先程、ぼんやりと10年前の頃、どのような心情ですごしていたのだろうか、
と思い馳せたりした。
私はブログの投稿文に関しては、原則として毎日一通を投稿してきたので、
こっそりと10年前の頃の投稿文を読み返したりした・・。
たまたま2012年9月27日に於いては、
『満68歳の誕生日を迎えた私は、この人生に乾杯、と恥ずかしながら心の中で呟(つぶや)き・・。』、
と思い馳せたりした。
私はブログの投稿文に関しては、原則として毎日一通を投稿してきたので、
こっそりと10年前の頃の投稿文を読み返したりした・・。
たまたま2012年9月27日に於いては、
『満68歳の誕生日を迎えた私は、この人生に乾杯、と恥ずかしながら心の中で呟(つぶや)き・・。』、
と題して投稿していた。
この当時は、ブログに写真を表示させる技量もなく、
文字通り文書だけの簡潔な投稿文となっていた・・。
映画の世界は、リバイバル上映があるが、
私も少し真似事をして、再公開をさせて頂く。
この当時は、ブログに写真を表示させる技量もなく、
文字通り文書だけの簡潔な投稿文となっていた・・。
映画の世界は、リバイバル上映があるが、
私も少し真似事をして、再公開をさせて頂く。
《・・ 私は恥ずかしながら、本日満68歳の誕生日を迎え、
過ぎし2009〈平成21〉年に初めて高齢者の入門を許されて、
私の住む調布市から『介護保険証』が郵送され時は、私は驚きながらも高齢者なってしまったのか、
と微苦笑を重ねたりしてきた。
そして本日は、高齢者の4年生に進級したのか、と微苦笑したりした。
私は東京郊外の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みに住む年金生活の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
私は東京オリンピツクが開催された1964(昭和45)年に大学を中退し、
アルバイト、或いは契約社員をしたりしながら、映画・文学青年の真似事をした。
ある年、親戚の叔父さんから、
今は良いとしても、30歳を過ぎた時、妻子を養って家庭を持てるの、
と私は諭(さと)されて、
確固たる根拠もなく独創性があると自信ばかり強い私は、あえなく挫折した。
そして、やむなくサラリーマンに転職しょうと、軌道修正をした。
コンピュータの専門学校に一年ばかり学び、これを梃子(てこ)にした上、
ある知人のご尽力もあり、この当時は大企業のある音響・映像メーカーに、
中途入社できたのは、1970(昭和45)年の春であった。
この後、まもなくしてこの会社の一部が、外資系のレコード会社として独立し、
私もこの新たに創業された外資系のレコード会社転籍させられて、
本社に30年ばかり私なりに奮闘して務めた後、
音楽業界のリストラ旋風の中、私も出向を5年ばかり苦節の体験して、
定年退職となったのは2004(平成16)年の晩秋であった。
このように私は、大学を卒業して、大企業で邁進されたサラリーマンのエリートの方たち、
或いは官公庁で栄達された方たちとは、
遥かに遠い拙(つたな)い身なので、もとより年収も退職金も程ほどに少なく、
せめてその時代に流行(はや)った名曲と共に、時代を深く共有できたのが、
心の宝物のひとつかしら、と微苦笑している。
私は定年退職後、その直後から年金生活をしているが、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。
年金生活の直後、独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に散歩できるなんて、許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住みながら、
何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時を過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりしていた。
日常は定年後から自主的に平素の買物担当となり、
独りで 毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
そして、ときたま小庭を手入れをしたり、
家内との共通趣味の国内旅行をして、その地の風土、文化などを学んだりしている。
日常の大半は、随筆、ノンフィクション、小説、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを心の発露の表現手段として、
このブログのサイトに綴り投稿するのが、生きがいのひとつとなっている。
我が家は年金生活なので、原則として厚生年金とわずかな企業年金の年金支給額で平素の生活を過ごし、
国内旅行、冠婚葬祭、そして耐久品などの購入は、
程ほどの貯金を取り崩して過ごしているので、ごくありふれた年金の家庭であると思ったりしている。
私たち夫婦は若き新婚の頃から幾たびか国内旅行をしてきたが、
年金生活を始めた翌年の2005〈平成17〉年の5月下旬に、
知床半島のウトロから出港してオホーツク海を北上して、半島の先端の知床岬で日の出を洋上から観る
早朝クルーズに惹かれて、3泊4日で道東をめぐる観光団体観光ツアーに参加した。
この後、3日目の昼下り、阿寒湖の湖畔で1時間ばかり休憩した時であった。
私たち夫婦は団体周遊旅行で、私たちと同様にご夫婦の方も多くいるので、
私たち夫婦は40代の頃から、好感したご夫婦と旅行中で話し合ったりするタイプである。
この時も年配のご主人と湖畔の喫煙場で、私は話し合ったりした・・。
『僕は70を過ぎているが・・あなたは60過ぎた頃でしょう?
僕も60代の頃は、家内と海外旅行など・・盛んに行ってたの・・
自分達が好きなことが一番できる時期なの・・
あなたたちのご夫婦を見ていたら・・思いだされたのよ・・』
と年配のご主人は私に微笑みながら私に言った。
『あの頃は、体力は少しは衰えは感じていたが・・何より気力はあった・・
あなた・・知っているでしょう・・
ゴールデン・イヤーズということ・・この人生で一番充実していた時・・』
と年配のご主人は言葉を重ねられた・・。
私は改めて、このご主人から、60代は人生の黄金期と学んだのである。
このようなことを私は思い馳せながら、
私たち夫婦は、お互いに歯の治療ぐらいで、入院する程の大病にすることなく、
8年目の年金生活を過ごしている。
ときおり家内は、『働くなくても・・こうして生活を過ごせるのだから・・』
と微笑みながら、私に言ったりしている。
昨日、私は我が家の小庭を手入れをし、汗まみれ泥まみれで孤軍奮闘した。
我が家の敷地は変形で、家屋の関係により玄関庭と主庭に分離された上、
隣接にマンションなどが建っているので、冬の時節は一部が陽陰となったりしている。
そして無念ながら私の実力不足で、わずか100坪ばかりの敷地なので、
大きく伸長する欅(ケヤキ)、山桜(ヤマザクラ)などが植えられず、
何かと拙(つたな)い人生を過ごしてきた我が身に相応しい、と苦笑をしたりした。
そして樹木の下に這(は)いつくばったりして草むしりして、
何とか小奇麗になった小庭を眺めたりしていると、
いずれは私たち夫婦は片割れとなり、こうした古ぼけた家でも維持管理するのは、
苦楽が伴なうので住めないだろう、と私は改めて感じたりした。
そして現在の古ぼけた一軒家の生活は、
あと10年ぐらい私たちは五体満足で生かしてもらいたい、と思ったりした。
この時は私は77歳となり、家内は70歳となる。
その後は身体も衰え、やむなくスーパー、病院、公園の利便性のあるマンションに転居し、
互いに思いやりを増して、どちらかが終末となり、残された人は『おひとりさま』の生活となる。
このようなことをぼんやりと思ったりしたが、
果たしていつの日か解らないが、こればかりは天上の神々の采配に寄るものである。
いずれにしても、体力は少し衰えて心は溌剌としたゴールデン・イヤーズと称せられる60代の今、
私が何かで日常生活で失敗した時、
『ボケチィンねぇ・・』
と家内は笑われたりする時もある。
或いは『ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』と家内は苦笑されたりしているが、
私は長き37年の人生の苦楽を共にした良き叱咤激励と思いながら、
何よりも気楽に寝食を共にでき、談笑できる相手がいれば良いと思ったりしている。・・ 》
このような『10年ひと昔』と称せられる10年前の頃、
投稿文を読み返して、独り微苦笑を重ねたりした・・。
この10年間、私は目の白内障の手術、この後に左眼だけの硝子体手術、
家内も初期の膵臓ガンで摘出の手術などで、入院となったりした。
こうした中、私はタバコを禁煙したり、お酒もビールを5日毎に缶ビール1本呑む程度となり、
10年前には、まさか予測もできないことで、苦笑したりした。
或いは70歳の頃から体力の衰えを感じ、
やがて75歳の頃から数時間歩き続ければ、疲れてベンチで休むようになり、
衰えを実感させられたりしている。
こうした中で、ときおり物忘れもあり、独り微苦笑したりしている。
投稿文を読み返して、独り微苦笑を重ねたりした・・。
この10年間、私は目の白内障の手術、この後に左眼だけの硝子体手術、
私は高齢者に入門した65歳の頃、作家・渡辺淳一さんが何か随筆で、
その年にならなければ、解らないょ、
このような意味合いの言葉を学んできたので、齢を重ねるたびに気付かされて、
確かに・・微苦笑したりしている。
その年にならなければ、解らないょ、
このような意味合いの言葉を学んできたので、齢を重ねるたびに気付かされて、
確かに・・微苦笑したりしている。