいお友達の顔を浮かべてみてほしい。
旅行に行く仲だが、やっぱり鍵は渡せないと思うなら、その友達は、今の段階では「上」の友達だ。
還暦を過ぎて気づいたことなのだが、わたしのように生涯ひとり身の人は、
実際に鍵を渡せる人が、本当に必要になる。
同居人のいない高齢者には、緊急時に駆けつけてもらえる人が必要。
そのためにも実際に、鍵を預かってもらう必要がある。
事実、SSSネットワークの会員で、親しい友達がいなかったため、
隣人からの「隣から異臭がする」という連絡によって、亡くなっているのが、発見された例がある。
何が言いたいかというと、20代、30代で「上」の友達がいなくても、
悲観しなくてもいいが、問題は老いてからよと。
もし、あなたが今、仲良しを装って、友達づきあいしていたとしても、それはふつうのこと。
毎日を生きていくには、にぎわいも必要なので、落ち込むことはないが、
老いてからのことを少し想像してもらえたらうれしい。
実は、「上」・「特上」の友達と出会うのは、結婚相手に出会うより難しい。
だから、自分が結婚できたからっといって、ポイっと友達を捨てないでください。
ちょっと嫌だと、切ってしまう性格のわたしの後悔からのお願いです。
人生は長い、そして人生の後半ほど、友達が大事になると、わたしは言いたい。
昨日、一緒にショッピングに行った女友達が、
もしかして「特上」の友達かもしれない。
帰り際に「あの人って・・・」と舌打ちしたとしても。
逃がした魚は大きいかもしれない。
長い目で相手を見る癖をつけよう。
そして、「特上」の友達に育てよう。
たとえ結婚して家族を持ったとしても、子供はいつしか離れ、
夫婦関係も結婚当初と同じではない。
老いとともに、にぎやかだった人間関係も、寂しいものになっていく。
わたしも、還暦を迎えたときに、誰もいない寂しさを実感させられた。
自分がノリノリのときには気づかない、大海原にひとりで立っている寂寥(せきりょう)感だ。
『1周回って知らない話』というテレビ番組があるが、友達もまた同じだ。
幸いにも、わたしには、お互いの鍵を渡しあえる友達がいるが、
30代で知り合ったとき、彼女は結婚していた。
1周回って、現在はひとり身。
長い間には、疎遠になっていた時期もあったが、気が付くと「特上」の友達になっていたのだ。(略)・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
私たち夫婦は、いつの日にか、どちらかが亡くなり、遺(の)された方が、
『おひとりさま』になることは、漠然としながら私たちは話し合うこともある。
こうしたことは私は幾たびか投稿文に記載してきたので、省略する。
しかしながら、この世は予測できないことも多々あり、
まさかの出来事で、家内に先立たれることも考えられるので、
私が『おひとりさま』になってしまうこともあるので、思案する時もある・・。
私は家内が亡くなった時は、世の中はこのようなこともあるの、
と茫然(ぼうぜん)としながら失墜感を深めて、やがて四十九日を終えて、樹木園に行き、埋葬をすると思われる。
そして家内に先立たれた時、こうした古ぼけた家でも小庭の手入れも含めて維持管理するのは、
私たち夫婦の長き航路を歩み、愛惜感もあり、苦痛が増したりするので住めないだろう、と私は改めて感じている。
やむなく小庭のある古惚けた一軒屋を処分し、大きな公園が隣接した場所で、
小さな2DKのマンションに転居すると思われる。
こうした独り身の『おひとりさま』になった時の私の日常生活は、
付近の公園で四季折々の情景を眺めながら散策したり、
スーパーでお惣菜コーナーの売り場で買い求めたり、本屋に寄ったりして、数冊を購入する。
そして小さな2DKの12畳は居間として、少し大きめのテープルを置き、壁一面に本と映画・音楽の棚で、
テープルにはバソコンを置き、窓辺のバルコニー越しにマンション敷地内の大きな樹木が数多く観え、
食事もこのテーブルを使い、四季折々の常緑樹、落葉樹の情景を眺める。
そして付近の区立の小公園を散策代わりに、毎日のように歩く。
こうした中で、週たった一度だけ定期便のような居酒屋に行き、
中年の仲居さんと談笑し、からかわれながら、純米酒を二合ばかり呑むだろう。
そして私は家内の位牌の代わりに、定期入れに愛用した革のケースに、
家内のスナップを入れて、いつも持ち歩くと思われる。
こうした日常生活を過ごすと思われる・・・。
或いは私が身も心も溌剌で、体力が現在と同じような時は、古惚けた我が家で住むことも思案したりする。
過日、私たち夫婦は最寄の銀行に行った帰路、ある地域福祉センターを通り過ぎ、
センターから何かしら集会があったらしく、談笑と歓声が私は聴こえてきた・・。
やがて私たち夫婦は、遊歩道を歩くながら、
『僕がおひとりさまになったら・・家に閉じ込まらなくて・・ああした地域福祉センターで、
定期便のように通うと思うょ・・』
と私は家内に言ったりした。
私は亡き母の遺伝を素直に受け継いだ為か、男の癖に小学5年生の頃から、おしゃべりが好きで、
年金生活の今でも、何かと家内と談笑したり、
ご近所の奥様、ご主人さまと話し合ったりすることが多い。
もとより地域包括支援センターは、《・・介護の必要がなくても、誰でも利用できる。・・》、
《・・介護予防のための体操教室や談話会など・・》を知り、微笑んだりした。
私はおひとりさまになってしまった時、相変わらず古惚けた自宅を出て、
トボトボと歩いて、地元にある地域包括支援センターに殆ど毎日通い、数時間を過ごす・・。
そして私はコーヒーを飲みながら、或いは昼食を共に頂きながら、70代が多いと思われるが、
XXさん、と私は呼ばれたり、やがて同世代の女性からでも、
XXちゃん、或いはXXクンと苗字で、呼ばれることを夢想したりしている。
この後、コーヒー代、昼食代を支払い、わずか700円以下が多いと思われ、
何よりも数多く同世代と共に数時間を気楽に共有して、談笑できるので安らぎのひとときと思える。
やがて帰宅後は、この日の夕食、翌日の朝食の為にスーパーに買物した後、
自宅付近の遊歩道、公園を散策する。
その後は、随筆、ノンフィクション、小説、近現代史、総合月刊雑誌などの読書とし、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くと思われ、独りを愉しむ時を過ごす。
このように過ごせば、たとえ私は『おひとりさま』になっても、
心身のバランスをとり、何とか生活ができる、と思ったりしている。
しかしながら、実際に家内に先き立たれてしまった時、
私は悲嘆と失墜感の中、どのような言葉、しぐさ、心情になるかは、
世の中も理想と現実が違うように、こればかりはその時になってみない判らない、と思い深めたりしている。
そして私の晩秋期の最大難関は、介護・要になった時、
いつまで介護を受ける必要な期間が判らず、やがて永がられば本人の自己負担額が増し、
こうした中で、資金不足となり、やがて介護難民になることである。
私は裕福層には遥か遠い年金生活の身であるので、
介護施設の入居費、そして毎月の負担額が余りにも高価に、昨今も学びながら溜息を重ねたりしている。
このように『おひとりさま』になった時、私は思い馳せたりしてきたが、
今回の寄稿文に於いて、友達にもランクがある、と私は真摯に学んだりした。
そして果たして、「特上」と称せられた自分の部屋の鍵を渡せるような信頼関係を持てる人は、
その時に私はいるだろうか、と私は思い馳せて、深く重い課題かしら、と微苦笑したりした。