私は東京郊外の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みに住む年金生活の身であるが、
今朝の未明時に目覚めたが、時計を見たら4時と解り、
少し早いじゃないの、と心の中で呟(つぶや)きながら、再び布団の中に潜(もぐ)り込んでしまった・・。
やがて寝付いてしまったが、何かしら夢の中で、
まもなく訪れる落葉樹が朱紅色、黄色にあまたの葉が染められる錦繍(きんしゅう)の情景の中、
私がこよなく愛している自宅の付近の遊歩道を独り散策している・・。
やがて目覚め、まどろみながら、どうして11月下旬に到来する情景を夢を見たのかしら、
と独り微苦笑しりした。
そして私は過ぎし旅路の八幡平の周辺を宿泊して、数多くの錦繍(きんしゅう)の情景に魅せられてきたので、
こうしたことが脳裏の片隅に残影していたのかしら、とぼんやりと思ったりした。
やがて夢幻か現(うつつ)か解らないが、ぼんやりと確か一昨年の11月下旬に、
私は独りで散策をして、私の住む地域の錦繍(きんしゅう)の情景に、
心を寄せたりして歩きまわったりしていたなぁ、と想いを馳せたりした・・。
私は2004年〈平成16年〉秋に定年退職となり、その後は多々の理由で年金生活を始めて、
日常は買物担当となった私は、毎日のように独りで最寄のスーパーに買物に行ったり、
或いは駅前までの片道徒歩20分ぐらいのスーパーに行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
そして何かしら私は根がケチなせいか、路線バスに乗るのことなく、ひたすら歩いたりしている。
その後、自宅から数キロ以内の遊歩道、小公園などを歩き廻ったりし、季節のうつろいを享受している。
年金生活を始めた当初は、独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
このように自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの何かと多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。
そして自宅の小庭の雑木の四季のうつろいを眺めたりし、
朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった過ぎ去った日々に愛惜を重ねながら、微苦笑したりしている。
今回、夢うつつに見た情景は、我が家の近くに流れる野川があり、
この両岸に遊歩道があり、私の散策の好きなコースのひとつで、少なくとも週に1回ぐらい歩いたりしている。
特に野川の川沿いの遊歩道を歩くコースとしては、京王線の『柴崎』駅と『国領』駅の中間点に野川が流れ、
下流に向い小田急線の『喜多見』駅から『成城学園前』駅の中間点に野川の流れているが、
この間の地域に私は結婚前後の5年を除き、65年ばかり住み共有してきたので、
ヒ素から私の縄張りのようなホームグランドと思ったりしている。
こうした中で、曲がりくねっていた野川も本格的に東京の郊外の川として50数年前に護岸工事の上、
整備されたり、その後も遊歩道や小公園も新たに設けられたりしてきた。
夢うつつ下流に向い遊歩道を歩れば、私が四季折々の季節のうつろいを享受しながら、
ときおり立ち止まり眺めたりしている。
その後の大半は、最寄りの小公園は、に立ち寄ることが多い。
私はまもなく訪れる晩秋の時節に、あまたの葉が朱紅色、黄色に染められる季節に、
毎年過ぎ去ったことなどを想い重ねるように愛惜を秘めて、歩き廻ったりしている。
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今朝の未明時に目覚めたが、時計を見たら4時と解り、
少し早いじゃないの、と心の中で呟(つぶや)きながら、再び布団の中に潜(もぐ)り込んでしまった・・。
やがて寝付いてしまったが、何かしら夢の中で、
まもなく訪れる落葉樹が朱紅色、黄色にあまたの葉が染められる錦繍(きんしゅう)の情景の中、
私がこよなく愛している自宅の付近の遊歩道を独り散策している・・。
やがて目覚め、まどろみながら、どうして11月下旬に到来する情景を夢を見たのかしら、
と独り微苦笑しりした。
そして私は過ぎし旅路の八幡平の周辺を宿泊して、数多くの錦繍(きんしゅう)の情景に魅せられてきたので、
こうしたことが脳裏の片隅に残影していたのかしら、とぼんやりと思ったりした。
やがて夢幻か現(うつつ)か解らないが、ぼんやりと確か一昨年の11月下旬に、
私は独りで散策をして、私の住む地域の錦繍(きんしゅう)の情景に、
心を寄せたりして歩きまわったりしていたなぁ、と想いを馳せたりした・・。
私は2004年〈平成16年〉秋に定年退職となり、その後は多々の理由で年金生活を始めて、
日常は買物担当となった私は、毎日のように独りで最寄のスーパーに買物に行ったり、
或いは駅前までの片道徒歩20分ぐらいのスーパーに行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
そして何かしら私は根がケチなせいか、路線バスに乗るのことなく、ひたすら歩いたりしている。
その後、自宅から数キロ以内の遊歩道、小公園などを歩き廻ったりし、季節のうつろいを享受している。
年金生活を始めた当初は、独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
このように自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの何かと多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。
そして自宅の小庭の雑木の四季のうつろいを眺めたりし、
朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった過ぎ去った日々に愛惜を重ねながら、微苦笑したりしている。
今回、夢うつつに見た情景は、我が家の近くに流れる野川があり、
この両岸に遊歩道があり、私の散策の好きなコースのひとつで、少なくとも週に1回ぐらい歩いたりしている。
特に野川の川沿いの遊歩道を歩くコースとしては、京王線の『柴崎』駅と『国領』駅の中間点に野川が流れ、
下流に向い小田急線の『喜多見』駅から『成城学園前』駅の中間点に野川の流れているが、
この間の地域に私は結婚前後の5年を除き、65年ばかり住み共有してきたので、
ヒ素から私の縄張りのようなホームグランドと思ったりしている。
こうした中で、曲がりくねっていた野川も本格的に東京の郊外の川として50数年前に護岸工事の上、
整備されたり、その後も遊歩道や小公園も新たに設けられたりしてきた。
夢うつつ下流に向い遊歩道を歩れば、私が四季折々の季節のうつろいを享受しながら、
ときおり立ち止まり眺めたりしている。
その後の大半は、最寄りの小公園は、に立ち寄ることが多い。
私はまもなく訪れる晩秋の時節に、あまたの葉が朱紅色、黄色に染められる季節に、
毎年過ぎ去ったことなどを想い重ねるように愛惜を秘めて、歩き廻ったりしている。
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