夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

経済ジャーナリストの荻原博子さん、団塊世代の寸評、高齢者の私は微苦笑して・・。

2018-10-01 16:04:18 | ささやかな古稀からの思い

過ぎし日、3月5日放送のBS日テレ「深層NEWS」(毎週月~金曜日の22時~23時放送)を
録画していた私は、先ほど再び視聴して、微苦笑をしてしまった。

この番組の趣旨は、《・・人生100年時代。

健康寿命を延ばしながら、残された貯蓄と限られた収入で老後をどう過ごすべきか。

現役の50代、定年を迎える60代、健康不安もでてくる70代。
ファイナンシャルプランナーの藤川太さんと、経済ジャーナリストの荻原博子さんに、
年代別の問題点と対策を聞いた。・・》このような内容であった。

私は都心の郊外に住む年金生活をしている74歳の身であるが、
やはり同世代に近い団塊の世代に対して、経済ジャーナリストの荻原博子さんが、寸評された内容に、
特に微苦笑してしまった・・。

《・・実は70代は、お金をたくさん持っています。
団塊の世代は、ずっと給料が上がってきて、家も安い時に買い、ほとんどローンもない。
しかも、高い給料を基に計算した年金をもらい、企業年金もあったりする。
お金がかなりあるのに、すごく不安を抱えていて「使えない」というのです。・・》

             

私は民間会社のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。

こうした私が出向する時、私たち夫婦は遅ればせながら第二の人生について、話し合ったした。
具体的には、どのような生活をしたいか、幾たびか思案したりした。

やがて年金を受け取り、お互いの趣味を尊重してささやかに生活して、
ときたま国内旅行ができれば・・と漠然としながら私たち夫婦の結論であった。

こうした中で、経済にも疎(うと)い私が、
経済ジャーナリストの荻原博子さんなどの数多く著名人の寄稿文を読んだりした。

そして
デフレ経済の蔓延している中、定年時に持家(マンションか戸建て)のローンは返済完了となり、
預貯金が3000万円あれば、公的年金を受け取りながら堅実に年金生活をし、
少しづつ取り崩して生活すれば、少しはゆとりのある年金生活ができるかしら、と学んだりした。

             

私が勤めていた会社は、音楽業界のあるレコード会社で、
私が50代になると、1998年(平成10年)に音楽業界の売上の主軸となるCDがピークとなり、
この前後は、各レコード会社が社内業務の見直し、組織の大幅な改定、グループ会社内の統廃合、
そして資本による合併などが行われたりした。

これに伴ない、正社員のリストラが行われ、人事配置転換による他部門の異動、出向、
社員を自主退職させる希望退職優遇制度により退職が行われ、リストラ烈風となった。
こうした中で、私の勤めいていた会社も、同じように実施された。         

やがて私も1999年(平成11年)の新春、あえなく出向となった。          

もとより出向身分は、会社に直接に貢献できる訳もなく、まぎれなく戦力外なので、
私は本社に30年近く勤め放り出され、屈辱と無念さが入り混じ、私でも失墜感もあり都落ちの無念さを感じたが、
半年後から何とか馴染み、自分の敵は自分だ、と思いながら精務した。

出向先は少し遠方地にある各レコード会社が音楽商品のCD、DVDなどを委託している物流会社で、
この中のひとつの物流センターに異動させられて、
販売店からの日々変動の激しい日毎の受注に応じた出荷作業、
或いは返品を含めた商品の出入り、保管などの業務管理を行っていた。

こうした中でセンター長をはじめとする私を含めて正社員の5名の指示に基づいて、
若手の男性の契約社員、アルバイトの10名、
30代と40代の多い女性のパートの120名前後の職場であった。

やがて出向先の物流会社も大幅なリストラが実施されたり、
私が30年近く勤めてきた出向元のレコード会社でも、幾たびかリストラ烈風となる中、
私の同僚、後輩の一部が定年前の退社の連絡、或いは葉書で挨拶状を頂いたりし、
私は出向先で2004年(平成16年)の秋に、何とか定年退職を迎えることができた。

                    

そして、私は出向身分であったので、リストラ烈風の中、
社員を自主退職させる希望退職優遇制度などの免れたのも事実であり、
定年前の退社された同僚、後輩に少し後ろめたく、退職後の年金生活に入った理由のひとつとなった。

しかしながら根底の実情は、この当時は大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もない私は、
自身の力量のなさを悟(さと)ったりした・・。

そして何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまったので、
やむなくサラリーマン生活を卒業し、年金生活を始めた・・。

このように私のつたないサラリーマン時代であり、もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートの御方には、遥かに遠い存在である。


             

                       
そして年金生活は、サラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
つたない半生を歩んだ私でも、予測した以上に安楽な生活を享受して、早や丸14年となっている。

   
過ぎし2012年(平成24年)の晩春の頃、団塊世代が65歳を迎え、大量退職が始まる年、
と雑誌を読んで教えられ、思わず微笑んだりした。

私より少し若い世代の団塊世代の諸兄諸姉は、
多くの御方は60歳で定年退職をされて、その後は年金完全支給年まで何らかの形で働かれ、
65歳になった今日、セカンドライフと称せられる年金生活を迎えられた、と私は解釈したりした。

私は25歳の時に中途入社し、何かと職場に団塊世代の諸兄諸姉の新卒の方が多く、
時代の空気を共にしてきたので、何かと親近感が増し、好感したりしてきた。

こうした中で、団塊世代の諸兄諸姉は、第一線を退かれ、年金生活を過ごされ、
今までの多忙な勤務の生活を終えて、それぞれお好きな趣味の時間で過ごされる、と思ったりした。

もとより60代は、ゴールデン・イヤーズと称される通り、身体も元気、
心は長年の勤務から解放感で満ち、心身共に第二の人生を満喫されている年代でもある。

そしてここ数年、団塊世代の諸兄諸姉の一部には、70代を迎えられ、
私は70代こそが、体力の衰えを実感させられながらも、
それぞれの御方なりに深みのある日々が過ごせますょ、と共感を重ねている。

このような私は何かと団塊世代を注視してきた。

             

今回、私は年金生活をしている中で、
何かと教示され、信愛を重ねてきた経済ジャーナリストの荻原博子さんが、団塊世代を寸評されていた。

《・・団塊の世代は、ずっと給料が上がってきて、家も安い時に買い、ほとんどローンもない。
しかも、高い給料を基に計算した年金をもらい、企業年金もあったりする。・・》

こうした御方は半分程度であったにしろ、不幸にして退職時の前にリストラされて、経済的にも余裕のない御方、
或いは中小業の民間会社に勤め、退職金も少なく、やむなく働いている御方もいる。

団塊の世代の御方であっても、人生航路の中で多事多難、色々とありますので、一概に言えませんょ・・、
と私は微苦笑したりしている。

コメント
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