女優の大竹しのぶさんが、10月10日、東京・日比谷のシアタークリエでトークショーを行う、
と私は知ったのは、過ぎし9月22日、購読している読売新聞の朝刊であった。
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の74歳の身であるが、
この読売新聞の朝刊を見ていたら、
『 シャンソン 大物俳優が挑む 』と見出しされた記事があった。
私は若き26歳の1971年(昭和46年)に偶然にシャンソンの作詞、作曲もされるバルバラの歌を聴き、
瞬時に魅了され、これをきっかけにシャンソンの世界に熱中した・・。
そして銀座の片隅にあるシャンソン喫茶の『銀巴里』に、少なくとも退社後に週2回ぐらい通いだして、
出演された多くのシャンソン歌手の唄声に心酔した。
こうした中で、金子由香里さんなどに夢中となったり、この当時は、もとよりレコードが主流であったので、
往還時に『ヤマハ銀座店』に立ち寄ったりしてアルバムを買い求めて、2年たらずで100枚を超えて、
本場のフランス、そして日本の歌手を自宅の居間で、レコードが擦り切れる程度に聴き惚れていた・・。
このような体験を秘めてきた私は、過ぎ去った日々に愛惜を重ねるように
記事を読んでしまった・・。
こうした記事の中で、《・・大竹しのぶは11月、主演舞台「ピアフ」の3度目の再演に挑む。
そして初めてピアフの代表曲だけを歌うCD「SHINOBU avec PIAF」(ビクター)も録音。
眼前に大竹が迫って来るような熱唱は、聴いていて鼓動が高鳴るほどだ。
「30歳で夫を亡くした時に、『愛の讃歌(さんか)』に励まされた」と大竹。
「子供の前では泣けないから、シャワーを浴びて泣きながら歌っていた」。
すると、気持ちがスッキリしたという。
「愛や死や別れなど、誰もが経験するテーマを持つ歌を聴いて一緒に泣いてもらい、力になれば」と語る。
大竹は、恋人の死、薬物中毒といった波乱の中でも、
力強く歌い続けたピアフの生き方に魅了されたという。・・》
私は女優の大竹しのぶさんが、主演舞台「ピアフ」をしていたことは雑誌で知っていたが、
こうした根底の理由を知り、瞼(まぶた)が熱くなった・・。
そして記事の最終章には、《・・大竹はCD発売日の10月10日、東京・日比谷のシアタークリエでトークショーを行う。
お相手は、大竹にピアフを演じることを提案した音楽評論家・安倍寧氏。
参加費はCD付きで3000円。歌唱披露も決まった。・・》
掲載された下段には、『申し込みはサイト名』が表示されていた。
まもなく私は、大竹しのぶさんのシャンソンの思い、しぐさ、話す声の質、顔立ちも拝見致したく、
指定されたサイトをクリックした。
そして《・・トークショー「音故知新 ピアフ~恋に生き、歌に生き」開催
(ゲスト 大竹しのぶ・最新CD付き、先着500名様限定)・・》
と表示されて、500名様限定、と知り、絶大な名声ある大竹しのぶさん・・
全国のファンから申し込みが殺到すると思われ、私は無理だよなぁ・・、と思ったりした。
こうした中で、アンケート欄があり、確かトークショーの観覧したい理由だった、と記憶しているが、
私なりにシャンソンの若き日の熱き思いを綴り、ぜひとも大竹しのぶさんのシャンソンの思い、
しぐさ、声、顔立ちも拝見致したく・・このような意味合いを短い綴りをして、サイト宛てに発信した。
やがて私が9月27日の74歳の誕生日に、パソコンで電子(E)メールを開くと、
この主催社より、9月26日付で、ご当選の案内を頂だいたりした。
私は幸運なラッキー老ボーイだ・・誕生日のお祝いかしら・・と微笑んだりした。
そして本日、久々に都心の日比谷のシアタークリエに行くが、
昨今、この周辺は話題の多い『東京ミッドタウン 日比谷』もあり、我が家を早めに出かけることとした。
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