私は東京の調布市に住む年金生活の老ボーイの身であるが、
昨夜、ネットでニュースを彷徨(さまよ)っている中で、
【 日本で老後は「人生のオマケ」?
「高齢者にまつわる事情」を徹底比較 】
と見出しを偶然にめぐり逢えたりした・・。
私は何かと好奇心を失くしたら、この世は終わりだ、と信念があり、
齢ばかり重ねた私でも、好奇心が増して、こっそりとクリックして、
読んだりした後、微苦笑を重ねたりした。
たまたま読んだネット先は、【Mocosuku】と明示され、
少し調べると【もこすく】あなたの健康をサポート、と表示された。
そして医療・ヘルスケア分野での、新たな生活インフラサービスを構築し、
社会に貢献することを目指として、株式会社Mocosukuが提供して下さる公式サイトであった。
この原文は2014年11月27日掲載された記事であり、無断であるが転載させて頂く。
《・・「老後は人生つまらない」は日本だけ? 海外と日本の「高齢者にまつわる事情」を徹底比較
大手の質問サイトを見てみるとけっこうあるのが、「老後が寂しくなる気がして、今から心配」
というような質問。
確かに日本では、「年を取ると人生もう終わり」
「老けるのはマイナス」みたいなイメージがありますよね。
これは日本だけなのでしょうか?
今回は海外と日本の「高齢者にまつわる事情」を少し比べてみましょう。
☆日本は「老後=人生のオマケ」と考えがちだけど…
高齢者問題に詳しいある政治家は、
「日本の高齢者は老後を人生のオマケと考えているが、
欧米では退職してからが人生の本番と考えている人が多い」といっています。
たとえばフランスでは、
「老後は人生の余暇である」とされています。
余暇、つまりバケーションに大きな価値を見出すフランス人にとっては、
老後はがんばった人生に最後に与えられるご褒美、といったところでしょうか。
またスウェーデンでは、
「育児からも仕事からも自由になって、これからが自分の好きなことができる時間なんだ!」
と考える高齢者がとても多いのだそうです。
欧米の多くの国では、「老後の生活=暗くてつまらないもの」とは考えていないわけですね。
☆年を取っても「自分のことは自分でやる」のが欧米流
こういった国々と日本とで何より大きく違うのは「本人の自立心」。
アメリカやヨーロッパの高齢者は、
「自分の身は自分で守らなければならない」という意識がとても強いのです。
欧米では高齢者に何かやってあげようとすると、
たいていの場合「子ども扱いしないで」
「これくらい自分でできる」という答えが返ってきます。
また「寝たきりになっても誰も助けてくれない」という意識がとても高いので、
病気やけがの予防にも熱心で、リハビリなどもそれこそ必死の思いで取り組みます。
「誰かに助けてもらおう」というのではなく、
「自分自身で人生の残りの時間を生きていこう」という積極的な姿勢の人たちが多いのです。
☆高齢者の自立心を支えるには社会制度が不可欠
欧米の高齢者のこういった姿勢は、
政策や制度によって助けられている部分が、かなりあるでしょう。
たとえばフランスには
「祖父母が孫の世話をすることで、給料がもらえる」という制度がありますし、
45歳になると年金基金が老後の生活の相談に乗ってくれます。
そして福祉大国スウェーデンでは、年金支給制度が何度も見直しをされ、
老後の生活は厚く保証されています。
そのぶん現役世代からかなりの税金を負担したり、
きっちりした計画を立てたりしなければならないかもしれませんが、
だからこそ「老後も自分たちの手で自立していかなくては!」という考え方が
主流になっているのかもしれません。
☆「恋愛も旅行もいくつになっても自由!」が理想
いまだ日本では、「老後は家族に世話をしてもらおう」という風潮がとても強いですから、
家族に頼れない場合は
「私はどうすればいいの!?」という問題が起こってくるわけです。
また、年齢が高くなると友達同士のつき合いやコミュニケーションが閉鎖的になりやすいので、
孤独に過ごす人も多くなりがちです。
こういった社会的な風潮を変えていくのはなかなか難しいですが、
最終的には「高齢者でも人生を楽しむ資格がある」ということを多くの人が
もっと認知する必要があるでしょう。
たとえば「高齢者同士の恋愛」に対する考え方。
日本では「いい年なのに恋人なんか作ったら恥ずかしい」というような考え方が主流ですが、
欧米ではたとえ高齢者でも恋愛は自由。周りもそれを祝福してくれます。
また車いすの人に対する感覚も日本と欧米では違いがあります。
ヨーロッパでは車いすで、あちこちに買い物に行ったり旅行を楽しんだりする人がとても多く、
日本もこのようにどんどん変えていかなければなりません。
もちろん何でもかんでも欧米がすばらしいというわけではありませんが、
「高齢者の心の自立心」を尊重する習慣は、ぜひ見習っていきたいものです。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接する調布市の片隅の地域に住み、
住宅街が広がる中で、少しばかり広い雑木の多い小庭の中、築後37年ばかりの一軒屋に住んでいる。
そして私の生家も近くにあるので、私自身としてはこの地域に住んで、早や65年が過ぎている。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
お互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂き、程ほど貯金を取り崩しながら、ささやかに過ごしている。
私たち夫婦は年金生活丸11年が過ぎて、早くも12年生に進級となったが、
これまでは幸運にもお互いに大病することなく、過ごしてきた。
私は東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の秋に大学を中退し、
映画・文学青年の真似事をしで、無念ながら敗退した・・。
そして何とか大手の企業に中途入社する為に、
あえて苦手な理数系のコンピュータの専門学校に一年通った後、
1970年〈昭和45年〉の春、この当時は大手の音響・映像のメーカーに何とか中途入社でき、
そして音楽事業本部のある部署に配属された。
まもなく外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこのレコード専門会社に転籍させられ、やがてレコード会社で、
35年近く奮戦し2004年(平成16年)秋に定年退職した。
この間、幾たびリストラを遭遇したり、レコード会社の統廃合などあり、
最後の5年半は、リストラ烈風の中、はかなくも出向となったりした。
出向先は、各レコード会社がCD、DVDなどの音楽商品を委託している物流会社で、
不馴れな職場で、自分の敵は自分です、と自身を叱咤激励したりした。
こうした中で、先輩、同僚、後輩の一部は、やむなく退職を余儀なくされた中、
何とか定年退職を迎えることができたので、敗残者のようなサラリーマン航路を過ごした。
私たち夫婦が、定年退職後のセカンドライフと称される第二の人生に関して、
本格的に話し合ったは、私が出向の辞令を受けた直後からであった。
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、2人だけで長いと思われる第二人生を過ごすに当たり、
結果としては、お互いの趣味を尊重して、堅実な生活を過ごせば、
年金生活でも何とかなると判断をしたりした。
そして私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始め、
やがて私たち夫婦は年金生活は丸11年が過ぎて、12年生となっている。
私の年金生活の日常の出来事、思いなどは、このブログで数多く綴ってきたので、
今回は省略する。
今回の記事のテーマのひとつ、本人の自立心、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、もとより息子、娘、そして孫もいない上、
お互いの趣味を黙認して尊重して、生活をしてきた為か、本人の自立心は養われいる。
しかしながら世間の殆どは、私と同世代には、お孫さんがいる家庭が圧倒的に多い。
私の知人には、家を二所帯に増改築されて、
ご子息夫婦、お孫さん2人がいるので、三世代が同居となっている。
ご子息のお嫁ちゃんは、契約社員として奮闘しているので、
お孫さんの小学5年生の男の児、小学1年生の女の子に何かと相対している・・。
こうした中、私と同世代の主人は、ときおり私は立ち話しをして、
嬉しげにお孫さんの言動を私に話されたりしている。
或いは私の友人には、スープの冷(さめ)ない距離・・近くに娘さん家族が住ませているが、
私の友人は、何と用事が多く、俺の時間は振り回されているょ、と聞いたりし、
奥さんはお孫さんを相手に喜んで呼び寄せたり、娘宅に出向いたりしているらしい。
そして友人は、セカンドライスを夫婦でのんびりと過ごしたかったのに、
懇親会の二次会で私に言ったりしていた。
人それぞれであるが、自分たちの介護に関しては、息子、娘たちには迷惑かけたくない、
と思いが共通して、介護施設を思案している、と私は聞いたりしている。
私の中学時代の同級生のひとりには、親から譲り受けた広大な雑木林の中で植木屋をして、
息子夫婦、そしてお孫さんは高校3年生がいる。
同級生は親から家督を受けたりしてきたので、当然ながら両親を長年介護をして、現在はお墓を守っているし、
まもなく息子に家督を譲り、俺たち夫婦は隠居するが、介護は息子夫婦に世話になるょ、
と私に話してくれたりした・・。
私が今回の記事を最初に読み終わった後、このようなことが浮かんだりしたである。
もしも私たち夫婦が、子供がいたならば、息子か娘が解らないが、
一時間ぐらい距離に、家庭を維持管理してくれ、
ときおり息子か娘夫婦に、そして孫に逢い、互いの親睦のひとときを過ごし、
お互いの自立した家庭を・・と果たせない夢を思案する時もある。
しかし私が何よりも困苦すると思われることは、
息子が就職を失敗して、家に引きこもったり、
娘は結婚もせずに、いつまでも同居され、自立もできず、
やがて私たち夫婦、そして息子、娘も経済破綻することだろう・・、
このようなことを漠然と夢想したりした。
今回の記事のテーマから外れてしまったことがあるが、
《・・フランスでは、「老後は人生の余暇である」、
或いはスウェーデンでは、「仕事からも自由になって、これからが自分の好きなことができる時間なんだ!」・・》
という名言に、つたない半生を歩んだ私でも、瞬時に賛意し、微笑んだりしている。
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昨夜、ネットでニュースを彷徨(さまよ)っている中で、
【 日本で老後は「人生のオマケ」?
「高齢者にまつわる事情」を徹底比較 】
と見出しを偶然にめぐり逢えたりした・・。
私は何かと好奇心を失くしたら、この世は終わりだ、と信念があり、
齢ばかり重ねた私でも、好奇心が増して、こっそりとクリックして、
読んだりした後、微苦笑を重ねたりした。
たまたま読んだネット先は、【Mocosuku】と明示され、
少し調べると【もこすく】あなたの健康をサポート、と表示された。
そして医療・ヘルスケア分野での、新たな生活インフラサービスを構築し、
社会に貢献することを目指として、株式会社Mocosukuが提供して下さる公式サイトであった。
この原文は2014年11月27日掲載された記事であり、無断であるが転載させて頂く。
《・・「老後は人生つまらない」は日本だけ? 海外と日本の「高齢者にまつわる事情」を徹底比較
大手の質問サイトを見てみるとけっこうあるのが、「老後が寂しくなる気がして、今から心配」
というような質問。
確かに日本では、「年を取ると人生もう終わり」
「老けるのはマイナス」みたいなイメージがありますよね。
これは日本だけなのでしょうか?
今回は海外と日本の「高齢者にまつわる事情」を少し比べてみましょう。
☆日本は「老後=人生のオマケ」と考えがちだけど…
高齢者問題に詳しいある政治家は、
「日本の高齢者は老後を人生のオマケと考えているが、
欧米では退職してからが人生の本番と考えている人が多い」といっています。
たとえばフランスでは、
「老後は人生の余暇である」とされています。
余暇、つまりバケーションに大きな価値を見出すフランス人にとっては、
老後はがんばった人生に最後に与えられるご褒美、といったところでしょうか。
またスウェーデンでは、
「育児からも仕事からも自由になって、これからが自分の好きなことができる時間なんだ!」
と考える高齢者がとても多いのだそうです。
欧米の多くの国では、「老後の生活=暗くてつまらないもの」とは考えていないわけですね。
☆年を取っても「自分のことは自分でやる」のが欧米流
こういった国々と日本とで何より大きく違うのは「本人の自立心」。
アメリカやヨーロッパの高齢者は、
「自分の身は自分で守らなければならない」という意識がとても強いのです。
欧米では高齢者に何かやってあげようとすると、
たいていの場合「子ども扱いしないで」
「これくらい自分でできる」という答えが返ってきます。
また「寝たきりになっても誰も助けてくれない」という意識がとても高いので、
病気やけがの予防にも熱心で、リハビリなどもそれこそ必死の思いで取り組みます。
「誰かに助けてもらおう」というのではなく、
「自分自身で人生の残りの時間を生きていこう」という積極的な姿勢の人たちが多いのです。
☆高齢者の自立心を支えるには社会制度が不可欠
欧米の高齢者のこういった姿勢は、
政策や制度によって助けられている部分が、かなりあるでしょう。
たとえばフランスには
「祖父母が孫の世話をすることで、給料がもらえる」という制度がありますし、
45歳になると年金基金が老後の生活の相談に乗ってくれます。
そして福祉大国スウェーデンでは、年金支給制度が何度も見直しをされ、
老後の生活は厚く保証されています。
そのぶん現役世代からかなりの税金を負担したり、
きっちりした計画を立てたりしなければならないかもしれませんが、
だからこそ「老後も自分たちの手で自立していかなくては!」という考え方が
主流になっているのかもしれません。
☆「恋愛も旅行もいくつになっても自由!」が理想
いまだ日本では、「老後は家族に世話をしてもらおう」という風潮がとても強いですから、
家族に頼れない場合は
「私はどうすればいいの!?」という問題が起こってくるわけです。
また、年齢が高くなると友達同士のつき合いやコミュニケーションが閉鎖的になりやすいので、
孤独に過ごす人も多くなりがちです。
こういった社会的な風潮を変えていくのはなかなか難しいですが、
最終的には「高齢者でも人生を楽しむ資格がある」ということを多くの人が
もっと認知する必要があるでしょう。
たとえば「高齢者同士の恋愛」に対する考え方。
日本では「いい年なのに恋人なんか作ったら恥ずかしい」というような考え方が主流ですが、
欧米ではたとえ高齢者でも恋愛は自由。周りもそれを祝福してくれます。
また車いすの人に対する感覚も日本と欧米では違いがあります。
ヨーロッパでは車いすで、あちこちに買い物に行ったり旅行を楽しんだりする人がとても多く、
日本もこのようにどんどん変えていかなければなりません。
もちろん何でもかんでも欧米がすばらしいというわけではありませんが、
「高齢者の心の自立心」を尊重する習慣は、ぜひ見習っていきたいものです。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接する調布市の片隅の地域に住み、
住宅街が広がる中で、少しばかり広い雑木の多い小庭の中、築後37年ばかりの一軒屋に住んでいる。
そして私の生家も近くにあるので、私自身としてはこの地域に住んで、早や65年が過ぎている。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
お互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂き、程ほど貯金を取り崩しながら、ささやかに過ごしている。
私たち夫婦は年金生活丸11年が過ぎて、早くも12年生に進級となったが、
これまでは幸運にもお互いに大病することなく、過ごしてきた。
私は東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の秋に大学を中退し、
映画・文学青年の真似事をしで、無念ながら敗退した・・。
そして何とか大手の企業に中途入社する為に、
あえて苦手な理数系のコンピュータの専門学校に一年通った後、
1970年〈昭和45年〉の春、この当時は大手の音響・映像のメーカーに何とか中途入社でき、
そして音楽事業本部のある部署に配属された。
まもなく外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこのレコード専門会社に転籍させられ、やがてレコード会社で、
35年近く奮戦し2004年(平成16年)秋に定年退職した。
この間、幾たびリストラを遭遇したり、レコード会社の統廃合などあり、
最後の5年半は、リストラ烈風の中、はかなくも出向となったりした。
出向先は、各レコード会社がCD、DVDなどの音楽商品を委託している物流会社で、
不馴れな職場で、自分の敵は自分です、と自身を叱咤激励したりした。
こうした中で、先輩、同僚、後輩の一部は、やむなく退職を余儀なくされた中、
何とか定年退職を迎えることができたので、敗残者のようなサラリーマン航路を過ごした。
私たち夫婦が、定年退職後のセカンドライフと称される第二の人生に関して、
本格的に話し合ったは、私が出向の辞令を受けた直後からであった。
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、2人だけで長いと思われる第二人生を過ごすに当たり、
結果としては、お互いの趣味を尊重して、堅実な生活を過ごせば、
年金生活でも何とかなると判断をしたりした。
そして私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始め、
やがて私たち夫婦は年金生活は丸11年が過ぎて、12年生となっている。
私の年金生活の日常の出来事、思いなどは、このブログで数多く綴ってきたので、
今回は省略する。
今回の記事のテーマのひとつ、本人の自立心、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、もとより息子、娘、そして孫もいない上、
お互いの趣味を黙認して尊重して、生活をしてきた為か、本人の自立心は養われいる。
しかしながら世間の殆どは、私と同世代には、お孫さんがいる家庭が圧倒的に多い。
私の知人には、家を二所帯に増改築されて、
ご子息夫婦、お孫さん2人がいるので、三世代が同居となっている。
ご子息のお嫁ちゃんは、契約社員として奮闘しているので、
お孫さんの小学5年生の男の児、小学1年生の女の子に何かと相対している・・。
こうした中、私と同世代の主人は、ときおり私は立ち話しをして、
嬉しげにお孫さんの言動を私に話されたりしている。
或いは私の友人には、スープの冷(さめ)ない距離・・近くに娘さん家族が住ませているが、
私の友人は、何と用事が多く、俺の時間は振り回されているょ、と聞いたりし、
奥さんはお孫さんを相手に喜んで呼び寄せたり、娘宅に出向いたりしているらしい。
そして友人は、セカンドライスを夫婦でのんびりと過ごしたかったのに、
懇親会の二次会で私に言ったりしていた。
人それぞれであるが、自分たちの介護に関しては、息子、娘たちには迷惑かけたくない、
と思いが共通して、介護施設を思案している、と私は聞いたりしている。
私の中学時代の同級生のひとりには、親から譲り受けた広大な雑木林の中で植木屋をして、
息子夫婦、そしてお孫さんは高校3年生がいる。
同級生は親から家督を受けたりしてきたので、当然ながら両親を長年介護をして、現在はお墓を守っているし、
まもなく息子に家督を譲り、俺たち夫婦は隠居するが、介護は息子夫婦に世話になるょ、
と私に話してくれたりした・・。
私が今回の記事を最初に読み終わった後、このようなことが浮かんだりしたである。
もしも私たち夫婦が、子供がいたならば、息子か娘が解らないが、
一時間ぐらい距離に、家庭を維持管理してくれ、
ときおり息子か娘夫婦に、そして孫に逢い、互いの親睦のひとときを過ごし、
お互いの自立した家庭を・・と果たせない夢を思案する時もある。
しかし私が何よりも困苦すると思われることは、
息子が就職を失敗して、家に引きこもったり、
娘は結婚もせずに、いつまでも同居され、自立もできず、
やがて私たち夫婦、そして息子、娘も経済破綻することだろう・・、
このようなことを漠然と夢想したりした。
今回の記事のテーマから外れてしまったことがあるが、
《・・フランスでは、「老後は人生の余暇である」、
或いはスウェーデンでは、「仕事からも自由になって、これからが自分の好きなことができる時間なんだ!」・・》
という名言に、つたない半生を歩んだ私でも、瞬時に賛意し、微笑んだりしている。
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さて、本日の投稿についてですが、私の場合退職したときに友人と、「自由に身体を動かせ、老後を謳歌できるのは60代だね」と話し合ったことを記憶しています。
そして私は、私に与えられた境遇に似合った形で60代を過ごしてこれたかな?とちょっぴり自負しています。
確かに日本は西欧色諸国と比較すると、老後を安心して暮らせる環境にはなっていない面もあるかもしれませんが、今のところ私自身に限って言えば、ぜいたくを言わねばそこそこかな?との思いもあります。ただし、それは日本において比較的恵まれた境遇もいえるのでしようね。“下層老人”などという言葉が社会に流布するようでは、けっして恵まれた日本とは言えません。
子が親の老後を見る、という日本の良き伝統が急速に崩れた現代において、社会の制度が整っていないことが露呈されたようにも思われます。
欧米の仕組みが必ずしもベストだとは思いませんが、老後を安心して暮らすことのできる制度が一日も早く整備されることを願うのですが、どうも行く末には暗雲が漂っているようにも見えることが私たち世代には不安なことです。
貴兄の真摯なお便り、先ほど気づきまして、読まさせて頂きました。
>私の場合退職したときに友人と、「自由に身体を動かせ、老後を謳歌できるのは60代だね」
>と話し合ったことを記憶しています。
>そして私は、私に与えられた境遇に似合った形で60代を過ごしてこれたかな?
>とちょっぴり自負してい>ます。
私は貴兄がセカンドライフの指針を明確に立案されて、実行している稀な人、
と強く感じていますので、称賛しているひとりです。
>確かに日本は西欧色諸国と比較すると、
>老後を安心して暮らせる環境にはなっていない面もあるかもしれませんが、
>今のところ私自身に限って言えば、ぜいたくを言わねばそこそこかな?との思いもあります。
こうしたことは貴兄が長年教育分野で努力され、邁進された成果と私は感じ、祝福する次第です。
>子が親の老後を見る、という日本の良き伝統が急速に崩れた現代において、
>社会の制度が整っていないことが露呈されたようにも思われます。
東京オリンピックが開催された1964(昭和39年)以前は、
親の家督(土地、家屋)を譲り受けた人が、隠居した親の生活、介護、葬儀、やがてお墓参り・・
などの責務の風習は確かにありました。
しかしながら第一次産業が激少し、サラリーマンが圧倒的に多くなりましたので、
社会情勢下、やむえないと思ったりしている次第です。
そして成人した子供は、大人の道を歩みながら、親から育成されたことに感謝し、
尊敬すれば充分と、子供のいない私は、こようなことを念願しています。
>欧米の仕組みが必ずしもベストだとは思いませんが、
>老後を安心して暮らすことのできる制度が一日も早く整備されることを願うのですが、
>どうも行く末には暗雲が漂っているようにも見えることが私たち世代には不安なことです。
日本の社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、
高齢者が使う費用は、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っていますので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えている現実です。
こうした中で、年金も現役世代が払う保険料で高齢者に年金を支給する「世代間扶養」の仕組みを取っていますので、
ここ数年、団塊の世代が65歳を迎えた今日、社会保障を長らく支えてきた団塊の世代が、
「支えられる世代」となって、若い世代に重い負担を強いることになってしまっているのが現状です。
こうしたことの主因は、高齢者は長寿化となり、年少者が激少し、超高齢化社会の時代となり、
世代間の格差が難題となっています。
日本は社会保障は中負担中福祉と感じ、欧米は高負担高福祉・・
日本の労働人口の推移から思案すれば、これからの年金改革は、日本財政などを含めて、
最大難題と私は憂いたりする時もあります。
とりとめなくコメントさせて頂きましたが、今後ともよろしくお願い致します。