私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。こうした中で、
私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。
こうした中で、
夏椿にめぐり逢えて、私は微笑んで、
見惚(みと)れたりした・・。
私は20代の頃、すっきりした白色の花びらの縁(ふち)には、
こまかいギザギザあり、花の形が椿によく似ていて、夏に開花することから「夏椿」と呼ばれ、
私の生家の近くにある寺院でも、「沙羅双樹(さらそうじゅ)」と呼ばれてきた。
何かと単細胞の私は、高校時代に習った『平家物語』に於いて、
《・・祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらはす。・・》、
思いを重ねてきた・・。
もとより夏椿は、朝に咲き、夕方には散り、
私は梅雨の時節に彩ってくれる情景に、こよなく魅了されてきた・・。
そして私は、ぼんやりと雨上がりの夏椿の雨露でぬれた地表を眺めた時、
つたない人生航路を歩んだ私でも、浄土のような世界・・と思い馳せたりした・・。
私は農家の三男坊として、1944年(昭和19年)の秋に生を受けて、
仏教としては、日本で多くの曹洞宗であったりした。
こうした中、春分の日、お盆、秋分の日などで、
僧侶が来宅して、お経の後、歓談したりした。
こうした中で、浄土のことも話をされて、
一切の煩悩や汚れを離れ、仏や菩薩が住まわれる清浄な地・・、
確かこのようなことを心の片隅に残っている。
このような情景を見たりすると、浄土のような世界だ、と私は思い馳せたりした。
つたない人生航路を歩んだ私としては、もとより人生修業も未完成であり、
夢幻のひととき・・と感じた後、空をゆっくりと見上げたりした・・。